くず鉄の刀と、おかわり
その次の日は、出発の準備に使った。
レイが家にいることには、まだ全然慣れなかった。朝起きて、窓辺に座っているレイを見た瞬間に心臓が跳ねる。跳ねた拍子に床板がみしりと鳴って、その音に僕がまた跳ねる。そんな僕を見て、レイは不思議そうに首を傾げていた。
レイと一緒に市場を回る。燃料、弾薬、保存食、水、毛布、工具。指を折って数えていくと、必要なものは山ほどあった。レイは店に並ぶ品を一つずつ手に取っては値札を見て、店主に質問をしていく。僕はその後ろで、値札が目に入るたびに肩をすくめていた。毛布一枚でも、保存食一袋でも、くず鉄拾いの頃なら何日も迷った末に諦めていた値段だ。袋の中には賞金がまだたっぷりあるのに、くず鉄拾いの暮らしで染みついた癖のほうは、少しも抜けてくれない。
「この弾薬の価格は、いつもこの程度ですか」
「そりゃあ、お嬢さん、最近はこんなもんだよ。西からの荷が遅れててね。いやあ、お嬢さんになら、ちょっとくらいまけてもいいんだけどなあ」
「では、こちらの燃料は」
「そっちは東の方からだから、まだ安いほうさ。なんなら、もう少し勉強しようか?」
レイは店先に並んだ燃料の缶の前でかがみ、いちばん手前の缶の取っ手に指をかけた。中身の詰まった缶だ。大人の男でも両手で抱えて、腰を入れてやっと持ち上げる重さがある。それが、細い片腕に引かれて、すうっと地面から浮きかけた。
「重いって!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。隣の店の婆さんまで振り向いた。僕は取っ手に手をねじ込み、缶を地面へ押し戻した。心臓が喉のあたりでばくばく鳴っている。見られていたら、何と言い訳すればよかったんだろう。旧文明の超AIです、なんて言えるわけがない。
幸い、店主はレイの顔ばかり見ていて、手元までは見ていなかったらしい。「力仕事は兄ちゃんの役目だわな」と笑っただけだった。
レイが、僕を見た。
「……缶が、ですね」
「缶がだよ!」
小声で言い返すと、レイは何か言いたそうにしてから、取っ手の反対側を軽く握った。二人で缶を運ぶ。僕の腕はぶるぶる震えて、缶は僕の側にばかり傾いていく。レイの側は、少しも下がらなかった。
レイはそうやって、店を回るたびに値段を聞いて歩いた。何をしているのか聞くと、「現在の物の価値を把握しています」と言った。
二百年眠っていたのだから、無理もない。どの店でも、店主はレイに話しかけられるたびに鼻の下を伸ばし、聞かれてもいないことまでべらべらと喋った。中には勝手に値引きを言い出す親父までいる。商隊が着くたびに、一枚でも高く売りつけようと隊の買い付け係とやり合っている、あの親父たちがだ。小銭一枚まけるのにも渋い顔をするのを、僕は子供の頃から見てきた。それが、これだ。男って、こういう生き物なんだろうか。同じ男として、なんだか少し悲しくなった。レイの方はそれを気にした様子もなく、淡々と値段を確かめていくだけだった。僕が同じことを聞いても、たぶん鼻で笑われて終わりだ。それなのに、店主たちがだらしのない顔をするたびに、少しだけ胸を張っている自分がいた。僕の連れなんだぞ、と腹の中で言っていた。何一つ自分の手柄じゃないくせに。気づいて、張った胸をそっと元に戻した。
防具屋にも寄った。
屑鉄の丘で頬をかすめた弾のことが、ふっと頭をよぎった。崩れ狼の爪も。戦車の中にいれば少しは守られるけれど、外に出れば生身で動くこともある。今までの僕は、継ぎ当てだらけの上着一枚で、あの丘を歩いていたのだ。今さら背中が寒くなった。
店の奥に、使い込まれたハンター向けの防具が一揃い吊るしてあった。モンスターの革を何枚も重ねて縫い合わせた胴着は、肩と脇腹に厚い当て革がしてある。内側に薄い鉄板を縫い込んだ革の帽子。腿に巻く厚い当て革と、膝から脔までを覆う革の脔当て。袖を通してみると、少し大きかった。全部身につけると、ずしりと身体にかかる。でも、その重さが、なぜか頼もしかった。
