真紅の戦車は歌う
本日は5話更新しています(4/5)。
その瞬間。
轟音。
怪物の身体が爆発した。青い炎が千切れ飛び、怪物の巨体が大きくのけぞる。砲撃だった。
地鳴りのようなエンジン音とともに、少年のすぐ横を、真紅の戦車が駆け抜けた。巻き上がった熱風が、煤けた頬を叩いていった。
町の戦車じゃない。煤にまみれた守備隊の戦車とは、何もかもが違う。傷一つない、目の覚めるような赤だった。燃えさかる町の炎よりも、まだ赤い。血のような赤だった。
怪物が絶叫し、翼を振るって青い炎の奔流を放つ。戦車はそれを、信じられない軌道でかわした。
車体を傾けて急旋回。履帯が石畳を削り、火花を散らす。炎の奔流がその鼻先をかすめ、家を一軒呑み込む頃には、戦車はもう怪物の側面へ回り込んでいた。
砲撃。加速。砲撃。ミサイルポッドが開き、白い尾を引くミサイルが一斉に放たれる。夜空に幾筋もの弧を描いて、怪物の翼へ、脚へ、胴へと次々に突き刺さる。爆炎が、青い炎を押し返していく。
あれほど巨大な怪物を相手にしているのに、その戦車は一度も止まらず、退く素振りさえ見せなかった。
甲高く澄んだエンジン音が響いていた。重く唸る町の戦車とは違う。高く、伸びやかで、どこか歌声に似ていた。その歌に合わせて、真紅の車体が炎の中を滑り、跳ね、回る。
――踊ってる。
炎に染まったレイラインで、あの戦車だけが踊っていた。少年は、自分が息を止めていることにも気づかなかった。さっきまで震えていた膝のことも、焦げた前髪のことも、どこかへ行ってしまっていた。
怪物が、初めて後ずさった。青い炎が揺らぐ。もう一発。さらにもう一発。怪物は耳をつんざくような叫びを上げると、身を翻した。家々をなぎ倒しながら南の闇へと逃げていき、青い光が遠ざかり、小さくなり、やがて見えなくなった。
真紅の戦車は、しばらくその方角を向いたまま止まっていた。砲塔がゆっくりと回り、一瞬だけ少年の方を向いた。ハッチは開かなかった。誰が乗っているのかも分からなかった。
それから戦車は向きを変え、何も告げずに、炎の向こうへ走り去った。あの歌うようなエンジン音だけが、いつまでも耳に残っていた。
◇
気がつくと、空が白んでいた。どれくらいそうしていたのか分からない。少年は焼け跡の真ん中に座り込んだまま、動けずにいた。尻の下の石畳が、まだほんのりと温かい。家々はまだ燻っていて、灰が雪のように降っていた。昨日まであった町の形が、どこにもなかった。
瓦礫を踏む足音が近づいてきた。
「……生きてたか」
しわがれた声だった。顔を上げると、煤と血にまみれた男が立っていた。昨日の昼、畑で父さんと話していた人。デションおじさんだった。
おじさんの片手には、銃が握られていた。銃身が焼け焦げ、銃床にひびが入っている。それでも、見間違えるはずがなかった。昨日の夜まで、家の壁に掛かっていた銃だ。
「おじさん、それ……」
おじさんは答えなかった。何か言おうとして口を開き、閉じて、もう一度開いて、結局何も言わなかった。ただ黙って膝をつき、少年を抱き上げた。ごつごつした腕だった。父さんの手とは違う。でも、同じように土と煙の匂いがした。
そのとき初めて、涙が出た。一度溢れ出したら、もう止まらなかった。おじさんの肩に顔を押しつけて、少年は声を上げて泣いた。父さんを呼んだ。母さんを呼んだ。誰も返事をしなかった。おじさんは何も言わずに、少年の背中を、ずっと叩き続けていた。
デションおじさんは、少年を抱いたまま歩き出した。焼け跡の町を、ゆっくりと横切っていく。少年はおじさんの肩越しに、通り過ぎていく景色を見ていた。屋根の落ちた家。煤で真っ黒になった壁。まだ燻っている梁。道端に座り込んだまま動かない人。誰かの名前を呼びながら、素手で瓦礫をかき分けている人。
大通りの角に、戦車があった。いや、もう戦車とは呼べないものになっていた。昨夜、青い炎に呑まれた、あの町の戦車だ。車体は黒く焼けただれ、ところどころが溶けて地面に流れ落ち、そのまま固まっていた。ハッチは閉じたままだった。守備隊の男たちが何人か、その前に立って、帽子を取っていた。
その少し先に、もう一台の戦車が傾いて停まっていた。左の側面が、青白い色のまま大きく歪んでいる。それでも、こちらは形を保っていた。守備隊の若い男が、その装甲に手を当てて、声を殺して泣いていた。
「……見るな」
おじさんが、少年の頭を自分の肩に押しつけた。それでも、少年は見ていた。おじさんの肩と腕のすき間から、あの青白く焼けた装甲の色を、ずっと。
◇
それからの数日のことを、少年はあまりよく覚えていない。覚えているのは、灰の匂いだ。町じゅうがその匂いに包まれていて、何を口に入れても、灰の味がした。焼けた家の柱を、大人たちが黙って片づけていた。誰かが泣いていて、誰かがそれを怒鳴りつけていて、また別の誰かが、その人の肩を抱いていた。
