Ⅱ-ⅳ 雪降らぬ王都の花屋にて
「あら、随分若い兄さんだこと。ちょっと寄ってかないかい?」
続くはくすくす笑う声、カイとレントが無視するとそのくすくす笑いは一層ひどくなる。時刻は夕暮れ、女たちの商売が始まる時間であった。二人の男は商売始めの競争で、方々から声をかけられるはめになった。
「なんだい、酷い子だね。そんな真面目な顔しちゃって。――お目当ての子でもいるのかい?」
しかし二人が興味も示さずさっさと歩いていく――本当は免疫がなくて逃げてるのに違いない――と、さっさか諦めて次のターゲットに声をかけていた。カイは勿論、十年山暮らししていたレントもやはり、免疫がないらしく、うまく受け答えて情報を引き出すこともないままに、ひたすら逃げるようにして奥へ進んでいく。
そんな二人に唯一抗議したのはレントの腕の中の黒猫、もといアズリルであった。
「――痛っ――!!」
レントが腕の中を見ると、痛みを感じた腕から赤いものが染みている。そしてその傷を作った爪の持ち主が、澄んだ緑の瞳でまっすぐレントを睨みつけていた。
「何すんだよ――っつつつっ、わあった、ちゃんと探すよ!」
黒猫は情け容赦なく抉った傷口にさらに爪を立てる。……中々に痛そうだった。
レントは仕方がなしに、先ほど一度無視した女の方へ歩み寄る。
「あれ、兄さん気が変わったのかい?」
女は嬉しそうに、ちょっぴり意地悪く微笑んだ。しかしレントは首をふり、腕の中の猫の耳を指差した。
「あー、これについて聞きたいんだが……。」
「なんだい、捨て猫かい?」
「いや、このイヤリングの方だ。」
「おや、中々に立派な……。」
物色していた女が目をこらしてイヤリングを見つめると、はっと何かを思い出したかのようにレントを見つめた。
「なんだ、兄さん大姐さんの客かい。一番おっきな建物、ほら、あそこに見えるだろ、あそこ行きゃいい。」
「ああ、わかった。ありがたい。助かった。」
レントが礼を言うと、女は気さくに笑った。
「なあに、大姐さんの客なら私らの客も同然さ。だけど、今はもしかしたら会えないかもね。最近どっか出てるって、もっぱらの噂だから……。」
「?あんたの言う大姐さんってのは誰なんだ?」
どうやらシーナのことではないらしい。レントが首を傾げて尋ねると、女は軽く驚いて答えた。
「なんだい、『花屋』に来たのは今日が初めてかい?ここらで大姐さんっつったら一人しかいないよ。ここいら一体を取り仕切るジェンヌ姐さんのことさ。」
「へえ。」
そんな間抜けな相槌を打ったのは質問したレントではなく、カイの方で。正真正銘花屋に来るのが初めてなカイにはぴんと来なかったが、レントは何か思い当たる節があったのか、はっと息を呑んでいた。
女と別れた後、レントは誰に言うともなくぼそり、と呟いた。
「……あいつ、都を掌握したも同然じゃないか……。」
「そんなにすごい人なんすか?」
カイには今一その言葉がピンとこなかったが、アズリルは当然のことと言わんばかりに、レントの腕の中で優雅に毛づくろいしていた。レントは疲れたように、言う。
「……都の治安を護る為、軍の治安隊が、そこかしこに置かれている。それが唯一、全く存在しないのが、ここ。過去の王との盟約により、ここの治安はよっぽどの事態でない限り、軍も管轄外、代わりに代々この区画を仕切ってきたのが『花屋』の大妓女、彼女の下に集まらない情報はない。」
「……はあ、なんかすごいんすねえ。」
いまいちピンとこないが、すごいらしい。レントは溜息を吐いた。
「……流石のシェーハザード様も、こことはつながりをつくってなかったはずだぞ?どうやったってんだ……。」
レントのぼやきに答えるでもなく、黒猫は優雅に毛づくろいを続けるばかりであった。