「サイズは、そのうち合ってくるさ」
店の親父はそう言って、僕の痩せた肩を叩いた。それから値段を言った。屑鉄の丘をひと月這い回って、やっと届くかどうかという額だった。
僕が袋に手を入れかけたとき、レイが胴着の脇をめくった。
「当て革の縫い目が、ここで二目ほどゆるんでいます。帽子も、前の持ち主の汗で内側の革が硬くなっています。それに、大通りの店では、これより新しい一揃いが、この値段の八割で出ていました」
「い、いや、お嬢さん、あっちのは革が薄くて――」
「厚さは確かめました。こちらの方が一枚多いのは本当です。ですから、九割が妥当だと考えます」
親父は口を開け、閉じ、レイの顔を見て、もう一度口を開けた。
「……は、八割五分で」
「九割で構いません。縫い目は、こちらで直せますので」
値切られているはずの親父が値を下げ、値切っているはずのレイが値を上げている。親父はしばらく、自分の身に何が起きたのか分からないという顔をしていた。それから、力なく言った。
「……九割で」
問題は、レイの服だった。
レイは、地下で戦車の幌布とゴムの敷物から作った薄い服の上に、僕の上着を羽織っているだけだった。その服が、少しずつ崩れていた。袖口や裾の端が、目を離すとぽろぽろと粉のようにこぼれていく。この二日、レイはときどきそこを指でなぞって、直していた。
「レイの服も、買わないと」
「この服でも、行動に支障はありません」
「でも、ずっと直してるよね、それ」
レイは自分の袖口を見下ろして、少しだけ黙った。
「……設計図のない物は、ナノマシンで作っても長くはもちません。手を入れ続けないと、端から崩れていきます」
「直すのにも、力を使うんでしょ」
「はい。正直に言えば、無駄の多い使い方でした」
レイはそう言って、少しだけ考えるような顔をした。
「……分かりました。買いましょう」
レイが選んだのは、旅のハンターがよく着ている、丈夫な布のズボンと上着だった。それに、砂除けの外套。どれも地味な色で、飾り気がない。動きやすさだけで選んだのが、見ていて分かる。それなのに、試しに着て出てきたレイを見た瞬間、防具屋の親父が手に持っていた革紐を取り落とした。どんなに地味な服を着ても、レイが人目を引くことに変わりはないらしい。
「似合う、と思う」
やっとそれだけ言うと、レイは外套の襟を少しだけ直して、「そうですか」と言った。
親父は落とした革紐を拾いもせずに、「そっちは……あんたの言い値でいいよ」と言った。レイは「では、相場どおりに」と答えて、本当に相場どおりの額を数えて置いた。
店を出てから、僕は小さく言った。
「僕一人で来てたら、たぶん倍は取られてたよ」
「倍ではありません」
レイは前を向いたまま言った。
「一・四倍程度です」
慰められたのかどうか、よく分からなかった。
レイ自身の防具は買わなかった。旧文明の装備は、今の店には置いていない。「必要になれば、自分で作ります」とレイは言った。
僕の上着は、二日ぶりに僕のところへ戻ってきた。レイがきっちり畳んで返してくれたので、角という角がそろっていて、自分の上着とは思えなかった。
市場の外れには、モンスターの素材を引き取る店がある。崩れ狼から剥ぎ取ってきたものは、戦車を工場へ預けたときに下ろして、親方のところの隅に置かせてもらっていた。それを荷車に載せて運んでいく。
店の親父は崩れ狼の皮を広げるなり、目を丸くした。
「こいつは……あの崩れ狼か。本当に仕留めたんだな」
皮をめくり、裏を確かめ、指で叩く。変異がひどすぎて普通の毛皮にはならないが、とにかく丈夫で、裂けにくい。防具の裏地や、戦車の当て布にはちょうどいいらしい。肉の一部も、変わった薬の材料として買ってくれるという。
