「なんで生きてんだよ」
屑鉄の丘を抜けた頃には、空にもう星が出ていた。
前照灯は片方しか点かなかった。崩れ狼にぶつけたときに、もう片方が割れたのだろう。頼りない灯りで足元を照らしながら、戦車はのろのろと荒れ地を進んだ。急ぐ気にはなれなかった。左へ曲がるたびに、どこかでカタカタと何かが鳴る。急げば、その何かが今度こそ外れてしまいそうだった。
「町へ戻ったら」
後部座席から、レイが言った。
「私が何であるかは、しばらく伏せておくのが良いと考えます。現在の人々が旧文明の存在をどのように受け止めるのか、まだ分かりませんので」
「……そうだね」
少し考えてから、うなずいた。それから、自分のことも考えた。僕は汚染だまりの底で目を覚ました。ガニーが一瞬で人の形を失った、あの紫の靄の中で。そんなことを話したら、町の人はどんな目で僕を見るだろう。化け物を見る目かもしれない。ガニーの親父さんは、どう思うだろう。
「僕のことも、黙っておいた方がいいかな」
「あなたが判断してください。ですが、私は賛成します」
それきり、二人とも黙った。
やがて遠くに、レイラインの灯が見えた。毎日のように見ていた景色なのに、今夜はどこか違って見える。目の高さが違うからだ、と気づいた。くず鉄の袋を背負って、うつむいて歩いて帰ってくるときより、今は少しだけ高いところにいる。
「あれがレイラインですか」
レイの声がした。夕日の中で見たはずなのに、確かめるような聞き方だった。
「うん。小さい町だけどね」
レイは何も言わず、しばらく町の灯を見ていた。その横顔からは、何を考えているのか読み取れなかった。
町の入口を越えたところに、一台の戦車が斜めに停まっていた。道の半分を塞いでいて、乗っている者は誰もいない。
ジョウたちの戦車だった。
新しい塗料を朝日に光らせて屑鉄の丘へ向かっていった戦車とは、別物だった。灯りに照らされた車体のどこを見ても、ひしゃげているか、抉られている。剥がれた塗料の下から、古い錆がのぞいていた。
その奥、守備隊の詰所の前の空き地に、灯が集まっていた。松明と、ランプと、手提げの灯り。人の声が、ここまで届くほど騒がしい。僕はジョウたちの戦車の後ろに自分の戦車を停めて、エンジンを切った。誰も、こちらを振り返らなかった。
「行ってみよう」
レイと二人で、灯りの方へ歩いた。
人だかりの真ん中に、ジョウとマリカとポンチョスがいた。三人とも、ぐったりと地面に座り込んでいる。ポンチョスは何かを話し終えたところらしく、うつむいたまま肩で息をしていた。周りの大人たちが、口々に言い合っている。ガニーが。汚染だまりに。くず鉄拾いの坊主も――。
人垣が割れて、息を切らした町長が駆け込んできた。町長は守備隊の男から二言三言聞くと、座り込んだ息子の前に立った。
「一度に二人も犠牲を出したんだぞ!」
町長の声が、空き地に響いた。いつもは穏やかな人なのに、灯りに照らされた顔が真っ赤になっている。
ジョウが、よろよろと立ち上がった。
「ガニーは……あいつが勝手に飛び出したんだ」
かすれた声だった。
「それに、ローリのことは知らねえ! あいつは本当に勝手についてきたんだよ! 俺たちが呼んだわけじゃねえ。気づいたら狼の前にいて、何が何だか分からねえうちに、狼に弾き飛ばされてたんだ!」
自分の名前が出て、息が止まりそうになった。
「勝手についてきたかどうかを聞いてるんじゃない!」
町長が怒鳴った。
「お前が町中で、崩れ狼を狩るだの戦車を二台にするだの触れ回ったんだろうが。お前らがあそこへ行かなけりゃ、あの子もあそこにはいなかった。違うか」
ジョウは答えなかった。
