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荒野でおどれ 〜錆びた戦車と、旧文明の少女〜  作者: 京屋しゃべつ
錆びた戦車と、旧文明の少女

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2/36

父さんと夕日の約束

本日は5話更新しています(2/5)。

 その日の朝、少年は父さんに手を引かれて、窪地の底の畑へ下りていった。レイラインは、旧文明の人たちが造ったという古い堤の、西の端に寄り添うようにしてできた町だ。灰色の壁のような堤が東西に長く横たわっていて、その上は車がすれ違えるほど広く、今は町の大通りになっている。

 堤の北側には、昔は水がたっぷり溜まっていたらしい。それが干上がって、今は乾いた窪地だけが残った。町からゆるやかに下っていく斜面の先、底にわずかに湧く水源のまわりに芋や豆の畑が広がっていて、そこがレイラインの農業区だった。

「グレスさん、おはよう」

「おう。東の畝はどうだ」

「上々だよ。あんたに言われた通り、水やりを控えめにしてみたら、芋がよく太ってくれてね」

 畑のあちこちから声がかかった。父さんは一人一人に返事をしながら歩き、ときどき土をつかんで鼻に近づけ、ときどき誰かの肩を叩いて笑う。父さんが通ると、畝にかがんでいた人たちが次々に顔を上げた。そのたびに少年は、父さんの手を握る指に力が入って、知らないうちに胸を反らせていた。

 父さんは農業区のまとめ役だった。畑の割り振りも、水の配り方も、父さんが決める。揉め事があれば間に入るし、モンスターが畑に入り込めば、家の壁に掛けてある古い銃を持って追い払いに行く。昔はハンターだったのだと、みんなが言っていた。昼前、その父さんのところへ、畦道の向こうから一人の男が歩いてきた。

「よう、グレス。精が出るな」

「デションか。ハン協の所長様が、こんなとこで油売ってていいのか」

「所長様はやめろ。ちょっと話があってな」

 デションおじさんだった。父さんの昔の仲間で、ときどき家にも来る。父さんより少し年上で、顔にはいくつも古い傷が走っていた。少年はこの人が少し怖くて、でも好きだった。会うたびに、首がもげそうなくらい乱暴に頭を撫でてくれるからだ。

「坊主、背え伸びたか?」

「伸びたよ。母さんが測ってくれた」

「そうかそうか」

 おじさんは少年の頭をぐしゃぐしゃにかき回してから、父さんの方へ向き直った。声が、一段低くなった。

「南の方が、おかしいって話だ」

「南?」

「火山の辺りだ。昨日来た輸送隊の連中が言ってた。夜になると、南の空がぼんやり光ってるってよ。それに、あっちの方からモンスターがやけに流れてきてるらしい」

 父さんは南を見た。堤の向こう、乾いた荒野のずっと先に、山並みがかすんでいる。昼の空は、いつもと同じ色をしていた。

「守備隊には」

「伝えてある。見張りも増やした。まあ、何かあっても、町の戦車がありゃ追い返せるだろうがな」

「……そうだな」

「お前も、いざってときは頼むぞ。腕は鈍ってねえだろうな」

「毎日芋を掘ってるんだ。鈍るひまもないさ」

 父さんが笑うと、おじさんも鼻で笑った。それから、ふと思い出したように言った。

「そういや、お前のあれ。まだ丘の奥に置きっぱなしか」

 父さんの顔から、笑みがすっと消えた。

「……その話はするな」

「別に取ってこいなんて言ってねえよ。ただ、いざってときにありゃ心強――」

「デション」

 父さんは少年の方をちらりと見た。それから、低い声で言った。

「ハンナが聞く」

 おじさんは肩をすくめて、それきり何も言わなかった。丘の奥。置きっぱなし。何のことだろう。少年は口を開きかけて、父さんの横顔を見て、閉じた。父さんはときどき、こういう顔をする。昔の話になったときだけ、戸をぴしゃりと閉めてしまうような顔だ。そうなった父さんは、何を聞いても絶対に教えてくれない。大人だけで分かっている話をされるのはつまらなくて、少年は足元の土くれを、こっそり蹴とばした。


 午後、父さんは修理工場に用があると言って、少年を連れて大通りへ上がった。修理工場は、町でいちばん大きな建物だった。大きな扉が四つ並び、その奥で戦車や輸送車が何台も直されている。金属を叩く甲高い音が絶えず響いていて、中に入ると、油の匂いが鼻の奥まで染みてくる。少年はこの場所が大好きで、扉をくぐるたびに、思いきり息を吸い込んだ。

「お、グレスか。鍬の刃だろ、できてるぞ」

 油まみれの作業着を着た、まだ若い工長のステンさんが手を上げた。父さんとステンさんが話し込み始めるのを見届けるが早いか、少年は工場の裏へ駆けだした。そこに、マリカがいるはずだった。

「遅い!」

 倉庫の裏の、くず鉄や部品の切れ端が山になっている場所で、マリカが腰に手を当てて待っていた。少年と同じ十歳で、ステンさんの娘で、少年のいちばんの遊び相手だ。

「今日は何探すの?」

「宝物」

「いつもそれじゃん」

「いいの。今日はすごいの見つけるんだから」

 二人でくず鉄の山をかき分けた。錆びた歯車、ねじれたばね、何に使うのか分からない金属の箱。マリカは部品を見つけるたびに、それが何なのかを得意げに説明してくれた。たいてい、ステンさんの受け売りだった。少年が「それ、この前も聞いた」と言うと、マリカは「二回聞いたら覚えるでしょ」と鼻を鳴らした。

