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偽りの婚約破棄令嬢は恋を胸に、遠き蒼穹の彼方へ  作者: ニセ@梶原康弘


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第28話 帝龍

 幾度も窮地をくぐり抜けた空の騎士も、もはや為すすべがなかった。


 

『ククク……リディアか。ちょうどよいところに来おったわ』



 後方を見やったウロボロスは邪悪な笑みを浮かべる。ルーベンスデルファーは唇を噛んだ。



(どうすればいい)


(圧倒的な敵を相手に二対一、逃げようとしてもウロボロスの方が速く、追いつかれる)



 ウロボロスもリディア機も迫ってくる。もう考える余裕すらなかった。傷ついた機体を必死に操り飛び続ける以外、術はなかった。



(それでも、俺は諦めない)



 希望はない。だが決して絶望はしない。


 最後の瞬間まで飛び続ける。



(俺に出来るのはもう、これだけだ……)



 ルーベンスデルファーの悲愴な決意だった。


 チラリと見れば、後部座席のエインゼルは弱り切った身体で懸命にルーベンスデルファーへ微笑んでみせた。



(愛してるの……だから)


(最後まで、一緒に……)



 振り下ろされる邪神の爪をルーベンスデルファーはかろうじてかわした。続いて襲い掛かる爪をのがれるべく、機体を大きく横転させる。


 だが、それを見越したリディアの銃撃が襲い、機体にダメージを与えた。



(撃ちたければ撃て)


(俺は……最後まで諦めない)


(彼女が生きている限り、生きると誓ったんだ)



 咆哮をあげて再びウロボロスが襲い掛かる。ルーベンスデルファーが横滑りでかわすと、そこに再びリディアの銃撃が待っている。続けざまに被弾し、機体に穴が開く。ちぎれ飛んだジェラルミンが空に舞う。


 嬲り殺しも同然だった。


 ウロボロスの攻撃をかわし、リディアの銃弾を浴び、それを何度も何度も繰り返し……


 だが、ルーベンスデルファーはなおも不屈の闘志で操縦桿を握り続けた。



**  **  **  **  **  **



 ―― このドイツ機はいったいなんだ ――



 リディアは思わず呆れたような声をあげた。


 相手の操縦技術はドイツ空軍の中でも相当な手練れと分かった。縦旋回でウロボロスの牙をかわし、横に滑るようなスライド飛行や緩横転で次の攻撃を回避する。それでも危ないときは墜落同然の急降下でその場を逃れる。


 そして、そんな空戦軌道の先の位置を読んだリディアの銃撃にドイツ機は無防備にさらされる。


 だが、幾度ダメージを与えてもドイツ機は落ちようとしない。


 機体は既にボロボロで穴だらけになった。普通ならとうに撃墜されるか、激しい機動に耐えかねて空中分解するかのどちらかだった。生還を諦め、もう殺してくれと言ってもおかしくはないほどの絶望的な状況である。


 それでも、どこまでも諦めずにこのドイツ戦闘機は飛び続けている。 



(一体どんな奴が乗っているの……?)



 自然とそんな興味が沸き上がった。



『ちょこまかと……だが、もうその様子ではもう幾らも飛べまい』



 高らかに哄笑するウロボロスをよそに、リディアは機体を接近させた。



『ほぅ……リディア、お前がトドメを刺したいのか』



 水宝玉さえ手に入れば自分の目的は果たされるのだ。いいだろう……と満足そうにうなずいたウロボロスは黙って身を引いた。


 リディアが覗き込んだドイツ機のコクピットには青年パイロットがいた。気息奄々という態で操縦桿にしがみついている。


 だが、彼女の目はもう一人の……後部座席にもたれかかっている少女の姿に吸い付く様に向けられた。



(……?)



