EP.0 プロローグ
騎士であったことは私の誇りだった。
小さな領地を経営する男爵家の娘として生まれ、特別な美貌も持たない。だから社交界で目立つことはなかったし、何をしていても蔑むどころか気にも留められない。私が騎士であるなど、多くの人々にとってはどうでもいい。
おかげで自由でいられた。幸いにも、私は両親にも恵まれた。優しい人柄から周囲の信頼も厚く、領民たちとの関係も良好。私自身、目指したいものがあるのなら、なんでもいいからやってみなさいとよく勧められた。
私が騎士を目指したのは十三歳の春。騎士団の凱旋を目にしたときから虜になり、騎士である叔父から馬術や剣術を習った。本来であれば、もっと幼い頃からやるらしいので、私の年齢を考えれば遅すぎるくらいだったが、叔父はいつもお前には才能があると言って励ましてくれた。
そうして、ついに騎士団に入団したのが十八歳。デビュタントにはならず、男爵令嬢としての扱いを受けないことを良しとして念願を叶えた。
二十二歳の冬。王都から離れた東部に位置する広大な森に現れた魔物の群れを討伐する、という大きな任務に加わり、それまでコツコツと積み上げてきた功績が後押しして団長補佐の任命を受けた。
出世は素直に嬉しかった。入った頃は女には無理だとキツく言われ、努力をすれば必死だと馬鹿にされた。それでもめげずに、私はやり遂げたのだ。
一年後、私は縁談を持ちかけられた。相手はカリトゥス皇太子殿下。たまさか訓練場の視察に来た際に、私に一目ぼれをしてくれたということらしい。
「フローレンス、俺と結婚してくれないか」
二十三歳で来た縁談。お父様は大げさすぎるくらい喜んでくれた。
もちろん、私も断る理由がなかった。両親が拒否しないかぎりはそもそも私に断る権利などないのだが、そろそろ結婚すべきと考えていたのも事実だ。殿下は思慮深くて、いつでも私を立ててくれた。
結婚する条件として騎士団をやめることにはなったが、『彼女は実力で団長補佐にまで登り詰め、優れた人格の持ち主でもある』と褒めそやすので、周囲もそれを否定しなかったし、好意的に受け取ってくれた。
────成婚祝いのパーティが開かれた、その日までは。
「フローレンス、俺は真実の愛を知ったのだ」
彼の左隣で、さも当然のように腕を組む伯爵令嬢には面識がない。それもそうか、私はデビュタントにはならなかったのだから、社交界とも無縁だった。結婚を申し込まれてから二ヶ月ほどして、ようやくぽつぽつと顔を覚えてきたばかりだ。
「最近の、お前の行いは目に余る。だがこれまで俺を気遣ってくれたことも多い。フォルミカ伯爵令嬢も、お前の減刑を求める優しさを見せてくれた。よって、この宮殿からの追放に留めてやろう」
何を言っているのか、まるで分からない。いや、理解したくもない。
私は今日まで真面目に生きてきた。誰に何を言われようとも取り合わず、皇太子妃となることを夢見ながら、恥を掻くまい、掻かすまいと努めてきた。
なのに、目に余る行いとはなんだったのだろうか。聞く気が起きない。言葉が出ていかない。違う、精神的苦痛が許容を超えている。言葉が出ていかない。
周囲の囁く声が心を掻きむしって傷つけた。何を話しているのかさえ耳に入ってこなかったが、それが決して良いものでないことは馬鹿な私でも分かった。
「すぐに立ち去るがいい。二度と俺の前に現れるな」
隣のフォルミカ伯爵令嬢が憎い。憎いが、それよりも殿下の言葉の方がずっと痛い。剣で斬られるよりも、ずっと痛いだろうと思う。
「殿下、フローレンス嬢も、きっと後悔していますわ。追放だなんて可哀想です。どうかご再考を。あの方は騎士としても優秀な方だったのでしょう?」
なんともつぶらな瞳で殿下にすり寄る姿が、私には蠅に見えてしまった。
可憐な顔つきの裏側にある悪意になど気付きたくもなかった。
「ふむ……。お前は優しいな。だが、それでは罰にはならないだろう」
いいや、違う。令嬢の目的は私を傍に置くことで立場を明確にしたいのだ。私は勝者で、お前は負け犬だと。首輪をつけて、どちらが優れた人間かを見せびらかしたいだけだ。蛇の如き狡賢さで、私を────。
「うむ、では令嬢の意志も尊重して……」
「いいえ、殿下。その必要はありません」
真相だとか事実だとか、そんなものはどうでもよかった。
ただ、初めての恋が裏切られた。それだけで十分な理由になった。
「ご厚意は嬉しいのですが、殿下や伯爵令嬢にご迷惑をお掛けするわけにはいきません。……ひとつ甘えさせていただくとすれば、なんの咎もなく、此処を出ることだけをお許しいただければと存じます」
私の言葉は、あっさりと受け入れてもらえた。殿下も令嬢も、つまるところ公的な場での自分たちの懐の深さをアピールしたかったのだと思う。
いち男爵令嬢如きを野放しにしたところで報復もない。そうだ、私もそうするつもりがない。とにかく失望してしまった。
真実の愛とはなんなのだろう。婚約者の根も葉もない噂を信じ込み、この一年間尽くしてきたはずの私よりも、パーティの席で顔を合わせてきた程度であろう伯爵令嬢の言葉を優先することが真実の愛なのか。もう私には分からない。
大舞台から突き落とされ、抵抗もできなかった。ひとえに私自身の見立ての甘さによるもので、誰を責める気にもならない。自分が皇太子妃に選ばれるなど、正直言って現実離れしていたから、どこか浮かれていたのだと思う。
社交界の恐ろしさを認識せず、ただ結婚を祝福してもらい、幸せな家庭を持てると信じていた私自身の愚かさが招いた結果だと認めよう。そうすれば少しは傷が浅くなるはずだ。でなければ、生きていく自信がない。
わんわん泣いて走った。我ながら情けない。でも仕方ない。初めてのことで、感情を制御できるはずもなく、早く帰りたいとばかり願っていたから。
そのせいで涙をぬぐいながら走っていると、誰かにぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい、急いでて……」
「いや、気にするな。俺こそ前を見ていなかった」
男の人だった。とても美しい、煌びやかな黒い礼服。
端正な顔立ちをした黒髪の男の人。どこかで見覚えがある気がした。
「ひとつ聞きたいのだが、なぜ泣いている?」
「あっ、いえ。お気になさらず、色々ありすぎまして。……では失礼します」
私は逃げるように、その場を去った。誰かの顔を直視するのは無理だ。ましてや泣き顔を晒すだなんて、相手が戸惑うにきまってる。
呼び止められたような気がしたが、私は足を止めなかった。
嗚呼、神様。どうか明日が幸せでありますように。
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