21話 ダークソレイア
ひとしきり泣いて体の底から元気が尽きたころ、ソレイアは、いまだに垂れてくる涙や鼻水や涎で顔をべしょべしょにしながら、とぼとぼと歩いていた。
どこを歩いてるのかもわからない。
森を突っ切って、走って走って、突き抜けた先の街に入ったところまでは覚えているようなおぼえていないような。
元気がない。今まで特訓で力を使い果たすことはあったけれど、それとは全く別の疲労感がずっしりと重くソレイアにのしかかっている。
この重さはなんだろう。きっと寝ても覚めてもつきまとってくるような、そんな予感がする。ずっとこうなんだろうか、と気が滅入る。
それでも多少はスッキリした。
今まで、もやもやと気づかないようにしていたものが吐き出され。出したその分そこにはぽっかりと空洞ができてしまったけれど、その分、寒々しいけど。
あのドロドロとしたものを煮詰めるような感覚はあまり気分の良いものではなかった。
そして、吐き出した代償にひどいことをしてしまった。
嫌い、なんて言うつもりはなかった。
母のあんな顔を初めてみた。
悲しそうで辛そうで、見てるこっちがぢくぢく痛むような、そんな表情。そうさせたのは、ソレイアだ。
落ち着いて考えてみてもソレイアが悪かった。
(だって、ママはわたしのことを嫌いだなんて、言ってなかった)
それなのに、どうしてそう思ってしまったのだろう。
いろいろなことがぐちゃぐちゃになってソレイアの中で膨れ上がり、いつの間にか爆発していた印象だった。
まったく、よくわからなかった。
自分が恐ろしい。こんなに、わけがわからなくなることがあるなんて知らなかった。
聖騎士になって、特訓して、頑張っていれば、いつか凄い人になって。だれもかれもが、ソレイアを凄いって褒めてくれて。テレサが笑って抱きしめてくれて。きっとそうなるって、思っていた。
でも、そうではなかった。
ソレイアは自分が思っていたよりずっと、そんなに凄くなかった。
自分で自分にがっかりする。
これからどうしよう。
歩いているけれど、ただ歩いているだけだ。
じっとしているよりも、気がまぎれるからそうしている。
体も心も重苦しいけれど、それでも動いているほうがいくらかマシな気がしていた。
(…ママに、謝らなくちゃ。)
そう思うけれど、歩く足は一向に家に向かわない。
気持ちも向かわない。
だってどうしたらいいのだ。
テレサに「嫌い」って言ってしまった。
そんなの嘘だけど。傷つけてしまったのだ。
傷ついてた。
テレサは、きっと傷ついてた。
ソレイアだってもしもテレサに「嫌いだ」って言われたらすごく傷つく。痛くて痛くてしようがなくなる。
絶対そう。だからきっと、テレサも同じ気持ちのはずだ。じゃないとあんな顔しない。
ソレイアは、自分の行った愚かな行為を振り返り、再び目に涙をいっぱいにためた。
いまにもこぼれ落ちそうで、ぐにゃりと視界がゆがむ。
謝りたい、でも会うのが怖い。
こわくてこわくて仕方がない。
もしも嫌われてたら?
もし、ソレイアのことがいらないって、言われたら?
