94 ▲トムの追憶4
冬が来た。実りもなく、ただただ過去に積み上げてきた貯蓄を崩すことしかできない極寒の冬が。動物も魔獣も寒さに身を震わせて山の中の洞穴の奥へと閉じこもる。人は屋根があり壁が建てられている家の中へと引きこもる。けれども引きこもるだけ、ということはできない。家畜の世話がある。家畜がダメになってしまえば冬を越すのもさらに厳しくなるだけでなく、次の春からの飯のタネすらなくなってしまう。それに人があまり出歩かないからと言ってまったく出歩かないわけじゃない。人族、魔族を問わず、盗賊がいるかもしれない。餌を探しに洞穴から出てきた猛獣や魔獣が村に来るかもしれない。吹雪いているときを除けば、昼夜問わず見張りが必要になる。だから、トムは厚着をして、剣と弓を携え丘の上に建てられている見張り小屋から村長の孫、アルメオと一緒に周囲の様子を窺っていた。
「…………」
アルメオは寒さで眠いのかウトウトとしている。
「眠いなら先に寝てもいいぞ?俺が見張っとく」
「……え?」
寝ぼけているのかトムの言っていることを理解できなかったらしい。
「もう寝ておけ。後は俺がやる」
アルメオを無理やりと引っ張り、小屋の中にある仮眠用のベッドに寝かせる。彼は毛布を頭からかぶるとそのまま寝息を立てて沈んでしまった。
「疲れているなら無理をしなけりゃいいのに……」
トムは小さく溜息を吐いた。アルメオは彼の祖父である村長と一緒に領主のところへとお伺いをたてに領都へと出かけていて、今日帰ってきたばかりだった。休めばいいものをトムに気を遣って見張りを手伝うと言い出し、ついてきたわけだが、結果としてはこれである。トムとしては気を遣ってくれたことに悪い気はしないものの、それでも自分の身体を優先的に労わって欲しいと思った。
そういえば最近は町の方に出かけてない。交渉事がなければ自分から村を出ないトムはここ最近ずっと村にこもっていることに気づいた。村長たちの領都行きも普段はトムもついていくのだが、冬場は何かと忙しいため独り暮らしのトムは付き合うことができなかった。
そう考える傍ら、トムは窓の外の雪景色を見る。
「……それにしても、去年に比べてよく吹雪くな。まさかこのまま氷河期にでも入るつもりか?」
冬なんていいことはない。作物は育たない。動物は山奥へと逃げる。飯のタネにありつけない。冬なんてなければいいのにとは思うものの、それでも冬は毎年来るわけだから、考えるだけ無駄だと思い直し、溜息を吐く。
「暗くなるのも早くなったなぁ……。どれくらい時間たったのかもまったくわからんな」
王都や領都に行けば、時計台などがあり、細かい時間が分かるそうだが、あいにく国の外れにあるこの村にはそんな立派なものはない。最近では懐中時計なるものがあり、ポケットに突っ込めるほど小さな時計があるそうだが、かなり高価なものだそうで、やはり村で手に入れようもない。それを手に入れる金があるならきっと羊や牛を買うだろう。
「……暖かいもの。飲みたいな」
コンコン。
突然見張り小屋の戸が叩かれ、ハッと扉を見る。
誰か来たのだろう。だが、その誰かが村の者とは限らない。もしかしたら盗賊が村人のふりをして叩いたのかもしれない。
そぉっとベッドに寝ている村長の孫を突っつくが、中々起きない。思い切り叩いてみる。寝息が一瞬止まったが、そのまま深い鼾を掻くだけだった。
再び扉がコンコンと鳴った。
「…………」
トムは決心を固め扉へとゆっくりと近づく。
「誰だ?」
「私。差し入れに来たよ?」
『彼女』の声だった。
「待て。すぐ開ける」
もしかしたら、『彼女』を人質に盗賊が待ち構えてるかもしれない。けれどもそんなことはどうでもよくて、この寒い夜に『彼女』が一人で外に立っていることの方が不安だった。
扉を開けると「お疲れ様」とフードを被った『彼女』から労いの言葉を受け取る。
「こんな寒い中で何しに来たんだ?」
呆れたようにつぶやくと「だから差し入れだよ?」と湯気の立った、恐らく吹雪で多少は冷えて弱くなったのだろうけども、それでも目に見えて湯気だと分かる煙を立てている土鍋を掲げて見せる。
「二人とも寒い中徹夜で見張りするのはつらいだろうから、せめてご飯だけでもって思ってね?」
「……恩に着る」
『彼女』はチラリとベッドを見る。
「あ……。アルメオ、やっぱり寝ちゃったんだ」
『彼女』は鼾をたてるアルメオの姿を認めてくすくすと笑みを浮かべる。
「仕方ないさ。今日帰ってきたばかりなんだからな」
「疲れてるんなら無理しなければいいだけなのに」
「……全く以ってその通りだと思うよ」
そう呟いてからトムは『彼女』と一緒にくすくすと笑いあった。
「じゃあ寝坊助さんのアルメオは放っておいて、二人で食べちゃおっか?」
「だが、見張りは続けないと……」
