轍の先へ
そして出発の朝、親方の工場へ行った。
「おう、来たか」
親方が油まみれの手で戦車を叩いた。目が赤かった。ジョウたちの戦車が出ていったあとも、この二晩、ずっと僕の戦車にかかりきりだったのだろう。
見違えていた。
錆はきれいに落とされ、崩れ狼にぶつけてへこんでいた前部は叩き直されている。割れていた前照灯も替えてあった。新しく張り直された装甲板の上には、ボルトの頭が行儀よく一列に並んでいる。屑鉄の丘で錆の赤に埋もれていた車体が、ちゃんと戦車の色をしていた。
試しに操縦席へ潜り込んで、エンジンをかけてみた。
ぐずっ、ぐずっ、ドルン。
「……咳、直ってない」
思わず顔を出して言うと、親方は鼻を鳴らした。
「そいつの癖だ。グレスのときからな」
そう言われると、文句はもう出てこなかった。父さんもこの席で、この二回の咳を聞いてから走り出していたのだ。その代わり、左へ曲がるたびにどこかで鳴っていたカタカタという音は、工場の前を一回りしても聞こえてこなかった。立派な戦車とは言えないし、新品にもとても見えない。それでも、屑鉄の丘で見つけたときのボロボロの戦車とは、まるで別物だった。
側面に、文字があった。
ヤマネコ号。
剥げかけていた塗料が、塗り直されていた。少し右に傾いた、角ばった字だった。
「お前の親父の字のまんまだ」
親方が言った。
「下に残ってた跡を、なぞっただけだ。うまい字じゃねえがな。お前が別の名前つけてえなら、塗り潰してやる」
僕は、その字をしばらく見ていた。父さんが書いた字。父さんがつけた名前。小さいくせにすばしっこくて、でかい獲物にも噛みつく。
「……このままでいい」
「そうか」
親方は少し笑った。
「装甲板はな、ちゃんときれいに張っとかねえと。見てくれが悪いと、どこの町に行っても舐められるからな」
言われた修理代は、一万二千グランだった。前の僕なら、聞いただけで膝から力が抜けていた額だ。賞金の袋から払う。袋の中には、まだ十分に残っている。それなのに数えながら指先が少し震えたのは、癖のせいということにしておいた。
「それとな、こいつはおまけだ」
親方が指さした先、車体の前の左端に、見慣れない機銃が一つ増えていた。元からついていた右の機銃と、左右対になっている。小ぶりだけれど、しっかりと固定されている。
「倉庫で眠ってたやつだ。小型だからな、みんなもっとでけえのを欲しがって、なかなか付け先が見つからなかったんだよ。腐らせとくくらいなら、使ってもらった方がいい」
「いいの?」
「いいって言ってんだろ」
レイが機銃に近づいた。銃身を覗き込み、機関部に触れ、しばらく黙って調べている。
「七・六二ミリ……」
レイが顔を上げた。
「市場で見た相場からすると、この機銃は単体でも相応の価格がつきます。取り付けの工賃も含めれば、今回の修理代は安すぎるように思います」
親方が目を丸くした。それから、困ったように頭をかいた。
「……あんた、よく見てるな」
「昨日、値段を調べましたので」
「まいったな」
親方は苦笑して、僕の方を見た。
「まあ、餞別みてえなもんだ。気にすんな」
「親方……」
「左の銃架、空いてたろ。銃だけ外されてて、中の仕掛けは生きてたんだ。載せてつなぐだけで済んだ。右のやつと同じに、操縦席から動かせる」
載せてつなぐだけ、と親方は言う。でも、赤い目をしているのは、たぶんそのせいもある。
親方は、戦車の装甲に手を置いたまま、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと言った。
「……マリカのこと、悪かったな」
「え?」
「あいつがお前に何言ったか、だいたい知ってる。職人どもが喇るからな」
親方は僕の方を見なかった。
「俺はな、あいつに旅をさせてやりてえと思ってたんだ。工場の中だけで一生終わらせたくなかった。腕はある。外へ出りゃ、もっといろんな戦車を見られる。俺が若え頃、見たくても見られなかったもんをな」
親方は、ジョウたちが出ていった西の方を見た。
「だからジョウに誘われたって聞いたときも、反対しなかった。相手がジョウってのは気に食わなかったが、それでも行かせてやりてえと思った。……けどな、駄目だな、親ってのは。あの晩、あいつがあんな顔して帰ってきたのを見たら、もうどこへもやりたくなくなった。残れって何べんも言った。それでも、行くって聞かねえ」
親方は小さく息を吐いた。
「勝手なもんだ。行かせてやりてえと思ってたくせに、いざとなったら止めて、止めきれねえで、街道の脇で突っ立って見送るしかできねえ」
僕は何も言えなかった。マリカのことで、親方が僕に謝ることなんて何もない。そう言いたいのに、喉のところで言葉が引っかかって、出てこなかった。
「それよりな、ローリ」
親方は顔を上げて、工場の奥の暗がりへ目をやった。
「俺はな、最初、お前の親父が嫌いだったんだ」
