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第四章 木

 朝起きて階段を降りると、姉が朝刊を読みながらトーストに(かじ)りついていた。

「おはよう顔漫骸(かおまんがい)!ねえこれ見て。なんかげんちゃめだけじゃないっぽい」

 姉が指差した先には大きな見出しが出ていた。

『相次ぐ引退。スポーツ界に一体何が?』

 げんちゃめ、だぶお……。俺が知っているだけでも二人。朝刊によると、ここ最近で引退した選手は他にもいるらしい。確かに何とも不思議な偶然だ。

「あ、いけない!こんなの読んでる場合じゃないわ」

 時計を見た姉が、トーストを咥えたまま慌てて家を飛び出していく。一体いつの時代のヒロインだ?

 机の上にほっぽり出された朝刊を何の気なしに読みながら朝食を食べた。文字を読んでいるようでその実、目線を文字に添わせて移動させているだけである。

 ん?なんだこれ。引退した選手の記事かと思ったが途中から様子がおかしくなった。若くして表舞台から消えた者、行方不明になった者、その他不可解な事象の羅列……。

 その時玄関のチャイムが鳴って、俺の意識は完全にそちらへ離れた。


 アオリと二人でいつものように学校に向かい教室に入ると、学級長のもちがこちらへ駆け寄ってきた。

「アオリン聞いたよー!昨日ホームラン打ったんだって!?ヤバくない?」

「へへん!私も自分でびっくりしちゃった」

 アオリは胸を張る。この様子だと大分噂になっていそうだ。

「なんか経験者みたいだったって聞いたけど、アオリン野球やったことあったの?」

「いや?やったことないわよ」

「えー!ヤバー!」

 ……昨日アレを見た俺からすれば、ヤバいどころでは済ませられない。

 二人の会話を横目に、俺は自分の席へ腰を下ろした。




 国語教師が「本日の授業はここまで」と言い終わるのと同時に、アオリが俺の席へ子犬のように飛んできた。

「今日も一緒に来る?」

「……ええっと」

 その時、もちも俺の席へやってきた。視線はアオリに向けられている。

「アオリン、部活どこにするか決めた?」

「え?まだ決まってないよ」

「私もまだ悩んでてさ。一緒に回ろ!」

「うーん……」

 アオリは少し困ったような顔をしている。俺はそこで口を挟んだ。

「いいじゃないか、二人で行ってくれば。俺は別のところ見てくるよ」

「え?」

 アオリがこちらを見る。

「ほら、せっかくなら色んな人と回った方が参考になるだろ」

「まあ、確かに。そうしよっかな」

「じゃあ、またあとで」

 俺は二人に手を振り教室を出た。

 ――自分でも少し驚いていた。

 今日もアオリに付き合うつもりだった。だが、昨日野球部で見た光景が頭から離れない。

 校庭の柵を越えていった白球。周りを囲んでいた野球部員たち。あれをもう一度見る気にはなれなかった。


 向かう先で思いつく場所は一つしかなかった。扉を開けると、今日もはんぺんは一人だけだ。ラジオを流しながらノートに何か書いている。

「やあ、剣道くん」

 こちらに気づいたはんぺんは、ノートを閉じて引き出しへ滑り込ませた。

「その渾名(あだな)はなんなんですか」

 こちらの質問には触れず、はんぺんはいつものようにコーヒーを淹れる準備を始める。

『――本日のゲストは、この方々!若者を中心に今や絶大な支持を集めているロックバンド、Deprive の皆さんでーす!』

 ラジオを聴きながら化学室の中を見渡す。いつもと同じ風景だ。もう見慣れてきている。はんぺんに視線を戻そうとした時、視界の端に見覚えのある顔が写った。

 げんちゃめだ。

 そちらの方向へ目を向けると、今朝新聞で見た選手たちの写真が壁一面に貼ってあった。だぶおの顔もある。

「あの、あれ、なんですか」

 思わず訊いてしまう。

「ん?ただの趣味だよ」

「趣味?」

「そう、趣味。ほら、できたよ」

 はんぺんはコーヒー入りのフラスコをこちらに差し出してきた。それを受け取ったあとも、視線は写真から離れない。

「今日はね、面白いものを持ってきたんだ」

 そう言ってはんぺんが取り出したのは、小さな携帯ゲーム機のような装置だった。

「君、動体視力良さそうだろ?これで測れるんだ。もちろん自作だよ」

「はあ」

「一回やってみてくれよ」

 STARTと書かれたボタンを押す。画面の端から数字や図形が高速で流れてきた。それが何だったかを答えるだけの単純なゲームらしい。

 何度か繰り返したあと、結果が表示された。

「270って出ましたけど」

「ふーん。普通くらいだね」

「普通?」

 少しだけ肩透かしだった。

「君さ、運動神経って才能だと思う?」

「思いません」

 反射的に答えていた。今まで積み上げてきた時間をそんな簡単な一言で片付けられたくない。

「ま、君ならそう答えるよね。確かに才能がある人間はいる。でも大抵は、その上に努力が積まれてる」

 はんぺんは測定器を受け取り、机に置いた。

「むしろ、君の結果を見て納得したよ」

「なんでですか」

「剣道で、飛んでくる竹刀(しない)を見てから反応してたタイプじゃないだろ?」

 少し考える。

 言われてみればそうだった。相手が動いたあとを見ていたわけじゃない。もっと前だ。

「呼吸、間合い、重心、癖。そういうのを読んでたんじゃないか?」

「……まあ、多分」

「なら普通でも不思議じゃない。君は見てから動く側じゃなくて、読む側だ」

 はんぺんは笑った。

「読む力ってのはね、経験でしか育たない」

 少しだけ胸の奥が軽くなる。

「君が最初に言った通り、運動神経がいいやつの大半は才能じゃなく積み重ねなんだよ。球技なんかじゃよく聞くだろ、ボールと友達になれって。どのくらいの角度にどのくらいの力を加えれば……なんてのは計算上で分かってても全く意味がない。その感覚は全て努力でしか養われないのさ」

