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残想  作者: 森村征爾
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第四話 二回目の見送り


夜が明ける前だった。

枕元から突然けたたましい音が鳴り響いた。


『ひまり! 空襲警報だ!』


頭の中で響いた怒鳴り声に、向日葵ひまりは飛び起きた。


『女子は防空壕へ避難開始! 急げ!』


「……うるさい!」

寝ぼけ眼のまま枕元を見ると、鳴っていたのはスマホの目覚ましだった。


「玄ちゃん……目覚ましだよ」

しかし玄太郎は聞いていない。


『毬!』


『毬はどこだ! 防空頭巾は!』


「だから落ち着いて!」


布団の上で髪を振り乱しながら叫ぶ向日葵とは対照的に、頭の中の青年は完全に戦時中へ戻っていた。


「もう敵なんていないの!」


「平和な日本なんだから!」

その言葉に、玄太郎の声がぴたりと止まった。


『……そうか』

しばらく沈黙が続く。

向日葵は大きくため息をついた。


「毎朝こんなだったら私の方がおかしくなるよ……」


『……すまん』

少しだけ申し訳なさそうな感情が流れ込んでくる。

向日葵は布団から起き上がりながら顔をしかめた。


「今日は家に帰るけど……まさか、このままなの?」


『おれは出られんからな』

「やだ!」


「玄ちゃんは毬婆ちゃんのところに取り憑けばいいじゃない!」


『悪霊扱いはやめなさい』

思わず向日葵は笑ってしまう。


「じゃあ何で私なの?」


『おれにもわからん』

玄太郎は少し考えるように言った。


『深い眠りについていた』

『呼ばれた場所があの家だった』

『天井から見ている感覚はあったんだ』

『そして、ひまりが倒れた瞬間……吸い込まれた』


向日葵は嫌な予感がして顔を引きつらせた。


「待って……」「待って!」


「お風呂とか……トイレとか……」


『……』


「見えてるの?」


『……そうだな』



「いやぁっ!」

布団を抱えて悲鳴を上げる。


「絶対嫌!」


「今すぐ出てって!」

玄太郎から困惑の感情が伝わってきた。


『なら意識を断てばよかろう』


「え?」


『入れ替われるのだから、意識を閉じることもできる』


「本当に?」


『女子の入浴を覗く趣味はない』


「絶対だからね!」


『わかった、わかった』

朝からひい孫に怒鳴られることになるとは、八十年前の玄太郎も思っていなかっただろう。


朝食を終え、本家を出る時間になった。

玄関まで見送りに来たまり婆ちゃんは、向日葵の手を優しく握った。


向日葵ひまりちゃん、玄ちゃんのためにありがとうね」


「また遊びに来て」


「うん、また来るよ」

毬婆ちゃんは穏やかに笑った。


その笑顔を見た瞬間、向日葵ひまりの胸に急に重たい感情が流れ込んできた。

玄太郎だった。


『……二度目の見送りだ』

向日葵は足を止める。


『出征の時は、毬は泣いていた』


『待っている、と言ってな』

『おれは……』

『必ず帰ると言えなかった』

声は静かだった。


後悔、寂しさ、申し訳なさ。

八十年分の感情が胸に流れ込んでくる。

向日葵は小さく呟いた。


「私が代わりに伝えようか?」

「毬婆ちゃん、きっと喜ぶよ」


すると玄太郎は慌てた。

『やめておけ』

『ひまりが病院送りにされる』

『ああ見えて毬は良識ある女だ』


「何よ!」

「まるで私が非常識みたいじゃない!」


『そうは思わん!』

反射的に返事をしたあと、


『いや……姿形は毬によく似ておるが……』

「似てるけど?」


『中身は違う、全く違う。』


「玄ちゃん!」


『いや、そういう意味ではなく――』


「出てって!」

怒った向日葵の感情が玄太郎に流れ込む。

しかし、その奥にある優しさも同時に伝わっていた。

毬との間を繋ごうとしてくれている。

その気持ちは十分すぎるほど伝わっていた。

玄太郎は少しだけ笑った。


『ひまりは良い子だな』


「子供扱いしないで!」


『……』

再び怒られる。

しばらく黙り込んだ玄太郎の感情が、向日葵にぽつりと伝わってきた。

飛行機の操縦よりも、数学の計算よりも。

女子という生き物の方が、よほど難しい。

向日葵は思わず吹き出した。


「今さら気付いたの?」


春の朝の風が吹き抜ける。

玄関先では、まだ毬婆ちゃんが小さく手を振っていた。


そして向日葵ひまりの中では、八十年前の青年もまた、同じように静かに手を振っていた。

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