 しばらくして、マリカが細い針金を拾い上げた。器用な指先でくるくると巻いて、小さな輪を二つ作る。

「はい、これ」

 そう言って、片方を少年に差し出した。

「なにこれ」

「指輪よ。知らないの? 大人は結婚するとき、これをするんだって。母さんが言ってた」

「結婚?」

「そう。大きくなったら、あんたと結婚してあげる」

 マリカは自分の指に針金の輪をはめて、満足そうに眺めた。

「その代わり、あんたが戦車乗りになったら、隣に乗せてね。私が整備してあげるから」

「本当?」

「本当よ。約束」

 少年も自分の指に、針金の輪をはめた。ぶかぶかで、指を下に向けたらすぐに抜け落ちそうだった。だから、ぎゅっと拳を握った。顔がむずむずして、どうしても口の端が持ち上がってしまう。そのあと父さんに「何握ってるんだ」と聞かれても、夕飯まで内緒だと言って、帰り道のあいだじゅう、とうとう一度も手を開かなかった。


 夕方、畑のそばの家へ帰る途中、少年はふと南の空を見た。日の沈みかけた空の、地平線に近いところが、ほんの少しだけ赤黒く濁っていた。夕焼けの色とは違う。焦げた鍋の底のような、嫌な赤だった。

「父さん、あれ」

「ん?」

 父さんも南を見た。しばらく、黙って見ていた。少年の手を握る大きな手に、ほんの少しだけ力がこもった。

「……さあ、帰るぞ。母さんが待ってる」

 父さんはそれ以上、何も言わなかった。


   ◇


 その夜の食卓には、いつもより一品多く皿が並んでいた。干し肉と豆の煮込みに、窪地の底の畑で採れたばかりの芋。母さんが少しだけ奮発したのだと、少年にも分かった。煮込みの湯気を吸い込んだだけで、お腹がぐうと鳴った。

 窓の外は、もう暗くなっていた。南の空のことは、誰も口にしなかった。

「今年は出来がいい」

 父さんが芋を割りながら言った。割れ目から、白い湯気が立ちのぼる。

「この調子なら、冬を越しても種芋が余る。残りは宿や食堂に卸せば、いい値で引き取ってもらえるだろう。農業区のみんなにも、少しは楽をさせてやれそうだ」

「あなた、それ今日三回目よ」

 母さんが笑った。父さんは「そうだったか」と頭をかいた。少年は芋をほおばったまま、テーブルの下でこっそり指を一本折った。寝る前に、たぶん四回目がある。

「どうしてそんなに高く売れるの?」

 少年が聞くと、父さんは「ん?」と少し考えるような顔をした。

「そうだな……レイラインは小さな町だが、東の町から来る輸送隊も、西へ向かうハンターも、みんなここで一晩泊まって、飯を食って、燃料を入れていく。どんなにいい戦車に乗ってたって、腹は減るからな。道の途中にある町ってのは、それだけで食いっぱぐれないもんさ」

 それから父さんは、少年の頭に大きな手を乗せた。土の匂いのする、ごつごつした手だった。

「収穫が終わったら、堤のてっぺんに連れてってやる。子供だけで登っちゃいけない場所だが、父さんと一緒ならいい。あそこから見る夕日はな、荒野ぜんぶが燃えてるみたいに赤くなるんだ」

 少年は思わず、椅子の上で膝立ちになった。荒野ぜんぶ。どこまでも続くあの茶色い地面が、端から端まで真っ赤になる。頭の中で何度塗ってみても、まだ足りない気がした。

「ほんと? 約束だよ」

「ああ、約束だ」

 約束、という言葉で思い出した。少年は握りしめていた手を、そっと開いた。

「見て。マリカがくれた」

 手のひらに、汗で湿った針金の輪が乗っていた。母さんは「あらまあ」と目を丸くして、それから声を立てて笑った。

「大きくなったら結婚してくれるんだって。僕が戦車乗りになったら、隣に乗るって」

「そりゃあ、マリカちゃんに尻に敷かれるぞ」

 父さんが笑って、大きな手で少年の頭をぐしゃぐしゃにした。少年は針金の輪を、上着のポケットに大事にしまった。上からもう一度押さえて、ちゃんとそこにあるのを確かめた。


 少年の目は、つい壁の方へ向いてしまう。そこには古い銃が一丁、掛けてあった。父さんが畑をモンスターから守るときにだけ持ち出す銃で、町の武器屋には並んでいない、見たことのない形をしている。あれを眺めていると、どうしても聞きたくなる。

「父さん、ハンターだったときの話してよ」

「またそれか」

「戦車に乗ってたんでしょ?」

 父さんは少しだけ遠い目をした。それから笑って、首を振った。

「昔の話だ。今の父さんは、芋を育てる方がずっと性に合ってる」

 また、はぐらかされた。少年は唇をとがらせて、煮込みの豆をスプーンでつついた。母さんが何も言わずに父さんを見ていた。少年には、その目の意味がまだ分からなかった。


 ――カン、カン、カン、カン。

 鐘が鳴った。守備隊の見張り台の鐘だ。一度や二度では終わらない。いつまでも止まらない。打ち手が腕の力を失うまで鳴らし続けるような、狂った打ち方だった。

 少年の手から、スプーンが落ちた。父さんの顔が、すっと強張った。その目はもう、壁の銃を見ていた。

お読みいただきありがとうございます。

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