戸惑うように言うトムに「大丈夫」と『彼女』が応える。
「もし、何かがあれば、きっと精霊さんが私に知らせてくれるから」
フードをかぶったままの『彼女』は腰にぶら下げている袋からスプーンを二つ取り出して、その一つをトムに渡した。
「だから食べよ?」
「……分かった」
見張り小屋に備え付けてあるテーブルの上に土鍋を置いて二人で椅子に座る。
土鍋のふたを開けると大きな湯気を出しながら黄色い卵のスープが現れた。
「実は温かいものが欲しかったところだったんだ。ありがとう」
「ふふ。それはよかった。さ、冷める前に食べちゃお?」
取り分ける小皿はない。洗い物が増えるだけだし、こんな吹雪の中、小皿まで持ち運べるほど、『彼女』も余裕はなかったのだろう。手にしたスプーンをそのまま土鍋に突き刺して、それぞれ口へと含めていく。
「んー。ちょっと冷えちゃったかな?」
「いや。この寒い中じゃあまだ温かい方だよ。助かる」
そう言ってパクパクと口へと入れていく。味の加減がちょうどよく食が進む。夕飯はちゃんととったのだけれども、再びおなかをすかせられる程おいしかった。
スプーンを進めているところでふと違和感に気づいた。
『彼女』がフードを外さないままだと言うこと。手袋もはめたままだと言うこと。
「……」
無言でフードを見ているところで、彼女は視線に気づき顔を上げた。
「あー……。気に……、なる?」
フードに隠れているが、上目遣いでこちらを見ているような気がして、思わず首を横に振ってしまう。けれども「…………やっぱり気になるよね」とトムの心情を把握してかそう言って、『彼女』はゆっくりとフードを外した。
そこには。
顔がついていなかった……。
鼻はなく、精々顎の輪郭と赤く灼けた目の色が分かるだけ。左耳はついていない。
今度は右手袋を外して見せる。手はついている。けれども皮膚は黒い痣と共に爛れていて、辛うじて右手だと分かるくらい。
まぎれもなく『彼女』なのだけれども、『彼女』の姿をしていなかった。
「冬場でさらに吹雪いちゃったから精霊さんたちからの魔力がちょっと滞っちゃって。それでお母さんが心配して癇癪起こしちゃったから逃げるようにここに来たの」
『彼女』は苦笑を浮かべながらトムに顔を向ける。口元の動きで辛うじて笑っているんだろうなってのは分かる。けれども、表情の筋肉の動きまでは読み取ることができず、普段の彼女であればどういう表情になっていたのか、思い出すこともうまくいかない。
「正直に言っていいよ?気持ち悪いって」
くすくすと笑う『彼女』にトムはすぐに何かを言うことができなかった。
『彼女』はフードをかぶり直しもせず、手袋をはめなおしもせず、固まったままのトムを無視するようにスプーンを動かし、スープを口へと運んでいく。
「冷めちゃうよ?」
「……ああ」
やっと出た言葉がそれだけで、自分自身にいたたまれなさを感じてしまう。
思わず沈んだ空気になったところで、『彼女』は大きく笑い声をあげた。
「うふふ、あはははは!おっかしい♪」
人の顔をしていないそのさまは一見不気味に見えてしまうが、普段の彼女の姿を思い出した時、彼女が純粋に心の底から笑っているのだと分かり、不気味さを忘れてしまう。
「まったく、トムはまじめすぎるよ?まぁ、お母さんとか村長みたいに不真面目でも困るけどね、少しは気を緩めてもいいんじゃないかな?」
くすくすと笑い声を止めることなく、スプーンを動かし続ける『彼女』。
トムは戸惑ったまま彼女を見つめることしかできなかった。
「この顔、トムのせいなの?」
左手で自分の指をさしながら尋ねられ、思わず首を横に振る。
「そ。これは自分勝手に行動した末に自分で勝手につけた傷。自分への報い。だからトムが気にする理由はない。でしょ?」
「そ、それはそうだが……」
「まぁ、同情したくなるのも分かるよ?自分の顔を素直に鏡で見るときに、なんかいたたまれないなぁって思うことあるから。でも、別にいつもこんな顔をしてるわけじゃないんだから、気にするだけ無駄かなって思い直してる。私がそう思ってるんだから、トムも気にするだけ無駄だよ?」
『彼女』は手袋をはめなおし、フードをかぶりなおす。それは、気になって仕方がないトムに配慮する形で。
「大丈夫。春になればまた戻るから。今は冬だもの。全てが動きたがらない季節。こういう時はいつも私は家にこもってるでしょ?もう慣れてるから、気にしなくてもいいよ」
『彼女』の発する言葉の意味を理解しつつも、それでも気になってしまう。『彼女』の普段の顔が偽物だと言うことは村の誰もが知っている。トムも村長も、そして『彼女』の母親も。いや、顔だけじゃない。身体さえも。だから、『彼女』の性別すらどちらなのか誰も分からない。男なのかも女なのかも。