「お前は昔から、思い上がるところがある。守備隊で少し褒められたくらいで、自分が何でもできると思い込む。崩れ狼は臆病者だと? 誰がそんなことを言った。手配書をちゃんと読んだのか。デションに一言でも聞いたのか」
「親父、だから俺は――」
「言い訳はいい!」
怒鳴り声が、詰所の壁に跳ね返った。
「しかも戦車までこの有様だ。守備隊から回してやった戦車を、一日で壊して帰ってくるやつがあるか!」
ジョウは唇を噛んでうつむいた。人だかりの誰も、口を挟まなかった。
ざまあみろ。
胸の中で、小さな声がした。工場で僕を見下ろしていたあの顔が、町じゅうの前でうなだれている。腹の底のどこかが、くすぐられたみたいにむずがゆくなった。それに気づいた途端、首筋がすっと冷えた。ガニーは帰ってこなかったのだ。その話をしている輪の外で、僕は何を喜んでいるんだ。いちばん見られたくない顔をしている気がして、灯りの届かないところへ半歩下がった。
町長は大きく息を吐いた。それから、さっきまでとは違う、低い声で言った。
「……ローリはな、グレスの倅だぞ」
その名前に、胸の奥が鳴った。
「グレスとは、ガキの頃、屑鉄の丘の入口で一緒にくず鉄を漁った。あいつは俺より三つ下でな。いつも俺の後ろを、ちょろちょろついて回ってた。そのグレスの倅まで、屑鉄の丘で……」
町長の声が、そこで途切れた。
知らなかった。町長と父さんが知り合いなのは知っていた。小さな町だ。同じくらいの歳なら、誰だって顔くらいは知っている。でも、子供の頃に一緒にくず鉄を漁っていたなんて、一度も聞いたことがなかった。父さんにも、僕と同じ年頃があったのだ。くず鉄の袋を引きずって、誰かの背中を追いかけていた頃が。
人だかりの端に、大きな背中が見えた。ガニーの親父さんだ。守備隊の上着を着たまま、腕をだらりと垂らして立っている。ジョウを責めるでもなく、町長を見るでもなく、ただ、屑鉄の丘のある北西の暗がりを見ていた。
親方――ステンは、マリカのそばにいた。
怒鳴ってはいなかった。マリカの腕をつかんでは、「本当にどこも怪我してねえのか」「頭は打ってねえか」と、同じことを何度も聞いている。肘の擦り傷に気づくと、慌てて自分の手拭いを引っぱり出し、それが油まみれなのに気づいて引っ込めた。
「だから大丈夫だって言ってるでしょ」
マリカは父親の手を振り払った。それでも親方は、おろおろと娘のまわりを離れなかった。工場で職人たちを怒鳴りつけている親方しか知らない僕には、見たことのない姿だった。
そして、ジョウを見るときだけ、親方の目は据わっていた。マリカは父親の顔を見ようともせず、ずっと足元を見ている。
町長の言った二人の犠牲というのは、ガニーと、僕のことだったのだ。
「おい……入口に、もう一台、戦車が停まってるぞ」
入口の方から戻ってきた男が言った。その男の手提げの灯りが、人垣の端に立っていた僕とレイを照らした。
「お、おい……あれ……」
それをきっかけに、人だかりの目が一斉にこちらへ向いた。ざわめきが広がる。
「戦車……?」
「誰が乗ってるんだ」
「おい、あれ、くず鉄拾いの……ローリじゃねえか」
僕は、灯りの中へ一歩出た。さっき半歩下がったぶんを、取り戻すみたいに。レイも隣に並んだ。
町長が目を見開いた。
「……ローリ?」
「はい」
「生きて……いたのか」
町長はしばらく僕を見つめたまま動かなかった。やがて人だかりを押し分けるように大股でこちらへ来ると、僕の肩を両手でつかんだ。
「そうか……生きていたか。よかった。本当によかった」
何度もそう言って、肩を叩く。さっきまで怒鳴っていた人とは思えないほど、声が震えていた。
「よく戻った。よく戻ってきたな。……グレスに、顔向けできんところだった」
