サボテンは、食べ物です
隊商宿は、西の門のすぐそばにあった。高い土壁に囲まれた四角い建物で、正面の大きな門には門番が二人立ち、その向こうの広い中庭に、荷車や戦車が何台も停まっている。中庭をぐるりと囲んでいるのは、二階建ての部屋だ。値段を聞いて、一瞬、息が止まった。それでも、払った。
「戦車は中庭に入れていいよ。うちの門番は夜通し起きてるからね」
宿の主人にそう言われて、ハン協の囲いまでヤマネコ号を取りに戻った。夕暮れの大通りをゆっくり走らせて中庭に入れ、エンジンを止めたところで、レイが言った。
「私は、戦車で休んでも構いません。そうすれば、部屋代も――」
「駄目」
レイが言い終わる前に、首を横に振っていた。
「レイは、後部座席で寝ることになるでしょ。屋根もないところで。キャンプでも、そうだった」
「私には、問題ありません」
「僕にはあるの」
思ったより強い声が出て、レイが口をつぐんだ。
「……戦車で眠ることが嫌なのですか」
「違う。戦車で寝るのは、僕は全然いい。でも、レイが一人で、外の座席で寝るのは嫌なんだ。せっかく、ちゃんとした宿があるのに」
言いながら、筋が通っていないのは自分でも分かった。レイが人間じゃないことは分かっている。寒さも、硬い座席も、たぶん平気なのだろう。それでも、嫌なものは嫌だった。
レイは、しばらく僕を見ていた。帽子のつばの下から覗く目が、わずかに細くなった気がした。
「……分かりました。部屋で休みます」
「うん」
「ですが」
レイは、中庭に停めたヤマネコ号の方を見た。
「夜中に一度だけ、様子を見に来ることは許してください。左の後輪の修理が、気になりますので」
「……それくらいなら」
レイが小さくうなずくのを見てから、中に入った。隊商宿の一階は、食堂になっていた。長い木の卓がいくつも並び、砂漠帰りらしい男たちが、皿をつつきながら酒を飲んでいる。あちこちで話し声はしても、酒場ほど騒がしくはない。砂漠の道の具合、出てきた化け物、荷の値。輸送隊の者たちが、飯のついでにそういう話を交わしていく場所なのだ。帽子とマスクのまま隅の卓に座ったレイを、振り向く者は一人もいなかった。
隣の卓の男たちは、もう何杯か飲んでいるのか、ひときわ声が大きかった。聞くつもりがなくても、全部耳に入ってくる。
「聞いたか。レイラインから来た若えのが、今朝、砂の端でしくじったってよ」
「だから言ったんだよ、酒場で。死人が出るぞってな」
男たちが、げらげら笑った。僕は卓の木目に目を落としたまま、顔を上げなかった。
「そういや、知ってるか。とんでもねえ美人が、この町に来てるらしいぜ」
「ああ、それなら見た。そのレイラインの若えのの連れだろ。赤い髪の娘っ子。ありゃあ、かなり可愛かったな」
「いや、それじゃねえって話だぞ。もっとこう、すげえのが……」
「どっちでもいいや。どうせ俺らにゃ縁がねえ」
隣で、レイがマスクの下で小さく咳払いをした気がした。その「もっとこう」の方なら、僕の隣に座っている。帽子の中の髪を留めたのは、僕だ。口の端が勝手にゆるみかけて、慌てて引き締めた。僕が何をしたわけでもないのに、何を得意になっているんだ。そのうえ、「かなり可愛かった」で片づけられたマリカに、ほんの少し、いい気味だと胸の奥で舌を出していた自分まで見つけてしまって、スープも来ないうちから、胃のあたりが重くなった。
男たちの話は、すぐ別のことへ移った。
「それより、麦だよ。グラナリーセブンから来る麦が、最近ちょっと少なくねえか」
「ああ、値も上がってるしな。あそこの地下プラントも、昔ほどは作れなくなってるって噂だ」
「昔ってのは、いつの話だよ」
「さあな。爺さんの爺さんの頃と比べりゃ、ってくらいの話さ。急にどうこうってわけじゃねえ。少しずつ、減ってるんだとよ」
「少しずつ、ねえ。まあ、俺らが生きてる間は大丈夫だろ」
男たちがまた笑っても、レイは何も言わなかった。帽子のつばの下で、目だけが、卓の上の一点をじっと見ていた。
注文の仕方が分からずにまごついていると、給仕の女の人が「定食でいいね」と言って、勝手に決めてしまった。やがて運ばれてきた皿に、目を見張る。真ん中に、緑色の分厚い輪切りが三枚、こんがりと焼き色をつけて並んでいた。断面はみずみずしく透き通り、焼いた表面からは、まだ汁がじゅうじゅうと染み出している。その横に、スナ芋をつぶしたものと、くず麦の少し黒っぽい平たいパン。それから、塩気の強い豆のスープ。
「これ……もしかして」
「食用サボテンだよ」
給仕の女の人が言った。
「この辺に生えてる、でっかいサボテンさ。来る途中で見ただろ。棘を落として、皮を剥いて、輪切りにして焼くんだ。この町じゃ、毎日食べてる」
あの、見上げるほど大きな緑の柱を、食べるのか。半信半疑でフォークの先で端を切り、口に入れる。じゅわっと、汁があふれた。水っぽい。噛むと、しゃくしゃくとした歯ごたえと、とろりとした柔らかさが一緒に来て、薄い味の奥に、ほんのりと甘みがあった。かすかに青くさい匂いを、焼いた表面の香ばしさと上に振った塩が、きゅっと引き締めている。
