最終話 空の彼方へ
「神様、どうかフェリーリラの人々をお救い下さい……」
そう言ってエインゼルが噴水の中へ水宝玉を落とすと同時に今までJ流出を止められていた水が一気に噴き上がり、王宮全体へ雨のように降り注いだ。
すると……
「外は晴天なのに雨が降り出したぞ!」
「水だ! みんな、外に水があるぞ!」
王宮のそこかしこからワーッと大歓声があがった。人々は我先に外へまろび出ると、顔を上に向けて水を浴びた。
水路からは洪水と見まごうばかりの水がごうごうと流れ出し、四方の水路から王宮を通じて首都の水路へ、更に分岐した水路からフェリーリラに住む人々の様々な場所へと届き始める。
「水が届いたぞ!」
「水が飲めるぞ!」
歓喜の声が王宮から首都ロロハンゲルへ、更に郊外の様々な街に広がってゆく。
人々は涙を流し、水路にありあわせの壺や器を突っ込んで喉を潤した。
身体の弱いものや子供には水が入った器が次々と渡される。
人々がどんなに飲んでも水は枯れることなく滔々と流れ続け、乾ききった人々を潤し続けた。
誰もが泣き、あるいは笑い、中には喜びのあまり踊り出す者までいた。
それほどまでに人々は渇きに苦しむ日々に耐えていたのである。
「お父さん水だよ! ほら、飲んで」
「王妃さまも」
王宮の外に飛び出して先に水をもらった子供たちは、水の入った器を我先に王や王妃へ差し出した。親を思う子がこのフェリーリラの様々な場所で今しているように。
「水が……こんなに美味しいものだなんて……」
水を押し頂いた王妃は涙を流した。王も泣きながら水を啜った。
「よかった……みな、よかったのう……」
泣き濡れた顔を上げると青空が目に眩しかった。
雨の恵みを一向にくれず、意地悪なと恨んで見上げた空が、今は優しく祝福してくれているように思える。
(そうだ、先ほど王宮に降りた飛行機があったが、それはもしや……)
(ロゼリア!)
王妃は子供らを抱きしめて泣き続けている。
老王はそれへ労わりの目を向けると、飛行機が着陸したと思しき庭園へ向かってよろよろと走り出した。
** ** ** ** ** **
「エインゼル、聞こえるか。フェリーリラの人々が喜んでいるこの声が……」
「……」
エインゼルは声もなくうなずいた。
その瞳からはとめどなく涙が流れている。
二人の周囲では、たくさんの人々が歓喜の声を上げ続けている。
「よかった……よかったわ……」
「そうだな」
「ありがとう。ルーベンスデルファー……」
今度はルーベンスデルファーが黙ってうなずいた。
歓喜の中に人を呼ぶ声がする。
「ロゼリア、ロゼリアはどこにおる。父はここじゃ。頼む、顔を見せてくれ……」
泣きながら人々の中を探し回る老人の顔を見るなり、エインゼルはハッとなった。
慌ててルーベンスデルファーの袖を引き、物陰へ身を寄せさせる。
「もしかして、あの御方はフェリーリラ国王陛下か?」
「はい……」
「何故、隠れる必要が。貴女には父でもあろうに」
エインゼルは悲しみに歪んだ顔を横に振った。
「私に会えば、ロゼリア様が亡くなったことも知られます。いずれは陛下のお耳に入るでしょうが、今だけは皆と共に喜ばれている陛下を悲しませたくない……」
「エインゼル」
「私はもう、ここにはいられません……」
この世界に居場所のなくなった少女は、ルーベンスデルファーへ縋りついた。
「ルーベンスデルファー……私をさらって。ここではないどこかへ、空の彼方へ……」
ルーベンスデルファーは力強くうなずいた。
実は、着陸する間際に見た空の彼方に、彼は異様な黒雲を見ていた。
青天の中で明らかに異質なその雲は、渦巻きながら紫の雷をあちこちへ放っていた。自分がドイツからこの異世界へ跳ばされた時と同じ雲。あれはきっと……彼の胸に期するものがあった。
だがその前に……
ルーベンスデルファーには、哀しみを胸に秘めて人知れず消えてゆこうとするこの少女を、そのままにしておきたくなかった。せめてこの国の人々に彼女が幸せになることを知ってもらいたかった。
彼は、エインゼルを抱きかかえたまま隠れていた柱の陰から姿を現した。
エインゼルが慌てて「ル、ルーベンスデルファー!」と引き留めたが、それには構わず彼は大声で呼びかけた。
「フェリーリラ王国の国王陛下とお見受けする!」
びぃんと張った軍人特有の声に、周囲の人々は驚きその場に凍り付いた。群衆の彼方にいた老人がこちらへ視線を向ける。
ルーベンスデルファーは堂々と名乗った。