三日目に、弔いがあった。町の外れの丘に、いくつもの穴が掘られた。並んだ盛り土の前で、町長が何か言っていたけれど、少年の耳には何も入ってこなかった。父さんと母さんの名前が呼ばれたとき、デションおじさんが少年の肩に手を置いた。覚えているのは、その手の重さだけだ。
盛り土の前に、大人たちが一人ずつ、何かを置いていった。畑で採れた芋。小さな花。父さんに世話になったという農業区の人たちが、何人も、何人も来た。お婆さんが一人、少年の前にしゃがみ込んで、何度も何度も頭を下げた。あの坂道で、父さんが助けたお婆さんだった。少年は、その曲がった背中を見下ろしていた。この人は、ここにいる。父さんは、いない。胸の奥でそんな声がして、少年は自分が怖くなり、慌てて目をそらした。
弔いが終わる頃、マリカが来た。ステンさんに手を引かれていた。目が真っ赤に腫れていた。
「……大丈夫?」
少年は何も答えられなかった。マリカが少年の手を握った。握り返そうとしたけれど、指がうまく曲がらなかった。しばらくして、マリカはステンさんに連れられて帰っていった。何度も、何度も振り返りながら。
町の人たちは、あの夜の赤い戦車の話をしていた。
「あれは誰だったんだ」
「この辺りのハンターじゃねえ。あんな戦車、見たことがない」
「名乗りもしねえで行っちまったらしい」
誰も知らなかった。少年が、真っ赤な戦車が歌うような音を立てて走っていったと言っても、大人たちは困ったように顔を見合わせるだけだった。本当なのに。少年は袖口をぎゅっと握って、それきり、その話をするのをやめた。
その日の夕方、デションおじさんが、少年を孤児院へ連れていった。町の中心から少し外れた坂の途中にある、二階建ての古い建物だった。門の前に、一人の女の人が立っていた。白いものの交じった髪をきっちりと後ろでまとめ、背筋をまっすぐに伸ばしている。
「イトマールだ。ここの先生だ」
おじさんが言った。イトマール先生は、少年の前に膝をついた。目の高さが同じになった。荒れた手が、少年の煤けた頬にそっと触れた。かさついていて、少しだけ冷たかった。
「今日から、ここがあなたの家です」
静かな声だった。優しいとも、冷たいとも言えない声だった。少年は、うなずくことも、首を振ることもできなかった。
おじさんは、布にくるんだ細長いものを脇に抱えていた。焼け跡から持ってきた、あの銃だ。少年がそれを見ていることに気づくと、おじさんは少しだけ困ったような顔をして、何も言わずに布を抱え直した。そして少年の頭を一度だけ撫でて、坂を下りていった。いつものぐしゃぐしゃとは違う、そっと置いていくような撫で方だった。
その夜、孤児院の大部屋で、少年は薄い毛布にくるまっていた。周りには知らない子供たちが寝ていて、誰かの寝息と、誰かの歯ぎしりが聞こえた。夕飯の豆のスープは、家で食べていたものよりずっと薄くて、ずっと少なかった。
眠れなかった。目を閉じると、青い炎が見えた。
着ていた上着のポケットに手を入れると、何か硬いものが指に触れた。取り出してみると、針金の輪だった。煤で黒くなっていたけれど、形は残っていた。
家も、写真も、父さんの声も、母さんの手料理も、全部燃えてしまった。その中で、これだけが残った。少年は針金の輪を握りしめて、暗い天井を見つめていた。
次の朝から、孤児院での暮らしが始まった。朝は、鐘の音で起こされた。見張り台の鐘とは違う、小さくて、間の抜けた音の鐘だった。それでも少年は、その音を聞くたびに、毛布の中で身体が跳ねた。年上の子が、それを見てくすくす笑った。
少年は、ほとんど口をきかなかった。誰かに話しかけられても、うなずくか、首を振るだけだった。夜になると、また青い炎の夢を見た。
◇
その夜も、眠れなかった。いつの間にか、窓の外が白み始めていた。
少年は毛布を抜け出し、大部屋の窓辺へ行った。板の打ちつけられていない窓が一つだけあって、そこから町の東が見えた。床板が冷たくて、裸足の指が勝手に丸まった。
朝日が昇ろうとしていた。灰の向こうで、荒野が赤く染まっていく。地平線から少しずつ、端から端まで。
――収穫が終わったら、堤のてっぺんに連れてってやる。荒野ぜんぶが燃えてるみたいに赤くなるんだ。
父さんとの約束は、もう果たされない。
父さんと母さんを奪った、青い炎の怪物。何もできなかった自分。
そして――炎の中で踊っていた、真紅の戦車。窓の外の赤は、あの戦車と同じ色をしていた。
この日、少年の中に一つの願いが生まれた。小さな拳を、血が滲むほど握りしめる。
いつか、僕も戦車に乗る。
あの真紅の戦車のように。
そして――
僕たちを踏みにじる奴らは、
みんな、僕がぶっ倒してやる。
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