その11
会場の照明を全身に浴びて降り立ったのは、まーだった。体力と運動神経にそれほど自信のなかったまーは一世一代の賭けに見事勝利する。派手に蹴り出された皇子は舞台下の前列にもんどりうって転がり失せている。
あまりの事態に会場全体が固まっていると、まーが先手を打った。マイク代わりに右手に持ったゲーム機を口に近づけると高らかに言い放つ。
『オープンセサミ!』
突如として上からなにかが降ってくる。
「えっ? ナニ!?」
それは巨大な網だった。会場全体を覆い尽くすほどの網が落ちてきたのだ。網自体は単体であれば比較的に軽いものの、これほどになると重量はかなりのものだ。椅子に縛られているのはもちろん、自由に動ける会員メンバーも重みで抑えつけられていた。しかし、さらに追加で何かが落ちてくる。中身が詰まった土嚢袋だ。
「「「ええええええええ?!」」」
ズンダンとランダムに落ちてくるそれは、衝撃音から推察してもかなりの殺傷能力がありそうな威力を持っている。奇跡的に人間への直撃を免れているものの、テーブルや通路にはガンガン直撃している。それが終わったかと思えば、今度は本当の雨が降ってくる。
「「「うわわわわわわわ!」」」
会場全体の備え付けスプリンクラーが一斉に作動して大雨を降らしたのだ。市民プールのシャワーなど比べものにならないくらい激しい豪雨が続く中、まーに準備完了の合図が入る。
同時にまーの中で何かのスイッチが入った。大きく息を吸い込むと、力一杯の声量で叫ぶ。
『交響曲第九番第四楽章 歓喜の歌!』
会場を揺らさんばかりの大音量のBGMが流れ出す。しかし、それを上回るほどの歌声がその大音量を塗り替える。外見からは想像出来ないほど力強く圧倒的な声だ。
『Freude, schoener Goetterfunken, Tochter aus Elysium!』
「「「ギャアアアアアアアアアア!!!」」」
会場全体に強烈な電気が走る。比喩的な表現ではなく、実際に電気が流れているのだ。上から落ちてきたのはクリスマスのイルミネーションらしく、ところどころでチカチカ電飾がついている。
『Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!』
「「「ギニャアアアアアアアアア!!!」」」
イルミネーションは通電しやすくするために電線が全て剥き出しになっていてさらに、新品の銅線で補強されている。会場全体が水に濡れていることもあり、電気が自由自在に踊っている。
『Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt,』
「「「ウギャアアアアアアアアア!!!」」」
電流のON,OFFがテンポよく切り替えられているので、観客が曲のリズムに合わせて小気味よく躍動する。まるで一見するとテンションがちょっとおかしなライブ動画に見えなくも無いだろう。
『alle Menschen werden Brueder, wo dein sanfter Fluegel weilt.』
「「「ヒギャアアアアアアアアア!!!」」」
まーの服装をよく見ると、正装とは言い難いことがわかる。高校の制服の上からアルバイト先のユニフォームを羽織っただけの格好だ。どこでも居そうな格好だが、この舞台ではひときわ異彩を放っている。
まーはこの歌を誰かに届けようなんて大それたことは思っていない。ただ、腹が立って仕方ないのだ。だから、力の限り叫んだ。自分の怒りと憤りと後悔をぶつけるように。
その頃、裏方連中は無線できゃっきゃしていた。
「ははははは、これめちゃウケるよ! マジオモローね!」
電流のON.OFFで遊んでいるリュウが爆笑している。
「俺もそっちが良かったなー……」
照明と音響担当のナーがぶつくさ文句を言う。
「し、死んでないですよね? 誰も」
暗くてよく見えないが、舞台上方で汗だくになっている正義は青い顔で心配そうに言う。
「それより、サイコ野郎は見てるだけか?」
「ラブだけ身代わりってのはどうなのよ」
「……そんな」
「ま、馬鹿正直に生きるだけが人生じゃないから、それもありだけどね」
「確かに、俺たちに言えた義理はないからな」
「……」
正義は沈黙する。
その沈黙を引き継ぐように、舞台でもひとときの静寂が訪れていた。
ひとしきり歌ったあと、まーが一息つく頃には観客たちは誰一人まともに立って居なかった。椅子に縛り付けられているものは逃げ惑うことも出来ずぐったりとしていて、NBC会員メンバーも床に張り付いている。ときおり、呻き声が聞こえるぐらいだ。
『ふぅ、年末と言えば第九よねー』
その投げかけに応えるものはいないと思われたが、観客席の方から何かもぞもぞと這い上がってくる影が舞台上から確認出来る。
『何? 濡れた犬みたいなのが近づいてくるわ。怖い』
「誰、が、犬、だ。何、してくれた」
皇子がまだ生きていたようだ。もっとも死ぬような威力では流していないので当然といえば当然だ。
『あ、ライブ途中なんで、舞台には上がらないで下さいね』
「ふ、ざ、けるな」
『仕方ないわね、スタッフ~、ちょっとスタッフ~』
「おま、どこ」
