鐘が鳴ったら、弾込めを
隊商宿の朝飯は、くず麦のパンと豆のスープだった。昨日の晩と同じ豆だけれど、目覚めたばかりの身体には、そのやさしい味がちょうどよかった。匙ですくって、口に運んで、またすくう。……一生。ふいに耳の奥でその一言だけが鳴って、匙の先が椀の底をこすった。ゆうべ少し浅くなったはずのものは、朝になっても、まだ同じところに刺さっていた。
食堂の窓からは、中庭が見えた。ヤマネコ号の脇にレイがしゃがみ込み、帽子とマスクを着けたまま、左の後輪に当てた鉄板を、指で一枚ずつ叩いて確かめている。夜中に一度だけ、という約束だった。朝の分は、たぶん数に入っていないのだろう。
「漏れはありません。継ぎ目も、ゆうべのままです」
戻ってきたレイは、それだけ言って、僕の向かいに座った。
「よかった。でも、ちゃんとした工場で見てもらった方がいいよね」
「はい。それと、機械の残骸から外した部品も、どこかで売れるはずです」
「ハン協で聞いてみよう。サビヅノの角も、まだ出してないし」
昨日はガニーの記録とジョウたちのことで頭がいっぱいで、角のことなど、すっかり忘れていたのだ。ハン協の扉を開けると、おじいさんは昨日と同じ机に、昨日と同じ格好で座っていて、僕たちを見上げる前に、ごほごほと咳き込んだ。
「なんじゃ、また来たんか」
「サビヅノの角を、持ってきたんです。駆除の報酬が出るって聞いて」
角を二本、机に置くと、おじいさんは一本をつまみ上げて、根もとを眺めた。
「街道のか。珍しいのう。……まあ、ええ。ちいとばかしじゃが、出しちゃる」
机の上を滑ってきたのは、小銭が数枚。手のひらに載せると、指を閉じただけで隠れてしまうくらいの、本当にほんの少しだった。
「それと、機械の残骸から外した部品があるんです。どこで売れますか。あと、戦車の継ぎ当てを見てもらえる工場も」
「部品なら、西の門の手前の買い取り屋じゃ。工場は――」
言いかけたおじいさんの声に、カン、カン、カン、と、高く乾いた鐘の音がかぶさった。西の方からだ。一つ鳴ると、間を置かずに次が鳴り、また次が鳴る。
思わず窓を振り返ると、向かいの店の男が雨戸を下ろしていた。慌てている様子はない。軒先に出していた籠を中へ入れ、戸を閉めて、それで終わりだ。隣の店も同じように戸を閉め、通りを歩いていた人たちは、足を速めてどこかの軒下へ消えていく。走っている者は、一人もいなかった。
「な、何?」
「砂漠の方から、何ぞ来たんじゃろ」
おじいさんは、机の上の角を引き出しにしまいながら言った。その手は、少しも止まらない。
「月に何度かある。砂漠ではぐれた群れが、こっちへ寄ってくるんじゃ」
「何度も……」
気がつくと、腰の銃に手をやっていた。宿の中庭に置いてきたヤマネコ号の、継ぎ当てをしたばかりの左の後輪が、頭に浮かぶ。
「……僕たちも、行かないと駄目なのかな」
おじいさんが、ふん、と鼻を鳴らした。
「行ってどうする。あの車輪で、砂の上へ出る気か」
「それは……」
「でかい群れなら、輸送隊か見張りが、何日も前に見つけとる。今どき、町の近くまで来られることは、まずないわい。来るのは、こういう小さいのだけじゃ。そういうのは、砂漠用の戦車を持っとる連中が西の門から出て、町の手前で片づける。砂の上じゃ、どうしたって相手の鼻先まで寄って撃ち合うことになる。そういう戦い方に慣れとる連中の仕事じゃ」
おじいさんは、窓の外を顎でしゃくった。
「お前さんらは、見学しとれ」