「私は訳あって異世界より来た、ドイツ第三帝国空軍第二九一戦闘航空団所属、エルンスト・ルーベンスデルファー中尉。立ったまま御意を得る無礼をお許し願いたい!」
国王はルーベンスデルファーの胸に抱かれたエインゼルを見て一瞬取り乱したが、さすがに一国の王だけあって居住まいを正すと静かに頷いた。
「フェリーリラ王国へのこのたびの国難は、王国姫ロゼリア様の勇気ある行いによって救われた。姫は生命を掛けて数々の苦難を乗り越え、こうして人々へ水を届けられた。私は姫と共に戦い、ここへ辿り着いたことを生涯の誇りに思う!」
人々は驚きの目でルーベンスデルファーとエインゼルを見た。一方で、彼等に向き合う国王の姿に気がついて慌てて跪く者もいる。
「ルーベンスデルファーと申したか……」
「陛下、無礼は承知だがどうか最後までお聞きいただきたい」
声を掛けた王へ詫びると、ルーベンスデルファーはエインゼルを抱いたまま片膝を突いた。
「最後までこの国の人々を救おうとした鋼の意志、生命をも惜しまず投げ出した勇気、どこまでも人を思いやる優しさ……どの国の美姫でさえ足元にも及ばぬ。爵位もなき身ではあるがこのルーベンスデルファー、ロゼリア姫を妻としてもらい受ける! 私の生涯をかけて愛することを誓う故、フェリーリラ国王陛下、どうかお許しあれ!」
そこまで一気に言うとルーベンスデルファーは返事を待たず、エインゼルを抱きかかえて走り出した。
「ルーベンスデルファー……」
エインゼルの顔からは先ほどの悲しみなどどこかへ吹き飛んでしまい、真っ赤になっていた。
「どこかの国の王子様みたい……」
「そうだ。言うのを忘れていた」
ボロボロになった愛機へ再び乗せながらルーベンスデルファーは照れくさそうに言った。
「俺の名前はエルンストだ。これからはエルンと呼んでくれ。母さんはずっとそう呼んでいたんだ」
「……エルン」
恥ずかしそうにそう呼ぶと、ルーベンスデルファーはその愛らしさに我慢出来ず、思わずキスしてしまった。
「エルン、愛してます」
「ああ、俺もだ」
ルーベンスデルファーが応えるとどうしたことか、エインゼルは子供のようにぷぅと頬を膨らませた。
「駄目。ちゃんと愛してるって言って、エルン」
ささやかな我儘だがルーベンスデルファーはちょっと弱ってしまった。ずっと戦いに明け暮れてきた男だけに、甘えられたとて愛を語る言葉などたやすく口には出せない。
だが、彼はすぐに思い直した。
この少女は、自分の為にもう歩くことも出来ず、目もほとんど見えなくなってしまったのだ。今でさえ、生命の灯が消えそうに見える。
そんな彼女の生きる喜びになるのなら……ルーベンスデルファーは真顔になると静かに告げた。
「俺は……ドイツに戻って一緒に滅びることを願っていた。人を愛することなど、考えたこともなかった」
「……」
「だが、辛い重荷を背負い続けて最後まで希望を捨てなかった貴女を知って、共に生きたいと今は思っている」
そのとき。
過酷な運命を辿ってきた少女は、今までの苦しみも悲しみも、すべてが目の前の青年によって拭い去られ、消え去ってゆくのを感じた。
「エルン……」
「愛している。死ぬことは許さない。共に生きよう。俺が必ず幸せにしてやる」
エインゼルは震える手を伸ばすとルーベンスデルファーに抱き着き、彼の言葉に応えて唇を重ねた。
「はい、いつまでも。……でも私、もう幸せです……」
** ** ** ** ** **
フェリーリラ王国の人々が届いた水に歓喜し、騒然となっている中で、再びあのエンジン音が響いてきた。
夢中になって水を飲んでいる人はほとんど気づくことはなかったが、水を充分に飲んで潤った人の中で比較的落ち着いていた何人かが空を見上げた。
矢のように飛んでいたあの飛行機が、今度は遊覧飛行のようにゆっくりと飛んでいた。
「さっきの飛行機だ……」
首を傾げて見上げる人々は、その機がどんな過酷な旅を経てここへ来たのか、そして誰が乗っているのかなど知る由もない。
名残を惜しむように首都ロロハンゲルをゆっくりと回ったその飛行機は、手を振るように両翼を揺らすと西の空の彼方へ静かに飛び去っていった。
気になって最後まで見守る市民もいた。
そして王宮から涙ながらに見送る者も……
「まぁ、ロゼリアが……」
「ああ、結婚を許す許さんもなにも、あの青年が風のように連れて行ってしまった。何か事情があるようにも見えたが……」
国王と王妃は、文字通り愛娘を連れ去られてしまった。
だが、異世界の騎士と国を救った娘が生涯を共にすると誓い合ったことを知って、それで娘が幸せになれるなら……と、互いを慰めるのだった。
