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偽りの婚約破棄令嬢は恋を胸に、遠き蒼穹の彼方へ  作者: ニセ@梶原康弘


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第6話 異世界から来た青年

 唖然となって見つめるエインゼルに向かって、「異邦人」ルーベンスデルファーは静かに語り始めた。



「俺は、こことは別の世界からやって来た」


「別の……」



 半ばうわごとの様に聞き返すと、ルーベンスデルファーはゆっくりうなずいた。



「ドイツという国だ。昔は王様がいたこともある。今は戦争の真っ最中で俺は戦闘機パイロットだった……この世界流に『空で戦う騎士』と言えば分かるだろうか」


「……」



 俄かには信じかねるような異世界の話だった。


 息を呑み、エインゼルは一心に耳を傾ける。



「あの日、天候は最悪で空は真っ黒だったが……俺は飛ばずにいられなかった」



 ルーベンスデルファーは元いた世界での苦境を思い出したらしく、その顔は一瞬苦渋に歪んだ。



「激しい雨の中を離陸した俺の戦闘機メッサーシュミットは、上昇中にふいに巨大な落雷に打たれて……気がついたらこの世界の空にいた」


「そうだったのですか」


「ああ。元の世界に戻る手掛かりを探して、このセント・ラースロー帝国に身を寄せていたが……正直こんな不愉快な国だとは思わなかった」



 超常現象と偶然で異世界に現れたという青年。


 だが彼を見つめるエインゼルの中に「やっぱり……」と、うなずけるものがあった。


 皇子の顔色ばかりうかがうセント・ラースロー帝国の諸侯らや軍人の中に、今まであれほど公然と異を唱える気概を持った人を見たことがなかったのだ。


 異邦人。

 そういえば、王宮の中で以前「珍しい場所から来た御方がこの宮廷の客になった」という噂話をエインゼルは聞いたことがあった。


 宮廷の女官達が「顔立ちがとても凛々しい人」「一言でもいいからお話ししたい」と話しているのを耳にしたが、自分には関わりもないことだと思い、気に留めていなかったのだ。



(この人だったのだわ……)



「ルーベンスデルファー様、貴方の翼……メッサーシュミットとは飛行機なのですか?」


「ああ。戦闘機だ。この世界の飛行機とは比べ物にならない速さで飛べる」



 エインゼルの瞳が希望に輝いた。



「じゃあ……それに乗せていただけるなら!」


「あるいは間に合うかもしれん」


「ああ……」



 信じられない言葉を聞いてエインゼルは思わず膝が震え、へたり込んでしまった。ルーベンスデルファーは彼女をそっと助け起こす。


 縋るようにして立ち上がったエインゼルの声は震えていた。



「ありがとうございます……ロゼリア姫の名誉を救って下さったばかりか、こんな……何とお礼を申し上げたらいいのか……」


「いいんだ。それより俺からも頼みたいことがある」



 エインゼルを見下ろすルーベンスデルファーの目は穏やかだったが、その目には切実なものが浮かんでいた。



「私に出来ることでしたら」


「俺の祖国ドイツは今、絶望の中にいる」



 「戦争中なんだ」と説明するーベンスデルファーの目は、悲し気だった。



「戦局は絶望的でドイツ中の人々は歯を喰いしばって苦しみに耐えている。間に合うかどうかわからないが……俺は戦う為に一刻も早くドイツへ戻りたい。貴女と同じように」


「……」


「貴女の国に、俺を元の世界へ戻せる力を持った人はいないだろうか」



 エインゼルの顔に動揺が走る。


 彼もまた、自分と同じように藁にも縋る思いでいるのだろう。


 だが、エインゼルの知る限り、そんな魔法が使える人の話はフェリーリラはおろか、このセント・ラースロー帝国でさえ聞いたことがない。



(でももし「知りません、ごめんなさい」と正直に答えたら……)



 エインゼルはためらいがちに「そういえばフェリーリラ王国にいたとき、転移魔法が使える人がいると噂に聞いたような……」と苦しい嘘をついてしまった。


 そうと知らず、エインゼルの肩を掴んだルーベンスデルファーは「そうか!」と目を輝かせた。



(ごめんなさい……)


(でもどうしても貴方の翼が今、必要なの)



 胸に痛みが走る。エインゼルは心の中で、恩人である青年に「どうか許して下さい……」と詫びた。



「では……一刻を争うのだろう? 貴女の国、フェリーリラ王国へ今すぐ向かおう」


「はい」



 エインゼルは良心の呵責に耐えながら頷いた。追放される身で、旅支度など何もない。二人とも着のみ着のままだった。



「ルーベンスデルファー、貴方の翼は……」


「あっちだ。あのずっと先にある倉庫に駐機して……」



 振り返って暗がりの一角を指差したルーベンスデルファーの目が、そのとき驚愕で見開かれた。


 夜空が明るい。何かが燃えている……火事だ。


 明けるには少し早い夜空を明るく照らし、遥か向こうで一棟の倉庫が炎上していた。


 その倉庫は……


 ルーベンスデルファーは「俺のメッサーシュミットが!」と呻くや、走り出していた。



(まさか……!)


(まさか……そんな……!)