すると、シュルシュルと上から小道具が降りてくる。棒状の物がくくりつけられているようだ。それを手に取ると、まーは皇子に向き合う。
『必殺、エキセントリックマジカルシュート!』
「デアアアアアアア!」
迷うこと無く、心臓目掛けてひと突きするまー。皇子が再び倒れ込む。その物体は長尺タイプのスタンガンらしい。
『あれ? 必殺なのに死んでない? まさかの誇張表現だわ』
そういう問題ではないが、皇子にとっては大した問題だった。とにかく、会話をするために再び身体を起こす。
「おま、ちょ、ふ」
しかしその台詞は途中で強制的に打ち切られることになる。何故なら、再びジャリジャリと不快な擦過音が近づいてくるからだ。もちろん皇子は敏感に察知したが身体は全然言うことを聞かない。
「プゲラッ!」
先ほどの光景がフラッシュバックする。上方から新しく跳び蹴り参加をしたメンバーは正義だった。まーよりも重量感のある跳び蹴りは圧巻であり、持ち前の運動神経をいかんなく発揮していた。
『(あれ、死んだ?)』
まーは一瞬、その考えが頭を過ぎるが、一旦忘れることにした。
『いいや。で? 正義くんは何しに来たの?』
「いてて、つか呼び出しといてそれかよ……」
腰をさすりながら正義が苦笑する。
『で? どうするの?』
まーが問いかけ、正義が答える。
「マイク、貸してくれ」
真剣な眼差しだった。まーは茶化すこと無くマイクを渡す。それを受け取った正義はしっかりと自分の両足で立ち上がった。
『皆さんに、聴いて頂きたいことがあります』
観客は半死半生なので、WEB向けの発言だろう。正義の服装はまーと同じく高校の制服だ。ただ、まーとは違い、きっちりと着こなしている。
『一部の方はご存知かも知れませんが、先日、僕の同級生が逝去致しました。それは事件性の無い自殺、または事故として処理されています』
この会場で正義のことを詳しく知っているのは皇子ぐらいであり、逆に言えば殆どの人間は彼のことをそれほど知らない
『それは、事実です。しかし、必ずしも正しくはありません』
正義が大きく息を吸い、意を決したように前を向く。
『彼女は僕の目の前で橋から落ちました。でも、僕は怖くて、助けを呼ぶことも出来ず、逃げ出しました。彼女が死んだのは僕のせいです』
会場から特に反応はない。まーも黙って聴いている。
『それだけではありません。僕は彼女のストーカーでした。彼女の後をつけ、行動を観察もしていたし。隠れて写真や動画も撮りました。もしかすると、いや、きっといつかは彼女の生活に踏み込んでしまっていた筈です。それこそ、傷つけてしまっていた可能性もあります』
正義は淡々と話す。何度も練習したように冷静に。
『僕は自分の不法行為がバレるのが、怖くなったんです。だから、逃げ出したんです。僕は、警察官の息子である僕は、そんな、最低な人間なんです』
正義は制服に手を掛け、ボタンを外していく。まーはそれを眺めながら、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。なにやってんだ? と。
『自分の欲望を優先させ、相手のことを顧みず、そして何かあれば真っ先に逃げ出してしまう。僕は、そんな最低な人間です。そのくせ、責任の取り方もわかりません。どう詫びればいいのかも思いつきません。謝って済むなら、土下座をして済むならいくらでもします。でも、多分それは違うと思うんです。こんな風に、何かをすれば誰かが赦してくれると考えていること自体、身勝手な話なんです。多分、僕は自分に甘いんです。今までの環境にあぐらをかき、その環境を守ることだけを考えてきたツケが回ってきたんです。本当にわからないんです、どうすればいいのか。だけれども、このままでは、ダメなんです。だから、その、つまり、ですので、僕は自分を貶めたいと考えるに至りました。今後の人生で二度と消えないき傷を残すのです! 正直わかりません、どうすればいいのかなんて、でも、僕は自分の守ってきた環境を壊す方法は知っています。だから、ここで壊します。すべての懺悔の気持ちを込めて、僕は自分を殺します!』
そう言いながらいきなり、中に着ていたシャツをぶち破ると上半身裸になった。まーは呆気にとられている。
『僕は最低なんです!』
靴と靴下を脱ぎベルトに手を掛け、ズボンとパンツを一気に下ろす。
そうして、生まれたままの姿になった。もっとも、生まれた時はもっとずっと可愛げがあったと思う。
『皆さん! 未来永劫! ぼくを罵って下さい! ぼくを社会的に殺してくださいぃぃぃぃぃぃ!』
「何しに来てんのよあんたはっ! このクソ変態!」
『グベララララララッ!』
エキセントリックマジカルシュートが再び炸裂する。電圧調整のボタンを見つけ出したまーは思わず最大出力で正義を黙らせにかかる。
一瞬で気絶した正義は舞台に全裸で仰向け状態となる。偶然にも磔にされた例の人と同じようなポーズになっている。
「Oh,Jesus」
とりあえず今は不要なスタッフを使ってそっと恥部を隠しておく。あちら側の人間が聞いたら怒りそうなものだが、まーはとりあえずそれを放置することにした。ちょっと嫌そうに正義の持っているイマイをひったくると、改めて会場に向き合う。