 俺は大きく頷く。至極真っ当な意見だ。

「じゃあその、才能ってのは何ですか」

「それは例えば肉体の強度だよ。生まれつき筋肉の瞬発力や持久力が高い人間はいる。それらはほとんど遺伝で決まるものだ」

 確かにそこは後天的に変えられるものではない。

 去年の決勝の試合を思い出す。努力してきた人間は相対しただけでなんとなく分かるし、逆に言えば才能に胡座(あぐら)をかいているようなやつもすぐに分かる。

 総じて強いのは前者だった。努力は才能を凌駕する。だからこそ、才能ある人間がなお努力しようものなら誰も追いつけない。

 決勝戦の相手はそんなやつだった。そいつの未来を、俺は……。

 コーヒーを一口飲む。苦味が喉を通っていく。今は考えるな。考えたところで何かが変わるわけじゃない。

「……剣道くん?」

 いけない。少々黙り込んでしまっていたらしい。

 そのあともはんぺんはコーヒーを飲みながら、意味の分からない実験の話を続けた。途中から半分も理解できなかったが、不思議と退屈はしなかった。

 ラジオ番組はいつの間にか夕方のニュースに変わっている。

 その時、廊下の向こうからバタバタと走る音が聞こえた。

「あ、いたいた!顔漫骸ー」

 後ろから聞き馴染みのある声で呼ばれる。後ろを振り返ると、化学室の扉の向こうからアオリが顔を覗かせていた。

「やっぱりここにいたんだ。ねえ、一緒に帰ろー」

 アオリがここに来たことに少々驚く。

 俺は、はんぺんに軽く会釈したあとアオリの元へと向かった。


挿絵(By みてみん)


「待たせたか?」

「ううん。私もちょうど終わったところ」

 並んで教室へ戻る。アオリの手には何枚もの紙が握られていた。

「……それ何枚あるんだ?」

「ん?」

 アオリが紙束を見る。

「あー、勧誘のチラシ。いっぱい貰っちゃった」

 サッカー部。陸上部。バレーボール部。

 ざっと数えただけでもかなりの枚数がある。

「どこ入るか、余計分かんなくなっちゃった」

 アオリは手の平を上に向けてお手上げのポーズを取った。


「そうだ。このあとスイーツでも食べに行かない?今日いっぱい体動かしたから、甘いもの食べたくなっちゃった」

 校門を出るなり、アオリがこちらを振り返って言った。

「いいな。駅前のケーキ屋でも寄るか」

 賛成するとアオリは嬉しそうに笑った。

 俺たちはいつも通り電車に揺られ、朝とは逆方向へ帰路をたどる。夕方の車内は制服姿の高校生や仕事帰りの会社員でほどよく混み合っていて、窓の外にはオレンジ色に染まり始めた街並みが流れていた。

 駅を出てすぐ近くにある小さな洋菓子店へ入ると、ショーケースには色とりどりのケーキや焼き菓子が並んでいた。その一角には動物の顔をかたどったマカロンまで置かれていて、思わず目を奪われる。

「見て見て、かわいい!」

 アオリが指差したのは、うさぎの顔が描かれたいちご味のマカロンだ。

「私これにするー」

 俺もショーケースを一通り眺めたあと、猫の顔が描かれたみかん味のマカロンを選んだ。

 会計を済ませ店先のテラス席へ腰を下ろす。夕方の風は少し冷たいがそれがちょうど心地よかった。

「おいしー!」

 一口食べた途端アオリの頬が緩む。

 昔からこいつは甘いものに目がなかった。勉強をしている姿は何度も見てきたが、その隣には大抵チョコレートやクッキーが置いてあった気がする。

「ここのスイーツ、やっぱり美味いな」

「今日は余計にね。いっぱい動いたあとだから余計に染みる」

 幸せそうに頬張る様子を見ているとこちらまで少し笑えてくる。

「流石に連日の部活体験は身体に堪えただろ」

「そうねー。両足とも筋肉痛よ」

 アオリは苦笑いしながら太ももを軽くさすった。

「顔漫骸も剣道始めた頃はそうだったの?」

「最初だけな。続けてればそのうち慣れる」

「すごいなあ……やっぱり積み重ねって大事なんだね」

 アオリが熱い視線を向けてくる。色々な部を回ったおかげか、多少は実感しているのだろう。

 その時だった。

 後ろからも誰かに見られているような、そんな感覚が背中をかすめた。

 視線を感じた方向へ振り返る。しかしそこには買い物帰りらしい親子連れと、信号待ちをしている人影があるだけだった。

「どうしたの?」

 アオリも俺につられて同じ方向を見ている。

「……いや、なんでもない」

 なんだか急に居心地が悪い。

 落ち着かない気持ちのまま残っていたマカロンを口へ放り込み、紙コップの飲み物を一気に飲み干した。

「アオリ、帰ろう」

「え?もう?」

「ああ」

 少し急かすような口調になってしまったせいか、アオリは不思議そうな顔をしながらも素直に立ち上がった。

 店を出て家の方向へ歩く。帰宅する人混みの中へ紛れてしまえば、さっきの視線もいつの間にか感じなくなっていた。

 それでも俺は家に着くまで胸のざわめきが収まらなかった。

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