「老いた眼にはもう、あの飛行機は見えぬのう……」
そう言って涙を拭いた王へ、心優しい近習が望遠鏡を差し出した。
「ありがとう。でももうよいのじゃ」
そう言いながら未練を隠せず、彼は空の彼方へ目を凝らした。
(きっと、空の彼方のどこかでロゼリアは幸せになるに違いない……)
青い空の向こうへ吸い込まれてゆくように消えてゆく機影を、それでも引き留めたい衝動に一度だけ駆られたことを、老いた王は胸の中にひっそりとしまいこんだ。
(ロゼリア、水をありがとう……みなを幸せにしてくれてありがとう……)
(お前もどうか幸せに……)
俯いて肩を震わせた老王に縋りついて王妃も泣き出した。
「お母さん、どうしたの?」
「お父さん、泣かないで。僕がいるよ……」
二人を親と慕う子供たちが訝しみ、口々に慰める。王妃は涙ながらに告げた。
「私の娘……みんなのお姉ちゃんが結婚したの。幸せになったけど、遠い場所に行っちゃったの。もう逢えないの……」
もう逢えない……その言葉の哀しみに、子供たちの目にも涙が浮かんだ。一人の子が鼻を啜り上げ、別の子はしゃくり上げ……
「みんなも祈ってちょうだい。お姉ちゃんの……あの娘の幸せを……」
フェリーリラ王国には、歓喜の声が溢れている。
その影で隠れるように去っていった少女を想い、王も、王妃も、子供らも……ひっそりと涙を流したのだった。
彼女が愛した、青い空の下で……
** ** ** ** ** **
セント・ラースロー帝国から婚約破棄を言い渡された王姫の救国譚は、こうして幕を閉じた。
しばらくの間、フェリーリラ王国ではロゼリア姫が国を救ってくれたものと思われていた。
だが、水が枯れ果てて崩壊したセント・ラースロー帝国からの難民が遠くフェリーリラ王国にも流れ込み、彼等の口から様々な真相を知ってフェリーリラの人々は驚愕することになった。
王姫ロゼリアがセント・ラースロー帝国へ嫁入りの最中に病死したこと、彼女の遺志を引き継いで侍女がロゼリアに成りすましていたこと、そして妖艶な美女に心変わりしたセント・ラースローの皇子がある日突然婚約破棄を言い渡し……
ロゼリアの死を知ったフェリーリラの国民は粛然となった。ささやかな葬儀も営まれ、フェリーリラ国王夫妻は愛娘の死を悲しんだが、同時にロゼリアが妹のように思っていた侍女が生命を掛けてこの国を救ったことも知ったのだった。
そして、歓喜の中でロゼリアの死を知られて悲しませまいと、異世界の飛行士に望んで連れ去られていったことも……
しばらくして、フェリーリラ王国の宮廷は侍女エインゼルをロゼリア姫の正式な義妹にすると公表した。
そして異世界の騎士ルーベンスデルファーの妻としての婚姻も承認され、本人達のいない結婚式が執り行われた。たくさんの人々がそこに参列し二人を祝ってくれた。
ルーベンスデルファーにはフェリーリラ王国空軍大尉の地位が授けられた。存在しない空軍の形ばかりの名誉だったが、空軍は間もなく実際に設立された。セント・ラースロー帝国空軍が飛行隊ごと亡命してきたのである。
それもなんと、かつてルーベンスデルファーを追撃したあの第三飛行隊だった。
ランスロット皇子に飛行隊ごとクビにされ憤懣やるかたないところに帝国が崩壊し、彼等はこれ幸いとばかりに遠路フェリーリラ王国へと向かったのである。
飛行隊長のガルダ大尉は特に乞われてフェリーリラ宮廷に参内し、国王の前で追撃戦の模様を話して聞かせた。ルーベンスデルファーに命を救われたこと、使命に命を懸けるエインゼルの姿に心を動かされたこと……ガルダの目撃談は、たちまちフェリーリラの国内中に広まった。
様々な事実が明らかになり、人々は水を飲むたび、その水を生命を掛けて届けた二人を思い出さずにいられなかった。
ところで空の彼方へ去っていった二人は、あれからどうなったのだろう。ルーベンスデルファーの故国に辿り着くことは出来たのだろうか。
あるいはこの世界のどこかでひっそりと暮らしているのではないかと捜索する者すらいたが、二人の行方は杳として知れぬまま……やがて月日は流れていった。
生命を懸けて国を救った少女と彼女が恋した空の騎士の物語は、今ではフェリーリラ王国史の一ページとして記されている。
そして……この国では、今も結婚式では水だけを飲み、式の最後に花を空へ飛ばす風習がある。
人々は今なお、願い続けているのである。
二人が空の彼方のどこかで結ばれ、幸せになったであろうことを……
(※エピローグに続きます)




