第25話 一緒に戦う
死の宣告に人々は戦慄した。爬虫類独特の細い瞳孔が彼等を見下ろし、鋭い牙の並んだ口から長い舌が涎を垂らす。
コウモリに似た翼を背中で羽ばたかせ、アリストゥスの正体……おぞましい蛇神ウロボロスは空へと舞い上がった。
「人間ども、せいぜい逃げ回るがいい。どこまで逃げてもお前たちは誰一人わらわの牙から逃れることは出来ぬがな! ハハハ……ハハハ……!」
その声は、その場に居た人々の脳内に直接響いた。王宮を右往左往していた人々、首都ペストブルダの路上でごった返していた人々から悲鳴や絶叫がそこかしこに上がる。
巻き起こる阿鼻叫喚を羽ばたきながら満足そうに眺めていた蛇神ウロボロスは、やにわにその口から呪われた言葉を唱え始めた。その身体がゆっくりと空へ溶け込むように消えてゆく。
「……」
恐怖に凍りついた眼で見上げていた人々は、その姿が消えた後も恐怖を拭うことが出来なかった。
彼等は姿を消した巨大な邪神が最後の水宝玉を追って空間転移したことなど知る由もない。どこからまた現れるか……今度は自分のすぐ傍に出現するかもしれないと疑心暗鬼になり、この帝国から少しでも遠ざかろうと我先に脱出行を再開した。
呪われたこの地を振り返る者は誰もいない。
「アリストゥス。お前は……お前は余を謀ったのか……」
婚約破棄してまで迎え入れた令嬢の正体が、神をも滅ぼす力を持った邪神だったと知ったランスロットは、ぼう然となってその場に立ち尽くしていた。閣議室に集めた人々は既にその場から逃げ散っていた。誰も残っていなかった。
ランスロットは、これからどうすればいいのか考えることも出来ず、瓦礫と化した王宮の中をただフラフラと彷徨い歩いた。
(セント・ラースロー帝国が崩壊する……)
(余が国政をないがしろにしたせいで……余が知らずに引き入れた妖異のせいで……)
王宮から逃げようとしていた人々の一人の男が、呆けている皇子に気がついて、ずかずかと近づいてきた。
ランスロットは彼の顔に見覚えがあった。確か、婚約破棄を告げた晩、宮廷に居並んでいた下級貴族の一人だ。
「ランスロット! てめぇ、よくもこんな目に遭わせやがって!」
「貴様……誰に向かって口を利いている! 余は……」
やにわに襟首を掴まれたランスロットは次の瞬間、思い切り顔を殴られた。鼻血を噴きだした皇子の顔に己の顔を近づけ唾を吐くと、男は怒鳴りつける。
「こんな有様にしておいて何が口の利き方だ! ふざけるな!」
「な、なにを……」
「俺たちが税金を払って貴様に頭を下げてたのは、安心して生活出来るのを国が保証してくれるからだろうが! それを、水がだんだん足りなくなって困ってた時てめぇは何してた! しまいにはあんな恐ろしい化け物まで復活させやがって!」
ランスロットは再び殴り倒され、瓦礫の中に蹴り出された。憤って「無礼な!」と腰の佩剣に手を掛けた彼は、しかしそれを抜くことが出来なかった。
何故なら、男の背後にたくさんの人々がいたのである。
水を求めて彷徨うことになり、今まで築き上げた生活を失った平民たち。皆、憎しみのこもった目でランスロットを睨んでいる。
彼等の声を代弁するように男が怒鳴った。
「水が飲めない上に、あんな化け物から逃げ回るオレ達は、これから一体どうやって生きてゆけばいいんだよ! そうしたのはテメェのくせに偉そうな顔してんじゃねぇ!」
人々の間から「そうだ!」「その通りだ!」と賛同の声があがり、彼等も口々に男の罵倒に加わった。
なにひとつ言い返せないランスロットは居たたまれなくなり、とうとう身を翻して逃げ出した。背後からバラバラと石が投げられ、「逃げるな卑怯者!」「しね、バカ皇子!」と、人々の罵声が追いかけて来る。
「黙れ! 余は悪くない! 余は……」
泣きながら言い訳するランスロットは、あてもなくどこかへ逃げ去っていった……
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「エインゼル、大丈夫か?」
「はい」
飛行中、ルーベンスデルファーは心配して時折声を掛けてくれる。