町長は、いつも忙しい人だった。宿場には毎日のように荒っぽいハンターが出入りし、酒場で揉め事を起こす。東から来る商隊は抜け目がなくて、燃料や食料の値段で少しでも隙を見せれば足元を見てくる。そういう相手と渡り合うのが町長の仕事で、町の大人たちが「町長も大変だ」とぼやくのを、僕は何度も聞いていた。
そんな人が、冬の前には孤児院へ毛布や芋を届けさせていた。たまに自分でも顔を出して、イトマール先生と何か話していった。孤児院を出た僕に、空き家を使わせてくれたのもこの人だ。番をさせているだけかもしれない、と僕は思っていた。たぶん、それもあるのだろう。でも、それだけではなかったのかもしれない。
肩をつかむ手が、痛いくらいに強かった。その痛さの分だけ、さっきの「ざまあみろ」が喉の奥で苦くなった。
そのとき、ジョウが叫んだ。
「お前……なんで生きてんだよ!」
叱られていたことなど忘れたように、ジョウがこちらへ詰め寄ってくる。
「汚染だまりに落ちたんじゃねえのかよ! マリカが見たって言ってたぞ! ガニーみてえに――」
そこで言葉が止まった。ジョウの目が、僕の後ろに立つレイに吸い寄せられていた。
レイは何も言わず、ただそこに立っていた。屑鉄の丘の砂埃をかぶっているのに、灯りに照らされたその姿は、町の誰とも違って見えた。人だかりの男たちも、女たちも、みんなレイを見ていた。
「……そいつ、いや、その人は、何なんだよ」
ジョウの声の調子が変わった。さっきまでの怒鳴り声ではない。妙に低くて、取り繕うような声だった。目がレイから離れない。
隣にはマリカがいる。町でいちばんの美人だと誰もが思っているマリカを連れていながら、ジョウの目は明らかに、それより上のものを見る目になっていた。そして、僕を見る。なんでお前ばっかり。顔にそう書いてあった。
マリカが、ジョウの横顔を見た。それから、レイを見た。ほんの一瞬、マリカの顔から表情が消えた。
「レイです」
レイが自分で答えた。
「地下で動けなくなっていたところを、彼に助けていただきました」
それ以上は何も言わない。ジョウは何か言いかけて、結局口を閉じた。
「で、なんで生きてんだよ」
今度は僕に向き直る。
「……落ちた先には、汚染がなかったんだ」
帰り道で決めておいた言い訳なのに、口にした途端、声が上ずった。昔から嘘をつくのは下手だった。黙っていることなら、いくらでもできるのに。
「殴り飛ばされて、下の階まで落ちたけど、そこは紫の靄がない場所だった。それで地下を歩いてたら、戦車があって……」
「戦車だと?」
ジョウの顔色が変わった。
「屑鉄の丘のもう一台ってのは、それか。お前……俺の後をつけてきて、戦車を手に入れたってことかよ。卑怯じゃねえか! 俺たちが崩れ狼とやり合ってる間に、こそこそ横取りしやがって!」
「横取りなんて――」
「どれだ」
親方がランプをつかんだ。
「その戦車ってのは、どれだ」
僕は入口の方を指さした。親方が大股で歩いていく。人だかりも、ぞろぞろとそれについていった。
「……ヤマネコ」
声を上げたのは親方だった。僕の戦車のそばで、ランプを掲げて車体をじっと見ている。錆の浮いた装甲。大きな車輪。小型の主砲。一つずつ確かめるように手で撫でていって、親方は側面の一か所で手を止めた。
ランプの灯の中に、剥げかけた塗料の文字が浮かんでいた。錆と砂埃に埋もれて、僕は今の今まで気づいていなかった。
「ヤマネコ号だ。思い出した。こいつはグレスの戦車じゃねえか」
人だかりがざわめいた。
「グレスって、あのグレスか」
「ローリの親父さんの……」
「ヤマネコ?」
「グレスがこいつをそう呼んでたんだよ。小せえくせにすばしっこくて、でけえ獲物にも噛みつくってな」
親方は文字の上を、指でなぞった。