 軍人ではなかった。黒い髪、紫の瞳をした異世界の愛くるしい少女である。無骨なドイツ戦闘機に似つかわしくない、華奢で美しい顔立ちをしていた。


 激しい機動に機内でさんざん小突かれたらしく、弱り切ってぐったりしていたが、凝視しているリディアに気づくと、彼女はよろよろと立ち上がった。



(……)



 鉄屑のようにひしゃげた戦闘機のキャノピーを押し開くと少女は立ち上がり、パイロットをかばって昂然と両手を広げた。リディアの戦闘機が装備している七ミリ機関銃の前には薄紙同然に等しい無力な盾。


 だが、リディアは機銃のトリガーを引くことが出来なかった。



(この人は、私の生命に替えても!)



 少女の燃えるような瞳から、そんな叫びが聞こえてきそうだった。


 そして彼女の瞳を見たとき……



(あのとき、私もこのようにしたかった……)



 ふいに、復讐鬼の脳裏にある光景が映った。

 空中戦で愛する人を失い慟哭する、生前の自分の姿。



(リディア、泣かないで)


(泣いたってサロマーティンは還って来ないんだ)



 ロシアとナチス・ドイツの間で戦争の始まった一九四一年六月。


 突然始まった戦争のせいでわずか一週間に四千もの戦闘機を失ったロシアは、飛行経験がある者や適性がある者を根こそぎ動員して新たな飛行連隊を作るしかなかった。


 そして、その一人が卓越した操縦技術と美貌で衆目を浴びたリディアだった。


 激しい戦いの中でリディアは幾度も戦友を救い、ドイツ空軍を蹴散らし、いつしか活躍した地名から「スターリングラードの白薔薇」と称えられた。


 過酷な戦場の中でも少女は恋をする。

 配属先のエースパイロット、サロマーティンを愛するようになった彼女は激しい空中戦の中を助け合い、いつしか未来を誓い合う仲になった。戦争に勝つための宣伝やプロパガンダに利用もされたがリディアは平気だった。


 祖国の為に頑張ろう、そしていつか戦争が終わったら……


 だが、ドイツ軍はロシア空軍のシンボルとなった彼女を撃墜する為にベテランパイロットを選りすぐって特別部隊を編成し、リディアの飛行連隊を罠に掛けたのだった。奇襲を受けたリディア達は離れ離れになってしまい……



(私がサロマーティンとはぐれなかったら……)


(彼の傍にいられたら、絶対に戦死なんかさせなかったのに……)



 彼もリディアに優るとも劣らないベテランパイロットだったが敵に取り囲まれ、衆寡敵せず撃ち落とされたのだという。


 何度悔悟し、泣いたことだろう。あのとき敵機から我が身を守ることより彼を守ることを考えていたら……



(どうしようもなかった。強敵ばかりだったんだ)


(敵機が多すぎて、みんなバラバラに逃げるしかなかった)


(リディア、もう自分を責めないで)



 子供のように泣きじゃくるリディアを見ていられず、同僚や上官が懸命に慰める。


 だがリディアの後悔は消えなかった。



(私の戦闘機が彼の傍にいたら、私が盾になりたかった)


(敵機の銃弾の前に立ちはだかって。彼を私の生命に替えても)


(サロマーティン……)