会話はいつもそれだけだったが、言葉を掛けられるたび、エインゼルはくすぐったい気持ちだった。嬉しくて、毎回小さな元気を自分に与えられているようだった。
(大好きです……)
どうかすると言葉に出てしまいそうになる。苦しい空の旅なのに、今はそれどころじゃないのに……エインゼルは困惑するばかり。
もう、普通に歩くどころか立つこともままならない身体になってしまったのに、彼と同じ飛行機で飛んでいることに幸せを感じてしまう。
夜明けと共に離陸し、数時間は飛んだだろうか。
この間、ルーベンスデルファー機は、幾つもの川の上を通過した。
小さな川や沼が現れては消え、ゾルアディウスの平和な村落が後方へ遠ざかっていった。
やがて風景から道が途絶え、地上の起伏が増え、人の気配がなくなった。
その先に待ち受ける険しい地形は、明らかに人の侵入を拒む国の気配を示している。
そして、巨大な渓谷が現れ、目の前に広がっていった。エインゼルは息を呑んでその光景を見る。
人を拒む神秘的な何かを感じずにいられない、未知の聖域。
「龍の棲み処」
全貌を暴こうと足を踏み入れた冒険家の一人、探検に侵入した飛行機の一機も、ここへ踏み入って帰って来た者はいない。
だが、見えない脅威に対峙するルーベンスデルファーに、怯む様子はまったくなかった。
高度を上げ、渓谷を飛び越えた辺りで、エインゼルはハッと気がつき、声を掛けた。
「ルーベンスデルファー……」
「ああ、わかっている」
エインゼルよりずっと早く、ルーベンスデルファーは既に気づいていたのだった。
後方に見え隠れする、送り狼のような影。それは龍の類ではなかった。
(あのロシア機がまた……)
多数の飛龍に襲われながらも返り討ちにしたか脱出した後、執拗に探し回っていたのだろう。
リディア機は人の目で捉えられるかどうかの遠距離を狡猾に保っている。ルーベンスデルファー同様、彼女も臆することなく龍の棲み処へ足を踏み入れてきた。
「今さら奴を気に掛けても仕方がない。エインゼル、注意して見ていてくれ」
「はい」
視線を抜かりなく四方八方へ送って見張りながら飛んでいたルーベンスデルファーは、しばらくして薄墨色の断雲の彼方を遊弋する飛龍の影を捉えた。
おそらく見張りを受け持つ龍なのだろう。向こうもこちらに気づいたようだった。その場で羽ばたき、滞空しながらこちらをじっと窺っている。引き返す様子がなければ襲撃してくるか、仲間を呼ぶに違いない。
しかし、ルーベンスデルファーは激しい戦いを伴う突破行になることを既に覚悟していた。引き返すことなど思いもよらない。
(来るなら来い!)
ルーベンスデルファーは、戦いが始まるまでに少しでも距離を稼ごうとスピードを上げた。
自分達のテリトリーを侵し、なおも突き進んでくる様子をじっと見ていた龍は、やにわに仲間たちへ侵入者を告げる咆哮をあげた。
聞きつけた飛龍たちが彼方から続々と集まって来る。
「ルーベンスデルファー……」
「俺を信じろ」
迫って来る飛龍たちの獰猛な姿に怯えるエインゼルを、ルーベンスデルファーの力強い言葉が支える。
飛龍たちは異質な侵入者を睨みつけながらしばらくの間並走していたが、たまりかねた一匹の龍が、けたたましい声を上げて襲い掛かった。
予期していたルーベンスデルファーは急降下してそれをかわす。
しかし、かわされた飛龍はぐるりと体を回転させて上昇し、追走する飛龍たちの群れに再び加わった。
ルーベンスデルファーは、素早く飛龍たちの気質を読み取った
(今までの龍と違って仲間の声に呼応する知性がある)
(同士討ちを誘うような真似はおそらく出来ない。ひたすら攻撃をかわし続けて飛ぶしかない)
ルーベンスデルファーは更に高度を下げた。地上の木々や岩に触れそうなほどすれすれの低空へ。
「エインゼル、怖かったら目をつぶっていろ」
遥か彼方にあった樹木が凄い勢いで目の前まで飛んで来たかと思うと次の瞬間には消えている。
エインゼルの心臓は縮み上がったが「いいえ」と首を振った。
(私の何倍も恐ろしい思いをしながらルーベンスデルファーは飛んでいる)
(目をつぶっては駄目)