「……うまい」
「腹の足しにはなるよ。栄養はあんまりないけどね。そのぶん、芋とパンで帳尻を合わせるのさ」
給仕の女の人は、そう言って笑った。
「なにせ、そこらじゅうに勝手に生えてくるからね。この町の貧乏人は、あれのおかげで飢え死にしないんだ」
東の門のそばの、日陰に座り込んでいた男たちの顔が浮かんだ。あの人たちも、これを食べているのだろうか。干からびそうな土地の真ん中で、勝手に生えてくる、水っぽくて、ほんのり甘い、腹の足しになるもの。もう一切れ、口に入れた。うまいのは変わらない。でも、さっきのように、ただうまいとだけは感じられなかった。
レイは、マスクを指で下へずらして、サボテンを小さく切って食べていた。
「水分が多いですね。この土地で生きるには、理にかなった植物です」
「感想、それ?」
「……おいしいです。ほんのり甘くて」
レイは、もう一切れ口に運んでから、少し考えるような顔をした。
「昨日の、蔓菜も。今日の、サボテンも。どちらも、昔はなかった食べ物です」
「レイが眠ってる間に、できたんだね」
声をひそめて言うと、レイは小さくうなずいた。
「はい。……長いあいだに、植物のほうが変わって、人が食べられるものになったのですね」
そう言って、レイは次の一切れを、さっきより少しだけ大きく切った。
食べ終える頃には、腹がはち切れそうになっていた。部屋は狭くて清潔で、寝床が二つ並んでいる。窓の外には中庭と、その向こうの防砂壁と、さらにその向こうに、星明かりに白く光る砂漠が見えた。
寝床に入っても、眠れなかった。目を閉じると、マリカの声が耳の奥で鳴りはじめる。
あんた、全然変わってないじゃない。町を出る前のあんたと、何にも変わらない。そんなんじゃ、何にもできないわよ。一生。
寝返りを打っても、声は消えない。隣の寝床は、空だった。夜中に一度だけ戦車を見に行く、とレイは言っていたっけ。僕はそっと寝床を抜け出して、階段を下りた。
中庭は、しんと冷えていた。昼間の暑さが嘘のようで、砂漠の夜は寒いのだと誰かが言っていたのを思い出す。荷車や戦車が黒い影になって並び、門の脇では、門番の灯りが小さく揺れていた。ヤマネコ号の脇に、帽子もマスクも外したレイがしゃがみ込んで、左の後輪のあたりに手を当てている。昼間、機械の残骸から剥がした鉄板を当てたところだ。星明かりの下で、まとめた髪の根元の青い石が、小さく光っていた。
「眠れませんか」
振り向きもせずに、レイが言った。
「……うん」
隣にしゃがみ込んで、鉄板に触れてみる。冷たかった。
「直ってる?」
「はい。管の継ぎ目も、漏れていません。明日、工場で見てもらえば十分です」
しばらく、二人とも黙っていた。
「……マリカの言ったこと」
自分の声が、思っていたより小さかった。
「本当だなって、思ったんだ。僕、何も決められなかった。貸すのか、貸さないのか。レイの言うことが正しいって分かってたのに、マリカの顔を見たら、何も言えなくなった。町を出る前と、何も変わってない」
レイは、鉄板から手を離した。
「変わっていないことも、あるでしょう」
否定してくれるのを、どこかで待っていたらしい。けれど、レイは否定しなかった。
「ですが、変わったこともあります」
レイは、ヤマネコ号の装甲に、そっと手を置いた。
「あなたは今日、高原の坂を、一度も滑らずに下りました。機械の群れを相手に、誰にも教わらずに、二丁の機銃を揃えました。ジョウさんたちが砂の上で動けなくなった同じ日に、あなたは、ここまで荷を届けました」
レイは、僕を見た。
「マリカさんは、それを見ていません。見ていない人の言葉を、全部そのまま真に受ける必要はありません」
返事の代わりに、膝を抱え直した。鉄板の継ぎ目を目でなぞっているうちに、レイが、間を置いて続けた。
「……それに、決められなかったのは、相手が困っているのを見捨てられなかったからでしょう。それは、悪いことではありません。合理的ではありませんが」
「……それ、褒めてる?」
「評価しています」
崩れ狼を倒したあとにも聞いた言葉で、思わず笑ってしまった。胸の奥に刺さっていたものが、全部抜けたわけじゃない。それでも、刺さり方が、少しだけ浅くなっていた。
「戻りましょう。夜の砂漠は冷えます。あなたは、人間ですから」
レイが立ち上がり、僕も続いた。階段を上がる前に一度だけ振り返ると、中庭の真ん中で、ヤマネコ号が星明かりを受けて黙っていた。防砂壁の向こうには、白い砂漠がどこまでも続いている。
グラナリーセブンの麦が、少しずつ減っている。食堂の男たちは笑って流したその話に、レイだけは、ひと言も返さなかった。あのとき、レイには何が見えていたのだろう。
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