第20話 虎口を脱す
目がかすむ。
だが、ルーベンスデルファーの操縦桿を握る手に、新たな力がみなぎった。
エインゼルの話を聞くうちに、フェリーリラの為に自分の流した血が誇らしく思えたのだ。そんな国を救いたいというこの少女の願いを必ず叶えてみせるという強い想いが、彼に力をくれたのかも知れない。
追いすがるリディアの戦闘機がなおもルーベンスデルファー機へ照準を合わせ、しつこく銃撃を仕掛けてくる。
だが、無数の激戦をくぐり抜けてきた男は、そうと察して巧みに機体を回避させる。
そして、ただ逃げるばかりではなかった。
ルーベンスデルファーは回避行動を繰り返しながら、この窮地を脱する目論見を密かに持っていたのである。
話し終えたエインゼルは更に何事か悩んでいる様子だったが、思い切ったように再び口を開いた。
「ルーベンスデルファー。この際だから言ってしまいます」
「なんだ……」
「私は貴方に、嘘をついていました」
「嘘?」
死ぬかもしれないのだ。ずっと心の中にトゲのように刺さっていたことをエインゼルは告白した。
「セント・ラースロー帝国の王宮庭園で『俺の翼を貸そう』と仰って下さったあの晩、貴方は私にフェリーリラに自分を元の世界へ戻せる魔法が使える人がいないかと訊かれた」
「うん」
「私はそんな人がいる噂を聞いたことがあると言いましたが、本当は……」
「……」
「貴方の翼を貸して欲しいばかりに私は……ごめんなさい……ごめんなさい……」
後方のロシア機からの銃撃を再びかわすと、ルーベンスデルファーは笑い出した。
「ルーベンスデルファー?」
「そんなの、最初から知ってたよ」
「え……ええっ?」
泣きながら謝っていたエインゼルは驚きのあまり、涙が止まってしまった。
「泣きそうな顔で、声も震えて……あんなの誰が見たって『私は嘘をついています』って分かるよ」
「そ、そうだったんですか……」
「だが……俺は……貴女の嘘を信じる」
嘘を信じる。
その言葉にエインゼルは目を見張り、操縦席の男を見た。
嘘と分かっていてそれを嘘と思わない、その言葉はきっと真実になると……彼はそう言ったのだ。
ルーベンスデルファーは追われながら高度を少しづつ上げていた。追尾するリディアは、その意図に気づくはずもなかった。
(おのれ、しぶといドイツの悪魔め!)
(いい加減に落ちろ!)
追われる機上で、エインゼルはぼう然となっていた。
ルーベンスデルファーは告げる。
「俺は何故この異世界に跳ばされてきたんだろう……それも……瀕死のドイツを守って戦うべき大事な時に。今まで何度もそれを……考えていた」
「は、はい」
「きっと……」
ルーベンスデルファーはつぶやくように言った。その額には乾きかけた血しぶきがこびりついている。
「貴女のために……フェリーリラを救うために……その翼を与えよと誰かに呼ばれた……そんな気がする……」
「……!!」
奇跡、神意、運命……エインゼルの心の中にそんな言葉がぐるぐると巡った。
(私も……)
(私も同じことを思っていました)
(もしかしたら亡きロゼリア様が、私とルーベンスデルファーを引き合わせて下さったんじゃないかって……)
心臓が破裂しそうだった。
風防ガラスのすぐ傍を赤い閃光を放って銃弾が掠める。
だが、エインゼルはそのとき身近な生命の危機すら忘れてしまっていた。
(エインゼル、いつか私の代わりに空を飛んでね……)
(でも空を飛ぶだけじゃだめ。素敵な人と巡り合って本当の恋をして。わたし、いつか恋をしたかったの……ここではないどこかへ……空の向こうへさらっていって欲しかったの)
息を引き取る間際、自分へ縋りついてささやいたロゼリアの言葉。
(ロゼリア様……)
(天に召されたロゼリア様が私の為に……)
だが、感極まったエインゼルがあえいで叫ぼうとした言葉が喉元まで出かかったとき……
「エインゼル。つかまっていろ!」
ハッとして上を見ると、あのロシア戦闘機が上後方から翼を捻るようにして襲い掛かって来るところだった。ルーベンスデルファーを何としても仕留めようと焦ったあまり、リディアはエンジンを負荷をかけて無理やり馬力をあげ、仕掛けてきたのだ!
