16話 禁域とはなにか
それはソレイアがスランプを乗り越えた後のこと、ボルゾイ爺さんとの座学の授業中。
一通り説明を終えて、いったん小休止と、徳利をあおって、喉を水じゃなくて酒で潤しているボルゾイにソレイアが質問を投げかけた。
「お爺ちゃん、禁域について、教えてください!」
ボルゾイは徳利から口を話さずに、聞かれた内容を目をぎょろりと回しながら精査した。
答えるべきか答えぬべきか。
自分がソレイアに教えるのは聖騎士のスキルを補助する知識だ。
実技の成果に伸び悩んでいる今の状況であれば、造詣を深めることこそ、遠回りに見えて近道となりうる着実な一歩である。とボルゾイは考えていた。
テレサに問答無用で連れてこられてから、報酬はあるとはいえ、他人に教えを与えることなど、実に何十年ぶりのことか。
埃をかぶってもはや遺物となりかけていた知識を掘り出すことは、ボルゾイにとって遠い昔の情景を思い出すことに似ていた。
その、昔取った杵柄によれば、子供の知的好奇心に水を差すものではない。というものがある。
一見、全く関係のない知識であっても、巡り巡ってそれが、いま学んでいることの一助となることが往々にしてあったからだ。
なのでボルゾイはソレイアが望むのであれば、できるかぎり教えることにしていた。
「…禁域のう。どこにあるかも知らんのか?」
ソレイアは見事な反射神経で首を縦に振った。
食いつき方がいちいち尋常じゃなくて驚くんじゃよなあ、とボルゾイは高まりそうな心拍を抑えつつ、黒板ではなく、木の棒で地面に描くことにした。
「まあ、だいたいじゃが、ここにまあるく禁域と呼ばれる危険地帯がある。で、その横にこのグラスト王国がある。…でその反対側の離れたあたりに教国がある。…大きさもまあだいたいじゃが、こんなもんじゃろう」
そうして描かれた簡易な地図の禁域は、ソレイアの想像していたものよりもずっと大きかった。
「…え、こんなに大きいの?」
「まあ、グラスト王国の8倍か10倍の面積があるはずじゃの。なにせかつて大陸を制覇せしめんとした一大帝国の慣れの果てじゃからな。…ちなみにグラスト王国はその帝国の端の端。いち辺境領が独立して周辺をとりこんで国となった比較的新しい王国じゃの」
ソレイアは、はあー、と息をついた。
テレサはこんなところで仕事をしているという。
何をしているのかは教えてくれなかったが。きっとテレサにしかできないことをしてるのだと思っていた。
「…ママは、ここで何してるんだろう」
質問と呼ぶには疑問符のない、独り言のような一言だった。
「…あん? テレサは禁域に行っているのか。…はあ、なるほど、どうやって土地と地位を得たかと思えば、思ったより健全に取引したと見える。お前さん、愛されとるのう。…まあ少しばかり歪じゃが」
「…? ママが、わたしのこと愛してるのは当然でしょ?」
「っほ、…それがまあ、以前のテレサを知っておると当然とも言えぬ。ロイドやワシからすれば、天地がひっくり返りながら、腹踊りでもしている様を足元で潰されまいか、と見ているような心地じゃな」
ボルゾイの言葉に、ソレイアは首をかしげた。
以前のテレサ。ソレイアが生まれる前のテレサ。それを想像することはソレイアにはできない。
生まれてからずっと、あのテレサしか見たことがなかった。いったいどんな風だったのだろうか。でもきっと、あんまり良くなかったのかもしれないと、言葉の端で感じていた。
おそらくテレサにもヤンチャしていた時期があったのだろう。
子供は一定以上の年になると親に逆らうようになる、と村のおばさんたちも言っていた。
逆らうだけならまだしも、街に行って悪い遊びとやらを経験してくるんだとか。なんでも闇の力に目覚めるらしい。
目も当てられない。と酸っぱいものを口に含んだ時みたいに顔をくしゃっとしていたのを憶えている。
ソレイアもいつかそうなるんだろうか。
テレサに逆らう、という行為をソレイアは想像できない。
確かに、テレサはたまにだらしなかったりする時があるから、注意することはあるけれど。
いつも朝一番に抱きしめてくれるし、たくさんキスしてくれるし、頭をなでてくれるし、良いにおいがするし。
ママのことを嫌いになるなんてたぶん一生ないんじゃないかな、とソレイアは確信していた。
だから反抗期、というのもソレイアには関係ないのだ。と結論づけたのだった。
「…ねえ、お爺ちゃん。このまえママが禁域の表層は片づけた、っていってたんだけど。表層って、なに?」
「っはあ?! …んんっ、あぁ、心臓に悪いのう。…禁域には危険度によってその区分が分けられとる。大まかに三つ、深層、中層、表層。…なにが危険かは知っておるか? かつて暴走した死霊術士の影響からか、禁域には常に死霊が湧いておる状態じゃ。対抗策をもたねば、生きて出られぬ魔境」
その後を続けるべきかボルゾイは少し迷ったが、知識として知っておくべきか、と話すことにした。
「なかでも凄まじく危険なのが深層に住まう「死神」と呼ばれる霊体型の死霊じゃな。なんでも、触れると死ぬとか。…そんなんどうやって対処すればいいんじゃ。こいつがちらほらと現れるため表層であっても油断はできぬ」
ボルゾイが、死神の予想図を描いて、禁域の中をふらふらしていると線で表す。
「え、じゃあ、ママがその死霊をやっつけたってこと?」
「まあ、聞く限りはそうなんじゃろうな。どうやったのかは知らんが、あやつ独自の裏技でもあるのか。…本来であれば死霊を浄化するには祝福が必要になる。もしくは祈祷術の物量によるゴリ押し。たとえ死霊術士であっても操れはすれど浄化はできぬ、というのが今までの見解だったんじゃが…」
ボルゾイは話しながら恐ろしさに酒を呑むペースがあがることを止められなかった。ひどく喉が渇く。
(これ絶対、国家機密じゃろう。)
ボルゾイもその身を世俗に落として権力からは遠ざかり、関係のない立場を気楽に歩いてきたというのに、よもやアウトローの極北の立ち位置であるテレサからそんな面倒ごとの気配がするとは。
安請け合いしすぎたかもしれぬ、とボルゾイは後悔しだしていた。
そもそもソレイアの存在さえ、危ういのだ。
せめて己で選択できる力を得るその助けにはなりたい、とは思ったが、これはボルゾイの手に余る気がしてならない。
「…祝福ってそんなに強いの?」
ボルゾイのビビり散らかしに気づかないソレイアは質問を続けた。
息を吐いて、当面の質問にだけ答えて冷静さを保とうと、ボルゾイは考えた。
世の中、自分の手に余ることばかりだ。それをいちいち気にしていたらこの年まで生きていない。そのために酒もある。そう、この一瞬を刹那的に生きる。
その積み重ねでボルゾイは生きてきたのだ。
「…単純な強い弱いの話ではない。祝福は特定のジョブだけが扱える特殊なスキル。それも対死霊のみに有効な代物と聞く。なんでも問答無用で死霊を祓うとか。実際にみたことはないが。なにせ扱えるものが少ないらしいからの。その技術も教国が独占しておるし…」
「へえー、その特定のジョブって、どんなの? 強い?」
そう、それがソレイアの存在が危険かもしれないと感じる所以。どう見積もっても彼の国との厄介ごとが目に見えている。
ボルゾイは、ゆっくりと諭すように答えた。
「…聖騎士、じゃな」
なんと! と素直に喜ぶソレイアに、何とも言えぬボルゾイだった。
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