息の合わない二丁
夜明けと同時に、キャンプを出た。ぐずっ、ぐずっ、ドルン。二回咳き込んでからようやく目を覚ましたエンジンに、焚き火の始末をしていたダリオが振り返って、腹を抱えて笑った。壁の切れ目を抜けるとき、ゆうべの斜面を一度だけ見やったけれど、岩の間に光るものは、もう何もない。ダリオとペックは輸送隊と一緒に東へ向かうので、ここでお別れだ。壁の外で、輸送隊が東へ、僕たちが西へ向きを変えるとき、ダリオが自分たちの戦車の上から手を振った。
「死ぬなよ、坊主! 砂漠には入るなよ!」
「入らない!」
ペックも、丸い眼鏡の奥で笑っていた。
「トーカンの爺さんによろしくな。口は悪いが、悪い爺さんじゃねえ」
それから、ダリオが思い出したように身を乗り出した。
「おい、坊主。今日はこの先、高原を下るだろ。一つだけ教えといてやる。下りでブレーキを踏みっぱなしにすんなよ。焼けて効かなくなる。速さは、ギアを落としてエンジンに抑えさせろ」
「それと、曲がり角の手前で、ちゃんと遅くしとけ」
ペックが付け足した。
「曲がりながら踏むと、車輪が滑る。お前の戦車みたいに軽いのは、なおさらだ。崖から落ちた戦車を、俺らは何台も見てる」
「……分かった。ありがとう」
「礼なんかいらねえよ。生きてトーカンに着け。それで十分だ」
一台の戦車と三台の荷車が、朝日の方へ遠ざかっていく。僕たちは、その反対へ走り出した。
昼前に高原の端へたどり着くと、街道は崖の斜面を大きく曲がりくねりながら下りはじめた。眼下には、荒野がどこまでも広がっている。けれど、景色に見とれていられたのは、ほんの少しのあいだだけだった。アクセルを離しても、ヤマネコ号は前へ前へと引っ張られ、勝手に速くなっていく。右足がブレーキへ跳びかけたところで、頭の中でダリオが怒鳴った。踏みっぱなしにすんな、ギアを落とせ。
ギアを一つ落とすと、エンジンが低く唸って、車体がぐっと踏みとどまった。もう一つ落として、逃げかけていた速さが、ようやく手の中に戻ってくる。息をつく暇もなく、最初の曲がり角が来た。道の外側は崖で、そのずっと下に、乾いた谷底が口を開けている。
操縦桿を握る手のひらに、じっとりと汗がにじんだ。角の手前で遅くして、曲がりながらは踏まずに、操縦桿だけでゆっくり回る。大きな車輪が崖っぷちの砂利を踏んで、小さく鳴った。一つ曲がり終えると、すぐ次の角が来て、その次も、またその次も、同じように崖が待っていた。
「……これ、いつまで続くの」
「まだ半分も下りていません」
レイは、後部座席から身を乗り出して、下を見ていた。
「今のうちに、下の道を見ておいてください。高いところにいるうちは、この先の道がどう曲がり、どこが狭く、どこに岩陰があるか、全部見えます。下りてしまえば、もう見えません」
角と角の合間に、ちらりと下を見た。乾いた谷の底を道が細く延びていて、両側から迫る岩山のせいで、ところどころが見えなくなっている。あそこに何かがいても、下からでは分からないのだ。高いところにいれば、先が見える。言われてみれば当たり前のことなのに、下りる前に見ておこうなんて、僕は一度も考えなかった。
最後の角を曲がり終えたときには、腕も肩も首も、がちがちに固まっていた。操縦桿から指を一本ずつはがして、ようやく顔を上げる。下から見る荒野は、上から見下ろしていたものとは、まるで違った。赤茶けた岩山に、白く乾いた窪地。干上がった川の跡が、枝分かれしながらずっと先まで延び、ところどころに黒い岩が突き出している。遠く、ずっと遠くでは、地面の色が薄く、黄色っぽくなっていた。
「あれが、砂漠?」
「おそらく、その手前です。この道をずっと行けば、あの色に近づいていくはずです」
高原の、ひやりとした風は、坂の途中でいつの間にか消えていた。代わりに、乾いたぬるい風が、地面から吹き上がってくる。しばらく走ると、道の両側から岩山がじわじわと迫ってきて、轍はしっかりしているのに、左右の見通しがどんどん悪くなった。気がつくと、首をすくめて走っていた。
「何か、雰囲気が変わったね」
「はい。高原の上は、長い年月をかけて輸送隊が通り、獣が寄りつかなくなった道でした。ここから先は、まだそうなりきっていません」
レイの腕が、僕の肩越しに前へ伸びた。
「それに、獣より機械の方が多い土地のようです。あそこを」
指の先、道の脇の岩陰に、錆びた鉄の塊が転がっていた。脚のようなものを三本、空へ向けたまま、壊れて動かなくなった機械だ。
「機械の死骸です。新しいものではありませんが、この辺りに機械が出るという証拠です」
屑鉄の丘で僕を撃ってきたあいつのことが頭をよぎって、操縦桿を握る指に、勝手に力が入った。それから、しばらく走ったところで、レイが僕の肩を叩いた。
「止まってください。前方、右の岩の上」
ブレーキを踏んで画面を見ると、岩の上に、何かが立っていた。一つではない。二つ、三つ。人の背丈より少し大きいくらいの機械で、三本の脚がずんぐりと丸い胴体を支え、その胴体の前に、細長い筒が一本突き出している。銃口だ。三体とも、ゆっくりとこちらを向いた。
「……一体だけだと思ってた」
「群れで動く型のようです。旧文明の警備用の機械が、長い間に変わり果てたものでしょう」
「ここまで何も出なかったから、ついてると思ってたのに……こういうことか」
大きくはない。ヤマネコ号の車体の半分もないし、崩れ狼みたいに素早いわけでもない。でも、三体とも銃を持っている。
一体目の筒が、ぱっと光った。
――カン!
