第24話 略奪妃の正体
身体の震えが止まらない。
ランスロットは「皆の者、どうすればよい。セント・ラースロー帝国を救う手はないか……」と問いかける。
「頼む。余を……余を助けてくれ……」
残った臣下達は黙りこくったままテーブルに青ざめた顔を並べている。
自分勝手に振舞って国が傾くのも放置し、手遅れの今になって泣きつかれたところで……誰もがそう思ったが、何も言い出せずにいた。
そこへギッと音を立てて分厚い扉が開かれた。
妖艶な笑みと共に現れたのは……
「アリストゥス!」
「あら、殿下。こんなところにいらしましたの?」
「おお、よく来てくれた!」
絶望の中に現れた救世主とばかりに、ランスロットは卑屈な笑みを浮かべて婚約者を迎え入れた。
彼女は、ルーベンスデルファーを取り逃がした時の形相が嘘だったかのような、いつもの美しい顔に戻っている。
だが、その口端には今までになかった蔑みの笑みがはっきりと浮かんでいた。
「たいへんなことになってしまいましたわね」
「そうなのだ。セント・ラースロー帝国はこの通り、水が枯渇して今や崩壊の危機に晒されておる」
「……」
「アリストゥス、お前のゾルアディウス公国に頼んで水を分けてもらえぬか? 国庫の金はないが、望むものがあれば何なりと譲渡しよう!」
アリストゥスはただ黙って微笑んでいる。
彼女は、揉み手せんばかりのランスロットを半眼でしばらく見つめていた。
そして……
「殿下、アリストゥスは既に望むものはいただきました」
「……?」
ランスロットはキョトンとなった。
「それは……一体どういう……」
「今日は殿下に、暇乞いを告げに参りましたの」
「は?」
身に着けた真っ赤なドレスで舞うようにふわりと身体を回したアリストゥスは、翻したドレスの裾を摘まみ、優雅に一礼した。
「暇乞いだと? まさか、余を捨てるというのか!」
「まぁ、捨てるだなんて。媚びこそ売っておりましたが、アリストゥスは最初からランスロット様に靡いてなどおりませんよ。気づいておりませんでしたの?」
手にした扇子で口元を隠したアリストゥスはコロコロと笑った。
「最初から……?」
「私はもともとセント・ラースロー帝国へ取り入る為、美貌を買われて養子縁組されたゾルアディウスの舞姫。いざとなれば使い捨てにされる身ですから素性を詳しく調べられることもありませんでした。地の底から来た異形の身と知られることもなく」
「アリストゥス?」
お前は一体何を言っているのだ……? とでも言う顔で、ランスロットはアリストゥスを凝視した。
「伺候するうちにゾルアディウス公王の思惑通り、私は殿下に見初められました。まぁ悪い気はしませんでしたけど。昼間は山のように甘い言葉をささやかれ、夜は夢中で身体を貪られ……色々と楽しませていただきましたわ」
思い出してククッと笑った略奪妃の瞳が細められた。
「しまいにはセント・ラースロー帝国の未来の妃の座をいただきましたが……ふん、わらわはそんなもの最初から欲しくもなかったわ」
途中から別人のように声変わりしたアリストゥスに人々は凍り付き、彼女は「あらあら、これは失礼」と首をすくめたが、少しも申し訳なさそうにしていなかった。
「殿下」
「アリストゥス、お前は……何を言おうとしてここに来たのだ?」
「はい。アリストゥス・フリーデンタールは偽りに満ちたランスロット・セント・ラーズロー皇太子との婚約をここに破棄いたします」
それはあの晩、ランスロットがフェリーリラ王国令嬢へ告げた婚約破棄をそのまま真似た皮肉な宣言だった。
ランスロットは、信じられないという顔になった。
「な、なんで……」
「はい、なんででしょう? そろそろ種明かししませんとね。実は私が宮廷に入ってから、この国に異変は起きておりました。殿下はご存じでした?」
「……知らぬ。一体どういうことなのだ?」
「ええ、異変を殿下の耳に入れた忠臣もおりましたが殿下は耳も貸さずにいて下さいました。おかげで事が上手く運びましたわ。ククク……」
口元を歪めてアリストゥスは笑う。
