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偽りの婚約破棄令嬢は恋を胸に、遠き蒼穹の彼方へ  作者: ニセ@梶原康弘


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第21話 命を捧げる

「……」



 猛る飛龍たちは興奮して幾度も飛び掛かって来たが、闘牛士のような身のこなしでそれをかわす。報復の銃弾を浴びた飛龍は鮮血に塗れて地へと落ちていったが、仲間の犠牲に臆する者は一匹もいない。更に怒りを掻き立てられ、飛龍たちは我先に襲い掛かる。


 死神のようなリディアの手で、既に一〇匹を下らない龍が屠られていた。

 これがもし龍を狩る目的の見世物などであれば、またとない興行になったことだろう。


 だが……



「龍になど構ってどうする! 肝心のルーベンスデルファーには逃げられたではないか、愚か者が!」



 怒号と共に、天井に映し出されていた空戦の映像がプツリと途切れた。


 セント・ラースロー帝国の王宮で、己の召喚した魔少女が逃亡者を撃墜し水宝玉を取り返す様子を鑑賞するつもりでいた略奪妃アリストゥスは、怒りに身を震わせる。


 彼女は最初、高慢な笑みを浮かべて鑑賞していたが、次第に己の目論見と違ってゆく展開に苛立ちと募らせ、ついには憤怒に顔を歪めて叫んだ。



「どうして私の思い通りにしない! 勝手なことなどしおって……!」



 手にしていた扇子を捻じ曲げ、バキン! と折った彼女はそれを床に叩きつける。


 周囲にいたセント・ラースロー帝国の人々は恐れ慄くあまり、誰も一言も声を発することが出来なかった。


 ランスロット皇子ですら青ざめた顔でうつむいている。今までの失態もあって愛妾を窘めることが出来ず、口もはさめなかったのだ。



「どいつもこいつも役立たずが……!」



 周囲を見回し、そう吐き捨てるとアリストゥスは靴音も苛立たしくその場を去っていった。


 足音が消えても人々はしばらくの間、黙って立ち尽くしていた。


 そして……その場から三々五々と散り始めた。



「おいお前たち、一体どうするんだ。黙っていないで話し合わぬか、この役立たず共が!」



 ランスロットはアリストゥスの姿が見えなくなった途端、彼女の尻馬に乗って怒鳴り始めたが……周囲の反応は今までと違ったものだった。


 いつもならオロオロしながら場を取り繕ったり、皇子をなだめようとしたりしただろう。


 しかし彼を宥める者はもう、いなかった。すっかり白け切った空気の中、人々は黙って背を向けたのだ。他の者も、その場から逃げるようにコソコソと立ち去ってゆく。


 玉座から王が「お前たち、ランスロットの声が聞こえぬのか」と思わず声を荒げたが、その声に立ち止まり畏まる者すらいない。彼等はみな愛想を尽かしてしまったのである。



「な、なんだ。どうしたのだ、お前たち……」



 ポカンとして見つめているランスロットの前に、一人の政務次官が膝を突いた。



「殿下。昨日、国務大臣のクラーゼン伯爵と法務尚書のトリエステ卿が辞職を申し出られました。財務尚書のデリンビルク伯爵はつい先ほど」


「なに?」



 帝国の政治を担う柱が三人も辞めるというのはただ事ではない。


 頭を下げて去ろうとする政務次官をランスロットは慌てて「おい、ちょっと待て」と呼び止めた。



「何故急に辞めるなどと言い出したのだ。そもそも余は受理してなどおらんぞ!」


「ランスロット殿下が帝国のしきたりを色々変えられましたので政務が滞り、責任を果たせなくなったと仰っておられました」


「ふざけるな! 勝手に辞めるなど無責任ではないか!」


「はて、国政の人事について自分へ進退などいちいち伺いに来るなと革められたのは確か殿下だったはずですが」


「だ、だからって急に辞めるなんて……」



 ランスロットの額を冷たい汗が流れた。


 さんざん好き勝手に振舞い、軽んじてきた国政が自分の知らないところで崩壊し、取り返しのつかない事態になってしまったと……彼は今になって気付いたのである。



「さ、三人を余の執務室へ呼べ! 勝手に辞めるなどとは無責任すぎる。余の口から言い聞かせてやらねば……」


「かしこまりました」



(さんざんないがしろにしてきた者が今さら慰留したところで無駄だろうに)