装甲に硬いものが当たって、車体が小さく揺れた。
「ハッチ閉める!」
「一体は、私が引き受けます」
「え?」
「いちばん左の一体です。この刀を、一度実戦で試しておきたいので」
振り返ったときには、後部座席はもう空っぽだった。ハッチを閉める直前、外套の裾をはためかせて道を駆けていくレイの背中が、ちらりと見えた。右手には、布をほどいた刀。灰色の刀身に、骨のような白い筋が走っている。おとといの夜、ボロ屋の床で、レイが夜更けまでかけて作ったものだ。
止める間も、考える間もなかった。座席を下げると画面が広がり、照準ハンドルを握ると、残りの二体が画面の右上に並んでいるのが見えた。一番手前の一体に、印を合わせる。親指で二つのボタンのあいだを押して、引き金を引いた。
二丁の機銃が、揃って唸る――はずだった。
左が先に鳴り、ほんの半拍遅れて、右が唸りだした。そのわずかなあいだに、機械は三本の脚をかしゃかしゃと動かして、岩の上を横へずれていく。左の弾は胴体をとらえて、丸い殻に火花が散り、小さなへこみがいくつもできた。けれど右の弾が届くころには、もうそこに胴体はない。右の弾の筋は、機械の影を追いかけるように、すぐ後ろの岩を叩いていた。効いてはいる。でも、浅い。機械は少しよろめいただけで、三本の脚でまだしっかりと立っていて、噛み合わない二つの音だけが、がたがたと鳴り続けた。
「くそっ」
もう一度引いても、やっぱり左が先だった。左の七・六二ミリは引いた瞬間に撃ち出すのに、右の、元からの機銃は、回りだすまでにほんの少し間がある。止まっている的なら、それでも二丁とも当たるのかもしれない。でも、相手は止まってくれない。左が当てたところへ右の弾が届くころには、機械はもう半歩横にいる。二丁で撃っているのに、当たっているのは、ほとんど一丁分だけだった。弾を惜しんで短く区切るたびに、右は回りきる前に止まる。そのうえ機械は、左の弾が当たるたびに、よろけるように横へ跳ねた。
二体目の筒が光った。
――カン! カン!
右の側面だ。車体が揺れ、計器の灯りが一つ、ぱっと点いて、また消えた。それだけのことで、喉の奥がきゅっと縮んだ。次は、消えないかもしれない。
早く、早く倒さないと。引き金を引いて、放して、また引いた。引き直せば揃うかもしれないと、何度も、何度も。そのたびに左だけがばらばらと鳴り、右は回りかけたところで止められて、唸りきらないまま黙り込む。画面の中で弾の筋が散らばって、機械の脇の岩ばかりが、白く砕けていった。さっきより、ずっとひどい。
指を止めると、照準ハンドルを握る手が、汗でぬるりと滑った。レイはいない。教えてくれる人は、いない。一度、深く息を吐いた。
左が早い。右が遅い。だったら――。
親指で右のボタンを押し、元からの機銃だけを選んで、引き金を引く。右の機銃が回りはじめ、その音が立ち上がるのに合わせて、引き金を引いたまま、親指を二つのあいだへ転がした。
二丁の機銃が、ぴたりと揃って唸った。
画面の中で、弾の束が一本になって、機械の胴体に突き刺さる。火花が散り、丸い殻がへこみ、裂けて、三本の脚がばらばらに崩れた。
「やった……!」
今の感じだ。忘れちゃいけない。親指に残った感触が消えないうちに、二体目に照準を移す。右を選んで、引く。音が立ち上がったところで、あいだへ転がす。揃った弾の束に脚を撃ち抜かれて、機械は傾き、岩の上から転げ落ちた。まだ脚をばたつかせているところへもう一度浴びせると、今度は胴体に入って、それきり止まった。
息をつきかけたそのとき、左の側面で、何かが光った。
――ガン!
