第7話 旅立ち
思いがけない言葉だった。
ルーベンスデルファーは驚きと困惑の入り混じった顔でエインゼルを振り返る。
「そんなことが……貴女は魔法が使えるのか?」
「はい」
エインゼルは微笑んだ。
ずっと秘めていた魔法の言葉が心の中に浮かんでくる。
ロゼリア姫が生前に泣きながら「使わないで」と幾度も叱った禁断の魔法。
それでも自分は止めなかった。使うことに一度も躊躇ったことはなかった。
「エルンスト・ルーベンスデルファー」
呼びかけるエインゼルの声は敬虔で、母国への希望を繋ごうとする強い決意に満ちていた。
「貴方は私の為に戦って下さいました。フェリーリラ王国への水を乞う私を足蹴にしたセント・ラースロー帝国の宮廷から、ロゼリア様の名誉を救って下さいました」
「……」
「私の誠意と生命を貴方の親友に捧げます。どうか、御受け下さい」
変わり果てた姿のルーベンスデルファーの愛機に向かって、エインゼルは静かに詠唱を始めた。
この世界の理を司る者よ
生命を紡がんとする望みを掲げ、声あぐる者あり 心あらば聞け
我が生命と引き換えに、おぼろに消ゆる生命を惜しめ
古の契約に遵い、我が生命に今ぞ応えよ
名もなき歌に生命を捧げ 目覚めよと汝を呼ぶ声あり
我が願いは御身の腕に、託す奇跡の光を灯すは、ただ汝の胸にあり
注げ、生命の真清水を……
詠唱を唱えるエインゼルの身体が次第に銀色に発光し、それに呼応するようにルーベンスデルファーの愛機が光り始めた。
「これは……!」
この異世界でほとんど魔法の類を見る機会のなかったルーベンスデルファーにとって、それは驚くべき超常現象だった。
凍り付いたように見つめる彼の目の前で、まるで時間を逆戻すように金属カスとなって燃え落ちたジェラルミンが復元し、機体に貼り付いてゆく。粉々に砕け、熱で溶けたはずの風防ガラスが元の形を取り戻し、操縦席を形成してゆく。
だが、それとは対照的にエインゼルの詠唱は次第に苦し気に変わっていった。
胸を押さえ、息が続かないとでもいうような様子で苦痛に耐える彼女から、必死の詠唱が続く。
「エインゼル……」
ルーベンスデルファーは、苦しそうな様子を見かねて詠唱を止めさせようとしたがエインゼルは手で制した。このまま最後まで唱えさせて、と彼女の目は訴えている。
彼はそれ以上、何もすることが出来なかった。
やがて……
最後に大きな閃光が迸った。その場に居た人々は思わず目を閉じる。ルーベンスデルファーも顔の前に手を当てた。
そして、眩い閃光が消えた後、そこにあったのは……
「ジルヴァー・シュトライプ!」
彼の見慣れた愛機が蘇っていた。
丸みを帯びた機体、角ばった翼、エンジンに付いた三枚のプロペラ、何もかもが元のままだった。弾痕を補修した痕までもが同じだった。
「ああ、信じられない! ジルヴァー・シュトライプ……俺の愛機、俺の翼……よくぞ……」
ルーベンスデルファーは駆け寄ると機体に思わず頬ずりした。彼は激しい戦場の空を一心同体となって戦ってきたこの機体に、人と同じような愛着を持っていたのである。
金属の機体を撫でさすっていたルーベンスデルファーは、我に返るとエインゼルを振り返った。
「なんという奇跡だ。ありがとう! 燃える前とまったく同じ状態に戻っ……」
詠唱を終えたエインゼルは地面に倒れ伏していた。
「エインゼル!」
慌てて駆け寄り、その身体を抱き上げた。その身体は華奢で、力を込めて抱きしめたら簡単に壊れそうなほど脆く感じられた。
「エインゼル、しっかりしろ!」
ぐったりしていたエインゼルはその声に目を開け、弱々しく微笑んだ。
「ほら、貴方の翼……希望の光……これならきっと飛べますよね」
「ああ。だが……この魔法はそんなに身体に負担が掛けるのか」
「いいえ……これは私の生命を与える魔法なのです」
エインゼルの答えはルーベンスデルファーを慄然とさせた。
「まさか、貴女の生命を……」
「生命なきものに生命を分け与えることは出来ません……でも、貴方は生死を共にしたこの飛行機を生命あるもののように思っていました。だから私の生命を分け与えることが出来たのです」
「まさか貴女の生命すべてを……」
「……だったら私、もう生きていません。大丈夫……今はちょっと力が抜けて疲れてしまっただけです」
震える指でルーベンスデルファーの口に触れ、エインゼルがいたずらっぽく笑ったので、彼もその顔にようやく小さな笑みを浮かべることが出来た。
「生前、ロゼリア様のご容体が悪かった時にこの魔法を何度も使って怒られました。泣きながら叩かれたこともあります。でも私、自分の生命を削ってでも姫様に少しでも生きていて欲しかった……」
「そうか……」
自分の生命を分け与える侍女とその犠牲に涙する姫の哀しい光景が目に浮かんだ。
きっとそれほど固い絆で結ばれた主従だったのだろう……
冷酷な空の戦場を幾度もくぐり抜けたルーベンスデルファーですら、思わず目頭が熱くなった。
「ありがとう。貴方が授けてくれたこの翼に掛けて誓う。俺は必ず、貴女と水宝玉をフェリーリラ王国へ送り届けてやる」
「……」
疲れ果てたエインゼルが黙ってうなずくと、ルーベンスデルファーは彼女の身体をさっと抱え上げた。エインゼルが、待ってと言う間もなかった。
