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全てを失ったので、もう一度頑張ります  作者: 智慧砂猫


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EP.1 前へ進むために

 フローレンス・アウストラリスの人生は、まさにどん底だった。


 婚約者だった皇太子とは破談になり、その数か月後に両親が馬車の事故で、この世を去ってしまったからだ。そして信じていた優しい叔父も、男爵家の財産をフローレンスに代わって管理するようになると、彼女から領地という遺産を奪った。


 優しかったのはあくまで父親であるアウストラリス男爵が健在だったからでしかなく、娘であるフローレンスの同意さえあれば自身が爵位を継げると知り、狡猾にも優しいふりをして近付き、常に利用することを考えてきたのだ。


 しかし、ひとつだけ彼の誤算があった。フローレンスが僅かな財産を持って家を抜け、行方が分からなくなった。爵位は継いだものの、報復を恐れて傭兵を雇ってまで捜索させたが、依然として行方が掴めないまま三ヶ月が過ぎた────。


「……うっ、んん……なんだ、もう朝か」


 皇都の片隅、目立たない土地にフローレンスは小さな家を買った。

 誰にも邪魔されない、平和な砦だ。


 ベッドから起きるとググッと体を伸ばし、ふうっ、と息を吐く。ぼさぼさの長い金髪を短い紐で緩めに縛った。伸びた前髪がひとつ隠した青碧の瞳は眠たそうにしながら、カーテンを開けて陽射しに抵抗するように目を細めて外を眺めた。


「今日も平和だ」


 フローレンスはアウストラリスの名を隠して暮らしている。狡猾な叔父のやることだから、きっと念入りに聞き込みをするに違いないと思い、せめて見つかりにくいように都市の隅にある区画の家を買って、誰にも姓を名乗らなかった。


 その甲斐あってか、三ヶ月も過ぎたというのに、未だに見つかる気配がない。二、三年も経てば追跡もなくなるだろう、とのんきに構え始めていた。


「フローレンス、おはよう!」


 小さな庭の向こうで、手を振る爽やかな青年に笑顔を向ける。ふたつ隣にある花屋で働くロディは引っ越してきたときからの友人である。週に一度、玄関に飾る花の配達に来る。庭で育てている花が上手く育つまでは頼るつもりだ。


「おはよう、ロディ。今日もいい天気だな」

「うん、そうだね。ちょうどいい気温だから花も元気だよ!」

「本当だ。ちょっと待っていてくれ。今、玄関を開けよう」


 慎ましやかな話し方はやめた。品の良さなど足枷でしかない。その代わり、父親の口調をまねるようになった。


 変わり者だと思われた方が今のフローレンスにとっては都合がいい。


「いつもご苦労様。これ、代金」

「こちらこそ。義兄さんからおまけ付き」

「おお、ありがたい。また礼を言っておいてくれ」

「わかった。じゃあ、俺は次の仕事があるから」

「またおいで。次はコーヒーくらいなら淹れてあげよう」


 ロディを見送った後、貰った花をダイニングに飾った。テーブルの真ん中に置くだけで、家の中が少し華やかな雰囲気になった気がして、心が安心する。


 破談にされ、叔父に男爵家を乗っ取られてから、一ヶ月は塞ぎ込んだ。新居を手に入れても、セピアに染められた景色は、なかなか元通りにはならなかった。


 毎日の食事は味がしない。スープは水のように感じ、トーストは口の中でざらつく感触だけが広がり、砂でも食べているのかと吐き出した日もある。ただ生きている日々の繰り返し。それを変えたのが、ふらりと立ち寄った花屋だった。


 胸に沁み込む優しい香りと美しく咲く姿に、色鮮やかな世界が戻った。


「……いい加減、前を見ないと」


 思い出せば辛くなる。持ち出した私物を売り払って作った資金も、ほとんど残っていない。外には出たくなかったが、働く場所を探す必要に迫られた。


 町に出れば、掲示板に求人の張り紙がいくらでもある。フローレンスくらいの年齢なら働き口を見つけるのはそう難しくない。ただ、知っている人間に見つかるリスクを考えると、簡単には行動できなかった。


「(さて、どうしたものかな)」


 念のため掲示板くらいは確認しておきたい。寝室に戻り、クローゼットにあったローブを着込んで、顔を見えにくくする。姿見で外観をチェックして問題がないと判断したら、目立たないように家を出た。


