14話 嫌な予感
入口の扉を開けると店員の挨拶も無視して、編纂者の前の席に座る。
「注文をなさらないと、ウェイターが困ってしまいますわ」
「こちらのレディと同じものを」
店員が突然入ってきた陽之衛の態度におびえた様子でうなずいた。
背もたれに体重をかけて名刺を机の上に置く。
ちら、と編纂者は置かれた紙を見てから余裕たっぷりに陽之衛に微笑んだ。
彼女は電車のときと違い帽子はかぶっておらず、赤紫色の髪の毛がきれいにまとめられているのがわかる。
やはり目は色の薄い翡翠色だ。はっきりと確認できた。
「ご機嫌よう、若様。この度は調査事務所の開設、おめでとうございます。知らせを聞いて驚きましたのよ。まさか貴方が高千穂よろづ事務所の方だったなんて」
白々しい言い方を気に留めず、素直に礼を述べながら陽之衛は運ばれてきた紅茶に砂糖を数個入れる。
編纂者の顔が少し歪んだ。
「オカルトというのは貴女が言っていた物を拝借しました。レディ・ヒサベル」
「お役に立てたのならうれしい限りですわ。ではこれから貴方の事務所にわたくしもお世話になるのかしら。それで、お仕事は来ましたの?」
「えぇ、駆け出しですからまだ一件だけですが。貴女からもいろいろ情報がいただけたらもっと助かりますよ」
ひりついた空気が漂い出したせいで、店員がこちらを警戒し始めている。
だが二人は気にせず腹の探り合いを続けた。
ヒサベルは姿勢を崩さずティーカップを持ち上げ、中身を揺らし波紋が広がる様を眺めているが、隙は現れなかった。
「お名前はまだ教えていただけませんの?」
「もう知っておいででしょう」
「あら、本当ですわ。きっと妖精が教えてくれたのね。それで、陽之衛様は事件を追ってらっしゃると。巷を騒がせているかまいたち、でしたかしら」
芝居じみた返事に、ク、と喉で笑う。
気づかれる前に熱い紅茶を流し込んで、いったんは驚いたふりをした。
レディ・ヒサベルは大胆に駆け引きを仕掛けてきたのだ。
探り合いをしたところで互いに譲る気はなく、かといって無駄に時間を使うつもりも毛頭ない。
面白くなる、と陽之衛が身を乗り出したところで背後から新しい来客を知らせる鐘が鳴った。
「それも妖精から聞いたのですか?」
「新聞を読みましたの。かまいたちはこの国の妖怪ですわ、興味があって当然。本物だったらぜひ取材しなければ、と思うものでしょう?」
「たしかに」と苦笑する。ヒサベルのカップはいつの間にか空になっていた。そして慌ただしい足音が近づいてきているのを陽之衛の耳は拾った。
「時間のようね。以前も幽霊騒ぎを見事解決されていたでしょう? だから今回の調査もきっとうまくいきますわ」
「待って」と陽之衛も立ち上がる。「妖精だなんて信じられると思う? あんた、俺を探ってなにを知りたいわけ? ──何者だ」
立ち上がった彼女を引き留めるために、わざと強い口調で問いかけた。
伝票を振っていた手が止まり、じっと冷たい目が陽之衛を観察したが、やはり互いにわざとでも腹を見せ合うことはしない。
彼女から聞きなれない言葉が聞こえてきたあと、鞄から一枚紙を取り出して机の上に置かれる。
「人が悪いのね。でも早とちり。わたくしは最初に申し上げた通りオカルトをまとめに来た外国人でしてよ。調べていたらどうしてか貴方にたどり着いたの」
嘲笑を含んだ唇が弧になる。
カツカツと靴音が軽やかに鳴り、レディは店から出て行った。
最後までその姿を見送ろうとしたが、だれかに肩を掴まれて大きくゆすぶられたので視界が回った。
「なにするんだよっ」
「突然消えるな、心配するから! さっきのきれいな人は知り合いか? 親しげに話してたよな」
いきなり走り出した親友を追って入ってきた将志郎は息が上がっていた。
無視してカップの残りの紅茶を飲み切って名刺と紙を乱雑に衣嚢に突っ込む。
将志郎はもう一度声をかけるが、陽之衛に無視されていると気づいたのか椅子に座って店員に紅茶を注文し始めている。
陽之衛は窓の向こうに鋭い視線を向けた。
しかしヒサベルの姿はどこにも見つからず、逃げられたと苛立ちが腹の奥で燃えた。
頭の中はぐるぐると思考が激しく駆け巡っている。
(予感がする、はずなのに。なにもわからない)
それは時に自分を裏切り、時に大胆な行動をさせ、バカになり、そして大事なものや欲しいものをつかみ取るための道を示してくれるものだ。
なにより退屈ばかりのこの世に色どりを添えてきてくれた。
面白いことが欲しい、と口にするときは、神のひらめきにも似た予感を待っているときでもあった。
予感とは、陽之衛にとって唯一信仰できる大切なものである。
けれど今回は違う。
紙を取り出して目を通した。
彼女が独自にまとめていた妖怪についての走り書きが記されていたがほとんど読めないせい、さらに怒りが湧いてくる。
それでも一つだけわかったものがあった。
(運命が俺の魂を運ぶだって? そんなコロコロ変わる不確定なものなんかクソくらえ)
紙をビリビリに破り、集め直して将志郎の衣嚢に突っ込む。
「なにするんだよ!」と抗議の声が飛んできたのでデコピンで黙らせた。
うなじがかゆくてしょうがない。
ここまで明確に『嫌な予感』になったのは初めてだ。
そのせいか物事の道筋に薄い霧がかかっていてはっきりせず、かき分けてみなければ先に進むことすらままならなかった。