「間違いねえ。若え頃、あいつがこれに乗って町に戻ってきたのを見てる。どこへやったのかと思ってたら……屑鉄の丘に置いてやがったのか」
父さんが、この戦車に名前をつけていた。地下で何時間も一緒にいたのに、僕はそんなことも知らなかった。ヤマネコ。小さいくせに、でかい獲物にも噛みつく。父さんらしいのかどうかも、僕にはよく分からなかった。
親方が僕を見た。
「お前、親父さんの戦車を見つけたのか」
「……うん。中に、母さんの写真があった」
親方は何も言わず、もう一度車体を撫でた。町長も、黙って戦車を見ていた。しばらくして、「グレス」と、誰に言うでもなく小さく呟いた。
ジョウは口を開けたまま固まっていた。他人が捨てた戦車を拾ったのなら、横取りだと言い張ることもできたかもしれない。でも、これは僕の父さんの戦車だ。それに、ジョウ自身が乗っているのも、父親に頼んで町から譲ってもらったお下がりだった。そのジョウが、自分の父さんの戦車を見つけてきた僕を責められるはずがなかった。
「……クソッ」
小さくそう吐き捨てて、ジョウは目を逸らした。ついさっきまで父親に叱られていたところへ、この騒ぎだ。町の人たちの目が、今度は別の意味でジョウに向いている。ジョウもそれを感じているのだろう。奥歯を噛みしめたまま、僕ではなく、僕の後ろの戦車をにらみつけていた。
「……うそ」
車体の下から、声がした。
いつの間に潜り込んだのか、マリカが砂の上に仰向けになって、親方のランプの明かりを頼りに車輪の奥をのぞき込んでいた。さっきまで地面に座り込んで動けなかったはずなのに、ヤマネコ号を見た途端、体の方が先に動いたらしい。
「……錆だらけなのに、軸がぶれてない。継ぎ手も、がたついてない。前の持ち主、ちゃんと手入れしてたんだ」
指の関節で軸受けのあたりを叩いて、返ってきた音に、また小さく声を上げる。工場の裏のくず鉄の山で、よく分からない部品を掘り出していた頃と同じ声だった。それ、僕の戦車なんだけど。言いかけて、やめた。言える空気じゃなかったし、言ったところで、今のマリカの耳には入らない気がした。
「マリカ!」
ジョウが呼んだ。とがった声だった。
車輪の奥へ伸びていた手が、止まった。マリカは車体の下から這い出してくると、膝の砂を払った。その顔からは、さっきの声の熱がもう消えていた。
マリカと目が合った。
マリカは僕を見て、それから隣のレイを見て、もう一度僕を見た。何か言いたそうに口を開きかけ、閉じる。
「……生きてたんだ」
「うん」
「そう。……よかったじゃない」
マリカが言ったのは、それだけだった。すぐに目を逸らされた。僕も、何を言えばいいのか分からなかった。崩れ狼の前で僕がマリカを突き飛ばしたときのことを、マリカは覚えているのだろうか。何か言ってくれるのだろうか。
指先が、ポケットの布地をいじっていた。少しだけ待った。マリカはそれ以上何も言わず、レイの方をちらりと見ただけだった。
人だかりの端で、ガニーの親父さんが僕を見ていた。
口元が、何か言いかけるように動いた。でも、何も言わなかった。しばらく僕を見て、それから、黙って背を向けた。大きな背中が、灯りの外の暗がりへ消えていった。
自分の息子は、帰ってこなかったのだ。
僕は、その背中から目を離せなかった。
気まずい沈黙を破ったのは親方だった。
「おい、ローリ。こいつ、うちで預かるぞ。こんなボロボロのまま走らせとくわけにはいかねえ」
「いいの?」
「いいも何も、グレスの戦車だ。ほっとけるかよ」
それから親方は、少しだけ声を落とした。
「……お前も、よく帰ってきたな」
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