約束の夕日を、戦車の上から
「そういえば……レイって名前」
「はい」
「僕の住んでる町、レイラインっていうんだ」
レイがわずかに目を動かした。
「……そうなのですか」
「何か関係あるのかな」
レイはすぐには答えなかった。僕たちが出てきた地下の方へ、一度だけ目を向ける。それから、町のある方角を見た。
「……どうでしょうか」
それだけ言って、レイは口を閉じた。
僕も深くは考えなかった。レイラインという名前がいつからあるのかなんて知らない。町の大人だって、どうしてそう呼ばれているのか説明できる人はほとんどいない。それより今は、これからのことだ。
戦車を見た。古くて、錆びていて、前はへこんでいる。主砲だって一度は動かなくなった。まともなハンターが見たら、指をさして笑うかもしれない。それでも僕にとっては、ずっと欲しかったものだった。
「僕、ハンターになりたいんだ」
レイがこちらを見た。
「戦車に乗って、町の外へ出たい。賞金首を倒したり、知らない町へ行ったりして、もっと強くなりたい」
口にしてから、耳の後ろがかっと熱くなった。工場で、何年も同じことを言い続けて、そのたびに笑われてきた言葉だ。
「ずっと言ってただけだったんだけどね。何もしてなかった。でも……今日、初めて戦車に乗った」
崩れ狼の方を見た。
「賞金首も倒した」
父さんの銃に目をやった。
「まだ怖いけど」
青い炎が、頭の隅をよぎった。
「いつか、探したいモンスターもいるんだ。父さんと母さんを殺したやつ。今も生きてるのか分からないけど……真っ青な炎をまとった、鳥みたいな化け物。二本の脚で走ってくる、でかいやつ」
レイの視線が、わずかに鋭くなったように見えた。でも、何も言わなかった。
「レイは、これからどうするの?」
「現在の世界を確認します」
「世界を?」
「はい。二百年が経過しています。私が把握していた環境とは大きく異なっています。また、確認したいものがあります」
「確認したいもの?」
「かつて存在した者たちが、現在も存在しているかどうか」
それが誰なのかは、聞かなかった。たぶん、レイにも僕と同じように、探したいものがあるのだ。
「そっか……」
そこで会話が途切れた。
レイは、これから一人で行くのだろうか。
自分の戦車に目を戻した。ハンターになって、この戦車で町を出る。ずっと夢見ていたことだ。なのに、その先を一人で走っている自分を思い浮かべた途端、腹の底がすうっと冷えた。夜の荒野を、たった一人で、誰とも口をきかずに。
そのとき、ジョウの顔が浮かんだ。あいつはマリカを誘った。自分はハンターになる、一緒に来い、と自分の口で言った。僕はそれを、箒を握ったまま横で見ていただけだった。
レイを見た。強い。旧文明のことも知っている。でも、そういうことより先に、一緒にいてほしかった。
心臓がうるさくなった。断られたらどうしよう。僕みたいな駆け出しについてくる理由なんて、どこにもない。旧文明の超AIが、くず鉄拾いの隣に座る理由なんて。
――口だけの人の隣に座ってるほど暇じゃないから。
マリカの声が、耳の奥で鳴った。
それでも、今度は見ているだけでは嫌だった。
「レ、レイ!」
思ったより大きな声が出た。
「はい?」
「あの、その……」
言葉が詰まった。喉の奥で、何かが引っかかって出てこない。それでも、押し出した。
「ぼ、僕の仲間にならないか!」
レイがわずかに目を見開いた。
「僕、これからハンターになって、この戦車でいろんなところへ行きたいんだ。まだ何も知らないし、戦車だってこんなにボロボロだけど……レイも今の世界を見たいんだろ? だったら、一緒に行けたらって」
レイは、しばらく僕を見つめていた。その数秒が、崩れ狼と向き合っていたときより長く感じた。
「望ましい提案です」
「え?」
「私も、あなたをもう少し観察したいと考えていました」
「観察?」
「汚染への耐性。先ほど確認した身体能力。そして、車両への適応速度。あなたには確認したいことがあります」
仲間というより、研究材料の扱いだった。
「それって……一緒に来てくれるってこと?」
「はい。私にも異存はありません」
一拍遅れて、意味が頭に入ってきた。
「……よかった」