肩から、すとんと力が抜けた。抜けたことが、自分で少し情けない。崩れ狼を倒したハンターです、という顔で扉を開けたくせに、見学でいいと言われて、真っ先にほっとしているのだから。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「おい、ラドックの爺さん! 誰か手の空いてるやつはいねえか!」
ラドックのじっちゃん、とトビが言っていたのは、やっぱりこのおじいさんのことだったのだ。入ってきたのは、ずんぐりした中年の男で、つるつるに剃り上げたような禿げ頭の下に、眉間に深い皺を寄せたいかつい顔がのっている。肩にも胸にも分厚い肉がつき、自警団の上着の袖をまくった腕は、僕の脚くらいありそうだった。その声が、部屋じゅうに響いた。
「弾込めだ。腕っぷしのありそうなのを、二、三人回してくれ」
男は、部屋の中をぐるりと見回した。掲示板の前にも、壁際の長椅子にも、僕たちのほかには誰もいない。男の口から、ちっ、と舌打ちが漏れた。
「鐘が鳴るたんびに、ああやって人をさらいに来よるんじゃ」
きょとんとしている僕に、おじいさんが、ごほ、と咳をしてから言った。
「壁の大砲を撃つ者は自警団におるが、弾込めまで毎日抱えとくほどの銭は、町にもない。鳴ったら、その場で手の空いとる者をかき集める。ハンターは力仕事に慣れとるし、ここへ来りゃ、たいがい誰ぞ暇しとるからの。……もっとも、今日は、あいにくこれしかおらん」
男はこっちを見て、僕を上から下まで眺め、それから、何とも言えない顔をした。
「……こいつか?」
「新人には、ええ仕事じゃろ。日当も出るわい」
「ひょろっこいなあ。まあ、いねえよりましか」
男は頭をかいてから、僕の後ろのレイを見た。帽子とマスクで、顔はほとんど見えないはずなのに、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……そっちのも、来られるか」
「はい。お手伝いします」
その声に、男は目を瞬いた。
「姉ちゃんかよ。……まあいい。来い、急ぐぞ」
自警団の砲座の班長で、グンナールだ、と男は名乗った。名乗りながら、もう扉の外へ出ていた。
西の門のそばの防砂壁は、下から見上げると、思っていたよりずっと高かった。古い車の残骸と鉄骨を積み上げて、その隙間を土で固めてある。内側には、石と鉄骨を組んだ階段が折り返しながら上へ延びていて、班長の後ろについて駆け上がると、段の高さが、一段ごとに腿へ溜まっていった。
階段は、上り下りする人で混み合っていた。砲弾の箱を背負って一段ずつ上がっていく男たちの列に、見覚えのある、ぼさぼさの頭が一つ混じっていて、それが、くるりとこっちを向いた。
「あれっ、兄ちゃん!」
自分の背中ほどもある木の箱を背負って、トビが顔を真っ赤にしている。
「トビ。何してるの、こんなところで」
「荷運び。鐘が鳴ると、日雇いで呼ばれるんだ。兄ちゃんこそ、なんで」
「弾込め、だって。人が足りないからって」
「すげえ! 砲座じゃん!」
「トビ、しゃべってねえで運べ!」
上から班長の怒鳴り声が降ってきて、トビは「へーい」と首をすくめた。それでも、箱を背負い直しながら、まだこっちを見て、にっと笑っていた。
上に出ると、風が顔を打った。壁のてっぺんは、人が三、四人並んで歩けるくらいの幅で、外側には胸ほどの高さの鉄板が立て並べてある。その切れ目ごとに据えてあるのは、戦車の主砲より少し大きいくらいの大砲だ。太い鉄の台座ごと左右に回せるようになっていて、脇に積んだ木の箱の、蓋の開いた一つを覗くと、砲弾が藁に埋もれて並んでいた。