 掲示板のある場所までは歩いて十分ほどの距離だ。騎士団時代の訓練の賜物か、フローレンスは息を切らすことなく、その三分の一の時間で掲示板のある小さな広場までやってきた。大広場と比べて都市に点々とある小広場は、あまり人がいない。散歩にきた老人や井戸端会議に熱心な婦人たちがちらほらいる程度だ。


 そんな場所の掲示板にも求人の張り紙があるのかと言えば、ある。商会が依頼されて各所の掲示板に張り紙をしにやってくるので、どれだけ遠い場所だろうと求人の張り紙が当たり前のように毎週更新されていた。


「えっと……」


 指をさしながら、求人の張り紙をひとつずつ確認していく。『焼き立てパンの配達』、『薬師の助手になってみませんか?』『腕に自信のある方、募集中』。いくつか眺めていたが、ひときわ興味が湧いたのが、三つ目の張り紙だった。


「腕に自信のある方……護衛か何かの仕事かな?」


 どんな仕事かは分からないが、腕に自信があるという話なら商人の護衛などの仕事に違いないと思い、騎士団時代の実力を如何なく発揮できる場所と考えた。安易な考えだ。目立ちたくないのに、自分に出来そうな仕事だと分かると惹かれた。


『詳細は場所はクレーニュ大通り沿いにある邸宅まで、張り紙をご持参ください。我々があなたを見つけ、声を掛けさせていただきます』


 はて、変わった求人だ。どうにも気になって張り紙を剥がす。


「(此処からクレーニュ大通りとなると、私の足でも二十分くらいだな)」 


 少々遠いが、よほど極秘の仕事であれば身分が明らかになることもない。なぜ、その見立ての甘さが消えないのか。フローレンスは安心しきって歩き出す。


 想定した時間ぴったりでクレーニュ通りの大広場まで行ったとき、かなりの賑わいぶりに、本当に張り紙を持っていれば見つけてもらえるのかと不安になる。とにかく人が多すぎる。目立ちたくないのにローブを着ているのが自分だけなので、悪目立ちしているのではないかと挙動不審になって嫌な汗が滲む。


 そもそも、大通り沿いの邸宅とはどこなのか。クレーニュ大通りに面した大きな家はいくつもある。おそらくは商人なのだろうと広場の噴水前で、胸の前に張り紙を持って立ってみる。これで誰かが見つけて案内してくれれば、と。


 心臓の鼓動が全身に響くような感覚にまるで落ち着かなかったが、五分もするとほんの少しだけ気分が晴れた。


「やあ、どうも。腕に覚えのある方の求人を見て待ってくださった方ですね?」


 見つかった。見つけてもらえた。あれはガセではなかったと安堵する。


「そうです。張り紙を持っていれば声を掛けてくださると……」


 ふと顔をあげたとき、一気に青ざめた。

 目の前にいるのは騎士だ。それも、高名がすぎる男。


「聖炎騎士団の団長、ニックスと申します。えーと……。あれ、どこかで見た顔ですね。どこでだっけ。ああ、そう。たしか皇国騎士団の────」


「人違いでしょう。すみません、用事を思い出しましたので失礼します」


 急いで逃げようとする。なにしろ相手は聖炎騎士団。皇国擁する常備軍とは違い、フルクトゥアト大公家が所有する私設騎士団であり、その強さはたった三十余名にも拘わらず、二千人規模の兵士を圧倒したと言われる怪物集団の団長。


 剣術だけではなく、選ばれた人間のみが扱える魔法を習得する者が在籍できると言われる、皇国では誰もが憧れ、敬意を抱く最強の騎士団。それを束ねるニックスを知らない騎士などひとりもいない。


 薄い青色混じりの銀髪。珊瑚色の瞳。優しい顔立ちとは裏腹に、戦いぶりは苛烈そのもので、騎士たちの教育における厳しさはうわさに流れてくる。


「つれないな。少しくらいは話を聞きませんか、フローレンス」

「……すみませんが、目立ちたくありませんので」

「アウストラリス男爵に見つかりたくないんでしょう。知ってますとも」


 薄い青色の混ざった銀髪をさらりと手で梳きながら、ニックスは微笑んだ。

 ゾッとして、フローレンスも一気に血の気が引いて動けなくなった。


「ちょうど腕に自信のある方を探してたんです。話だけでも聞いていきませんか。もしかしたら、良い取引ができるかもしれませんよ、レディ」

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