26話 その背中に触れるのは
テレサは激高していた。
かつて、これほどまでに怒りを感じたことはない。
煮えたぎるその激情に奥歯が軋みをあげている。
戦いにおいて、テレサは常に冷静だった。
そのジョブの性質上、マルチタスクを要求されるため、感情を抑え、効率を重視し、思考で相手を追い詰め、屠る。
それが今までのテレサのやり方だった。
だが今日は、今だけは違った。
「…そこのお前、ソレイアを殴ったやつよね?」
目の前の死神を無視して、振り返ったテレサは腐った巨人を指さした。
下半身のない。腕だけで移動するこの一帯では無類の大きさを誇る屍肉。
「お前はミンチね」
そう言うと、ぬっと現れた骨巨人が大鉈をふるった。
地鳴りかと思う勢いで、端から順に丁寧に打ち付けていく。ぐちゃぐちゃと体液と肉片が飛び散り、痛みは無いはずなのに、腐った巨人は悲鳴をあげながら、つぶされていく。
す、っとテレサに伸ばされた触手を、傍らを守る骨兵の槍が防ぐ。
その触手の先にある、擬態で身を隠す蛸型の屍肉をテレサはうっすらと眺める。
「お前はぶつ切りね」
両手に片刃の剣をもった骨兵がやはり、端から順に細かく寸断していく。
切り分けた破片を木に打ち付け、二度とその屍肉が結びつかないようにする。
「他は、…全部趣味じゃないから、適当にしちゃって」
そう言って、ぱちりとテレサは指を鳴らした。
あたりを埋めつくすほどだった死霊の群れを、それをさらに上回るほどの骨兵たちが蹂躙しはじめる。
死霊と死霊の闘争。
それは終わりのない地獄絵図だ。
それを生み出したテレサの顔には、まだその怒りが消えていない。
合理的ではない、感情的な、目の前から原型をとどめないほど消し去りたいという憤怒。
それが、戦術的には不利になりかねないその行動を後押ししていた。
ふと、視線を感じると、骨の籠に守られたソレイアが呆然とテレサを見ていた。
「…っ!」
テレサは思わず顔を背けた。ソレイアの目を直視できなかった。
怖かっただろう、心細かっただろう。
しかしそれは死霊がもたらしたものだ。テレサが使役するものだ。
今までテレサの死霊しか見せなかったのは、これが恐ろしかったからかもしれない。
拒絶される。
ずっと、他人から拒絶されて生きてきた。
多少は親しくなっても、死霊がその壁になって、それ以上すすむことはなかった。
死霊術はテレサが生きるための技術ではあったが、同時にアイデンティティでもあった。
それを否定する相手とは生きられない。
ソレイアはきっとテレサを怖がってしまう。
その事実に、胸が締め付けられるように痛む。
だが、それでいい。それでいいのだ。
ソレイアは聖騎士になる。
死霊術士とは相容れぬ存在だ。
だからソレイアに嫌われても何も問題はない。当然の帰結だ。
どんなに嫌われたとしても、それでもソレイアを守る。
そして、ソレイアを傷つけたものを許しはしない。
先程から、じっとこちらを見ている死神。
顔色の悪いそのガス状の死霊をテレサはねめつける。
「…前に、吹き飛ばしたこと、憶えてないの? クソガス」
『……ダレダ、オマエ』
死神の返事に、テレサの方が首をかしげる。
「なあに、その頭の悪そうな喋り方。知能下がってるの?…まあ、いいよ。どうでもいい。…もう一度、吹き飛ばしてやる」
テレサの尋常ではないエーテル体が周囲を覆っていく。
術士は体外にエーテル体を伸ばしても、騎士などの直接戦闘系と比べれば消耗は少ない。
切り離し、飛ばすことも可能。その分、循環効率が低く、継戦能力に乏しい。
それはテレサほどの大容量エーテル保持者でも同じことだった。
だが、目の前の死霊を叩くには、この方法しかない。
テレサの目は、ガス状の霊体がどういう構造なのかを見抜いている。
ひとつひとつが極めて小さい粒子の霊体が連結している。群体の死霊。
水が斬れないように、空気を掴めないように、死神に対する攻撃はあたる前に連結を外される。当たったとしても問題なく再連結する。
だから霊体そのものを、テレサのエーテル体で包み込み、引きはがしていくしかない。
再集合不可能なほどに、バラバラにするしかないのだ。
しかしそれは危険な賭けでもあった。
本来なら万全な状態で相対したかったが、仕方がない。
こいつはソレイアを傷つけた。
戦うのにそれ以上の理由は必要ない。
そして、死神も黙って見ているわけはない。
死神はエーテル体を侵食する。
差し出された餌に食いつくように死神の暗黒が広がりをみせる。周囲の闇が濃くなる。
それはさながら粘菌どうしが絡み合い、お互いを捕食するような光景。
食い喰われるせめぎ合い、その境界線が錯覚ではなく波打っている。
