6話 パパの話をしよう
それは訓練開始から数週間が経ち、黒髑髏騎士が家の中を徘徊しても違和感がなくなってきた頃のこと。
夕食の時間にそれは唐突に始まった。
「…ねえママ。パパのこと今でも愛してる?」
ソレイアが真剣な面持ちでテレサにそう、問いを投げかけた。
聞き間違えたかと錯覚するには、しっかりと聞こえてしまったので、テレサは思わず押し黙ってしまう。
同時に、骨給仕の動作も止まった。
沈黙。先程まで和やかな空間だったはずなのに、暖かなそれは真冬にも近い温度を感じさせた。
スープをストローで啜っていたロイドも、ずず、と飲むのをやめて成り行きを見守るため、そっと気配を消した。
「…な、なあに、いきなり。もちろん愛してるわよ」
もちろん嘘だった。
テレサは昔、ソレイアに「パパはどこにいるの?」と聞かれた際「遠くにいるのよ」と真実と嘘を微妙に織り交ぜた言葉で濁していた。
夫を早くに亡くし、自分はその夫を今でも愛している。
というよくある美しい偽のストーリーを作り上げていたのだ。
しかしまさか愛する娘に、貴方はワンナイトの産物なの、と言えるわけもない。
お互いに幸せな、しかしテレサにとって都合の良い嘘だった。
「…どれくらい?」
「どれくらい?!」
愛の定量化をしたことのないテレサは予想外の質問に困惑した。
これはいったいどう答えれば正解なのか。
テレサにとってこの世で1番愛しているのはソレイアだ。
それは絶対だ。
だがこの質問の意図は「どれくらい、何と比べて大きいのか」と言った類に受け取れる。つまり相対評価を説明せねばならない。
無理矢理に数値化するならばソレイアが100でそれ以外は1だ。
しかしそれを素直に伝えるべきかどうか。
テレサは考える。
最初に「父を愛しているか」と聞いてきたということは、今でもその数値は健在なのか、ということなのだろう。
つまり、ここは安定した配置で詳細な数値はボカすことが適当なはず。とテレサは判断した。
「…ソレイアの次に、愛してるわ」
テレサの頬に冷や汗が垂れる。
なんという緊張感だろう。
気配を消したロイドもストロー片手に観戦に夢中だった。
「…そうなんだ」
沈んでいるようで、そうでもない。ソレイアのどっちにも傾いていない様子がかえってテレサを不安にさせる。
これは、そろそろ本当のことを伝えるべきなのか。
テレサは迷った。
彼女自身の感覚からすれば特に問題のない真実だ。
たとえ自分が同じように生まれたと聞いても気にはしない。
だが、ソレイアがどう受け取るかが心配だった。
基本的に男女の総合的な愛によって子が成されることが理想とされていることは知っている。
しかし世の中にはそんな理想がまかり通ることの方が少ない。
ソレイアには自分はこの世で1番幸せに生まれてきたのだと思っていて欲しかった。
実際、現実は違ってもテレサの愛は何人分でも注げるのだから問題はない、と思っていた。だがーー
ーー「私とあなたは違う」よね。
先日のソレイアに言った言葉が突き刺さる。
テレサとソレイアは親子だが違う人間だ。
何を思い、何を感じるかも違う。
テレサは保護者としてソレイアを守る責任はあるが、それは籠に閉じ込めて自由を奪うものではない。
彼女から、真実を隠すことはその真実に対する反応を避けることになる。
相手を思うが故のそれは優しい嘘。
と、表現する者もいるが、テレサにとっては嘘はウソだ。
真実を受け止めるにはまだ早いかと思っていたが、子の成長というのは予想外の連続だ。
ソレイアはきっと自分なりの答えを見つけて乗り越えるだろう。
その際、テレサに失望したとしてもそれは仕方ないことだ。
それでもテレサのソレイアに対する愛は、ひとつの翳りも見せないのだから。
さて、どうやって切り出そうか。テレサがそう考えていた矢先ーー
「…あのねママ。私、ロイド先生のこと、パパって呼んでもいいよ?」
「……は?」
テレサは一瞬、頭が真っ白になった。
言葉は理解できている。
内容も理解できている。
しかし、心が理解できなかった。
テレサが混乱している横で、ちゅう、とスープを吸い始めていたロイドがむせて吹き出し、盛大に咳き込んでいた。
「わかってるよママ。隠さなくても。ロイド先生のこと好きなんでしょ。…いいよ、私。ロイド先生のこと気に入ってるから。パパって呼ぶの頑張るよ。だからーー幸せを逃さないで!」
「ちょ、…ちょっと待って」
追い討ちで積み上げられる謎の情報にテレサは自分の頭脳の限界を感じた。
(好き? 誰が? ロイドを? 私が?! なんで!!)
