穴だらけの網
しばらく走ると、地面の色が薄くなってきた。岩山のあいだを縫う道の先まで、砂の混じった黄色い地面が続いている。
西へ進むにつれて、暑くなった。高原の上では、昼でも風が冷たかったのだ。それが、たった半日下りてきただけで、日はもう傾きはじめているというのに、首筋に汗がにじんでくる。革の胴着の下で、背中がじっとりと張りついた。
「暑い……。こっちはもう夏なのかな」
「夏、ではないと思います。ずいぶん下りてきましたから、そのぶん暑いのでしょう」
汗ひとつかいていない顔で、レイは後部座席から言った。
「それに、世界が壊れてから、暑さ寒さの具合が、土地ごとにずいぶん変わってしまいました。高原の上とこの辺りとでは、昔よりも、ずっと差が開いています」
道の両側から、また岩山が迫ってきた。幅が狭まったぶん、轍の跡が何本も重なって、深く刻まれている。その麓の岩場に、妙なものが立っていた。見上げるほど大きな、緑色の柱だ。太さは大人が抱えきれないくらいで、表面には縦の筋が何本も走り、その筋に沿って、指ほどもある棘がびっしりと並んでいる。そんなものが、岩の間に三本、四本と、ぽつりぽつり生えていた。
「何、あれ」
「サボテンです。乾いた土地に生える植物ですが……あれほど大きなものは、昔はありませんでした。変異したものでしょう」
レイも、少し珍しそうに見上げている。乾いた銃声が一発、岩場の奥から響いたのは、そのときだった。
ブレーキを踏んで、ハッチから身を乗り出す。サボテンの向こう、街道から少し外れた岩の間で、僕より少し小さいくらいの少年が、大きな岩を背にして長い銃を構えていた。その前に、トカゲが二匹いる。トカゲといっても、ネズミや犬とは比べものにならない。細長い胴に短い脚がついていて、尻尾の先まで入れれば少年の背丈よりまだ長く、背の高さだけでも少年の腹のあたりまである。それが、尖った頭を低く構えたまま、左右に揺れながら、じりじりと少年に詰め寄っていた。
「レイ、あれ」
「この辺りの砂地に棲む獣でしょう。……頭のわりに、胴がまだ細い。若いものだと思います」
あれで、まだ育ちきっていないのか。あの子一人で、どうにかなる相手には見えない。
ところが、少年は慌てていなかった。腰から短い鉄の筒を引き抜いて片方のトカゲに向けると、ばしゅっ、と気の抜けた音がして、筒の先から何かが広がりながら飛んだ。重りのついた網だ。網は前脚に絡みつき、トカゲは砂の上でもんどり打った。その隙に、もう一匹が跳びかかろうと身を沈める。少年は銃を構え直して、その鼻先の砂を撃ち、トカゲがびくりと後ずさるあいだに、銃の尻を開けて、次の一発を指で押し込んでいた。
うまい。網で一匹を止めておいて、もう一匹は銃で寄せつけない。こういうことに慣れているのだ。けれど、一発ずつ込めるあの銃では、追い払うのがやっとだし、網に絡まった方も、もがくたびに、網の目が少しずつ広がっていく。気づいたときには、操縦桿を倒していた。
「ちょっと、行ってくる」
「はい。網の方は、もうすぐ抜け出します」
街道を外れて、岩場へ乗り入れる。大きな車輪が石を踏んで跳ね、その音に振り向いた少年の目が、まんまるになった。
座席を下げて、照準ハンドルを握る。画面の中で、自由な方の一匹が、ちょうど少年へ向かって身を沈めたところだった。荒野で覚えたばかりの撃ち方で、二丁の音を揃える。揃った弾の束が、跳ぶ前のトカゲを、砂の上に叩き伏せる。印を網の方へ移し、網を引きちぎって起き上がりかけていた一匹にも、もう一度。今度も、ぴたりと揃った。
岩場が静かになってからハッチを開けると、少年は、口をぽかんと開けたまま、こっちを見上げていた。僕より、一つか二つ下だろうか。ひょろひょろに痩せていて、伸びっぱなしの、ぼさぼさの茶色の髪は、邪魔なところだけ自分で切ったのか、長さがまばらだった。日に焼けた鼻の頭の皮がむけている。大人のお下がりらしい大きな上着の袖を何重にもまくり上げ、膝の抜けたズボンをはいて、肩にかけ直した銃は背丈とそう変わらないほど長い。すり減った銃床の先で、銃身に布が巻いてあった。
少年は、僕と、動かなくなったトカゲとを、しばらく見比べていた。それから、はっとしたように、網の方へ駆け寄った。
「あーっ! 網! 俺の網!」
網は、機銃の弾でずたずたになっていた。穴だらけのそれを両手で広げて、少年は天を仰いだ。
「これ編むのに、三晩かかったんだぞ!」
「え、あ……ご、ごめん」
「だいたい、助けてもらわなくたって、逃げられたんだからな。網で一匹止めときゃ、あとは岩の上に上がって、そしたらあいつら……」
