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偽りの婚約破棄令嬢は恋を胸に、遠き蒼穹の彼方へ  作者: ニセ@梶原康弘


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第29話 届いた希望

 空はわずかな薄雲が広がっている程度の快晴だった。雨の降る気配はここしばらくまったくない。


 人々は恨めしそうに空を見上げた。


 フェリーリラ王国は、今や国家としての全ての機能がほぼが停止している。


 しかし、それはセント・ラースロー帝国のように国家が崩壊したからではなく、国民が外出を避けて引きこもり、水の窮乏に耐え忍んでいるからだった。


 王宮では孤児院の子供たちを呼び寄せ、王妃が昔話などを静かに聞かせている。国難にあたって最も不安なのは、寄る辺のない孤児達だろうから……と気遣っての計らいだった。


 一方で国王は外務相に命じて周辺国へ様々な条件を付けて水を求めさせたが、同情はしても、水を売ってくれる国はどこもなかった。そればかりか国境を封鎖し、水を求めるフェリーリラ人が難民化し入国するのさえ拒んでいた。


 老いた身体に鞭打って懸命に水を求めた王も、疲労の極みに達していた。

 彼自身、苦悩と疲れで時々めまいに襲われるほどだった。



(娘は本当に来てくれるのか。難所を越えてこの国に水をもたらしてくれるのか……)



 だが、国王である自分がそんな懸念を顔に見せる訳にはいかない。


 王宮に滞在する孤児達には笑顔を見せ「もう少しの辛抱じゃぞ」と励ました。



「陛下」



 水資源の管理局長官がやって来た。


 げっそりと頬がこけ、目の周りにはドス黒いクマが出来ている。


 おそらく自分も似たような顔になっているだろうと国王は思った。



「水の配給は、どうやりくりしてもあと一日です」



 彼は絶望的な表情で報告した。



「もう節水は無理か」



 王の言葉に長官は首を振った。



「無理です。ほんの僅かな水を更に減らしては、もう配給する意味がありません」


「そうか……」



 やり場のない思いに「座して滅亡を待つより、いっそ隣国へ水を求めて戦争でもすればよかったかの……」と口走った国王を見かね、長官はそっと彼の肩に触れた。

 ハッとなった国王は、うなだれる。


「……すまん。心にもないことを言った」


「何か言われましたか? 私は聞いておりませんでした。申し訳ありません」



 その場を取り繕った長官は「お気持ちは分かりますが、自暴自棄になってはいけませんぞ」と、目で王を優しく宥めた。


 横を向いた王の肩が震えているのを見ていられなくなり、管理局長官は視線を脇に逸らした。



(ロゼリア様は本当に来て下さるのだろうか)



 視線を逸らした先では、王妃が子供たちへおとぎ話を聞かせている。



「大きな山を幾つも超えないと隣の国へ行けません。ある男は鳥のように空を飛んで山を乗り越えられないかと、ふと考えました」


「……」


「男は色々試しましたが駄目でした。男が途方に暮れていると、神様が『お前は面白いことを考える奴だ。どうすれば空が飛べるか教えてやろう』と言いました」


「……神様って親切だね」


「そうね。……男は神様の言う通りにしました。しばらくすると鳥の形に似た不思議なものが出来上がりました。スイッチを入れると今まで聞いたこともない音を立てて機械が動き出し……」



 そこまで語ったとき、出し抜けに一人の子供が「それって、あんな音?」と尋ねかけた。



「あんな音って?」


「なんか、遠くからキーンって音がするよ」



 王妃と他の子供たちは顔を見合わせると口を閉ざし、耳を澄ませた。



「……本当だわ、かすかに聞こえるわね。何の音かしら。でも、私もお話の音は聞いたことがないの」



 微笑んだ王妃は話をまた続けようとしたが、件の音は子供たちがそちらへ気を取られるほど次第に大きくなってきた。



「一体何かしら」



 王妃と子供たちが顔を見合わせていると、王宮の警備官があたふたと現れた。

 


「陛下、何やら得体の知れぬものがこの王宮へ近づいて来ております」


「得体の知れぬもの……セント・ラースロー帝国か?」


「セント・ラースロー帝国は先日より何か異変があり国内が騒乱状態と聞いております。おそらく違いましょう」



 はて、と首を傾げた国王の耳にも金属音が聞こえてきた。



「なんだ? これは余も初めて聞く音だ」


「今さらこの国を脅かす者などいるとは思えませんが、お気を付けください。この王宮の間は石造りで頑丈ですから、皆ここを動かぬようにお願いいたします」



 警備官は不安そうに見上げる子供たちへ「心配ないからね、大丈夫だよ」と笑って見せた。


 そう言っても得体の知れぬものとは……そう思って王宮の窓を見た国王は、そこに

青空が広がっているのを見た。


 愛娘が何より好きだった、青い青い空……



(まさか……)



