20話 嘘の代償
「テレサとケンカしてきなさい」
そう、ロイド先生は言った。
けれどソレイアにはケンカなんてする理由は見当たらない。
確かに、嘘をつかれていたけど、もやもやするけど、そんなに怒ってない。
よくよく考えてみると弟か妹ができるのはうれしい。
だってそれは昔から想像していたことだったからだ。
だって、弟妹がいたら寂しくない。
今はロイド先生やボルゾイお爺ちゃんがいるけど、前はテレサと二人きりだった。
テレサが仕事ででかけると、家にはソレイアと骨だけだった。
静かな食事は、かちゃかちゃと鳴る、食器の音が耳障りだった。
夜、布団に潜り込んでも、なかなか眠れなくて。
このまま眠れなかったらどうしよう、って思っても、テレサはいない。
がらん、とした広いだけの家が、とたんに怖くなってくる。
仕事だから仕方ないってわかってる。
わがまま言うなんてそんなの、ママに迷惑かけちゃう。
そんなの、悪い子だもの。
ママはいつもソレイアのことを褒めてくれる。「いい子ね」「愛してるわ」って言ってくれる。
だから、いい子でいなければいけない。
いい子じゃなきゃ、愛してくれないかもしれない。
弟妹がいれば、寂しくなくなるって思ってた。
でもいま、むかし欲しかった存在が現れても、本当に喜べるのだろうか。
ソレイアはだんだんと、お腹のあたりがチクチクする気がしてきた。
ソレイアは頭を強引に振った。
嫌な気分は、さっさとテレサと会って勘違いだって証明しよう。
まだ寝ているだろうか。そろそろ日も傾いてきた頃だ。
ロイド先生も、ボルゾイお爺ちゃんも心配性なのだ。
ママは大丈夫だ。
ちょっと疲れてるだけだから。
きっと、扉をあけたら、元気にソレイアを迎えてくれるはず。
そして、嘘ついてたことを謝ってくれて、きっとパパのことも話してくれる。
聞いてみたら、なあんだ、っていうくらいなんてことのない話なんだ。
だから、大丈夫だ。
きっと大丈夫。
でもどうして、胸がどくどくいうんだろう。
不安なの?
なんで?
ママに会いに行くだけだよ?
どうして不安にならなきゃいけないの?!
ソレイアが家のドアの前で立ち止まっていると、中から急にどたた、っと物音がした。
何かが倒れるような音。
それを聞いた瞬間、ソレイアはすぐに扉を開けた。
入ってすぐ、階段の下にテレサが倒れこんでいる。
「ママっ、だいじょうぶ?!」
ソレイアが駆け寄ると、テレサは重たそうに上体を起こして、ソレイアのことに気づかずに、お腹をさすった。
大事そうに。優しく。
その瞬間、ソレイアは強烈な疎外感と、虚しさを感じた。
ーー無視、された。
◇
母、テレサは嬉しそうにお腹をさすっていた。
顔色はまだ悪いがそれでも本当に嬉しそうだった。
「…ああ、ソレイア、いたのね? ごめん、気づかなかった。大丈夫よ。大丈夫。すこし踏み外しただけだから。この子も、大丈夫よ」
脂汗の滲む額に練ったりと髪が張りついて、それをそのままにソレイアの頭を撫でようとする。
いつものテレサだ。いつものように振る舞うテレサだ。
それなのにゾッとする未来を想像させる何かがあった。
テレサは強い。とっても強くて何があっても余裕で、守ってくれて、ずっと暖かくて、ずっと一緒にいるって、思ってた。でもーー
(死んじゃうかもしれない。)
ソレイアは生まれて初めて、そのことに思い至った。
こんなことになるなら、弟妹が欲しいなんて言わなかった。
でも、もうやめてなんて言えない。
だってそこにはもうソレイアの弟妹がいるのだから。
母を、テレサをソレイアから奪ってしまうかもしれない存在が。
その事実に胃の中身がひっくり返りそうな気持ちの悪さを感じた。
どうして、どうして自分は嬉しくないんだろう。
ちょっと前まではどうやって遊ぼうとか想像して、とても楽しかったのに。
なんで、こんなに楽しくないの。わたしーー
ーーいやなんだ。
裏切られた。ソレイアは自分に裏切られた。
こんなこと思うはずじゃなかった。
イヤだなんて。
だって本当に欲しかったんだもの。
絶対可愛がるって、思ってた。
なのにっ、わたしはそれがイヤで。
それって、すごく、…わるい人みたいだ。
どうして母は何も言ってくれなかったんだろう。
こんなに大変なら、ソレイアに相談してくれても良かった。
前もって、すごく大変なんだって聞いてたら、そしたらソレイアだって、弟妹なんて、いらないってーー
自身への嫌悪感と、テレサへの猜疑心。
己の醜い部分と初めて相対したソレイアはもはや、誰にこの苛立ちのようなムカつきをぶつければいいのかわからなくなっていた。
ーーどうしてっ! どうして? どうして?!!