 暗闇の中で見出したはずの一縷の希望が、あの炎の下で燃えてゆく……そんな絶望に慄きながら、エインゼルも彼の後を追って走り出した。



**  **  **  **  **  **



 メリメリと音を立てて翼を支える支柱が折れ、風防のガラスが破裂するように割れる。


 ルーベンスデルファーの飛行機、メッサーシュミットはまだかろうじて原型を留めていた。


 集まった人々は金属の焦げる独特の匂いに顔をしかめているが、火を消そうとする者はいなかった。王宮から離れた古倉庫ということもあって、危機感も薄いのだろう。誰もが遠巻きに見ているばかり。


 そんな現場へ、息せき切ってルーベンスデルファーは駆けつけた。



「ジルヴァー・シュトライプ!」



 愛機に付けた名前を悲痛に叫ぶと、彼は為すすべもなく立ち尽くした。


 追いついたエインゼルは、ルーベンスデルファーの傍らで口元に手を当てた。



「酷い! どうして……誰がこんなことを……」



 誰かが故意に火を放ったのだ。炎は既に激しく燃え盛っている。消火しようにも今さら手が付けられなかった。


 やがて木造の倉庫は跡形もなく焼け落ちたが、金属製の戦闘機は燃料や銃弾の火薬を燃料にして、まだしばらく燃え続けた。

 それでも、炎が下火になった頃には、ついに焼けただれた黒い残骸になってしまった。


 エインゼルが両手で顔を覆うと、ルーベンスデルファーは前を見据えたまま、軋るような声でつぶやいた。



「すまん……」



 エインゼルが初めて聞く、ルーベンスデルファーの落胆した声だった。


 そして……


 二人は知るはずもなかったが、放火を命じた男は王宮のバルコニーから双眼鏡でその様子を眺めていた。



「ハハハ! ざまぁ見ろ、ルーベンスデルファーめ。余に恥をかかせるからだ! 思い知ったか!」



 うなだれて立ち尽くすルーベンスデルファーの姿を見て、セント・ラースロー帝国の皇子はようやく留飲を下げることが出来たようだった。



「この国に保護された恩も忘れて余に刃向かうからだ、バカめ! いい気味だ」



 およそ一国の皇族たる者が下劣な真似をしたという自覚などなく、ランスロットは思い切り哄笑している。放火した実行犯である配下たちの報告を聞いた皇子は双眼鏡を片手にバルコニーへ飛び出し、一部始終をずっと見ていたのだ。


 実行犯達はそのまま控えていたが「なんだ。お前達まだいたのか。もういい。下がれ!」と、犬のように片手で追い払われてしまった。ねぎらいの言葉ひとつなかった。



「ふん、空気の読めない奴らだ」



 鼻で笑っていると、傍らの略奪妃アリストゥスが豊満な胸を押し付けながらランスロットへ媚びるようにささやく



「ふふふ……やりましたわね、殿下」


「ああ。胸が癒えたぞ。お前の言う通り、あの無礼者へようやく報いをくれてやることが出来たわ」


「でも殿下、お忘れではないでしょうね。あと一人……」


「エインゼルなら奴のそばでメソメソ泣いておるわ。今さら逃げられまい。水宝玉もじきに取り返せよう」


「……よかった」



 そうつぶやくと、アリストゥスは皇子の影で舌なめずりし、ぞっとするような笑みを浮かべる。

 ランスロットはそれには気づかず、双眼鏡を再び目に押し当てた。



(エインゼルと云ったな……あの娘は惜しい)



 婚約破棄を告げた後、ルーベンスデルファーの決闘で散々煮え湯を飲まされて激昂した彼は、勢いのままエインゼルにも出てゆけと叫んだが……



(はい、お世話になりました……)



 その際に毅然と別れを告げた彼女の姿が、彼の心に残っていたのである。



(しょせんは偽者だが手放さない方が良かった)


(アリストゥスとは違うあの美しさは余が愛でるべきだ)



 ランスロットは身勝手にそう思った。



 一方。

 双眼鏡の視界の中で、エインゼルは健気に涙を拭くとルーベンスデルファーへ何事かを静かに問いかけているようだった。



(なんだ……?)



 離れた距離のバルコニーにいる彼に、彼女の言葉など聞こえるはずもなかったが……



「ルーベンスデルファー」


「?」



 名を呼ばれ、振り向いたルーベンスデルファーは、希望を失い泣き崩れていると思っていたエインゼルが、思い詰めた顔で自分を見ていることに驚いた。


 それは何か、決意を固めた表情だった。


「貴方は“ジルヴァー・シュトライプ”って叫びましたね。それはどういう意味ですか?」


「……ドイツ語で“希望の光”という意味だ。夜明けに差し込む光をドイツ人は皆そう呼ぶ」



 今さらそんなことを尋ねて何になるというのだろう。その希望は、燃えてなくなってしまった。


 俯いたルーベンスデルファーの両手が、やり切れなさに固く握りしめられた。



「貴方にとって、ジルヴァー・シュトライプはただの飛行機ではなかったのですね」


「ああ。生きるか死ぬかの苦しい空中戦を幾度も共にくぐり抜けた。俺にとっては親友だった」



 この異世界では、剣が刃こぼれすれば別の剣に取り換え、馬の脚が折れれば別の馬へと乗り換える。

 愛着などはなく、人は剣や馬をあくまで取り換えの利く「道具」としか思っていない。



(でも、彼にとって「ジルヴァー・シュトライプ」はそうではない)


(親友と言うほど深い絆で結びついている……)



 だったら……


 エインゼルはひとりで頷くと静かに告げた。



「ルーベンスデルファー。私が彼を……貴方の翼を蘇らせてあげます」

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