空間自体がその余波を受け、ぎりぎりと、軋みをあげ、吹き荒れる暴威。
死を喰らいあう、悍ましいほどの共食いであった。
その光景を、ソレイアはじっと見つめていた。
◇
ママが、助けに来てくれた。
うれしい。すごくうれしい。泣きそうなくらい。
でもさっき、目が合った時、顔を逸らされた。
わたしの死霊に対する恐怖を、見抜かれた。
ちがう。怖くない、怖くないよ、ママ。
わたしが怖いと思ったのはぜんぜん違う。
ママのことは怖くない。ママの死霊だって、怖くない。
でもママにとっては、同じことなのかな。
わたし…わたしは、どうしたら、この気持ちをママに伝えられるの。
こんなにも大好きなんだって、気持ちを。どうしたら。
遠い。骨の籠に遮られて、その向こう側にいる母の後ろ姿。
実際には数メートルも離れていない、その距離が、ソレイアにはとても遠かった。
無事な方の手を伸ばし、テレサに伝える何かを掴もうともがく。
だが、骨の籠はソレイアを守るように、拒絶するように、動かない。
そしてソレイアにとって絶対的な、いつでも完璧な母の背中が、その膝をついた。
◇
テレサは呻いた。
(…くそ)
直近の体調不良に加え、ここまで飛ばして移動してきた疲労。
そして、お腹の子を守るために消費する大量のエーテル。
加えて、眼前の死神をリアルタイムで解体し続ける処理と、適宜、指令を出し配置を入れ替え続ける骨兵たちの処理。
常人ならあっという間に脳が茹ってしまう高速並列処理を、万全の3分の1にも満たない状態で始めてしまった。
怒りとはおそろしい、後先が完全に失せてしまっていた。
だが、テレサは膝をつきながらもその瞳には諦めの色はなかった。
待ちきれずに、ひとりで来たが、もうすぐロイドが追いついてくるはず。そうしたら、ソレイアを安全な場所まで移動させて、自分はキリの良いところで撤退する。
ブチ殺す、と怒りに振り回されてしまった代償を、その身をもって体感している。
雑魚の死霊は行動不能に追い込んで、それ以上は攻撃しないべきだった。
どんなにぐちゃぐちゃにしたところで、死霊の怨念は晴れない。
祝福による浄化だけが、その怨念を祓う。
体に留まれなくなった怨念は別の死霊と結びつき、さらに強力になるか、あるいは生者に憑りつき新たな死霊と化す。
粉微塵にしようと焼いて灰にしようと、決してなくなることのない死の病。負の感情の坩堝。
通常の死霊術士はそれらを身の裡に飼い、喰いつくされながら滅んでいく。
だが、テレサの死霊術はそれらを解しない。
魂という概念を理解しない。ただ生前の動きを再現させるだけ。
かつてその体を動かした「波」を読み取り復元する技術。それがテレサの死霊術だった。
怨念とか気持ち悪いものは不要なのだ。だからテレサにはそれを区別する感覚がある。
怨念を分離して散らす。それがテレサにできる最適解。ある程度はエーテル体で圧し潰すことも可能だが、腹を下したような気分になり体調も悪くなる。
見る者によってはテレサの死霊は美しく見える。
べったりとこびりつくヘドロのような恨みはない。透徹とした姿。
あるいは機械仕掛けの人形のような不気味さ。
それは見るものが感じるのであって、テレサの死霊に感情はない。
冷徹に、淡々と、実行を繰り返していく。
野良の死霊の怨念が、骨兵に混じると制御が鈍る。
それを除こうとするだけで処理がかさむ。
本来なら一匹一匹、より分けて時間をかけるところなのだ。
数的有利は最初だけで、続々と湧いてくる死霊に対し、今は拮抗した状態だ。
弱ってきたテレサをみて、死神は調子づいている。
以前よりもだいぶ、わかりやすい。
だが弱みに付け込んでくる厭らしさはそのままだ。
テレサの処理能力を最大に消耗するように立ちまわっている。
けらけらと嘲笑するその声が、癇に障る。
(いよいよとなったら、ソレイアだけでも逃がす)
テレサは冷静にその覚悟をした。
死ぬ気はないが、五体満足では戻れないかもしれない。その覚悟を。
ソレイアを守る。腹の子も守る。
守るものが多くなって、自分は弱くなったのか。
独りの時ではありえない失態だ。
だがそれでも、以前のように戻ろうとは思わないのだ。
たとえ死んでも生き残る、そうテレサが決意した瞬間。
暖かな感触が、その背中に伝わった。
甘い、お日様のような匂いが、漂ってくる。
ソレイアが、テレサを抱きしめていた。
「っ! ソレイア?!」
「ママっ、負けないでっ! わたしが、わたしが守るから、だからーー」
ソレイアの発する光が、テレサを包み込んだ。
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