だって、もうソレイアよりもちっちゃくて、よわよわしい存在がいるのだ。産まれてきたらきっと、悪い子のソレイアよりも、そっちの方がかわいいに、決まってる。
嘘なのに。嫌いって、言ったのはウソなのに。
吐き出した言葉は戻ってこない。
放たれた矢のように刺さって抜けない。
きっといつまでも痛む。
それは吐き出したソレイア自身にも言えることだった。
(ウソをつくのって、痛いんだ)
今まで、そんなことをする必要もなく生きてきたソレイアは、初めてそのことに思い至る。
テレサが、ソレイアに嘘をついていたことは確かだ。
けれどそれは今のソレイアのように、きっと痛かったに違いない。
どうして痛いのにそんなことをしたのか、ソレイアにはわからない。
大人の事情、というものがあったのか。でもきっと、その嘘は、その痛みは、ソレイアを騙すためではなくて、ソレイアのことを大切にするために、していたことだったはずだ。
そうでもなければ、あんなに甘やかさないだろう。
いま思えば、テレサのソレイアに対する甘々ぶりは、確かに他のご家庭と比べてもトップクラスだった。追随を許さないというレベルだ。
どうして今まで気が付かなかったんだろう。
あんなに愛おしそうな目でいつもソレイアを見るテレサを、どうして疑ってしまったのか。
どんなに嘘をついていたとしても、それはソレイアのことを愛さないということではなかったはずだ。
むしろ愛していたからこそ、嘘をついていたのではないのだろうか。
テレサを見ていると、そんな気がする。
(バカみたい、わたし)
いつもずっと、ソレイアが一番で。自分のことは後回し。ヘトヘトで疲れが見えても朝のルーティンは変えない。
何をしても「最高!」「可愛い!」って褒めてくれる。
そのことを当たり前だと思っていた。
でも、そうではない。そうではなかったのだ。
それはとても、かけがえのないものだったのだ。
たとえどんなことがあっても「愛してる」って言うのは、凄いことだったのだ。
それほど大変なことなのだ。
いまさらになって、母の偉大さを思い知る。
自分にできるだろうか。
イヤだって思っていても、産まれてくる弟妹を愛することが。
テレサの一番が自分じゃなくなっても、大丈夫だろうか。
こわい、けれど、それだけではない。
今までたっぷりと受けた、母の愛を信じている。
自分の愚かさもわかっている。
ごめんなさいも、きっとできる。
もしも嫌われたとしても、耐えられるはずだ。
だってあんなに今まで、愛してくれていたのだから。
それだけで、ソレイアは立ち上あがれる気がする。
ーー帰ろうかな。
そう、胸に秘めてソレイアは踵を返した。
そしてそこで、思わぬ声がかかった。
「…ああ、やはりそうだ。神よ。感謝を申し上げます。…貴女様をお探ししておりましたソレイア様。お父君が、お会いしたいと申しておられます」
ソレイアの目の前に見知らぬ男が立っていた。瞬時に警戒する。
ごろつき、にしては弱弱しい。貧弱な部類に入る立ち方。ボルゾイのように隠している様子もない。
身なりも薄汚れているけれど元は質の良さそうな服をきている。
どこかで見たような気もする。
「…誰ですか?」
知らない人に、ついていってはいけない。
口を酸っぱくして言い聞かされてきたことだ。
ソレイアは基本的に、いいつけを守る子だ。
「ああ、憶えておられないのも無理はありません。私は貴女様が適職検査を受けられた際に、聖騎士のジョブを授かる神々しいお姿を拝謁する栄に浴した、しがない一神官にございます」
ああー、とソレイアは納得した。
たしかに神官ぽい服装である。ジョブを読み上げた、見るからに偉そうな感じの人とは違って、簡素なタイプだけれど同じ系統を思わせる。
「それで、その人がなんの用ですか?」
話しかけられた際に何か言っていたような気がするけど、あまり聞こえていなかった。
なにやら気になるワードを言ってた気もする。
「失礼しました。私の名はスカルゴと申します。平民の出ではございますが、それゆえにこのような場所にまで探索するよう仰せつかっておりました。まさかお会いできようとは、神のご意思を感じずにはいられません」
このような場所って、とソレイアがあたりを見回すと。路地裏の狭く暗い清潔とはいえない場所だった。
たしかにこんなところ、普通の子供は通らない。そしてそこで張っていたというこの男も、普通ではない。
ソレイアは、不審ではあるがこれなら軽く捻れる、という自信の元、相手の出方を伺うことにした。