 この少女は、あのときそうなりたいと願った私だ……


 引き金から指を離したリディアは、俯いて涙を拭った。



『何をグズグズしておる。トドメを刺す気がないならわらわと代われ、この腰抜けが!』



 苛立ったウロボロスがリディア機を押しのけるようにして前に進み出た。


 獰猛なウロボロスの巨体を前にしても、機上の少女は怯む気振りすら見せない。



『偽令嬢め、水宝玉を渡してさっさと死ね!』



 邪悪な蛇神が斜め上から鋭い爪を振り下ろそうとしたそのとき。


 激しい銃撃音と共にウロボロスの頭部が撃ち抜かれた。



『!!』



 突然の出来事に何が起こったのか分からない……そんな表情で振り向いたウロボロスの眼前に、自分に向かって一直線に突っ込んでくるリディア機の姿が映った。



『貴様! 蘇らせた恩も忘れて裏切りおったな! この人間風情が……』



 言い終わらぬうちに、リディア機は全ての武装に火を噴かせながら自らウロボロスの顎の中へ飛び込み……

 次の瞬間、目も眩むほどの爆発が起き、ウロボロスの巨大な身体を爆炎が覆い隠した。


 復讐鬼は最後の僅かな刹那、人の心を取り戻して自爆したのだった。



「……」



 突然の出来事だった。その一部始終を見たエインゼルは、ただぼう然となった。



「エインゼル、なにが起きたんだ」


「あの戦闘機が……ウロボロスの口に飛び込んで自爆しました……」


「何だって? 一体どういうことだ」



 共闘し自分を追い詰めていた敵が何故突然同士討ちしたのか、ルーベンスデルファーもさすがに理解出来なかった。



「ウロボロスに突入するとき“さよなら”って聞こえたような気がしました」


「……」


「もしかしたら……いいえ、きっと私たちを助けてくれて死んでしまったような気がします」


「……そうか」



 エインゼルは、あの戦闘機のパイロットが何者か、そしてどんな怨恨を抱いてこの異世界へ現れたのかも分からなかった。


 ただ、最後に幻聴のように聞こえた「さよなら……」という言葉の響きが余りにも切なくて、どうしても相手を憎む気持ちになれなかった。



(名前も知らない人。どうか、貴方の魂が今度こそ安らぎを得られますように……)



 エインゼルは胸に手を置いてささやかな鎮魂の祈りを捧げた。


 二人は疲れ切っていた。ルーベンスデルファーは限界を超えて肉体を酷使し、エインゼルは弱り切った身体で彼を支え続けたのだ。



「……」



 声もなく二人が顔を見合わせたとき。



『待て……その水宝玉は……わらわのもの……だ……』



 心話と共に爆炎の煙の中からウロボロスが再び姿を現した。


 頭から血を噴き、下顎は千切れ飛んでいる。見るからに致命傷を負っていたが、彼女はなおも執念でルーベンスデルファーへ追いすがろうとした。



『返せ! なんとしても復活して、神を滅ぼし……貴様らも……』


 そのとき。


 ルーベンスデルファー機の真上を突然、大きな影が覆った。


 そして、その影からぬっと突き出たものがウロボロスの頭を掴んだ。


 それは、巨大な龍の「爪」だった。



『な、に……?』



 ウロボロスが顔を向ける前に、巨大な爪は、彼女の頭をまるで卵のように握りつぶしてしまった。



「……」



 ルーベンスデルファーもエインゼルも声が出なかった。疲れ切って、もう驚く気力さえ失せてしまっていたのだ。


 ウロボロスは断末魔の叫びもなく、そのまま地上へと落ちていった。



 そして……その爪の持ち主が静かに姿を現した。



 それは真っ白い龍だった。巨大なウロボロスが子供に思えるほど長大な身長で、長い髭を風に靡かせている。


 その姿には一種の威厳が備わっていた。



(この龍の棲み処の、最高位の龍だ……)



 姿を見ただけで二人には理解出来た。


 帝龍。

 まさしく、そんな名がふさわしい龍の王が悠然と姿を現したのだった。


 彼がその気になれば、ルーベンスデルファー機など同じように潰されるだろう。疲れ切ったルーベンスデルファーは、もう戦うどころか飛行機を飛ばすだけで精一杯だったのだ。



「……」



 ルーベンスデルファーは愛機と並行して飛ぶ帝龍を静かに見つめた。


 運命が極まったような諦観と、それでも己の信念に従ってここまで戦い抜いた満足感が、奇妙な落ち着きを彼にもたらしていた。


 巨大な異形へ、彼は声もなく問いかける。



(お前が……俺の死か……)



 帝龍は応えなかった。ただ、高い知性を持った瞳が二人を厳かに見つめている。


 エインゼルも静かに見返した。


 この異形は二人のすべてを見通しているかのように、彼女には思えた。



「……」



 しばらくの間、帝龍はルーベンスデルファー機と並んで飛び続けた。


 爪を振り上げることもなく、話し掛けて来ることもなく、ただ寄り添うように。


 そして……

 お前たちのことは何もかも分かったとでも言うように、静かに離れていった。



(さぁ、行くがいい……)



 そんな声が幻聴で聞こえてきそうな所作だった。


 そして、静かに二人から離れた帝龍は、龍の棲み処の彼方へ幻のように消えていったのだった……

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