意外な言葉だった。
「グレスは若え頃、とにかく自由気ままでな。乱暴者で、人の言うことなんか聞きやしねえ。『俺はやれる』『俺ならできる』ってのが口癖でよ。町のことなんか知るかって顔して、勝手にハンターになって出ていきやがった。俺は工場の見習いで、油まみれになって、出ていくあいつの背中を見てた。嫌いだったのは、たぶん羨ましかったからだ」
親方は少し笑った。
「今思えば、ジョウみてえなもんだったな」
父さんが、ジョウみたいだった? どうしても想像できなかった。僕が知っている父さんは、農場のみんなに頼られて、いつも穏やかに笑っている人だった。父さんとジョウを同じ棚に並べられて、胸の奥がざらついた。やめてよ、と言いかけて、飲み込んだ。僕がジョウを嫌いな理由の半分くらいは、今親方が言った「羨ましかった」と同じだ。そのことには、気づかないふりをした。
「でもな、帰ってきてからは違った。真面目に畑をやって、ハンナさんを大事にして、農場のみんなをまとめて。俺なんかより、よっぽどちゃんとした男になってた。何があったのかは知らねえ。ヤマネコ号をどこへやったのかも、とうとう言わなかった。だがな、ハンターなんてのは危ねえ仕事だ。命がいくつあっても足りねえ。それでも……」
親方は戦車を見上げた。
「ああいう仕事をしてると、人間がひと回りでかくなるのかもしれねえな」
そして僕の肩を叩いた。分厚い手のひらだった。
「死ぬんじゃねえぞ。応援してるからな」
「……うん。ありがとう、親方」
◇
昼前に、町を出た。
見送りに来てくれたのは、町長と、親方と、イトマール先生と、孤児院の子供たちだった。デションの姿はなかった。仕事が忙しいのか、それとも見送りなんて柄じゃないと思っているのか。たぶん後の方だろう。
子供たちが手を振る。イトマール先生は、子供たちが戦車に近づきすぎないよう、後ろから襟をつかんでいた。町長が「気をつけてな」と言い、それから少し考えて、「たまには顔を見せに帰ってこい」と付け足した。
操縦席に滑り込んで、エンジンをかけた。
ぐずっ、ぐずっ、ドルン。
二回目の咳のあとで、腹の底に低い唸りが入る。それを聞いたら、なぜだか口の端がゆるんだ。直らない癖が、今朝は少しだけありがたかった。
ハッチから顔を出すと、親方が「壊したらすぐ持ってこい」と笑った。僕は戦車の上から手を振り返した。
町の西の外れを抜けると、高原の風が吹いていた。見晴らしがいい。草の匂いに、ヤマネコ号の排気の匂いが混じって流れていく。
隣で外套の裾を押さえながら、レイが空を見上げた。
「明日は晴れ、午後から西風です」
「分かるの?」
「はい。気圧と湿度と、雲の流れから。外れたことはほとんどありません」
「……それ、何に使うの」
「洗濯物です」
レイは真顔だった。どうやら天気だけは、異様に正確に当たるらしい。二百年前の誰かが、戦うための身体に、わざわざ洗濯物のための機能を付けたのだ。何に使うのか分からない機能が、また一つ増えた。
少し走ったところでヤマネコ号を止め、振り返る。レイラインの町並みが、もう遠くに見えた。
こうして外から見ると、本当に小さな町だった。大通りを載せた堤が、灰色の壁のように東へ長く延びている。その上に、父さんが連れていってくれるはずだった古い塔が、ぽつんと見えた。けれど、僕が生まれて、父さんと母さんがいて、何もかも失って、それでも生きてきた町だ。
西の門の脇、堤の縁に、人影が一つ立っているのが見えた。遠くてはっきりとは分からない。でも、腕を組んでこちらを見ている。
デションだ。
手を振った。人影は何も返さなかった。それでも、こちらを見ているのは分かった。柄じゃないくせに、と思ったら、鼻の奥が少しつんとした。
「よろしいのですか」
隣でレイが言った。
「何が?」
「もう少し、町を見ていなくて」
「……いいんだ。また帰ってくるから」
レイは小さくうなずいた。そして、一度だけ町の方を振り返った。
レイラインの町並みと、その北西に見える屑鉄の丘を、しばらく黙って見つめていた。何を思っているのかは分からない。聞こうとは思わなかった。
前を向く。
西の街道が、高原の向こうへ続いている。その先にハンターキャンプがあり、さらにその先にトーカンがある。砂漠の入口の町。そこまで届け物を運ぶのが、僕の最初の仕事だ。
ほんの少し前まで、僕は屑鉄の丘の入口でくず鉄を拾うだけの子供だった。
それが今は、父さんの銃がある。父さんの戦車がある。ハンターのライセンスがある。そして、隣にはレイがいる。
アクセルを踏む。ヤマネコ号がゆっくりと動き出す。新しく張られた装甲と、塗り直された父さんの字が、高原の陽射しを受けて鈍く光った。
僕の、ハンターとしての最初の旅が始まった。
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