ぶつぶつ言いながら、少年はトカゲの胴を足でつついた。尻尾の先から頭まで、ゆっくりと眺め回していくうちに、尖っていた口が、だんだん閉じていく。
「……でも、まあ」
くるりとこっちを向いたときには、膨れっ面は、もうどこにもなかった。
「二匹とも、ほとんど傷んでねえや。こいつ、肉屋に持ってったら、けっこういい値になるんだぜ。屋台の煮込みのやつ。スナトカゲ。若いのは、肉がやわらけえんだ」
「僕は、要らないよ。君が獲ろうとしてたんだし」
「マジで!?」
少年は、その場で飛び上がった。
「半分くらいよこせって言われると思ってた。……兄ちゃん、変わってんな」
変わっているのかどうかは、自分ではよく分からない。屑鉄の丘で大ネズミを追い回していた頃の僕なら、目の前で獲物を横取りされたら、きっと泣きべそをかいていた。それだけのことだ。
「こんなところで、一人で何してたの」
「罠の見回り。この奥の岩陰に、いくつか仕掛けてあんだよ。ちっこい獣がかかると、そいつを狙って、こいつらが寄ってくるんだ」
少年は、街道からは見えない岩と岩の間を、親指で示した。
「その銃で?」
「おう。じっちゃんにもらったんだ。この辺じゃ、頼りねえって笑われるけどさ。一発ずつしか込めらんねえけど、狙ったとこには、ちゃんと飛ぶんだぜ」
肩の銃を、少年は自慢そうに、軽く持ち上げてみせた。
「俺、トビ。兄ちゃんは?」
「ローリ。レイラインから来たんだ」
「レイラインかあ。高原の上の町だろ。……で、後ろの」
トビの目が、僕の肩越しに後部座席へ動いて、そこで止まった。レイは、外套の頭巾を下ろしていた。傾きかけた日の光の中で、長い髪が、風にゆるく揺れている。トビは口を半開きにしたまま、まばたきも忘れたように固まって、その耳の先から、みるみる赤くなっていった。
「お怪我は、ありませんか」
レイに声をかけられて、トビはびくりと背筋を伸ばした。それから僕の方へ身を寄せて、声をひそめる。少しも、ひそめられていなかった。
「……兄ちゃん。あれ、兄ちゃんの、か、かのじょ?」
「ち、違うよ! 仲間!」
「仲間かあ……」
トビは、もう一度レイを盗み見て、また赤くなった。
トカゲは、トビが岩陰から引っ張り出してきた、板を組んだだけの橇に載せた。ところが、二匹載せると橇は砂にめり込んで、トビが縄を引いても、びくともしない。
「……門まで、引いてってあげようか」
トビは、一瞬だけ迷う顔をしてから、照れくさそうに鼻をこすった。
「……じゃあ、門までな」
橇の縄をヤマネコ号の後ろにつなぐと、トビは後部座席の脇のロールバーに、腕を回してしがみついた。走り出したヤマネコ号の後ろを、橇がずるずると砂の上を滑ってくる。道の両側の岩山はしだいに狭まり、その先で、門のように岩山が切れていた。門みてえに岩が切れてるとこ、とペックが言っていたのは、ここのことだろう。
切れ目を抜けると、目の前がいっぺんに開けた。平らな地面の上に、砂と同じ色の低い建物が、地面にしがみつくように、ぎっしりと身を寄せ合っている。屋根はどれも平たく、土の壁に小さな窓がぽつぽつと空いているだけで、色らしい色がどこにもない。町の向こうへ行くほど、建物は少しずつ背が高くなっていて、そのさらに向こうは、白っぽく光っていた。どこまでが地面で、どこからが空なのか分からない。あれが、砂漠なのだろうか。
町の手前で、地面にはもう砂が混じっていた。東の門には、見張りが二人立っている。
「止まれ。どこから――」
言いかけた見張りの男の目が、ロールバーにしがみついたトビの上で止まった。
「……なんだ、またお前か、トビ。今日はずいぶん、でかい荷車に乗ってきたじゃねえか」
「荷車じゃねえよ、戦車だよ、おっちゃん」
トビが胸を張ると、男は鼻で笑って、僕の方へ向き直った。
「で、お前は。どこからだ」
「レイラインから。ハン協の届け物です」
カードを見せると、見張りの男はブロンズの刻印をちらりと見て、それから僕の顔を見た。
「若えな。……届け物はどこ宛てだ」
「ここのハン協です」
「なら西だ。大通りをまっすぐ行け。突き当たりの手前の、石造りの建物だ」
それで終わりかと思ったら、男の目が僕の後ろへ動き、後部座席のレイの上で止まったまま、しばらく動かなくなった。もう一人の見張りまで、首を伸ばしてこっちを覗き込んでいる。
「おっちゃん、見すぎ」
ロールバーの上から、トビが口を挟んだ。
「この兄ちゃんたちは、俺の客なんだからな。じろじろ見んなよ」
「……誰が客だ。生意気言いやがって」
男は咳払いを一つして、目を逸らした。その隣で、もう一人の見張りが、肩を震わせて笑いをこらえている。