夜空のそのまま映る天井は、安物のガラスではなく、贅沢に水晶があしらわれている。おりしもその日は満月で、まだまだ天上に達していないものの、水晶を通して零れ落ちる黄色い淡い光はなんとも幻想的だった。
真珠のイヤリングを見せて二人が通されたのは、如何にも最高級な造りが施されたその部屋で、花屋に来る中でも最上級の客しか通されないような場所であることは一目で知れた。
「……これはこれは、シーナ様の賓客というから来てみれば、伝説の大魔法使い殿ではありませんか。」
その男の声を聞くなり、レントの腕の中のアズリルが、全身毛並みを逆立て、猫らしく「シャー」と不機嫌そうに唸った。
呼びかけられたレントの方はてんで顔に見覚えのない男に戸惑いながら、「はあ、」と間抜けな返事をすることしかできない。
見たところ、平服を着ているものの、しっかりと鍛えられた体つきをしており、軍人というものを見たことがあるわけではなかったが、それでもきっと軍人ってこんな感じだろうな、とカイはぼんやり思った。
男は全身毛並みを逆立てるレントの腕の中のアズリルに気づくと、少しばかり驚いた様子を見せた。
「おや、チィじゃないか。ここ最近姿を見せないから家出でもしたのかと思えば、シーナ様のお使いをしてたわけか?」
猫は返事をするでもなく、ひたすら警戒しているのか嫌っているのか両方なのか、毛並みを逆立てるばかりである。……一体この男、これほどまでの恨みをどう買ったのだろう?
嫌われている自覚はあるのかないのか、所詮はたかが猫だからか、気にする素振りもなく男はレントに握手を求めた。
「ブレッドです。陛下と懇意にして頂いておりますのは大魔法使い殿が消えてからですから、知らぬでしょうなあ。しばらく世話係に任じられました。」
「世話係?シーナの?」
「いえ、あなたのですよ。」
にっこり笑ってブレッドはレントを見つめた。……どことなくいつぞやのシーナに似ている。違うのはがっつり逞しい見たまんまのいい男である点だ。
しかしながら黒猫の毛並みは一層逆立ち、レントの方は、戸惑いを隠せぬ様子である。
「あいつは今どこに?……というか、一体どうしてあいつはお尋ね者に?」
「おや、全く状況を知らないのですかな?陛下のお話では、危機になったら助けにきてくれるはずだからその補佐をしろ、とのことだったのですが……。もしや陛下の現在の状況を全くご存じでない?」
「ああ、できれば一から説明を願いたい。」
レントがそう言うと、ふうむ、とレントを見やり、二人に座るよう促した。そしてどこに控えていたのかわからぬ絶世の美女に飲み物と食べ物を用意するよう言いつけやはりふうむ、と顎に手をやった。
「ラカ十一世がお亡くなりになられたのは、もちろんご存じでしょうな?」
「は!?」
瞬間、カイもレントもアズリルも、その言葉の意味が理解できなかった。ブレッドの顔に軽く皺が刻まれた。
「ご存じない?失礼ながら都にはいつご到着なさったのですか?」
「……つい数時間前だ。こいつが急かすので直接王城に行ったら、シーナの代わりに魔導師団に追いかけられるはめになった。それで魔法で探ったが見つからなかったので、心当たりを辿ってみたらここに辿りついたんだ。」
「なるほど。」
簡潔で要領を得たレントの説明にブレッドは得心し、にやりと笑った。
「陛下はほぼあなたのお心を把握しておいでのようですな。王の死について聞く間もなくここまでたどりつけるよう、導を残していたのですから。」
その言葉に、黒猫が全身の毛並みを逆立てて抗議した。それを見てからかうようにブレッドは言う。
「おや失礼。陛下の一番の寵愛を受けているのはお前さんだったな。」
わかればいいのよ、と言わんばかりに黒猫チィは盛大にそっぽを向く。……よくこれで正体がばれずに済んできたものだ。
「それで、どうしてあいつは追われているんだ?」
レントが話を戻すと、ああ、とブレッドはあっさり言った。