どうしてママは死にそうなの? わたしの所為なの? わたしが言ったからこうなってるの?! どうしてよ!!!
だから、考えないようにしてたことを、つい聞いてしまったのだ。
「…ママ、わたしに…嘘、ついてるよね」
テレサは体調の悪さから、ソレイアに気を配る余裕がなかった。
ソレイアのその質問にも、その意図を察することができなかった。
「なに…? 嘘、じゃないよ。大丈夫。ちゃんとこの子は無事に産まれてくる。…心配しないで、ソレイア」
「違うっ! そうじゃないよ!!…本当はパパ生きてるんでしょ?! なんで本当のこと隠すの? わたしのこと…邪魔なの?!」
ソレイアの叫びに、唖然とする母の顔。
ああ、そんな顔させたい訳ないのに、どうして、止まらないのだろう。
芯が壊れて外れた歯車のように転がり落ちていく。
「なんで相談してくれないの?! なんでそんなに苦しそうなの?! わたしのせいなの?! ぜんぶ…ぜんぶっ!!!!」
「なに言ってるのソレイア? そんなことない、…そんなこと、あるわけない…」
「あるよ!!! わた…わたしがっ、欲しいって、言ったからでしょ!? わたしが悪い子だからっ、だからっ、ママも! わたしのこと嫌い、なんでしょっ!!!!!」
テレサは何が起こっているのかわからなかった。
どうしてこうなっているのかまるでわからなかった。
なにか、間違ったのだろうか?
でも、とにかくソレイアを落ち着かせなければ。
「どうしたのソレイア。落ち着きなさい。嫌いなんて、そんなことあるわけない、…あるわけーー」
「ウソっ!!…キライだよっ! だって全然うれしくないんだもんっ。こんなのぜったい悪い子だよ!! きらい、きらいっ!! 大っ嫌い!!! わたしっ…うっ、なん…なんで、ウソつくの?! わたしのことキライなくせに!! ウソついてたくせに!!! ーーママなんて」
嫌い嫌い嫌いっ!! わたしは、わたしがーーーー
「ママなんて、大っ嫌い!!!!!」
そう言い放った途端、ソレイアは駆け出していた。
ちらと見えた母の顔。傷ついたような、顔してた。
全部、ソレイアのせいだ。
嫌われた。絶対に。テレサに、嫌われた。
だって、嫌いって言ってしまった。そんなはずないのに。
どうしてそんなこと言ってしまったんだろう。
もうなにもかも、ぐちゃぐちゃで、何もわからない。
とにかくここに居たくない。ここにいたらテレサに見つかってしまう。
そうして、今度こそきっと、ソレイアのことを、嫌いだっていうのだ。
そんなこと、耐えられない。
テレサに嫌われたら、ソレイアはどうしたらいいのだろう。
なにも、なにも考えたくない。だからーー
ソレイアは泣いていた。
わんわんと、泣いていた。
走りながら、ずっと泣いていた。
ソレイアの大嫌いな自分が、根を上げるまで、ずっと走り続けたのだ。
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