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残想  作者: 森村征爾
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第十三話 それぞれの恋


規則正しい電子音が病室に響いていた。

一定の間隔で鳴り続けるその音だけが、この部屋で流れる時間を知らせている。


窓の外は夕暮れだった。

西日が白いカーテンを薄く染めている。

向日葵はベッドの横に置かれた椅子へ座ったまま動けなかった。

白い布団の中で眠る毬は、いつもよりずっと小さく見えた。


一ヶ月前まで元気だったのに。

縁側でお茶を飲みながら笑っていたのに。

玄ちゃんの話になると止まらなくなって。

「玄ちゃんったらね」

そう言いながら嬉しそうに笑っていたのに…。


今は目を閉じたまま動かない。

向日葵はそっと毬の手を握った。

細くなった指。

しわの刻まれた手。

何度も頭を撫でてくれた手だった。

温もりはまだ残っている。

けれど握り返してはくれなかった。


「おばあちゃん……」

返事はない。


電子音だけが続く。

本家から電話が掛かってきたのは三日前だった。

毬ばあちゃんが倒れた、搬送しているから。と。


それだけだった。

詳しい話はほとんど覚えていない。

気付けば向日葵は病院へ向かっていた。


嫌な予感がしていた。

あの日…。

電車の中で聞いた玄太郎の言葉が忘れられなかった。


『毬の死期が近い』

信じたくなかった。


けれど今…、

目の前にいる毬ばあちゃんを見ていると、その言葉が何度も胸の中で繰り返される。

向日葵は唇を噛んだ。


「おばあちゃん」

声が震える。


「起きてよ」

返事はない。


「まだ話したいこといっぱいあるのに」

修学旅行の話も全部終わっていない。

またお土産を持って来る約束もしていた。

まだ一緒に食べたい和菓子だってある。


…なのに…、


毬は静かに眠ったままだった。

向日葵は俯く。

そして胸の奥へ呼び掛けた。


「玄ちゃん」

返事はない。


「玄ちゃん」

もう一度呼ぶ。

しばらくして。


『……向日葵』

掠れた声が聞こえた。

向日葵は顔を上げた。


「おばあちゃん大丈夫だよね」

沈黙。


「大丈夫って言ってよ」


『……』


「玄ちゃん」

向日葵の目に涙が浮かぶ。


「連れて行ったりしないよね」

返事はなかった。

その沈黙が何より怖い。

向日葵は首を横に振る。


「嫌だ」

涙が零れる。


「まだ駄目だよ」

「やっと会えたじゃん」

「玄ちゃんの帰る場所を見つけたじゃん」

握った毬の手に力を込める。


「だからまだ駄目」

涙が止まらない。


「まだ二人とも一緒にいてよ」

病室の空気が重くなる。

玄太郎は何も言わなかった。

ただベッドを見つめていた。

向日葵にも分かる、玄太郎も苦しんでいる。

毬が大切だから。

誰よりも大切だから。

だからこそ言葉が出ない。


長い沈黙の後。

玄太郎が静かに呟いた。

『向日葵』


「なに……」


『恋を知りたがってたな。』

向日葵は黙って聞く。


『毬は死んだおれに想いを寄せながら時を刻んできた』

『だが、それは毬の恋なんだ』

『形も定義もない、向日葵は向日葵の恋があるはずだ』

『わかるか?』

玄太郎の感情が向日葵へ伝わる。

言葉では表せないほど静かなものだった。


『おれは毬を一人にした』

向日葵は涙を拭う。


『なのに』

玄太郎の声が小さくなる。

『八十年も待ってくれた』


病室の時計が秒を刻む。

その音だけが妙に大きく聞こえた。

玄太郎は長く黙り込んだ。

そして。


『おれは』

言葉が途切れる。

『おれはな……』

それ以上続かなかった。

向日葵はベッドの上の毬を見る。

穏やかな寝顔だった。

まるで昔の夢でも見ているように。

夕暮れの光が少しずつ薄れていく。

病室は静かだった。

けれど向日葵には分かっていた。

今この部屋には三人いる。

眠る毬。

泣いている自分。

そして、その隣で言葉を失ったまま見守り続ける玄太郎。

誰も何も出来ないまま。

夜はゆっくりと近付いていた。

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