さっきまでとは違う、重い音だった。車体が大きく揺れて、計器の灯りが一つ、ぱちぱちと点滅しはじめる。
左だ。画面には映っていない。三体だけではなかったのだ。岩場の合間から遅れて出てきたもう一体が、こっちの死角に回り込んでいた。慌てて砲塔を回すと、画面の端に岩陰がちらりと映り、その手前に、レイが向かった一体が、二つに割れて転がっていた。とっくに片づいていたらしい。そして岩陰の上には、もうレイがいた。
機械の筒が、今度はレイへ向いた。
筒が光ったその瞬間には、レイはもう横へ跳んでいた。弾がレイのいた場所の岩をえぐり、レイはその岩を蹴って、機械の真上へ跳び上がる。刀身が、一瞬だけ、淡く光った。光が刃の先から伸びたように見えて、それが機械の丸い胴体を、上から斜めに通り抜けた。
機械が、二つに分かれた。
上半分がずれるようにして地面へ落ち、下半分の三本の脚は、しばらく立ったまま震えてから崩れた。地面に降りたレイは、黙って刀を見下ろしている。
二体を倒すのに、僕は何十発ばらまいただろう。レイは、一振りだった。あんなふうに、一振りで済ませられたら。いいな。胸の奥で、そんな声がした。その声を押し込めもしないまま、ハッチを押し開け、這い出して、レイのところへ走った。
「レイ! 大丈夫?」
「問題ありません」
レイは、刀を少し持ち上げた。刃の先の方、ちょうど光が伸びたあたりに、細かいひびが何本も走っている。
「……ひびが」
「刃を延ばしたのは、ほんの一瞬です。それでも、この素材ではこれだけの負担がかかります」
レイは、ひびを指でなぞった。
「本物のムラクモなら、あの機械を百体並べても、刃こぼれ一つしません。これは、あと何度か使えば折れるでしょう。……それが分かっただけでも、試した甲斐はありました」
声は、いつもどおり淡々としていた。そのくせ、ひびをなぞる指先だけは、触れるか触れないかくらいに、そっと動いていた。
それから、レイは戦車の方を振り返った。
「最初の一体は、手間取っていましたね」
「……見てたの?」
「音で分かりました。二丁の調子が、途中から揃いました」
穴があったら、ヤマネコ号ごと入りたかった。途中までのばらばらな音も、全部聞かれていたのだ。引き金を何度も引き直した、あのみっともない音まで。
レイは、わずかに目を細めた。
「もう一体、岩場の奥に潜んでいました。気づくのが遅れました。申し訳ありません」
「謝ることないよ。レイが気づいて向かってくれてなかったら、あのまま何発も撃たれてた。……ありがとう」
レイは、すぐには答えなかった。
「……はい。お互いさまです」
そう言って、レイは刀を布で包み直した。
戦車の左の後輪の近くに、拳ほどの穴が開いていた。弾は装甲を抜けて、中の何かを傷つけたらしく、計器の灯りはまだ点滅を続けている。
「足回りの油の管が、一本切れています。このまま走れば、そのうち車輪が焼き付きます」
「工場まで、まだ遠いよね……」
「大丈夫です。私がやります」
レイは、もう工具の袋を開けていた。
「レイ、戦車の修理なんてできるの?」
「本来なら、私が車両を直すことはありませんでした。そういう役目ではありませんでしたので」
穴のまわりの装甲を、手のひらで確かめながら、レイは続けた。
「ですが、どういう仕組みで動いているかは分かります。それに、手先の正確さには自信があります。力の加減を間違えることもありません。今の私は、昔ほど強くはありませんが、このくらいのことなら」
装甲を一枚外して中を覗き、切れた管を引き出すと、レイは予備の管をちょうどの長さに切り、継ぎ目を合わせて締めた。漏れた油を拭き取って、足りない分を足す。慣れた手つき、というのとは違った。一つ一つ確かめながらやっているのに、迷いがなく、ボルトを締める力も、管を曲げる角度も、一度決めたら少しも狂わない。僕の仕事は、言われた工具を渡すことだけで、先回りして差し出したスパナは、一度、黙って返された。
穴の開いた装甲には、機械の残骸から剥がした鉄板を当てて留めた。見てくれは悪い。親方が見たら、顔をしかめるだろう。
「町に着いたら、ちゃんと直してもらいましょう。今はこれで足ります」
レイが工具をしまうころには、点滅していた計器の灯りも、すっと消えていた。機械の残骸からは、使えそうな部品をいくつか外して積んだ。筒の部分は、もしかしたら売れるかもしれない。レイは、胴体の殻の破片をいくつか、黙って自分の袋に入れていた。刀の材料にするのだろう。そんなことをしているうちに、ずいぶん時間を取られて、太陽はもう頭の真上を過ぎていた。
「トーカンまで、あとどれくらいかな」
「荷車で丸一日だと、ダリオさんが言っていました。この車両の足なら、急げば日が傾く頃には着けるはずです」
「急ごう。今夜もまた野宿は嫌だ」
「同意します」
僕は操縦席に潜り込んだ。走り出してハッチから頭を出すと、乾いた風が、正面から吹きつけてきた。午後から西風、とレイラインを出るときにレイが言っていたとおりだ。左の後輪のあたりに当てた鉄板が、車輪が一回りするたびに、かたかたと小さく鳴っている。親方が消してくれたはずの音が、今度は別のところから鳴りだしたのだ。トーカンまで、この音のままでいてくれるだろうか。
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