「行こう」
そのまま、甦った愛機へと向かう。
彼女の願いに応えるために。
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「どういうことだ! 奴の飛行機が元通りになっているぞ! 一体何があった?」
王宮のバルコニーでは、双眼鏡から目を離したランスロットが周囲に喚き立てていた。
「さっきのは放火したように見せかけただけだったのか? おい、どうなっているのだ!」
傍に控えた近習たちは、事情など分かるはずもなく顔を見合わせているばかり。
カッとなったランスロットから「なにをボヤボヤしている! 何があったのかさっさと確かめてこい!」と怒鳴られ、彼等は蜘蛛の子を散らすように走っていった。
「役立たず共が。余の命令ひとつまともに遂行出来ないのか!」
舌打ちしたランスロットを宥めるように、略奪妃アリストゥスがしなだれかかる。
「本当に困った人達ですわねぇ。殿下に言われたことをちゃんと出来ないんですからぁ」
「まったくだ。まぁどんな魔法の手妻かは知らんがあれだけ派手に燃えておいて、今さら飛べるなんてことはあるまいが」
「でも、こうまで殿下の顔を潰されては……もう許しておけませんわね」
アリストゥスはランスロットの耳に唇を寄せると「この世界からの永遠の離別を……」と、毒をはらんだ声でささやいた。
暗に「殺せ」と示唆しているのである。
「そ、それはそうだが……まぁ、待て」
ランスロットは顔を引き攣らせ、怯えた表情になった。
短気で我儘なランスロットは、一方では冷酷にはなれない小心者だった。
それにエインゼルの凛とした美しさを目の当たりにして、彼女を何とか取り戻せないか……と身勝手に考えていたのである。
「こ、殺すのはさすがに大ごとだ。余にはいつでも出来るが周囲の目もあるしな。やむを得ない理由でもあれば考えよう」
そうごまかしながら双眼鏡を顔に当てたランスロットは「あっ!」と叫んだ。
「ルーベンスデルファーの奴、エインゼルをお姫様抱っこして飛行機に乗り込もうとしている! あれは飛べるのか?」
ぎょっとなったアリストゥスが「まさか……!」と、バルコニーから身を乗り出す。その瞳孔が蛇の目のようにきゅっと縦長に細められた。
愛機の風防を開いたルーベンスデルファーは、抱き上げていたエインゼルをそっと後部座席に座らせた。続いて前部の操縦席に乗り込んでエンジンをスタートさせる。
咳き込むような音と共に黒煙を噴きだし、ダイムラーベンツ・エンジンがその三枚羽根のプロペラをゆっくりと回し始めた。
狼狽したアリストゥスが指を差し、ランスロットへ叫んだ。
「いけませんわ殿下! あの飛行機を離陸させては!」
「いかん! おい、誰かあの飛行機を取り押さえろ! 絶対に飛ばしてはならん!」
慌ててランスロットは叫んだ。さっきは調べて来いと言われて散った近習たちのうち何人かが慌てて戻って来たが、再び理不尽な罵声を浴びることになってしまった。
「馬鹿者、あれが見えんのか! ルーベンスデルファーが余の許可もなく自分の戦闘機を飛ばそうとしているではないか! 離陸させてはならん!」
怒鳴りつけられた近習たちは慌てて外へと飛び出していったが、もう遅かった。
空軍所属の将校が「離陸を禁ず」を意味する白の信号弾を夜空に打ち上げたが、それは単に飛び立とうとする者を急かせるだけにしかならなかった。
心地よい振動が、久しぶりに愛機に乗ったルーベンスデルファーの気持ちをを高揚させる。淀みないプロペラの回転が彼にこの機の状態が最高にあると教えてくれた。
後部座席のエインゼルはこれから何が起きるのか分からず、しきりと周囲を見回している。
彼方から何やら叫びながら兵士達が駆け寄ってきたが、ルーベンスデルファーはそれまで利かせていたブレーキを緩め、既に愛機を草地の上で滑走させ始めていた。
機体は速度を上げながら王宮の広大な敷地をそのまま滑走路にして駆けてゆく。
「エインゼル! 余の許を去ることは許さぬ!」
追放と言った同じ口でランスロットはバルコニーから声を枯らし絶叫したが、無論そんな身勝手な言葉など、轟音と共に飛び立ってゆくエインゼルの耳に届くはずもなかった。
「止まれぇー! 余の命令を聞けぇー!」
その瞬間、ふわりと車輪が宙に浮き、ルーベンスデルファーの愛機はフルパワーでぐんぐんと高度を上げていった。目を丸くして見つめるエインゼルの視界の向こうには、バーミリオンに色づいた不思議な夜空が広がっている。
そのさらに先には吸い込まれそうな群青の空が、深く蒼く……
「エインゼル」
呼びかけられたエインゼルは、前の席からルーベンスデルファーが指し示す方向を見て、あっと声をあげた。
紫色の地平線に一筋の銀の光が走ったのだ。
そこから次第に……やがていっぱいに煌めく光が差し込んで、離陸した機を包み込んでゆく。
エインゼルには、まるで心に抱えた絶望はいつか必ず晴れて希望がもたらされるのだと、目に見えない何かが自分へ告げているように感じられた。
「凄い……凄いです……あれは一体?」
「ジルヴァー・シュトライプ」
愛機に付けた名前の由来をルーベンスデルファーは繰り返した。
「夜明けの光。貴女が俺に授けてくれた“希望”だ」