「こわいけど……あなたと同じものを見ることで私も戦います」
「!」
健気なその言葉は、操縦桿を握るルーベンスデルファーを更に奮い立たせた。
遥か後方ではリディアのロシア戦闘機が同じように飛龍の襲撃を受けていた。こちらは邪魔する飛龍を銃撃で蹴散らしながらルーベンスデルファーを強引に追おうとしている。そのせいで距離が少しづつ遠のいていった。
追われながら飛び続けるルーベンスデルファーにとって、送り狼との距離が開くことはありがたかった。
(うまくゆけば、前と同じように奴を撒くことが出来る……)
だからといって気を抜くことは許されなかった。彼のすぐそばで飛龍が咆哮を上げ威嚇する。のけぞるように首を後ろに逸らせた飛龍から火炎弾が吐かれることもあった。速さは比較的遅く、目視で回避することはかろうじて可能だったが、かすっただけでも一巻の終わりである。ルーベンスデルファーは更に速度を上げた。
一方の上空からは、苛立った飛龍が次々に襲い掛かってきた。
ルーベンスデルファーは操縦桿を思い切り左に倒しながらフットバーの右を蹴る。機体が水平方向にスライドし、かわされた格好の飛龍は地上に激突した。絶叫と共に彼等はバウンドしながら追跡劇から脱落し、あっという間に後方へ置き去りにされてゆく。
(上からの攻撃は察知すれば回避出来る)
油断こそ出来ないがルーベンスデルファーは自信を持った。
問題は後方から同じ超低空で追って来る飛龍たちだった。飛行する術が長けている連中らしく、真後ろからルーベンスデルファーに追い縋る。
(だが高度を上げれば、上空の飛龍たちの餌食になるだけだ)
(このまま超低空でかわし続けるしかない)
一瞬でも気を抜けば地上の岩や木々に激突して終わりである。ルーベンスデルファーは飛龍たちと飛行技術を競うように地上すれすれを這うように飛び続けた。わずかな地面の凹凸もなぞるように飛ぶ。
飛龍たちも、先行するルーベンスデルファーに喰らいつくように追い続ける。我々の聖域を侵すものを許さない、という怒りがその目から見て取れた。数は二〇匹ほどに増えている。
エインゼルは、執拗に追い続ける飛龍たちをじっと見つめ続けていた。
龍たちの動きを見張り、異変があればルーベンスデルファーへ素早く知らせて回避行動を取らせるのだ。それ以外、出来ることはない。
「左後方、龍が来ます」
「了解した!」
もし死ぬことになればルーベンスデルファーと一緒に死ねる……そんな諦観が彼女へ不思議な落ち着きをもたらしていた。
「ルーベンスデルファー、右の龍から火の球が!」
「任せろ!」
飛龍の放った火炎弾が機体の脇を通過し、地上へ落ちて爆発する。エインゼルの声にルーベンスデルファーが素早く反応し機体を横滑りさせたので、かろうじてかわすことが出来た。僅かでも遅れていたら命中し、飛行機共々焼き尽くされていたことだろう。
「助かった。ありがとう!」
「いいえ、それより貴方は大丈……」
「掴まれ!!」
ルーベンスデルファーが突然、大きく翼を捻る。かわしたのは地上に突き出していた巨岩だった。目視した瞬間、舵を切ったのである。
その後に続く飛龍たちも慌ててかわそうとしたがこちらは間に合わなかった。数匹がその巨岩に次々と激突して共に血しぶきを上げ、もんどりうって地上に転がった。
しかしルーベンスデルファー達にそれを見届ける余裕はない。
上と後ろには猛る飛龍の牙が、前からは樹木や岩、地形の凹凸といった障害物が迫って来るのだ。刹那の遅れが命取りとなる。一瞬たりとも気を緩めることが許されない。
しかも、それがいつまで続くのかも分からないのだ。
だが……気持ちが途切れたら、そこでおしまいである。
(絶対に諦めない)
ルーベンスデルファーは心が折れそうになるたび、後部座席にいる少女を想った。
己の生命を差し出し、生きてと言った少女が、なおも自分と一緒に戦っている。それを思うと、心に新しい力が湧き上がって来るのだった。
そうやって、生命を賭けた高速飛行がどれくらい続いただろう。
天の助けが訪れた。
視界の先に、巨大な積乱雲が見えてきたのである。




