二百年ぶんの独りぼっち
レイの声が聞こえても、しばらく体が言うことを聞かなかった。耳の奥で、甲高い音がずっと鳴っている。握ったままの操縦桿が小刻みに揺れていて、揺らしているのが自分の手だと気づくまでに少しかかった。目の前では、崩れ狼が横倒しになっていた。溶けかけた脇腹は、もう上下していない。今度こそ、本当に動かない。
「……勝った」
声まで震えていた。
「勝った……!」
ハッチから這い出して、車体から飛び降りた。地面に足がついた瞬間、膝がかくんと折れかけて、慌てて装甲に手をついた。鉄が熱い。手のひらがじんじんする。笑いたいのか泣きたいのか分からないまま、喉の奥から何かがせり上がってきて、止めようがなかった。
「やった……やったぞ!!」
腹の底から声が出た。こんな大声を出したのは、いつ以来だろう。孤児院にいた頃だって、出した覚えがない。
「僕が……崩れ狼を倒した!」
言ってから、すぐに自分で訂正したくなった。もちろん僕一人じゃない。ジョウたちが先に傷を負わせていた。ガニーの槍がなければ最後の一撃は届かなかったし、レイがいなければ、そもそも最初の一回で終わっていた。それでも、戦車を動かして、機銃を撃って、最後に真正面から突っ込んだのは僕だ。その部分だけは、誰にも取り上げられたくなかった。
レイがこちらへ歩いてくる。いつもなら何か言うのに、今は黙ったまま、僕の前で足を止めた。
「何?」
「いえ」
レイは僕を見て、それから、前部が大きくへこんだ戦車を見た。
「驚きました」
「え?」
「主砲が作動しなかった時点で、退避するものと考えていました」
「僕も、そうすると思ってた」
口にした途端、今さら膝が笑い出した。装甲についた手を、そのまま離せなくなる。
「でも、何か……腹が立って。またこいつに殺されるのが嫌だったんだと思う」
自分でもうまく説明できなかった。レイは少し考えてから答えた。
「合理的な行動とは言えません」
「やっぱり?」
「ですが、有効でした」
「それ、褒めてる?」
「評価しています」
「そっか」
口の端が勝手にゆるんだ。ゆるんだところを見られた気がして、慌てて戦車のへこみを確かめるふりをした。
レイはもう一度、戦車に目をやった。
「それだけではありません。あなたの車両操作にも驚きました」
「僕の?」
「はい。初めての操縦とは思えません。戦闘中も急速に上達していました」
「戦ってる途中から、何となく分かるようになったんだ。崩れ狼が跳ぶときも、ジョウたちと戦ってるのを遠くから見てたから」
「一度見ただけで?」
「うん。それと……七年前、子供の頃に、すごい戦車を見たことがあるんだ。真っ赤な戦車。その動きを、ちょっと真似してみた。全然できなかったけど」
「七年前に、一度見ただけの動きを?」
「……うん」
レイが黙った。黙ったまま、僕の顔から目を離さない。
「……何?」
「もっと苦戦すると予測していました。この車両は著しく劣化しています。あなたは初めての操縦。対象も負傷していましたが、十分な戦闘能力を残していました」
レイの目が、まっすぐ僕を見た。
「それでも、想定以上の余力を残して勝利した」
「余力って……最後、死ぬかと思ったけど」
「車両操作についてです」
「ああ……」
「適応が速すぎます」
褒められているのか、何かを疑われているのか、よく分からなかった。分からないのに、胸の奥がむずむずして落ち着かない。旧文明の人に、速すぎるって言われた。戦車乗りに、本当になれるのかもしれない。――いや、浮かれるな。一回勝っただけだ。そう言い聞かせても、むずむずは少しも引っ込まなかった。
「それに」
レイが続けた。
「来るな、と言われたのも、想定外でした」
「あ……ご、ごめん。助けに来てくれようとしてたのに」
顔に一気に血がのぼった。来るな、なんて、本当に僕が言ったのか。崩れ狼と素手でやり合える人に向かって、そこで見てて、とまで。さっきまでの自分が知らない誰かみたいで、レイの顔がまたまともに見られなくなった。
「謝る必要はありません。……私の判断も、正確ではありませんでした」
「え?」
「修復直後の身体が、記録どおりに動かないことを想定していませんでした。消耗戦になることは分かっていましたが、動作に無駄が多すぎました」
「でも、勝ったよ」
「はい。勝ちました」
レイは少しだけ間を置いた。
「あなたが、勝ちました」
そこで、大事なことを思い出した。
「そうだ。討伐証明」
賞金首を倒したと言って町へ帰っても、それだけで賞金を払ってもらえるわけじゃない。死体を運べないときは、その賞金首だと確かめられる特徴的な部位を持ち帰る決まりになっている。ハン協の掲示板で、手配書の隅に小さく書かれているのを何度も見た。崩れ狼の証明部位は、牙だ。