 政務次官は思ったが、彼も既にこの次期国王を見放していた。何も言わずに頭を下げただけだった。


 ただ、もう一つ告げるべきことがあった。



「そうだ、もう一つだけお耳に入れておくことがございました。おそらくお三方が職を辞された理由のひとつと思われます」


「なんだ?」


「セント・ラースロー帝国内の水源が全て枯れました」


「は?」


「国内の水宝玉はすべて萎み、水を出さなくなりました。不足する水は今まで貯水池などで賄っておりましたが、こちらも今朝尽きたという報告が参っております」


「な、なんだと!?」



 今度こそランスロットは、真っ青になった。



「貴様、何故そんな重大なことを今まで余に知らせなかったのだ!」


「以前、水の供給量が減っていることを懸念し申し、上げましたが、殿下がそんなことをいちいち報告するなと申されましたので」


「だからって、こんなことになってから報告しおって! 余にどうしろと言うのだ!」



 ランスロットはまるで目の前の政務次官が水を枯らした犯人のように怒鳴りつけたが、政務次官は憐れむような目で一瞬見返しただけだった。



「申し訳ありません。報告するべきではありませんでした」


「報告しなければもっと取り返しがつかないことになるではないか!」


「しかし、それは殿下ご自身が報告するなとお決めになったこと。私ももう何も申し上げません。本日で職を辞しますので」



 冷ややかにそう応えると政務次官は頭を下げ、きびすを返して去っていった。


 ランスロットは震え声で「待て」と呼びかけたが、彼は振り向くどころか足を止めようとすらしなかった。



**  **  **  **  **  **



 真っ赤なボロ雑巾のようなルーベンスデルファーを背負って、エインゼルは歯を喰いしばり、機体から森に向かって一歩一歩歩いた。


 見上げた空はもう夕刻に近かった。


 大樹の木陰にルーベンスデルファーの身体を横たえ、鼻に耳を寄せる。小さく、荒くではあったが息をしている。


 だが、このままでは彼の生命が危ういことは明白だった。



(早く、なんとかしなくては……)



 血に塗れたルーベンスデルファーの寝顔を哀し気に見やる。出血してから既に長時間飛び続けていたが、傷口からはなおも血が流れ続けている。


 とにかく手当を……そう思ったエインゼルは疲れた身体を引きずって機体へ戻り、血塗れになった操縦席の中を探し回った。



(飛行している時の怪我に備えた医薬品か何かがきっとあるはず……)



 そしてエインゼルの思った通り、操縦席の下から白い箱が見つかった。中には小さな瓶や包帯が入っている。彼女は目を輝かせてその宝物を押し頂いた。



(これで手当てが出来る!)



 ドイツ語で書かれた使い方の説明が入っていたが、無論エインゼルに読めるはずがない。包帯など巻いたこともなく、瓶の薬は怪我をした場所へ塗るものだろうと考えるしかなかった。


 巻いた包帯を切る方法も分からない。半泣きで箱の中を掻きまわした彼女は小さなハサミを見つけた。


 そして散々試行錯誤した末に、それが包帯を切る道具であることをようやく理解した。



「ルーベンスデルファー」



 何度か呼びかけるが返事はない。そのたびに彼女は彼の呼吸を確かめた。


 長い時間を掛け、ルーベンスデルファーへの手当てが終わったのはすっかり日も暮れた頃だった。


 お腹は空いていたが、疲れ果てたエインゼルはポーチの中のパンを食べる気になれなかった。


 ルーベンスデルファーはこんこんと眠っている。


 ここで一晩眠れば少しは元気になってくれるだろうか……エインゼルはとてもそうは思えなかった。



(このまま彼が死んでしまったら……)



 考えるのも恐ろしかった。


 自分には飛行機など操縦出来ない。そして一刻も早く故国へ水宝玉を届けなければフェリーリラは地獄のような苦しみの果てに滅んでしまう。今だってきっとみんな渇きに耐え、自分達が来る時をひたすら信じて待っているはずなのだ。



「ルーベンスデルファー」



 眠り続ける想い人へ呼びかける。


 やはり返事はない。



(ルーベンスデルファー。死なないで……死なないで……)


(貴方が死んだら私どうしたらいいの……?)



 エインゼルは、両手で顔を覆った。


 医薬品は使い果たした。出来ることはもうなにもない……


 そう思ったとき、エインゼルはハッと思い至った。



(いいえ、あったわ! 私に出来ること!)


(ひとつだけ……)



 ―― 己の生命を分け与える禁断の魔法…… ――



 エインゼルはゴクリとつばを呑んだ。顔が青ざめる。


 今でさえ歩くのがおぼつかないほど身体が弱っているのだ。これ以上自分の生命を削ってしまったら……



(でも、これしかない)



 エインゼルは俯いてしばらくの間震える自分の肩を抱きしめていたが、決意を固めると半ば昏睡状態で横たわっているルーベンスデルファーに寄り添う。



(私はどうなってもいい……)



 この異国の騎士に生命を捧げよう……小さな声で彼女は詠唱を唱え始めた。



 この世界の理を司る者よ

 生命を紡がんとする望みを掲げ声あぐる者あり 心あらば聞け

 我が生命と引き換えに、おぼろに消ゆる生命を惜しめ

 古の契約に遵い、我が生命に応えよ……



 自分の身体が弱々しく発光するのを確かめるとエインゼルは静かに微笑み、想い人の唇に自分の唇をそっと重ねた。



(ルーベンスデルファー……)


(生きて……)

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