肩から力が抜けて、息がまとめて出ていった。
少し迷ってから、僕は手を差し出した。
「じゃあ、これからよろしく。レイ」
レイは差し出された手を見て、それから僕の顔を見た。少しだけ間を置いて、その手を取った。
「はい。よろしくお願いします」
触れた瞬間、指先がぴくりと跳ねた。
温かい。
もっと硬くて、冷たいものを想像していた。地下で、壊れた腕の中に金属や得体の知れない部品が詰まっているのを、この目で見たばかりなのに。今握っている手からは、そんなものを何も感じない。柔らかさも、指の感触も、手のひらから伝わってくる温度も、僕の知っている人の手と何も変わらなかった。
いや、そんなことを考えたせいで、急に意識してしまった。目の前にいるのは、今まで見たこともないくらいきれいな女の人だ。その人と、手を握っている。
「……」
心臓が、どくんと大きく鳴った。さっき崩れ狼と正面からぶつかったときとは、鳴り方がまるで違う。レイの顔が見られなくなって、握った手の方へ目を落とした。落としたら落としたで、自分が彼女の手を握っていることが余計に分かってしまって、どこを見ればいいのか分からなくなった。
レイはそんな僕を、不思議そうに見ていた。
「どうしました?」
「えっ。いや、何でもない」
慌てて顔を上げた。
レイの表情は、ほとんど変わっていなかった。それでも、手を離す直前、その口元がほんのわずかに緩んだ。笑った、と言い切れるほどではない。でも、どこか嬉しそうに見えた。
僕も、少しだけ笑った。
崩れた斜路を登り切ると、地上に出た。屑鉄の丘の奥の、さらに奥。初めて来る場所だった。くず鉄の山が尾根のように盛り上がった高みに、戦車はちょうど乗り上げていた。
そして、目の前が開けた。
日が沈むところだった。
荒野が、赤く燃えていた。
夕日が地平線に触れて、乾いた大地を端から端まで塗りつぶしていく。岩の影が長く伸び、遥か向こうに小さく見えるレイラインの町並みまで、同じ色に沈んでいた。
戦車を止めた。エンジンの低い唸りだけが、尻の下から伝わってくる。
――収穫が終わったら、堤のてっぺんに連れてってやる。子供だけで登っちゃいけない場所だが、父さんと一緒ならいい。あそこから見る夕日はな、荒野ぜんぶが燃えてるみたいに赤くなるんだ。
父さんの声がした。もちろん、本当に聞こえたわけじゃない。でも、耳のすぐそばで言われたみたいに、一言ずつはっきりしていた。
ここは、堤のてっぺんじゃない。隣に父さんもいない。でも、父さんは昔、この戦車に乗って荒野を走っていた。ハンターだった頃、この操縦席から、何度もこの夕日を見たのだろう。だから堤の上の夕日がどれほど赤いかを知っていて、それを僕にも見せたかったのかもしれない。
約束は、果たされなかった。父さんは、もういない。
それでも僕は今、父さんの戦車の上で、父さんが見せたかった夕日を見ている。
ハッチの縁をつかんだ手に、夕日が落ちていた。錆の浮いた装甲も、同じ色に染まっている。それを見ているうちに、あの夜の真紅の戦車を思い出した。燃える町の中で、炎を縫って踊るように走っていた戦車だ。砲塔が回り、車体が跳ね、青い炎の向こうへ滑り込んでいった。僕は息をするのも忘れて、あの戦車を見ていた。
父さんが見せてくれるはずだった夕日と、あの夜の真紅の戦車。七年のあいだ、僕の中ではずっと別々の思い出だった。それが今、父さんの戦車の上でこの夕日を見ていると、どちらを思い出しているのか自分でも分からなくなるくらい、一つに重なっていた。
いつか、僕も戦車に乗る。
七年前、孤児院の窓辺で、そう誓った。
「きれいですね」
すぐ後ろで、レイが言った。
操縦席の後ろ、砲塔の脇に立って、同じ夕日を見ていた。赤い光が、レイの横顔を照らしている。
「……うん」
声がうまく出なかった。目の奥が熱くて、まばたきを我慢した。今まばたきをしたら、何かがこぼれる。
「僕の父さんがね、昔、この夕日を見せてくれるって約束してたんだ」
「そうですか」
レイはそれ以上、何も聞かなかった。ただ黙って、僕のすぐ後ろで夕日を見ていた。
*
荒野が、赤く燃えていた。