死体のそばに、戦いのどこかで折れたらしい巨大な牙が転がっていた。拾い上げると、ずしりと腕にくる。根元にはまだ生臭い肉がこびりついていて、思わず顔を背けた。
「これなら証明になるかな」
「それを?」
「うん。これを持って帰って、ハン協で確認してもらう。そうしたら賞金が出るはず」
言ってから、喉の奥が少しすぼまった。僕はハンターじゃない。ライセンスも持っていない。デションには「ライセンスも出さん」と言われている。それでも賞金は出るのだろうか。出なかったら、命がけで戦って、手に入ったのは牙一本と、へこんだ戦車だけだ。
……出なくても、いいか。それより、この牙をデションの前に置いてやりたかった。カウンターの上にどんと置いたら、あの仏頂面がどんな顔をするだろう。
「なるほど」
レイは崩れ狼の死体を観察していた。
「他の部位にも利用価値がある可能性があります」
「これに?」
「変異が非常に進んでいます。通常の生物とは構造が異なります」
確かに、戦車砲を受けても動き続けるような身体だ。牙だけでなく、爪や皮にも何か使い道があるかもしれない。
「じゃあ、持って帰れそうなものは持って帰ろう。売れるかもしれないし」
「現在の価値は判断できません」
「あ、昔の人だもんね」
レイが、ほんの少しだけ目を細めた。
「……昔の人、ですか」
「え? あ、いや、その、昔のことに詳しいっていうか……」
「事実ではあります」
それだけ言って、レイは崩れ狼の死体の方へ向き直った。声の温度が、さっきより一段下がった気がする。何か、まずいことを言ったのだろうか。言ったんだろうな。何がまずかったのかは、さっぱり分からなかったけれど。
使えそうな部位を戦車へ積み込みながら、少し前に倒したジャンクウォーカーのことを思い出した。あのときは売れそうな部品を拾うことしか頭になかったけれど、機械が相手なら、使える武器そのものが残ることもある。実際、あの機械からは、粗末ながら古い銃の部品が出てきた。もっと強い機械なら、機銃や大砲が丸ごと残っているかもしれない。装甲も、エンジンも。倒した敵の武器をはぎ取って、自分の戦車に載せる。そんなことまでできるようになったら――。爪を抱えたまま手が止まっていて、レイに「どうしました」と聞かれるまで気づかなかった。
最後に、崩れ狼の脇腹から、ガニーの槍の穂先を抜いた。僕が戦車で押し込んだせいで、ずいぶん深くまで食い込んでいる。両手で柄の残りをつかんで、足を踏ん張って引き抜くと、穂先はひどく歪んでいた。
あいつのことは、今でも好きにはなれない。石の痛さも、笑い声も、まだ体が覚えている。正直に言えば、穂先を引き抜くあいだ、もう石を投げられることはないんだと、頭のどこかで勘定していた自分がいた。その勘定に気づいた途端、穂先を握る手のひらが冷たくなった。あいつがあんな姿になったのを、この目で見たのに。
それでも、この穂先がなければ勝てなかった。ここに置いていく気には、なれなかった。布で包んで、戦車に積んだ。
作業を終えて、改めてレイを見た。地下からずっと気になっていたことが、まだ残っていた。
「そういえば、レイって結局何なの?」
レイは少しだけ黙ったあと、僕をまっすぐ見た。
「私はレイ。旧文明によって造られた、超AIと呼ばれる存在です」
「超AI……?」
聞いたことのない言葉だった。意味は何となく分かる。分かるけれど、あまりにもそのままだ。
「なんか……すごい名前だね」
「正式名称ではありません。当時、私たちをそう呼ぶ者が増え、それが定着したものです」
「じゃあ、レイみたいなのが他にもいたの?」
「はい。ただし、多くはありません」
レイの話では、超AIが造られたのは旧文明の戦争の終わり頃だった。戦争は長引き、どの国が投入する兵器も際限なく強力になっていった。その中で生まれたのが、既存の兵器とは比べものにならない演算能力と、自分で戦場を判断して動ける身体を持った存在――後に超AIと呼ばれるようになったものだったらしい。一体で大きな戦力に匹敵し、戦場によっては戦況そのものを変えることさえ期待されていた。ただ、造るのに要る技術も素材も桁違いで、旧文明でさえ数を揃えることはできなかったという。
「そんなに強いの?」
「本来であれば、先ほどの変異生物を相手に、あれほど時間は必要ありません」
思わず崩れ狼を見た。戦車の主砲を受けても死なず、僕たちがあれだけ苦労してようやく倒した化け物だ。
「……あれより?」
「はい。ただし、現在の私は本来の戦闘能力には遠く及びません」
レイは自分の手を見た。握って、開く。さっきまでのような引っかかりは、もうなかった。
「私の兵装の多くは、身体へ装着して使用する専用装備でした。過去の戦闘ですべて喪失、または破損しています」
「じゃあ、さっきは武器なしだったの?」
「はい」
あれだけの動きをしていたのに、素手で。
「その武器って、直せないの?」
