23話 テレサの後悔
はじめはただの気まぐれだった。
そそる男を見つけて、愉しんだあと、思いもかけず子を孕んだ。
そういえば避妊していなかったっけ。と、あの時は盛り上がったせいで前後不覚だったのを朧気に記憶していた。
さてどうするか、と考えたところ。しかし堕胎するという選択肢はなかった。興味はあったのだ。次代に命を繋ぐという生命本来の営みを。男と違いその肉体で経験できるという女の特権を、行使してみたくなった。
だから、最初は、できたから産んでみるか。という軽い気持ちだった。
だがそれは早々に、軽率な判断だったと実感することとなった。
妊娠過程による体調の変化や、それに伴う苦痛。どれをとっても意味が分からなかった。どうして命を生み出そうとしているのに、こっちが死にそうになるのだ。それでは本末転倒ではないのか。しかも、生物の中では人間はその胎内に子を守る期間が長い。
十月十日。ながい。うんざりするほど長い。後期にせまると徐々に動けなくなる。
仕方がないので骨兵を使って身の回りの世話をさせた。
まさかこんな風に死霊術を使うことになるとは思わなかった。
今まで、生き残るための手段として磨いてきた力だ。敵を排除する方にしか目を向けていなかったが、こうしてみるとなかなか便利なものだった。
それからは他に使いどころのなさそうな骨もいろいろと集めた。
子供が生まれたら。乳母の骨もいるな。
名前はどうするか、腹の中の暴れ具合からすると男のような気がする。
きっと、この調子なら元気に育つはずだ。
ここまで苦労したのだから、そうしてもらわなければ困る。
本当にしんどい。世の母親たちはみんなこんな経験をしていたのか。
尊敬する。覚えはないが見知らぬ母もそうだったのだろう。
生んでくれてありがとう。きっかけはアレだったが、私もその名跡に名を連ねることになる。
そうして過ごしていると、ふと、思ったのだ。
この子には、私と違って幸福に生きてほしい。
いつの間にか、そう考えるようになっていた。
子供時代。いつも空腹で、寒くて、痛かった。
守ってもらえる存在なんていなかった。それを切なく感じていたことを思い出す。
あの頃はまだ、いろいろと割り切れていなかった。
だが、この子は大丈夫だ。
なにせ私がいる。腕に覚えのある死霊術士だ。そんじょそこらの有象無象にはやられはしない。
国と契約して仕事にもついた。土地も地位もある。
この子は生まれた時からなんでもある。
だから絶対に、幸福なはずだ。
だからどうか、安心して生まれてきて欲しい。
夢をみるのだ。腹の子が死んでしまう夢を。
死んだ子の骨を取り上げて、私が使役し、腕の中であやす夢。
私の死霊術は魂を用いない。それはただ、赤ん坊の動きをしているだけだ。そんなことに意味はない。だが、もしそうなった時、私はそれをしないという絶対の自信を持てなかった。
死んでほしくない。
死を望まない死霊術士をきっと誰もが笑うことだろう。
そんな奴らは、生んでみてから言ってみろクソボケ、と思う。
生まれてこい。生まれてきなさい。生まれてきて。
私の全部をあげるから。どうか無事に生まれてきて。
絶対に私が守って見せる。どんな脅威からでも。どんなに相手が強大でも関係ない。この子は、この子だけは。私の命にかえても。
生まれてきたのは白金の髪の女の子だった。
男の子だと思っていたのに、名前を考え直さないといけないではないか。
もう絶対に、二度と経験しないぞと思っていた矢先、指を掴まれた。
小さなその手で、しっかりと私の指を掴んで離さない。
知っている。そういう反射なのだと。けれどそんなことはどうでもいいのだ。
あたたかい。その存在自体が、凍てついた私の心を溶かしていくようだった。
この子がいるだけで、なんてことない部屋がまるで輝いて見える。
世界は素晴らしいものなのだと、確信できる。
私の娘。私の太陽。そう、その名はーー
◇
「…ソレイアっ!」
テレサはベッドから起き上がる。
寝汗がびっしょりと、肌着に張り付く。あれからいったいどれくらい時間がたったのか。
ソレイアが泣きながら出ていったあと、追いかけようとしたが、身体が上手く動かず、後からやってきたロイドが代わりに追いかけていった。
万一、帰ってきた時のために、テレサは家に残った。
寝ずに待っているつもりだったが、ボルゾイが用意した薬湯の効果なのか起きていることが難しかった。
ロイドに持たせた連動済の骨手から、残した骨手の方に連絡が書かれているかもしれない。
そこには「三つ先の街まで来たが、まだ見つからない」と書かれている。
テレサはまだ重だるい身体で、おおきく息を吸った。
朝日が、窓から差し込んでくる。
夜通し探して見つからないとなると、なにかあったと考えるべきだ。
ソレイアにつけていた虫骨も、反応がない。
大嫌いと、言い放った時、何かの圧力を感じた。
無意識に聖騎士の力を使ったのかもしれない。
決定的に拒絶されているように感じて、気持ちも重くなる。
どうしてこうなったのだろうか。
断片的に思い出すのは、泣き叫ぶソレイアの姿。
あんな風になったのはテレサのせいなのか。
きっと、そうなのだろう。自分の考えうる最大の愛を、与えてきたつもりだった。だがそれは、世間一般のそれではなかったのだ。
もしも普通に愛せていたなら、こんなことにはならなかったのか。
だが、テレサにはどうしようもない。親の愛を知らない。おそらくは、きっと、こうなのだろう、という推測に基づく行動だった。
変更できる余地はあったか。ソレイアはここまで問題なく成長していたと思っていた。いったい、何がいけなかったのか。
嘘をついた。あの子の為にと、都合の良い嘘をついた。
その代償だったのか。
後悔は目まぐるしく頭の中を駆け巡る。
しかし、そのどれもが、ソレイア本人を前にして確認しなければならないことだ。こんなところで待っているだけでは掴めないものだ。
間違っていたなら、正す。泣いて、傷ついていたのはあの子の方だ。
子の憤りを、親が受け止めなくてはならない。
ソレイアを取り戻す。今はそれだけを考える。
家の外に出て、空を仰ぐ。
体調は大分と良くなったが、本調子からはかなり遠い。
全兵力を動員するのも現実的ではない。
どうする。どうする。
そしてふと、テレサは、登る朝日の方角に影を見た。
小さい。馬にしてはずんぐりのシルエット。
きらきらと緑の色が反射する鱗。ソレイアの馬。ジャダ。
いつの間にか馬房から飛び出していたのか。
ジャダがぶるる、とテレサを呼んでいるような気がした。
テレサはすぐに直感する。
「…ソレイアの場所が、分かるの?」
あたぼうよ、とでもいうようにジャダは前足を跳ねる。
テレサは、ふっと力が抜けるように笑った。
よく似ている。馬とその主人は似るというけれど、こうもそっくりなのもどうなのか。
「走って、ジャダ。追いかけるから」
テレサは自身の骨馬に乗り、ジャダの後を追う。ロイドに伝言を残し。ボルゾイには家で待つように指示した。
どこにいようとも、必ず迎えに行く。
あなたが、たとえどんなに嫌がっても連れ帰る。
テレサが悪かったのなら、謝って謝って、謝りたおす。
もしも勘違いで、ソレイアが悪かったのなら、少しだけ叱る。
だから、もう一度、その太陽のような笑顔を、私に見せて。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