「爪と骨はどうする。こっちも引き取るぞ」
「いえ」
答えたのはレイだった。
「爪と骨は、こちらで使います」
親父は少し残念そうな顔をしたけれど、レイに見つめられると「そ、そうかい」と頭をかいて引き下がった。受け取った金は賞金ほどではない。それでも、ほんの少し前までの僕なら一月かかっても稼げない額だった。
帰り道、レイはくず鉄屋にも寄った。
くず鉄屋の親父の、拾い物に名前をつける癖は相変わらずだった。買い取ったものにはその場で名前がつき、売れ残って店の隅に居座るうちに、その名前がすっかり板についていく。ねじれた鉄棒は「酔っぱらい」、底の抜けた鍋は「ため息」。
レイは並んだくず鉄を端から見て回り、錆びた板、折れた刃物、古い配線、何に使うのか分からない部品を選んでいった。一つ選ぶたびに、親父の顔が曇っていく。
「姉ちゃん、そいつは『泣きべそ』だ。錆の筋が涙みてえだろ。もう三年はそこに転がってる」
「はい。いただきます」
「……そっちのは『しょげた煙突』だぞ」
「それもください」
親父は口を半開きにしたまま、僕の方を見た。何がどうなってるんだ、と顔に書いてある。僕にも分からないので、首を振るしかなかった。全部まとめても、黒パン何個かの値段にしかならない。親父は金を受け取りながら、誰に言うでもなくつぶやいた。
「……名前つけたやつから、売れていきやがる」
店を出てから、僕は聞いた。
「そんなもの、何に使うの?」
「作ります」
「何を?」
「刀を」
その日の夕方、レイはボロ屋の床に布を敷き、崩れ狼の爪と骨、それにくず鉄屋で買ってきたものを並べた。そして、その上に両手を置いた。
指先が淡く光った。
地下でレイの身体が直っていったときや、服を作ったときと同じ光だ。手のひらの下のくず鉄が、ゆっくりと形を失っていく。溶けているのとは違う。砂のように細かくほどけて、レイの手のひらへ吸い寄せられていく。骨も、爪も、同じようにほどけていった。「泣きべそ」も「しょげた煙突」も、名前ごと消えていく。
「……地下で服を作ったのも、それ?」
「はい。体内のナノマシンで、素材を分解しています。それぞれの性質を調べ、使える部分だけを組み直します」
「でも、あのときはすぐだったよね」
「あれは、とりあえず身体を覆えればよかったので。布とゴムをほどいて、薄く延ばしただけです」
レイは手元から目を離さずに言った。
「私のナノマシンが正確に作れるのは、設計図を持っているものだけです。私の身体と、私の装備。それ以外のものは、素材をほどいてつなぎ合わせる程度のことしかできません。それに、一度に扱えるのは手で触れている、ほんの少しの量だけです。服があの程度だったのは、そのためです」
「じゃあ、刀は」
「私の刀――《ムラクモモジュール》の設計図があります。ですが、本来の素材がありません。鉄と骨と爪では、性質がまるで違います。どれをどこに、どれだけ使えば設計図に近づくか。調べて、混ぜて、組んでみて、確かめる。思いどおりにならなければ、ほどいて、また組む。武器は、少しでも弱いところがあれば、そこから折れますから」
言っていることの半分も分からない。でも、目の前で起きていることだけは分かった。くず鉄と骨が、少しずつ一本の形になっていく。
時間がかかった。日が沈み、灯りをつけ、僕が夕飯を作って食べ終えても、レイは同じ姿勢のまま、素材に手を当て続けていた。ときどき手を止めて出来かけたものを確かめ、また一部をほどいて組み直す。何度も、何度も。
夕飯は、市場で買った干し肉と、農業区で採れた豆の煮込みだった。袋にはまだ賞金が残っているのに、店先ではつい、いつもの豆の袋に手が伸びていた。豆なら安いし、一袋で三日もつ。そういう計算ばかり、頭より先に手が覚えている。せめてもと、買ってきたスナ芋を一つ、ごろごろに切って入れた。いつもの煮込みが、それだけでずいぶん腹にたまるものになった。レイの分もよそって脇に置いたけれど、レイは振り向きもしなかった。