その姿からは次第に瘴気じみたおぞましいものが漂いはじめ、人々を後ずさりさせた。
「それから殿下、いつぞやこのアリストゥスにセント・ラースロー帝国建国の謂れをお話して下さいましたね。覚えてらっしゃいます?」
そんな話、この場に何の関係が……そう思いながらもランスロットは黙ってうなずいた。
「その昔、ウロボロスという邪蛇がいた。湖に棲み、水を求めて来た人を餌として貪り喰らっていた。人は水なしでは生きられない。餌にされるばかりの哀れな人々を天界から見た神様は水が湧き出る宝玉をこの地に百個も落とした。人が湖に寄り付かなくなったので、ウロボロスは湖を出て襲い始め、神様は龍族を遣わしてウロボロスを倒し、この地に封印した……そんな昔話でしたわね」
「そうだが、それが一体……」
「この話には面白い続きがあるのですよ。ふふふ……」
アリストゥスは不気味な笑みを浮かべ、語り始めた。
「封印されたウロボロスは地の底でひたすらに神を呪い、人を憎みました。自分が貪り食うために存在するはずの餌を何故、神ともあろうものが庇うのだと」
崩壊してゆく国の宮廷でこんなときに……場違いなはずの不思議なおとぎ話。
その行き着く先が何なのか、人々の胸に恐ろしい予感が兆した。
だが、誰ひとり口をはさむことも、その場から動くことも出来なかった。
「長い長い年月が経ちました。ウロボロスは、封印された己の力が地の底から滲み出て水宝玉に溶け込んでいたことを知りました。言い換えるなら百個の水宝玉を己の中に取り込めば自分が復活出来ることを知ったのです」
「……」
居並ぶ人々の顔に「まさか……」という恐怖の色が浮かんだ。
「アリストゥス……」
おそるおそる呼びかけたランスロットに向かってアリストゥスは、にぃ……と笑った。唇を三日月のように歪めた悪魔の笑み。
その口調も皇子を惑わせた妖艶な舞姫のそれではなく、いつしか本来の冷酷な魔物のそれへと変わっていた。
「この王宮が、わらわを封ずる為に古の賢者が刻んだ忌々しい魔法陣の上に築かれたことなど、長い歳月が経った今では誰も知るまい。お前を篭絡し宮廷に入り込んだのも、魔力で密かに我が身に水を吸い上げながらここの魔法陣を消し去るのに都合がよかっただけのこと」
「……」
「魔法陣は消し去り、宝玉の水も吸い尽くした。この身体にはあの頃と同じ魔力が淀み、滾っておる。ふふふ……何もかもわらわの思い通りになったわ。唯一、お前がわらわを正妻とするために滑稽な芝居で陥れた、あの貧国の令嬢が水宝玉を盗んで逃げたことを除けば、な」
ランスロットはガタガタ震えながら納得したことがあった。彼女の色香に溺れていながら時折「妙だな」と思っていたことがあったのだ。
「そうか……お前がエインゼルを追えと執拗に余をそそのかし、水宝玉を取り返せと躍起になっていたのは……」
「ようやく気がついたか。そういうことよ。もっともお前が失態を重ねたお陰で、わらわが自らあ奴のところへ出向かざるを得なくなったわ」
アリストゥスは苦笑じみた顔でランスロットを見下ろしたが、彼はぼう然と立ち尽くすばかり。
「お前にもこの国にも、もう用はない。いや……」
ニタァと笑ったアリストゥスは真の姿へ変身を始めた。美しかった顔が一瞬歪んだかと思うとドロドロに溶ける。そこから蛇と龍を掛け合わせたような妖異の顔がぬっと現れ、息を呑んで見ていた人々は悲鳴をあげた。肢体も膨れ上がり、はじけて破れた肌から青緑色にぬらぬらと光る鱗が姿を現す。
その場の誰かが呻くようにつぶやいた。
「ウロボロス……!」
神話の挿絵で見たことしかなかった邪悪の化身がここに顕現したのだ。
長くうねる巨大な身体はたちまち閣議室を圧し、天井を突き破った。
首都から脱出しようとひしめき合っていた人々は、王宮の屋根を突き破って現れた邪神に驚愕した。空へと舞いあがってゆく姿を指さし「なんだ、あれは!」と口々に声を上げる。
「最後の水宝玉を取り返し完全に復活すれば、今度こそ神をも滅ぼしてくれるわ! だが、その前にお前たちも喰らい尽くしてやろう。ありがたく思うがいい、ハハハ!」