「お探ししていたのは、貴女様のお父君からのお達しでして、それはもう方々探し回りました。見つかるまで帰ってこないようにとも言いつけられまして、もう、あれから一年になろうかと、このままここで朽ちていくのかと覚悟していたところ、貴女様が通りかかったのです。神は私をお見捨てになりませんでした!」
なかなかキマっている人のようだった。
大体、最後には「神」が入ってくるあたりレベルが高そう。
よく見ると、頬もこけて目だけがらんらんとしている。
知ってる。こういう人って、他人の話を聞かないって、村のおばさんたちも言ってた。だからソレイアの質問に、それ以上の必要のない情報も加えて伝えてくる。
正直しんどい。もう帰っちゃおうかな。
と、ソレイアが考えようとしていたところ、「お父君」という言葉を言っていたことを思い出した。
そこはちょっと、聞き捨てならない。
「お父君って、私のぱ…父親のことですか?」
「…! っええ! ええその通りでございます。貴女様の父君であらせられる貴き方がそのお帰りを今か今かとお待ちしておりますとも! その白金の髪と聖騎士のジョブ。間違えようもありません。ずっと探しておられたと聞き及んでおります。神も、お二方をお引き合わせになることをお望みなのでしょう。不肖の身なれどそのお役目を全うすることをここに誓います!」
勝手に誓われてもなあ、とソレイアはげんなりした。
本当によく喋る人だなと思う。
ソレイアも喋るほうだと思うけど、自分より喋る人を前にするとスンとしてしまうのだな、と冷静に思った。
正直、全然、まったく信用できないけれど、今のソレイアは悪い子だった。テレサに反抗し、ダークになってしまったのだ。これが闇の力なのかもしれない。
ちょっと意地悪してみたくなったのだ。
テレサの愛を信じてる。
でも、嘘はウソじゃない?
それっていけないことだよね。
私はママのこと愛してるけど、それは絶対に変わらないけど、ママはひょっとしたらお腹の子の方が好きになるかもしれない。
テレサは一人である以上、半分こにはできない。
今まで飽和するくらい浴びせられていた愛がなくなってしまったら、ソレイアは干からびてしまうかもしれない。いやきっとそうなる。
だから、
パパがいれば、いいんじゃない?
都合の良い部分だけを切り取れば、なにやらソレイアをずっと探していたらしい。テレサほどではなくても、きっとソレイアのことを愛してくれるはず。
ーーだって私は可愛いもんね。ダークだけど。
「…父、にはどうやって会うんですか?」
「はい、文を飛ばしてすぐにでも馬車を用意させます。あの方も教国にお戻りになられると聞き及んでおります。ポータルの利用もお許しが出ることでしょう。大丈夫です。これは神がお示しになられた道標なのですから」
どうやら、教国まで連れていかれるようだ。
テレサが教国のことを嫌っているのは知っている。
なにかにつけて、イヤそうな顔をしていた。
そこに父がいるというのなら、今までソレイアにそのことを伝えなかった理由もそこにあるのかもしれない。 ありそうな感じである。
これはひょっとして、ひょっとするかもしれない。
教国に向かえば、きっとテレサは大慌てするだろう。
ちょっとかわいそうだけど、ソレイアのことを心配してくれるのなら、いけないことをしていると分かっていても、気持ちよくなってしまう。
まさにダークソレイアだった。
おそらく、教国につく前に見つかってしまう。
テレサはしんどそうだったからロイド先生あたりが迎えに来てくれるだろう。
もし、来なかったとしても父親だという人と会ってみて、本当かどうか確認するのも悪くない。ついでに聖騎士のことを教えてもらってもいいかもしれない。
母と疎遠になってしまったのは、きっとチジョウのもつれってやつなのだろう。男と女は大体それで別れる、って村のおばさんたちが言っていた。
それを二人の子供であるわたしがジャッジして公平にすれば、仲直りするかもしれない。
それはとてもいいことのように思えた。
やっぱり闇の力は偉大なのかもしれない。今まで考えたこともなかった選択肢がどんどんでてくる。
ーーいけない、いけない子だわ、ソレイア。
いけないと分かっていてもやめられないこともある。
ソレイアは学んだ。そして広がりをみせる自分の器に喜んだ。
その全能感に酔いしれて、少しだけ愚かな間違いを犯す。
それもまた、ひとつの学びには違いなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