そして、壁の外に、砂漠があった。昨日、宿の窓から見たのとは、まるで違う。高いところから見下ろすと、砂の起伏が朝の光を受けて波のように陰を作り、その波が、地平の向こうまでずっと続いていた。
足もとで西の門が開き、砂色の戦車が一台、二台と出ていく。平べったい履帯が砂を蹴り上げ、三台目、四台目と続いて、その後ろから、車体の横に町の印を白く描いた少し大きな戦車が二台。自警団の戦車だ。門を出た六台は、砂の上で扇のように広がっていった。車輪の戦車なら、あそこで一発で沈む。おととい、キャンプでペックに言われたとおりの場所だった。
「見とれてんじゃねえ、こっちだ」
班長に腕を引かれて大砲の後ろへ回ると、脇で男が一人、照準の輪を覗いていた。砲弾の箱の前だけが、ぽっかりと空いている。鐘が鳴ってからかき集める弾込めが、まだ来ていないのだ。
「いいか、一度しか言わねえぞ」
班長は、箱から砲弾を一本抜き出した。腕の長さほどもある、太い鉄の塊だ。
「箱から出す。抱える。こいつを、ここへ込める。奥まで押し込んだら、この取っ手を引いて閉める。撃ったら、ここが開いて殻が出てくるから、足でどけて、次だ。分かったな」
「は、はい」
「姉ちゃんは隣だ。あっちも、まだ弾込めが来てねえ」
レイは小さくうなずいて、隣の砲座へ歩いていった。僕も班長の真似をして、箱から一本抜き出してみる。重い。けれど、身構えていたほどではなかった。
「来たぞ!」
照準の輪を覗いていた男が叫んだ。地平の手前に、砂煙が上がっている。初めは砂煙しか見えなかったのが、近づくにつれて、中に黒い影がいくつも浮かんできた。砂の上を跳ねるように来る、細長い小さなもの。それとは別に、牛ほどもある背の低い何かが、四つ、五つ混じっている。背中に平たい殻を背負い、太い前脚で砂を掻き分けて、砂の上に出たり潜ったりしながら進んでくるのだ。
班長は、ひと目見ただけで言った。
「スナトカゲと、ウズモグラか。いつもの顔ぶれだな」
砂色の戦車が、扇の形を崩さずに群れの前へ出ていった。遠くでぱらぱらと機銃が鳴り、砂の中から飛び出したスナトカゲが、空中で弾ける。別の一台は、潜りかけた一匹の背中を、履帯の端で踏み潰した。どの戦車も、どこに何が来るか分かっているみたいに動いている。
ドン、と腹に響く音がして、壁の端の方の砲座が火を噴いた。砲弾が砂に突き刺さり、柱のような砂が噴き上がる。直撃を受けた一体が殻ごと跳ね上がって落ちると、落ちたところの砂がすり鉢のように崩れ、もがく身体を、ずるずると呑み込んでいった。ドン、ドン、と続けて鳴るたびに、別の一体も同じように沈んでいく。撃たれた穴に砂が流れ込んで殻の上を覆い、少しすると、そこはもう、何事もなかったように平らになっていた。
けれど、ウズモグラも、ただ撃たれてはいなかった。一体がふっと砂の中へ消えたかと思うと、ハンターの戦車のすぐ足もとの砂が盛り上がり、殻をかぶった頭が、下から突き上げるように飛び出して履帯に食らいついた。戦車が大きく傾き、履帯が砂を掻いて空回りする。
「下から来やがった。あれが厄介なんだよ」
隣の戦車が機銃を浴びせて、ようやくウズモグラは砂の中へ逃げていった。食らいつかれた一台は、しばらくその場でもがいてから、どうにか体勢を立て直す。僕は、知らないうちに自分の足もとを見下ろしていた。前も、横も、後ろも見ていられる。でも、足の下までは見ていられない。ヤマネコ号の座席で、あれをやられたら。
「うちの正面に一匹来るぞ。回せ!」
班長が怒鳴った。戦車の間をすり抜けた一体が、砂を掻き分けて、まっすぐ壁へ向かってくる。台座が軋み、大砲がゆっくりとそっちを向いた。