『さて皆さん、残すところあと一曲となりました』
会場全体がにわかにざわつく。再び電流の悪夢が頭を過ぎったからだ。それにしても、正義の一件をまるきり無視するあたり、究極的に優しくないまーだ。先ほどの電流は即死しない程度に抑えられていたとはいえ、かなりの激痛がくる強度だった。薄手のパーティードレスでは火傷は当然で、大半の参加者の髪の毛はブスブスと焦げていた。正直、二回目は耐えられないかもしれない。
『それでは聴いて下さい。Amazing Grace』
BGMと同時に会場全体がこわばる。しかし、今度は電流どころか、何も起こらない。
『Amazing grace!(how sweet the sound) That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found Was blind, but now I see.』
綺麗な歌声だ。先ほどの歌が叫びなら、今回のこれは囁きだろう。先程に比べれば弱々しく思えるかもしれないが、か細い声ではなくしっかりとした芯が通っている声だ。観客も初めは電流に怯えていたが、それがこないとわかって、段々と歌を聴き始める。
『Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved; How precious did that grace appear,
The hour I first believed.』
まーは歌いながら思い出していた。これは聖歌がよく歌っていた歌だった。あの子の家庭では今時の歌は聞かれず、賛美歌やら交響曲がよく流れていた。聖子の趣味だろう。それに不満を言うでもなく、あの子はこの曲を口ずさんでいた。
『Through many dangers, toils and snares.
I have already come Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.』
まーは聖歌に日本語訳を聞いたことがあった。その歌の歌詞はどういう意味なのか気になったからだ。すると、ちょっと考えたあの子は端的にこう言ったのだ。
「第九は『友達を大切にしましょう』って意味でAmazingは『生きていれば良いことあるよ』って意味だよ」
それを聞いたまーは思わず吹き出した。それを言うためだけに、これほど大それた演奏をしなければいけないなんて、人間とはなんて割に合わない生き物なんだろうとそう思ったからだ。
それでも、屈託なく笑う聖歌は悔しいほどに美しかったことを覚えている。
『When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise Than when we've first begun.』
まーの声が会場を包み込む。そして、事前の打ち合わせの通りに合図を送る。すると会場全体に電灯がついた。一瞬驚く観客たちだが、よく見ると電飾は二層になっていた。剥き出しの電流有り電飾の上から、普通の電流無し電飾が乗っかっているのだ。そしてまーもイマイに合図する。
「(あんた、録音再生も出来たよね?)」
《(もちろん、俺っちはゲーム以外なら何でも出来るゲーム機だぜっ!)》
まーは笑うと、口からイマイを外す。
「それじゃあさ、こういうのはどう?」
その提案は、簡単に了承される。
《お安い御用だぜ、相棒っ!》
イマイは録音していた歌声を再生する。
まーはそれとは別に再び歌を紡ぐ。
即興の二重奏だ。
まーの歌声の旋律と溶け合うように、もう一つの歌声が流れた。まーの歌詞とは別に、もう一つの歌詞が響いている。それは、在りし日の聖歌の歌声だった。
まーにとって聖歌と友達かと聞かれても、胸を張ってそうだとは言えなかった。そうやって高らかに友達といえるほど、心を開いているわけでもなければ、対等とも思えていなかった。そんな風に考えてしまうあたり、まーも大概面倒な性格をしている。ただ、だからこそ、まーと聖歌はある意味友人として長く関係が続いたわけだ。
ベタベタするわけでもなく、離れるわけでもなく、偶然にも丁度いい間が、彼女たちを繋いでいた。聖歌が太陽なら、まーは月だ。近づき過ぎることが出来ず、遠くから見ることしか出来ない。けれどあっちは眩しすぎて、ずっとは見ていられない。
好きなところと嫌いなところ。知ってるところと、知らないところ。まーが唯一、心残りと言えるのは、おそらく、多分、まーの知らない聖歌がまだあったのだろうということだった。
拍手も何も起こらない会場で、まーはただ一人佇んでいた。音響も照明も変化はない。こんなことで何も変わりはしないと、まーも分かっていた。ただ、言葉に出来ない高揚感が全身を駆け巡っていたのは事実だ。凄くバカバカしく単純な話だが、人前で歌うことがこれほど面白いとは思わなかった。
だから、今までのことを全部忘れて、ついついこう口走ってしまったのも仕方ないことだろう。
「みんなー! 聞いてくれてありがとー!」
無理やり聞かせたことは横に置いて、まーは感謝の言葉を口にした。
その言葉を聞いて大いに笑っていたのはリュウとナーだけだった。