(死にぞこないが! 今度こそ地獄へ送ってやる!)
リディアは照準器の中に、ようやくルーベンスデルファー機を捉えた。
だが、彼女が機銃のトリガーを引く前にルーベンスデルファーは自機を垂直に立てた。高高度で敵機に捕捉された時だけ彼が使う、緊急の離脱方法である。
瞬時に揚力を失った機体はまっすぐ落下し、銃撃から逃れ出た。
(おのれ! どこまでも愚弄しおって!)
リディアは機体を翻し後を追って急降下してゆく。
だが、ルーベンスデルファー機はそのまま落下するかと思いきや、横転して降下を緩めて揚力を回復し、再び上昇に転じたのだった。
(なに!?)
まるで、魔法でも使ったようにリディアを欺いたルーベンスデルファーは、再び彼女を引き離してゆく。
急降下で大きく高度を落としてしまったリディアは歯噛みして悔しがったが、大きく息を吐くと不敵に笑った。
しょせん、負傷したルーベンスデルファーの悪あがきと思ったのだ。
(ふん、こざかしい真似を……)
(どのみち負傷したその身では、あと幾らも飛べないでしょうに)
一方……操縦席のルーベンスデルファーも振り返り、笑っていた。こちらは血塗れの顔に子供のようないたずらっぽい笑みを浮かべている。
「エインゼル」
「は、はい……」
「見ろ。俺たちの……粘り勝ちだ」
「え……?」
ルーベンスデルファーが指差した方角を見たエインゼルの目の前に映ったのは、十数匹を数える巨大な飛龍達だった。
けたたましい咆哮と共に、幾匹もの飛龍が翼をすぼめて空の高みからリディアへ次々と襲い掛かる。
ルーベンスデルファーは、彼等を再びリディアと嚙み合わせるために高度を上げながらの逃避行を続けていたのだった。
(こいつら……!)
(龍ごとき下等動物が私の邪魔をするな!)
空の高みにいた龍たちは、追われて逃げ続けていたルーベンスデルファーより、彼にさんざん銃火を浴びせて空に騒乱を巻き起こしたリディアに激昂し襲い掛かった。
リディアは見せしめのつもりで一匹の飛龍をハチの巣にして撃ち落としたが、それは龍たちの怒りを更に掻き立てただけだった。何匹かがカッと開いた口から火炎弾を吐き出す。
回避したものの、リディアは激昂した飛龍たちを相手にせざるを得ない。
それを見届けると、ルーベンスデルファーはゆっくりと操縦桿を回して北へと方角を向けた。
(待て! 逃げるな、ドイツの悪魔!)
しかし、その後を追おうとするリディア機に何匹もの飛龍がまとわりつき、牙や爪を突き立てようとする。
(クソ龍ども! 私の邪魔をするな!)
飛龍を相手に悪鬼のように暴れまわるリディアからルーベンスデルファー機は遠ざかってゆく。
白いベールのような薄い雲を通り抜ける。後ろを振り返るとリディア機も飛龍たちも、もう見えなくなっていた。
(……)
安心感で、ルーベンスデルファーは思わず操縦桿ごと前に倒れかかった。機体がぐらりと傾く。慌てて操縦桿を引き、立て直した。
「ルーベンスデルファー……」
「大丈夫だ。どこか上から見つからないどこかに……着陸しよう……」
ルーベンスデルファーは高度を少しづつ落としながら地表を見回す。もう、体力も気力もとっくに限界を超えていた。
しばらくして彼は広葉樹の大きな森を見つけた。高度を落とし、そこへ向かう。
もっと探せば機体を隠せそうな場所があったかも知れないが、これ以上飛行を続けるのはもう無理だった。着陸脚が損傷していないか心配しながら着陸態勢に入る。
「エインゼル、もう少しだ……もう少しで……」
機体越しに着陸の感触を感じると、森の端へ機体を寄せ、ブレーキを掛ける。
プロペラの回転が止まるのを確かめたルーベンスデルファーはエインゼルへ「もう大丈夫だ」と言おうとした。
だが、それは言葉にならなかった。
操縦桿から手を離した彼は、力尽きて再び崩れ落ちたのだった。