「撃つぞ!」
耳がおかしくなるほどの音がして、壁全体が震えた。大砲の尻から焼けた殻が転がり出る。砲弾は、ウズモグラの手前の砂に突き刺さって、砂を噴き上げただけだった。
「次!」
慌てて殻を足でどけると、靴の底越しにも熱が伝わってきた。箱から砲弾を抜いて、抱えて、込めて、奥まで押し込んで、取っ手を引く。手が震えて、取っ手が一度、うまくかからなかった。
「……入りました!」
「撃つぞ!」
二発目は殻の端をかすめ、破片が飛び散った。それでもウズモグラは止まらずに、砂を掻き分けて壁の下まで来た。
ずん、と足もとが揺れた。ウズモグラが、壁の根もとに頭から突っ込んだのだ。もう一度、ずん。壁に積んだ車の残骸が軋んで、土がぱらぱらとこぼれ落ちる。
「真下は撃てねえ! 隣、頼む!」
隣の砲座が台座を目いっぱい下へ向けて撃つと、壁の根もとで砂が弾け、ウズモグラの殻が割れて、それきり動かなくなった。砲弾を抱えたまま壁の外を覗き込むと、根もとの砂に、頭のめり込んだ跡がくっきりと残っている。あと何度か突っ込まれていたら、この足もとは、どうなっていたのだろう。
「ぼさっとすんな、次を抱えとけ」
班長に背中を叩かれた。
壁の大砲は、惜しげもなく撃っていた。一発鳴ると、すぐ次が鳴る。砂の上の、町の印をつけた自警団の二台も、寄ってくるものに次々と主砲を撃ち込んでいる。それに比べて、ハンターたちの戦車は、なかなか主砲を撃たなかった。ウズモグラが寄ってきても機銃でしのぎ、横へ回り込んでかわすばかりで、主砲が鳴るのは、たまにだけだ。
「……ハンターの戦車は、あんまり撃たないんですね」
「ハンターは渋いんだよ」
班長は、鼻で笑った。
「町からは、ちゃんと謝礼が出るんだがな。弾代は、あとで町と掛け合いになる。使った分を全部出してもらえるとは限らねえ。町の方も、そこは分かってるからな」
それから、砂の上を顎でしゃくる。
「だから、機銃で片づくやつは、機銃で片づける。そういうハンターの方が、町の覚えもいいのさ。かといって、渋ってばかりじゃ死ぬ。ぶっ放すときは、ぶっ放さなきゃならねえ。その見極めが大事ってことだな」
言い終わるのとほとんど同時に、ハンターの一台が、急に向きを変えた。ウズモグラが三体、固まって寄ってきたところだった。その戦車の砲塔の脇で、箱のようなものがぱかりと開き、白い煙がいくつも走る。細い尾を引いて山なりに飛んだ煙は、三体の固まっているあたりへ、吸い込まれるように落ちていった。
一帯が、まとめて弾けた。砂と、殻の破片と、何だか分からないものが空へ噴き上がり、少し遅れて、どどど、と重い音が壁まで届く。砂煙が晴れると、三体のいたところには、黒く焼けた窪みが残っているだけだった。
小型のミサイルだ。七年前の夜、真紅の戦車が撃っていたのも、同じ種類のものだったのかもしれない。抱えていた砲弾が、急に腕の中で重くなった。背中がすっと冷えたのは、焼けた窪みのせいではない。あれを、ボタン一つで撃てる人間が、すぐそこの砂の上で、平気な顔をして戦車を走らせているからだ。
「なんだ、ひよっこ。びびってんのか」
班長が、僕の顔を見て、にやりと笑った。
「ハンターがミサイルを使うのは、よっぽどのときだけだぞ。あの一発が、どんだけ高えと思ってんだ」
「……そんなに」
「そんなにだ。だから渋るんだよ」
「……おい。後ろのは、なんだ」
照準の男の声が、低くなった。
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