「わたしも、もう10歳だから。ママに甘えるのも卒業しようと思って。ママもまだ若いんだし、そろそろパパのことは傍に置いて、新しい恋に夢中になってもいいと思うの。…村のおばさん達も言ってた。ロイド先生がそうなんじゃないかって。私も怪しいと思ってたんだ」
なんでよ! と叫ばないあたり、テレサはまだ冷静だった。
とにかく、ソレイアが盛大な勘違いをしていることはわかった。
村のご婦人方にはあとで丁寧にお礼をしなければならない。
どこから説明しようか、ソレイアは全く話を止める気配がない。
「だって最初から妙に距離が近かったんだもの。ママ譲りの洞察力ってやつが閃いたのね。まったく、自分がおそろしくなるわ。…ね? 私もこんなに成長したことだし、ママも安心してーー」
「ちょーっと、そのかわいらしいお口を閉じててくれるかしら、私の可愛いお姫様」
「…ひゃい」
ソレイアは口を縦につままれて、素直にそのおちょぼ口で返事をした。
テレサの圧力が凄まじかったからだ。
おかしいな。ソレイアの考えではここで、感動に咽び泣く母がソレイアに感謝の言葉を述べるはずだったのに。
そしてゆくゆくは、弟か妹ができるはずだったのに、と。
「まず、簡潔に事実から述べるけど、私はあいつのことを好きだと思ってないし、夫にしようとも思ってない」
テレサが親指で示した先にあったのは、笑いすぎて転げ回った失礼すぎる髑髏騎士が磔になった姿だった。
うめき声を上げるたびに骨兵に小突き回されている。
何かの楽器のようだった。
「え、でも…」
「でもではない。ーー確かに、正直にいうけど、ロイドとは昔、あなたのパパと会う前に恋人…のような関係の時もあった。…けど、それはもう終わってる。今は単なる友人よ」
少し濁したがほぼ真実を伝えた。
それでもソレイアは納得していない様子だ。「ホントかなぁ」とこちらの顔を伺っている。
本当に頑固だ。そんなところも可愛いが。
テレサはまだ説得しなければならなかった。
「…いい? 一度だけ言うわよーー」
「私が子供を産んでも良いと思ったのは、あの男だけ。それ以外は願い下げなの!」
必死になりすぎて思わず口走った言葉に、テレサ自身が驚いた。
ーーいま、何を言った?
これではまるで、本当にテレサが相手を愛しているような言い草ではないか。
その事実に気づいて、思わず赤面してしまう。
そんなはずはない。そんなはずはないのだ。
たった一度会っただけ。
行為も一度だけ。
世間一般の愛のある交合ではなかった。
だが、たったひとつ、真実を述べるなら。
確かにあの男を選んだのは、テレサだったのだ。
降って湧いたような事実を噛み締めるように沈黙するテレサ。
それを見たソレイアは最初、驚きで目を見開いて硬直していたが、やがてテーブルに両肘をついてその両手に顔を添えた。
満面の笑みだ。
「…ふうん、そんなに好きだったんだ」
「ち、ちがう。…こら、大人を揶揄うんじゃない…わよ!」
「わーかーりーまーしーた。…新しいパパは諦めるよ。しょーがない。そんなに好きなんだもんね。わかるわかる。はあーあ、弟か妹ができるかと、思ったのになぁ」
ソレイアの最後の呟きに、テレサは怒りを忘れて驚いた。
そんなことを考えていたのか、と。
「ソレイア、…弟妹が、欲しかったの?」
「そりゃあそうだよ! 村の子はみんな兄弟いるもん。私も、もし、いたらってずっと考えてた。…パパいないからしょうがないけど」
「…そう、そうなの…」
テレサはソレイアのその言葉に一人ごちていた。
何か考え事をし始めたテレサを尻目にソレイアは磔になったロイドに申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、ロイド先生。ママ、やっぱりパパのこと忘れられないんだって。…でも大丈夫、きっとロイド先生のこと好きになってくれる人はいるよ! 保証する!」
そう言ってソレイアは上機嫌に食卓を去って行った。
テレサもまた考え事をしながら去っていく。
残ったのは、骨兵に小突かれて珍奇な音を奏でる髑髏騎士だけだった。
「…なんで、俺がフラれたみたいになってるの?」
ぽこん、とロイドという楽器が放つ悲しげな音だけが周囲に響いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
盛大な勘違いでした。
次回は少し閑話をはさみます。




