10話 真夜中の会談
灯りが控えられた城内を迷いなく進む。
扉が半開きになっているそこに、テレサはノックもせずに入った。
「娘御は、もう寝入ったのか?」
「…ええ、初めての場所ではしゃいじゃって、寝かしつけるのが大変だったわ」
くつくつ、と笑いを堪えるようにセルバンは用意していたグラスに琥珀色の酒を注いだ。
からん、と氷がとけて傾く。
差し出されたそれを、テレサは差し出した本人と見比べてから、口に含む。喉を焼く強い酒精。
テレサは好みではないので、一口だけにしておいた。ちら、と他の気配も感じるが気にするほどでもない。
「まるで一端の母親のようではないか、テレサよ」
「まるでも何も、母親よ、私は!」
不機嫌を隠そうともしないテレサを眺めながら、自分用に注いだ盃を口元に寄せる。
その己の瞳と同じ色の酒は、確かテレサと初めて出会った時にも傍にあった。
それをこの死霊術士は憶えてはいないだろう。
その衝撃的な出会いのせいで、セルバンにとっては忘れられない酒となったというのに。
初めて会った時、死を覚悟した。
眠れず、昏倒するために呑もうとしていた強い酒を片手に、反射的に懐剣に手を伸ばしたが、それがなんの役にも立たないであろうことはすぐに知れた。
仮にも一国の王の執務室に、なんの前兆もなく現れた。
警備の者らを無力化したであろうに、そのうめき声一つ聞こえなかった。
その出で立ちに、この世のものではない。と直感したのだ。
実際、最初の頃のテレサはひどく死の色が濃かった。
その崩壊に巻き込まれて死ぬのか、とセルバンは察したのだ。
だが、驚くべきことにその死人はこう言った。
「子供を産むから、この国に住む。静かな土地と適当な地位をくれ。その代わり禁域を処理してやる」と。
宮廷お抱えの道化師でもいいそうにないその戯言に、セルバンは面喰い、緊張感の反動で大笑いしてしまった。笑ったのはいつぶりだったろうか。
己の命の期限。この国の先のない未来。片付かぬ諸問題。過去から連綿と続く禁域への対処。様々な事柄がセルバンの心身を痛めつけていた時だった。
そこに、思いもよらぬところから逆転の一手になるかもしれぬものが、天からの配材のように舞い降りた。
いや、たとえそれが地獄からの誘いであったとしても、セルバンは手をとったかもしれない。
知らぬうちにチップに乗せられた民には悪く思うが、賭け所はここだとセルバンは感じた。
どうせこのままではジリ貧なのだ。
勝ちの目がわずかでもあるならば、そこに賭ける。
そうして苦節10年。セルバンの見込みは今のところ順調だった。
目の前の死霊術士がどう変遷していくのか、冷や汗と横隔膜の痙攣が止まらない毎日だった。胃薬と頭痛薬が常備薬になった。
今もそうだ。決して油断できない。心を許してもならない。かといって無闇に敵意を感づかれてもいけない。
着かず離れず、絶妙な距離を保ちながら、差し手を観察し続ける。
それがセルバンとテレサの関係だった。
「…それで、あと何年保ちそうなの?」
「ふむ、体感だが、あと5年はもつだろうな。お前のおかげで助かっている。ランパートにもいくらか楽をさせられるだろう」
父の息子を思うその表情を垣間見たようで、テレサは自然と視線を逸らした。
「…前も報告したけど、禁域の表層部分はあらかた掃除できた。あとは自然湧きする死霊を各個撃破するくらいなら、今の戦力でも十分でしょ」
「はは、聖別武具を買い揃えるだけでもかなりの金が必要なんだがな。まあそれは発掘される金品や技術でなんとか補えるか。竜の国との国交も順調。教国とも表向きは協調している。悪くない流れだ。だが、こういう時が一番危ない」
「…何かあるの?」
「なにかある、というほどではないがな。教国の動きが妙な気がする。お前に言われて娘御のジョブについては緘口令を敷いた。だが、現場にいた者たちはどうしようもない。教国関係者に口を閉じろといっても聞かんからな。密に連絡を取り合い、探りをいれているようだぞ」
「…ソレイアを探してるって?」
テレサの静かな怒気が盃を揺らしたような気がした。セルバンの背中にも冷や汗が垂れる。
「よほど他国に聖騎士が現れるのが嫌なのか、取りこんで独占市場を維持したいのか。どちらもありうる。…お前はどうするつもりなのだ? 娘のことを」
「別にどうもしないわ。あの子のことはあの子に決めさせる。…誰にも、その自由を邪魔させない」
言外に「あんたにも」と含んだその牽制に、セルバンは酒を飲み干し、喉が鳴るのを誤魔化した。
だが、よい。それはつまりソレイア自身が望めば、この国に仕えることも許すということだ。
ならばセルバンは自然に、そうなるように、事をすすめるだけだ。
「…わかった。では小難しい話は明日にしよう。子供たちが馬を見に行っている間、お前には目を通してもらわねばならぬ書類がある。あの開拓地に居ついて10年。仮にも領主という立場なのだから、そろそろ税をとってもらわねば困る。あの一帯では一番、栄えていると聞くぞ?」
「…え、それ私がしなくちゃいけないの? 適当にそっちでなんとかならない?」
「ならん。ヘリオナという貴族が土地を有しているという事実がある以上。表面上だけでも怪しいところは見せられぬ。私の寝首を掻こうとする者たちが両手の指では足らないくらいいるからな」
「人望ないのね」
「王とは孤独なのだ」
セルバンの決定に、しぶしぶといったていでテレサは了承し、部屋を出て行った。しばらくの沈黙のあと、書棚がわずかにずれ、そこからテレジアが姿を現す。
「…想像していたよりも、可愛らしい方なのですね」
皮肉でもなんでもなく、感じた通りのテレジアの感想だった。
「…ふっ、間違っても本人にいうのではないぞ。脅しでもなんでもなく、殺されるぞ」
当然そのようになる、と言い切るセルバンの口調にテレジアはすぐに口を結ぶ。その表情は末娘のオリビアによく似ていて、セルバンはおかしくなった。しかし、勘違いは正さねばならない。
「あれは今でこそ人間らしくみえるが、中身は災害のままだ。でなければ10年足らずで禁域の表層を踏破できようか。…あの娘御が錨となって繋ぎとめておるのだろう。…得難い存在だ」
「…想像もつきませんわ」
「そなたも一度見れば理解するはずだ。整然と、一挙手一投足が制御された白骨の死霊たち。その種類も数も、軍勢といって遜色ない。あの「死神」を追いやった時など、英雄譚の中に身を置いているのかと錯覚するほどだった」
愉快そうに笑うセルバンを横目に、テレジアは思う。
話だけには聞いていた死霊術士。
ようやく今日、面通しされたのは、テレサが多少は対人の閾値を下げたからなのか。そこに油断してはならぬと釘を刺された。
この王は、その綱渡りのような緊張をずっとひとりで耐えてきた。
テレジアはそれを隣で支えているという自負はあったが、どうやら足りていなかったらしい。そっと、セルバンの手に自らの手を乗せる。
言葉にしない気持ちが長年連れ添ったパートナーに伝わるように。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ちょっとずつ裏の事情も出てきました。
次回は、ソレイアのお馬さんの話。