「現物がありません。ただし、設計情報は保持しています」
「設計情報?」
「同じものを完全に再現することは困難です。必要な素材、部品、製造設備がありません」
そこでレイは少し考えた。
「ですが、現在利用可能な素材と部品を組み合わせれば、性能を落とした代替装備を製作できる可能性はあります」
「作れるの!?」
「材料があれば」
今のレイでも、崩れ狼と素手で渡り合える。その上、本当は武器まで使うという。
「すごいな……」
超AI。名前はびっくりするくらい単純なのに、話を聞けば聞くほど、とんでもないものらしい。そのとんでもないものに、僕はさっき「昔の人」と言ったわけだ。
「それで、どうしてそんなレイがあんなところに?」
「この周辺で、大型の変異生物と戦いました。対象を活動停止させたと判断しましたが、ほとんど相打ちでした。私の身体も砕けて、地下へ落下しました」
「砕けて……?」
「腕や脚を失った、という程度ではありません。身体の大部分が壊れ、ばらばらになりました。あなたが見つけたときの状態は、それでもかなり修復が進んだ後のものです」
地下で見たレイの姿がよみがえった。片腕も片脚もなくて、瓦礫の下に挟まれていた。あれでも、修復が進んだ後だったというのか。
「じゃあ、最初は……」
「人の形をしていたかどうかも、怪しいでしょう。外から見れば、残骸です。修復できると判断する者はいなかったはずです。落ちた先も、汚染の底でした」
「誰も、助けに来なかったの?」
「来られなかった、と言うべきです。あの状態の私を見て、まだ動いていると考える者はいません。中枢が残っているかどうかさえ、外からは判別できなかったはずです。共に戦った者たちも、無事ではありませんでした。汚染と瓦礫の底に散らばった残骸を、一つ残らず拾い集める余裕は、誰にもなかった」
レイは淡々と言った。誰かを責めるような響きは、少しもなかった。
「それに、汚染の中では、私の修復はほとんど進みません。私の身体を直すナノマシンは、XMAを使って動いています。汚染されたXMAの中では、その働きが狂ってしまうのです。ごくわずかずつ、残った部分を基点に組み直すことしかできませんでした」
「なの……ましん?」
「目に見えないほど小さな機械です。数えきれないほど、私の身体の中にあります。壊れたところを見つけて、少しずつ直していきます」
身体の中に、目に見えない機械がうじゃうじゃいる。思い浮かべかけて、やめた。腕に鳥肌が立っていた。旧文明の人たちは、そんなものまで作っていたのか。でも、腕がなかったはずのレイが、今こうして両腕で僕の隣にいる。信じるしかなかった。
「それで、外に出た途端に……」
「はい。汚染域を離脱したことで、修復を妨げていたものがなくなりました。あの場所に留まっている限り、身体を動かすための部分だけが、どうしても直らなかった。あのままなら、あと何十年かかったか分かりません」
戦車の後ろで、光に包まれていたレイを思い出した。ようやくです、とレイは言っていた。
大型の変異生物。地下の壁を抉っていた巨大な爪痕が頭に浮かんだ。僕の背丈の倍ほどもある、あの肋骨も。
「……あの骨?」
レイは少しだけ間を置いた。
「おそらく。あれの骨です」
それから、地下の方へ一度だけ目を向けた。
「骨になっているのなら……倒しきれたのでしょう」
独り言のような声だった。それ以上は言わなかった。
「それって、いつの話?」
レイはすぐには答えなかった。陥没の縁の向こうにのぞく空を見上げる。太陽の位置を確かめているようだった。狂ってしまった自分の中の時計より、空の方を頼りにして、時間を測ろうとしているように見えた。
「……約二百年前です」
「二百年前?」
僕が生まれるずっと前、どころの話じゃない。父さんもデションも、この町にいる誰一人生まれていない頃だ。
「じゃあ、ずっとあそこにいたの?」
「はい」
「二百年も?」
「おおよそ」
想像しようとして、うまくいかなかった。二百年。あの暗い地下で、紫色の靄の中で、一人で。ばらばらになった身体を、少しずつ、少しずつ組み直しながら。誰も来ない瓦礫の下で、上から足音が降ってくるのを待つこともなく。
「寂しく、なかった?」
口から出てから、変なことを聞いたと気づいた。でもレイは笑わなかった。少しだけ黙って、それから言った。
「少し、複雑ですね」
否定しなかった。そのことが、妙に耳に残った。地下で、一人で置いていかれるのは嫌じゃないかと僕が聞いたとき、レイはしばらく僕の顔を見ていた。その理由が、ほんの少しだけ分かった気がした。
レイ。口の中でその名前を転がしたとき、何かが引っかかった。毎日のように耳にしている響きに、どこか似ている。
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