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残想  作者: 森村征爾
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第五話 変わった日本


 通学の電車に乗った瞬間だった。


『……こ、これが日本国なのか……』

頭の中から驚きの感情が一気に流れ込んできた。

窓の外には高いビル群が立ち並び、道路には絶え間なく車が走っている。


『ビル、ビル、ビル……』

『畑はどこへ行った? 田んぼは?』

『車の数を見れば分かる。ここは帝都なのだな?』


つり革を握ったまま、向日葵ひまりは目を閉じた。


「……朝からうるさい」


『洋装ばかりではないか。着物はどうした』

『皆、下ばかり見ている。ひまりの持っているスマホ箱と同じではないか?』

『ひまり、あれは何だ?』


「うるさい!」

思わず声に出してしまい、向かいの女子高生たちがこちらを見る。


「あ……ご、ごめんなさい」

慌てて誤魔化す向日葵。

最近はこんなことばかりだった。

朝から晩まで質問攻め。

好奇心旺盛な玄太郎に付き合う毎日である。


「玄ちゃんさあ、用事がある時だけ話しかけてよ」


『何を言う』

『妙な男が近寄らぬよう見守るのも役目だ』


「景色を見たいだけでしょ?」


『……否定はせん』

向日葵はため息をつく。


その時だった。

『見ろ!』

『空中に列車が走っているぞ!』


「モノレールだよ…。」


『仕組みが知りたい』

まりが見たら喜ぶぞ。スマホ箱で写真を撮ってくれ』


「スマホ箱って言わないでよ……」

結局、向日葵は窓越しにモノレールを撮影した。


こうして撮った写真は、その日のうちに毬婆ちゃんへ送っている。

最初は面倒だった。


 けれど…。

『向日葵ちゃん、ありがとう』

そう言って笑う毬婆ちゃんの顔を想像すると、不思議と悪い気はしなかった。


 電車を降り、駅前を歩く。

 大型ビジョン、コンビニ。

 ガラス張りの高層ビル。

玄太郎は次々と感情を揺らしていた。


『凄いな……』

『日本は本当に負けた国なのか?』

『ここまで立て直したのか……』


 向日葵は少しだけ足を止めた。

「玄ちゃん?」

『戦争へ行った連中が命を懸けた先に、こんな世の中があったのなら……』

『悪くない』

その感情には後悔も悲しみもなく、ただ安堵だけがあった。


しばらくして玄太郎が言った。

『毬が好きな和菓子を送ってやりたい』

『シベリアを買いに行ってくれ』


「シベリア?」


『知らんのか?』


「知らないよ」


『羊羮菓子だぞ?知らんのか?』


「知らない」


『スマホ箱を持っているのに知らないのか?滑稽な話だな』

『それに…、』

『妻に土産を渡す夫はいつの時代も同じだろう』

向日葵は少しだけ笑った。


「今さら送らなくても、毬婆ちゃん家には和菓子いっぱいあったじゃん」


『そういう問題ではない』

『好きな相手に喜んでもらいたいだけだ』

真っ直ぐな感情が伝わってくる。

八十年近く経っても、玄太郎の心は毬だけを向いていた。


向日葵には、それが少し不思議だった。


『ところで、ひまり』


「なに?」


『お前には居ないのか?』


「何が?」


『想い人だ』


「失礼ね!」


「好きな人くらい居ます!」

『ほう』

少し安心したような感情が伝わる。


『なら良し』

『ひまりからは何も感じぬから心配しておった』


「何も感じないって?」


『恋心だ』

向日葵は返事に困った。

学校で人気の男子。

格好いいと思う先輩。

周りの友達が騒いでいるから自分も同じように騒いでいただけかもしれない。

会えなくて苦しいわけでもない。

声を聞きたくて眠れなくなるわけでもない。

それが恋なのかと聞かれると、よく分からなかった。


『そうか……』

玄太郎は静かになった。

そして小さく呟く。

『まだ知らんだけかもしれんな』


向日葵は窓に映る自分の顔を見た。

 

恋、好き、想うということ。

毬婆ちゃんは八十年近く、一人の人を想い続けた。

そして玄太郎もまた、八十年近く毬だけを想い続けている。

私にはまだ分からない。

いつか自分も、そんな気持ちを知る日が来るのだろうか。

玄太郎はそんなひ孫の横顔を見つめながら、少しだけ安心した。


 この子は――。

まだ人に想いを、想い続ける事を知らないだけなのだと。


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