「まあ簡単に言ってしまえば暗殺の罪をでっちあげられている、それだけです。」
「!!強硬手段に出られたわけか……。」
あっさり放たれた事実は、ずっしり重くシーナの圧倒的に不利な状況を告げていた。一行が重い表情でその事実を受け止めたのに対し、ブレッドは悲観的になるでもなく言葉を返した。
「ええ、ですが我らが陛下は逃げ足がお早く、国王の訃報が公表される直前には国外逃亡してましてね。」
「国外って一体どこへ?魔導師団ですら目の届かない場所なんて、相当遠くでは?」
「さあ?それよりも、陛下からの言伝をまだお渡ししておりませんでしたな。」
圧倒的に不利な状況にも関わらず、不思議と平然とした様子のブレッドは、懐から一通の書状を渡した。
渡された書状の封には、レントも見たことのない国の印が押されていた。竜と呼ばれる、先だってシーナが北方で討伐したという魔物のように見える。不審に思いながらレントが封を破ると、中から出てきた書面には流暢な文字が綴られていた。
「『……我ら告ぐ。貴国との平和と友好の証に、月の光流るる闇夜を束ねた姫を我らが后に迎えんことを……』
……これは!?」
レントが書面から目を離さずに問いかけると、ブレッドはさらりと言った。
「『親父殿と仲直りしてから迎えに来い』とのことです。」
「迎えに来いって……濡れ衣は免れてもこれ幸いとそのまま放置されるんじゃあ……。」
レントが書面から目を離さず、脳みそは目まぐるしく回転させながら静かに眉根を寄せた。既に毛並みを逆立てるのをやめたチィも心配そうに書面を覗き込んでいる。一人カイだけが、状況を飲み込めず馬鹿みたいに師の手を見つめている。ブレッドは相も変わらず平然と、レントに微笑んだ。
「そうはいきますまい。……ほら、始まったようですよ。」
ブレッドは視線でレントの向こうにある窓を示した。導かれるようにレントとカイは立ち上がり、豪奢な細工の施された窓から下界を見下ろす。……花屋よりも遥か先、無数の光が王城を囲み、揺らめいていた。
「あれは……。」
「ジェンヌ殿が上手くやってくれたのでしょう。……王都に暮らす兵たちと、その妻や子供たちに、シーナ様が魔物を操る野蛮な王国に捕らえられ、執政官一派はそれを知っているのに助けようともしない、と噂を広めた。」
「……それで暴動を起こさせたのか?あいつが?」
カイははっとして師の顔を見やった。シーナの言伝の書面の意味が呑み込めたのもあったが、それ以上に、怒りを孕んだ師の言葉に驚いた。その顔には嫌悪感が刻まれ、その瞳はまっすぐブレッドを、いやその背後にいる見えないシーナを睨みつけていた。ブレッドはその視線を軽くいなし、笑った。
「いえ、暴動は起きないでしょう。魔法の利かぬ北方の魔物ならばいざ知らず、普通の人間が魔導師に攻撃をしかけるなぞ、これ以上ない無謀です。暴動の起きぬよう、軍が万全の態勢を敷いております。」
「だが煽りたてれば何が起きてもおかしくない。」
静かなレントの怒りに、ブレッドは笑いながら、いや、口の端だけをあげて真剣な目で答えた。
「ええ。ですが抗議するのが兵士なら、抑えるのも兵であり、魔導師連中が抑えるよりも、しばらくはもつでしょう。……その間に五帥会議を終わらせます。」
数瞬、沈黙がおりた。そのわずかな間に、レントの脳みそは全てを見抜いたのか、もはや怒りを通り越して呆れたかのように溜息と共に、言葉を吐き出した。
「全てはあいつの計算通り、というわけか。――それで俺に親父に取り入り、正式な使節に加われと。」
「ええ、その通りです。」
今度は、正真正銘にっこり笑って、満足したように力強くブレッドは頷いた。レントは肯定なのか否定なのか或いは両方なのか、盛大に溜息を吐いた。腕の中の黒猫は睨みつけるようにその顔を見上げ、その瞳に月を宿して光らせていた。