普段見せてくれている『彼女』の姿は女性のように見えるのだけれども、性別通りの姿を見せてくれてるのか、その逆の姿を見せてくれてるのか、それとも『彼女』ですら自分の性別が分からなくなってしまったのかもわからない。
この世界で『彼女』は本当の自分なるものを失わされてしまった。
「ほら、また難しいこと考えてる」
フードの奥から注意を飛ばすように『彼女』が口を開いた。
「それともスープ、口に合わなかった?」
「……いや。この味は好きだよ」
「そ?でも、難しいことを考えるのをやめさせられるほどではなかったみたいだね?」
『彼女』はいたずらをした後でもあるかのようにくすくすと再び笑う。
「トムはどうして私の顔が気になるの?」
直球で尋ねてくる彼女の言葉に思わず口籠らせてしまうが、観念して素直に開いた。
「ユゥだけが、この村の中で仲間外れになってるように感じる。別に意図的に仲間外れにしようってやつはこの村にはいない。多分。だけど、その顔は……。まるで、人として生きるって言うことを邪魔してるように見えてしまうんだ。その顔を見ると、君がユゥじゃないんじゃないかって思ってしまう」
それはとてもひどい言葉だと思う。『彼女』の今の、本当の顔を人の顔ではないと言い、『彼女』の幻術の類で見せられている顔が人の顔だと言ったのだから。それは『彼女』という存在を否定する言葉になるのだから。
けれども、『彼女』は一切気にしていないかのように「正直でよろしい」とフードの下からにっこりと呟いた。
「その反応は正しいよ。私が普段見せている顔じゃない顔を見て同じ私だって思えるわけないもの。思ってもらえないようにするためにそういう顔を見せているんだもの。本当の顔なんてもの、本当は誰にも見てほしくはないもの。だから……。素直に、本当の顔を私じゃないって言ってくれる君の言葉がうれしいよ?」
その言葉は本当なのか?それとも自分に気を遣ってついた嘘なのか?トムには分からなかった。
「…………スープなくなっちゃったね」
気が付けば、土鍋の中身は空になっていた。
「アルメオの分、残すの忘れちゃった」
フードの下にある頬を掻きながら素っとぼけたように話した。
「まぁ、仕方がないだろ。起きておなかが空いてるようだったら俺が村に戻って何か夜食でも取ってくるさ」
トムは座っていた椅子を抱えて窓の傍へと持っていく。窓の外を眺めながら、見張りの続きに入ろうとした。
『彼女』は一度外に出て、土鍋に雪を盛ってから、小屋の水場で土鍋とスプーンを擦るように洗う。その時、手袋は外しているので、トムは『彼女』を見ないようにとずっと窓の外を眺めた。
それからどれくらい時がたったのだろうか?時間が分からない中、トムは自分が少し眠気を帯びているのに気が付いた。村長の孫はまだ鼾をたてている。交代を頼むために叩き起こすのもかわいそうだ。かといってしばらくすれば自分も寝落ちしてしまうかもしれない。
どうしたものかと悩んでいるところで、ことりとすぐそばで物音が聞こえた。真横を見れば、『彼女』が椅子をトムの隣に置いていた。
「……顔が」
『彼女』の顔はさっきまでと違い、いつもの顔をしていた。手袋をはめていた手も手袋が外され、いつもの綺麗な白い肌を見せる。
「さっき精霊さんたちが戻ってきてね、それでほんの少し魔力を分けてもらったの。一時間くらいは持つはずだよ?」
『彼女』は椅子に座ったかと思うとトムの顔を手繰り寄せて自分の肩の上に乗せる。
「少し眠ったら?その間は私が見てるから」
「いや……。君に任せるわけには……」
「大丈夫。周辺探索くらいなら精霊さんに頼めばやってもらえるから。私の手に負えないことが起きそうだったらその時は起こすから、今は安心して寝なさい」
その姿は女性が男性にするような、或いは母親が自分の子供にするような、そんな様で、『彼女』の本当の性別は分からないものの、女の人ではないかと感じてしまう。だからトムは「本当にどっちなんだ?」と呟いてしまった。
「ふふ。どっちだと思う?」
「…………」
無言のままどちらとも答えられなかった。
「うん。それでいいの。幻想の姿に本物を求めなくていいの。幻想は幻想のまま受け入れればいいの。私がそれを望んでいるのだから、あなたはそれを受け入れてくれさえすればそれでいいの。むしろ幻想だと分かっているのだから、夢の中と同じだと思って、自分が思ったことだけを抱いてくれればそれでいいんだよ?本物と向き合うべき時は…………、夢から醒めた時だけでいいのだから」
その言葉にいざなわれるようにトムはゆっくりと目を閉じた。
「おやすみなさい、トム。昔、あなたは私に真面目過ぎるって言ったけれど、やっぱりあなたも真面目過ぎるよ。あなたの真面目さを取っ払えるほどのお友達とか……。できるといいのにね…………」
ユゥの言葉は深い眠りへと入っていくトムの耳に全て入りきることはなかった。