私は、少年のすぐ後ろで夕日を見ていた。空の色、太陽の高さ、沈んでいく位置。先ほど確かめた数値と、記録に残る最後の観測とを、もう一度だけ照らし合わせる。誤差はある。それでも、結論は変わらなかった。約二百年。
長い、と思った。分かっていたことなのに、改めてそう思った。
夕日の下に、町の灯が一つ、また一つとともり始めていた。あの位置を、私は知っている。干上がった堤の脇。砂漠から東へ向かう道が、大きく迂回せずに抜けられる、ただ一つの場所。食料を運ぶ道を通すために、私たちが探し、選んだ場所だ。そして、あの怪物が巣くっていた場所の、すぐそば。
あのとき、そこには何もなかった。廃墟と、荒れ地と、汚染だけだった。今は、町がある。灯がともり、人が暮らし、輸送車が泊まっていく町が。
道は、開けたのだ。
そしてその道の上に、二百年かけて、人々が町を作ったのだ。
レイライン、と少年は言った。その名が何に由来するのか、私には察しがついていた。けれど、口にはしなかった。あの町を作ったのは私ではない。あの道を二百年歩き続け、そこに家を建て、畑を耕し、子を育ててきた人々だ。その町の名の由来を、二百年遅れて目を覚ました私が語るのは、おこがましいことのように思えた。
それに、私の名を覚えている者は、もうどこにもいない。共に道を探した者たちも、きっともういない。それでも、名前だけはこうして残っていた。私には、それだけでありがたいことのように思えた。
すぐ前で、少年が黙って夕日を見ていた。痩せている。目の下には、濃い影がある。地下で初めて見たときには、ひどく怯えた目をしていた。話しかけるたびに言葉に詰まり、私の顔をまともに見ようともしなかった。それなのに崩れ狼の前では、私に向かって「来るな」と叫び、震える手で操縦桿を握ったまま、自分がやると言った。臆病なのか、そうでないのか。この少年のことは、まだよく分からない。
分からないことは、身体の方にもあった。XMAに耐え、その作用に適応した人間なら、私も知っている。文明が崩れていったあの時代の前後に、何人も見てきた。常人をはるかに超える力を得た者もいたし、傷の治りが異様に早い者もいた。けれど、この少年はそのどれとも違う。汚染だまりの底を平気な顔で歩き回り、頭の下にあれほどの血の痕を残しながら、傷一つない。初めて乗った戦車を、半日も経たないうちに、手足のように動かしてみせた。一つずつなら説明のつくことでも、これだけ重なると、私の記録にあるどの適応者にも当てはまらない。観察したい、と私は言った。この少年には、確かめなければならないことがいくつもある。それは嘘ではない。
けれど、それだけでもなかった。一人で置いていかれるのは嫌じゃないか、と、この少年は私に尋ねた。寂しくなかったか、とも。そんなことを私に聞いた人間は、これまでいなかった。調べるべき相手としてではなく、この少年がこれからどこへ向かい、何になっていくのか。そのことに、私は興味を持ち始めていた。
日が沈んでいく。赤い光が、少しずつ夜の色に変わっていく。
もう少しだけ、この少年の行く先を見ていたい、と思った。
*
少し前まで、僕には何もなかった。戦車も、仲間も、まともな武器すら持っていなかった。戦車乗りになりたい、ハンターになりたい、いつか町を出たい。ずっとそう言っているだけだった。そのあいだにジョウは自分から動いて、戦車を手に入れ、仲間を集め、僕より先に町の外へ踏み出した。
でも、もう違う。
今度は、僕の方から声をかけた。声は裏返ったし、言い方もひどかったけれど、とにかく自分の口で言った。その最初の仲間が、二百年前から来た不思議な女の人になるなんて、少し前までの僕に話しても、きっと信じない。
これから何があるのかは分からない。どこへ行くのかも、何と戦うことになるのかも分からない。それでも、もう一人じゃない。
日が沈み切った。荒野から赤が消え、あたりが藍色に沈んでいく。遠くで、レイラインの町の灯が、少しずつ数を増していった。
僕は操縦桿を握り直した。
ずっと「いつか」と言い続けてきたことが、ようやく今日、本当になった。
僕は――戦車乗りのハンターになった。
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