「……行け。町の中で揉め事を起こすなよ。トビ、お前もだ」
門をくぐったところで、トビはロールバーから飛び降り、橇の縄をヤマネコ号から外した。
「ここでいいよ。家、この近くなんだ。明日の朝いちばんで、西の屋台に持ってく」
「一人で、引けるの?」
「門の中は道が固えから、なんとかなる。……ありがとな、ローリ兄ちゃん。網のことは、まだ許してねえけど」
縄を肩にかけて、ぐっと前のめりになると、橇がずず、と動き出した。数歩行ったところで、トビは思い出したように振り返った。
「ハン協、西の端だぞ! ラドックのじっちゃんは口が悪いけど、悪いじっちゃんじゃねえから!」
それだけ言うと、トビは橇を引いて、大通りから脇の路地へ入っていった。小さな背中で、長い銃が揺れていた。
「……元気な子だったね」
「はい」
レイは、トビが消えた路地の方を、少しのあいだ見ていた。
レイラインより少し大きい、とペックは言っていた。たしかに建物の数は多く、まっすぐ西へ延びる大通りの両側に、宿や食堂や商店が並んでいる。そこまでは、レイラインとあまり変わらない。それなのに、どこかが違った。建物の壁はどれも砂に削られて白っぽく褪せ、軒先の看板は文字がかすれて、窓に板を打ちつけた家もある。大通りの脇の日陰には、擦り切れた服の男たちが、何をするでもなく座り込んでいて、日に焼けた顔の中で、目だけがこちらを追ってきた。
食堂の前では、孤児院の子たちと同じくらいの歳の子供が何人か、店の裏口から目を離さずに立っていた。孤児院の子たちより、ずっと痩せている。トビの家も、この辺りのどこかにあるのだろうか。
大通りを西へ進むにつれて、建物は大きく、道は広くなり、行き交う人も、荷車も戦車も増えていった。その戦車が、見たこともない形をしている。でこぼこの砂色に塗られた車体に、幅の広い、平べったい履帯。車体の後ろには箱のような大きな冷却器を背負い、エンジンのあたりには、布や網を何重にも巻いた筒が付いていた。
「あれが、砂漠用の……」
「はい。昨夜のペックさんが言っていた装備でしょう」
あれと並べたら、ヤマネコ号なんて、畑の脇を走る荷車みたいなものだ。気づくと、大通りを行く人の目が、こちらに集まっていた。場違いな小さな戦車が珍しいのかと思ったけれど、違った。荷を担いだ男が足を止め、後部座席を見上げて、口を半開きにしている。砂色の戦車の上で煙草をくわえていたハンターが、それを取り落としかけ、店先の女たちがひそひそと顔を寄せ合い、子供が指をさす。どこかで、誰かが口笛を吹いた。
みんな、レイを見ているのだ。キャンプとは、人の数が比べものにならない。すれ違う顔が、次から次へとレイの上で止まり、通り過ぎてから、また振り返る。
「……レイ」
「はい。分かっています」
レイは前を向いたまま、表情一つ変えなかった。ただ、外套の前を、きゅっと合わせ直した。僕は、なるべく速く、それでいて人を轢かないように、大通りを進んだ。
西の端に近づくと、高い防砂壁が見えてきた。古い車の残骸や鉄骨を積み上げて、その隙間を土で固めた壁だ。壁の手前の広い空き地には、荷車と戦車がひしめき、男たちが荷を下ろしたり積み替えたりしていて、砂色の戦車のまわりには、銃を持ったハンターが何人も立っていた。砂漠を越えてきた荷が、ここで下ろされ、東へ向かう荷車に積み替えられているのだ。麻の袋の口に、黒い塗料で「七」の字が見えた。キャンプで見たのと、同じ字だ。
この町の本体は、こっちなのだ。西の門のまわりに、人も、金も、戦車も集まっていて、守りもいちばん固い。砂漠から来る荷を受け取る、その一点のためにこの町はあって、東の門の方へ行けば行くほど、その恵みから遠くなる。
輸送の荷に頼れない人たちは、ここで何を食べているのだろう。日陰に座り込んでいたあの男たちは、何を待っていたのだろう。レイラインには農業区があって、屑鉄の丘があった。高原の上だから、モンスターもあまり寄ってこない。僕だって、くず鉄を拾って、大ネズミを獲って、なんとか食べてこられた。父さんも母さんもいなくて、家はボロ屋で、町ではいつも見下される側で、自分のことを、ずっと恵まれていない方の人間だと決めつけていた。その僕を、レイラインは、ちゃんと食べさせてくれていたのだ。
「……レイ」
「はい」
「レイラインって、思ってたより、いい町だったのかもしれない」
レイは、しばらく黙って、日陰の方を見ていた。それから、小さくうなずいた。
「……外から見ないと、分からないものですね」
僕は、黙って革の帽子をかぶり直した。
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