**  **  **  **  **  **



「大きな通りの先に緩やかな丘があって……そこに王城があります……」



 空は快晴だった。


 苦難に満ちた旅の最後にたどり着いた二人を待っていたのは、穏やかな青空だった。


 ここがエインゼルの故国、フェリーリラか……とルーベンスデルファーはしきりに四方を見回した。


 荒野を拓いて出来た国らしく、産業はほとんど農業のようだった。工業などないに等しいように見える。


 そんな貧しい国でも人々は互いに助け合い、ささやかなたつきを立てている。


 空からの侵入者を咎めるべき空軍はなく、有事の際に徴兵する予備役兵と王宮を守護する警備兵がいるだけとルーベンスデルファーは聞かされていた。


 首都ロロハンゲルもセント・ラースロー帝国の田舎町程度の規模だった。



「王城といっても、丘の上を塀で囲った見すぼらしいものですが……」


「俺はセント・ラースローの豪華でけばけばしい王宮も王城も、もともと好きになれなかった。それに比べフェリーリラ王は、親を失った子や捨てられた子の親となる優しい御方だ。贅沢出来る余裕など全て貧しい人に分かち与えていたに違いあるまい。むしろ、俺はその見すぼらしさを尊敬する」



 エインゼルは俯いた。心の中で「貴方のことが大好きです」と告げる。


 こんな青年に愛される自分はなんと幸せなのだろう……ルーベンスデルファーの心に触れるたび、エインゼルは喜びに満たされた。



「エインゼル、直線に伸びている大きな通りがある。これか?」


「……ごめんなさい。もう私、目が少ししか見えなくなってしまったの……」



 ルーベンスデルファーはぎくりとして後ろの座席を振り返る。この少女はあの魔法で自分の視力さえも差し出して……と知って心が痛んだ。



「気にするな。俺が傍にいる。これからは俺が貴女の目の代わりになってやる」


「ありがとう。でもまったく見えなくなってしまった訳じゃないから……」


「ああ」



 照れたように返事をしたルーベンスデルファーは前を向く。



「ルーベンスデルファー……」


「なんだ?」


「……さっきから何度も言いたかったの……大好きです」


「……俺もだ」



 大通りの先に小高い丘が見えてきた。

 そこにあるささやかな城も……



「エインゼル、城が見えて来たぞ」


「城の中にセント・ラースロー王宮のものと同じくらい広い庭園があります。誰でも入れるから公園って言った方がいいのかしら……そこに湧き水を使った噴水があるの。もう枯れてほとんど水は出なくなってしまったけど……それまではそこから幾つもの水路に流れて国中を潤していました」


「そうか、その噴水に水宝玉を!」


「はい」



 ルーベンスデルファーは更に高度を落とした。


 一方……渇水を耐え忍ぶため引きこもり死んだようにひっそりと静まり返った首都ロロハンゲルでは、フェリーリラの人々が聞きなれないエンジン音を耳にした。



(なんだろう……)


(飛行機?)



 後進国とはいえ、親善飛行や貴人の来訪などでたまに飛来することはあり、飛行機の音はさほど珍しいものではない。


 だが、それは牧歌的な音の低馬力エンジンではなく、高出力の金属的なダイムラーベンツのエンジン音だった。


 好奇心にたまりかねて外へ飛び出した市民たちが「なんだ、あれは?」と口々に言いながら空の一角を指差す。


 その声に、引きこもっていた他の人々も次々に屋外へあふれ出した。



「なんだあれは……見慣れない飛行機だ」



 轟音と共に、信じられない速さで「それ」は、人々の上を通り過ぎていった。



「……」



 唖然として人々はそれを見送った。


 王姫ロゼリアが「異世界の騎士の助けを借りて私が水宝玉を必ずフェリーリラへ届けます。それまでどうか耐えて」と呼びかけたことを人々は覚えている。それだけが今やフェリーリラの人々の心の拠りどころであり、最後の希望だった。


 しかし、人々は海路、もしくは陸路でフェリーリラへの道を急ぎ辿るのだろうと思っていたのだ。


 ましてや、たったいま上空を通過していった戦闘機にそのロゼリアを偽った侍女が乗っていると思い及んだ者などいるはずもない。


 目の良い者だけが、見知らぬ国籍……翼に白い縁取りの黒十字をかろうじて見分けられたくらいだった。


 遠く王宮の方角へ去ってゆく飛行機の姿は、彼等の視界からたちまち見えなくなった。



**  **  **  **  **  **



 轟音と共に車輪が草地に着いた。


 長距離を飛び、幾度も死闘を経た「ジルヴァー・シュトライプ」は、満身創痍の気息奄々……といった様子で王宮内の庭園へ降り立ち、エンジンを止めた。


 操縦席の風防を押し開くと、疲れ切ったルーベンスデルファーは文字通り翼の上に転がり落ち、そこから更に滑って地上へ落ちた。


 よろよろと立ち上がった彼は周囲を見回す。王宮では騒ぎ声が聞こえていたが、ここにはまだ誰も来ていない。


 彼は荒い息のまま、もう一度翼へよじ登り、後部座席からエインゼルを抱きかかえた。



「エインゼル、フェリーリラ王国の王宮に着いたぞ」


「……」



 エインゼルは黙ってうなずいた。


 ルーベンスデルファーはエインゼルを抱きかかえたまま目指す場所へと歩き出す。目指す場所はすぐに見つかった。



「噴水とはこれか……」



 白い噴水は質素で小さかった。枯れて乾ききっており、そこに水は一滴もない。


 エインゼルは震える手で胸元から小さな水宝玉を取り出した。


 小さな声で呪文を唱えるとみるみるうちに封印が溶け始め、エインゼルの手が濡れ始めた。



「神様、どうかフェリーリラの人々をお救い下さい……」

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