夜がかなり更けた頃、ようやく光が消えた。
布の上に、一振りの刀があった。
片刃で、反りは浅い。刀身は鈍い灰色で、ところどころに骨のような白い筋が走っている。柄には崩れ狼の爪を削り出したものが使われていた。決してきれいな刀ではない。それでも、くず鉄と骨からできたとは思えないくらい、ちゃんと刀の形をしていた。
「すごい……」
「ムラクモを模したものです」
レイは刀を手に取り、軽く振った。空気を切る、低い音がした。狭いボロ屋の中で振られると、こっちの首筋まで冷たくなる。
「本来のムラクモは、並の戦車なら装甲ごと両断できました。必要な瞬間だけエネルギーで刃を延ばし、最大出力では刀とは思えないほど長い刃を作ることもできました」
「戦車を……斬れるの?」
「本物であれば」
レイは刀身を灯りにかざした。
「これは違います。素材が足りません。刃を延ばせるのはほんの一瞬、わずかな長さだけです。切れ味も強度も、本来のものとは比べものになりません。無理をさせれば、すぐに折れるでしょう」
「それでも、ないよりは」
「はい。ないよりは、ずっと良いです」
レイは刀を鞘の代わりの布で包んだ。その手つきが、少しだけ大事そうに見えた。
「良い素材が手に入れば、作り直すことができます。そのたびに、本来のものへ少しずつ近づけるはずです」
倒したモンスターの素材で、レイの武器が強くなっていく。それを聞いて、崩れ狼を倒したあとに考えたことが頭に浮かんだ。倒した敵の武器を、自分の戦車に積む。それと同じことが、レイにもできるのだ。
「じゃあ、これから強いやつを倒せば倒すほど……」
「はい。私も強くなります」
レイはそう言って、包んだ刀を壁に立てかけた。
それから、脇に置いたままだった椀を手に取った。煮込みはすっかり冷めて、脂が白く固まっている。
「温め直そうか」
「いえ。このままで」
レイは冷めた豆を、一粒ずつ確かめるように食べた。
「昨日の白いパンとは違いますね」
「そりゃそうだよ。安い豆と干し肉だもん。スナ芋が入ってるから、いつもよりはましだけど」
「スナ芋」
レイは赤い皮のついた欠片を一つ、匙ですくって眺めた。それから、口に入れた。
「ほくほくしていますね」
「うん。いつもは黒パンと豆だけ。肉なら、ねず団子か、自分で獲った大ネズミの煮込み。屑鉄の丘でいくらでも獲れるから、この町じゃいちばん安い肉でさ。ねず団子なんて、もちゃもちゃしてて、ちょっと苦くて。孤児院じゃ、月に一度のごちそうだったんだ」
レイは少し考えるような顔をした。
「いつか、食べてみたいです」
「え、ネズミを?」
「あなたが食べてきたものですから」
何と返せばいいのか分からなかった。耳のあたりが妙にむずむずして、僕は意味もなく鍋の蓋をいじった。レイは椀を空にして、「おいしかったです」と言った。冷めた豆と干し肉の煮込みを、白いパンと同じ顔で。それから少しだけ間を置いて、空になった椀をこちらへ差し出した。
「……もう一杯、いただけますか」
刀を作るのには、ずいぶん力を使うのだという。
「日に当たってるだけじゃ、足りないんだっけ」
「はい。日光で取り戻そうとすれば、何日もかかります。食べるのがいちばん早いです」
レイは椀を差し出したまま、少しだけ言葉を探すような間を置いた。
「……それに、これがいいです」
僕は笑って、鍋の底に残った煮込みを全部よそった。
明日の朝、ヤマネコ号を受け取りに行く。親方の工場の灯りは、たぶん今夜も消えていない。直すだけにしては長すぎる二晩のあいだに、親方が何をしていたのか、僕はまだ知らなかった。
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