086:もと通りの朝
夢の中、遠くで鳴る目覚まし時計の音がゆっくりと近づいてくる。
朝は苦手だ。それでも早く目覚ましを止めなければまた、かおるや駿に心配をかけてしまう。
二度寝を防ぐために、ロフトの下に置いた目覚まし時計までの距離を恨めしく思いながら、零はまだぼんやりしている頭のままロフトを降り、目覚まし時計を止める。
そのままソファーに横になって眠ってしまいたいと言う欲求と闘いながら、零は目を覚ますためにシャワーを浴びた。
熱めのシャワーを浴びると心も体もすっきりする。お気に入りの香りのボディソープで身体を流すと不思議と今日一日への意欲がわく。
・・・あれ?私、昨日伊織君と一緒に・・・?
濡れた髪を拭きながら、零は昨夜の事を思い出す。
・・・夢・・・?じゃ、ない、よね?
冷静に記憶をたどる。眠っていたら、伊織が迎えに来てくれて、伊織の部屋で話をしていたつもりだったのに。
よく考えたら、寝ているところに迎えにくる、なんておかしいし、あんなにも怒らせてしまったのに優しくしてほしいと思う零の願望を叶えるような甘く優しい時間が与えられるなんて、やはり夢だったのだろうか。
でも、絶対、ホントだった・・・と、思う。
とは思うものの、確信が持てない自分が情けない。零は髪を乾かしながらぼんやりとそんな事を考えていた。
「零ちゃん、そろそろ朝食に行こうか。」
ドアの外からかおるの声。いつもと変わらない朝。
変わらない、と言う事がこんなにも幸せなことなのか、と零は思う。数日前の朝、泣きながらかおるを拒絶してしまった日の事がもうずいぶん前のことのように思える。
駿や健がくれた勇気と元気の種のおかげで零はかおるに謝る事が出来た。部屋に謝りに行った零に言葉が出ないほど慌てたかおるの姿を思い出すと、原因を作った自分を申し訳なく思いながらも少し笑ってしまう。
「・・・おはよう。」
零がドアを開けるのとほぼ同時に、隣の部屋から駿が顔を出す。
「駿君、おはよう!」
零が笑顔を向けると、駿がすぐに目を逸らせるのは前と変わらなかったが、嫌われているわけではないと分かってからはうつむく事もなくなった。
「零ちゃん、今日はクラスリーダー会議があるから放課後よろしくね。」
「あ、うん。あ!」
「どうかした?」
「図書室で借りてた本、今日が返却期日だったの、忘れてた。」
会議の後でも間に合うかな?と背の高い駿を見上げた時、いつも一階の食堂へ降りる階段の踊り場で待っている健の声が響いた。
「それなら俺がひとっ走り返してきてやるよ!」
どうせ向こうへ行くし、暇だしな、と笑う健につられて零も笑う。
自信が持てなくて、泣いてばかりの自分を優しく見守ってくれる大切な人達。甘えてもいいと言ってくれて、甘える事を許してくれて、弱さも含めて受け止めてくれる。
「健が暇だってのは間違いないな。」
「なんか、駿に言われると腹立つな!」
「何だ、忙しいなら俺が行こうか?俺もどうせ図書室へ行くからな。」
「な?!いや!俺が行く!俺は暇だからな!」
駿と健のやり取りを見て、思わず噴き出した零を見て、かおるが優しく微笑む。そんないつもと変わらない、優しくて穏やかな朝が幸せで零は心の中にずっとこの光景が残ればいいと願わずにはいられなかった。
今まで別のテーブルで食事をしていた駿が4人がけのテーブルに座り、健と他愛のない会話をする。今までほとんど他の同級生と話をしなかった駿がこうしていることが嬉しくて思わず笑顔がこぼれる零に、ななめ前に座った健は内心見惚れていた。
「おい、健何にやにやしてんだお前?」
ふわりと柑橘系のムスクの香りがする。振り向きかけた零を背中から抱きしめて伊織は首筋にキスをした。
「零、おはよう。」
「いっ!おりくん!おはッ」
零の脳裏に昨夜の夢のようにも思える現実が蘇る。
「耳がピンクになって可愛いな。」
食べていい?と耳に唇を付けられて零の思考が停止する。伊織には目の前のクラスメイトの姿が見えていないのだろうか?と心の片隅で思うがドキドキしすぎて伊織に対して何か文句を言っている健の声が遠く感じる。
「ひゃっ!」
ぺろり、と耳たぶを舐められて零は思わず悲鳴を上げる。
「・・・伊織、いい加減にしろ。食事中だ。」
硬質なかおるの声。視線さえも凍りつくような敵意さえ感じる声に食堂のざわめきが止まる。
「そりゃ悪かったな。俺に気にせず食事を続けてくれよ。」
全く悪びれる様子もなく、腕の中に拘束した零の髪に口づけた。
「伊織君・・・食べにくいから・・・」
零が小さく訴えると、伊織はしぶしぶ零の身体を放し、後で部屋へ来いよ、と言ってポンポンと軽く零の頭を叩いて立ち去って行った。
「あの野郎・・・いきなり出てきてやりたい放題やりやがって」
腹立たしげに舌打ちする健に視線を投げた駿は横目に零の様子を見て心の中でため息をつく。零が伊織の事を好きなのかどうかは別として、伊織の強引な態度が彼女に居場所を与えている事は確かだ。
伊織が零の事を想う気持ちは本物で、同じ相手を想う男から見れば強引すぎる彼のやり方はうらやましくもあり、腹立たしくもあった。
かおるは何を考えているのか、伊織が立ち去った後はいつもと変わらぬ穏やかな笑顔で向いに座っている零にリーダー会議の議題について話している。
どうせ離れてしまう仲間。必要以上の結びつきは不要だとずっと思ってきたのに、と駿がそんな事を考えていると、隣に座っている零が不思議そうな瞳で顔を覗き込んだ。
「駿君、どうかしたの?」
「えっ!や、なんでも、」
急に近づけられた顔にドキン、と鼓動がはねる。このお姫様が無意識にとっている行動だと分かっていても、勘違いしたくなるような距離に逃げ出したくなった。
「お前、近い。」
「えっ?あっ!ご・・ごめん・・なさい・・」
駿に指摘されて我に返った零は、確かに近すぎる駿との距離に気付いて真っ赤になった。
「そろそろ気付け。お前は無防備すぎる。」
「あ・・・ごめん・・・」
不機嫌に見える駿の表情にしゅんとなった零にかおるは困ったような微笑みを浮かべて健と視線を交わす。
「零ちゃん、相手が駿じゃなければ、抱きしめられても文句言えないってこと、駿は言いたいんだよ。もし僕が駿の立場なら、零ちゃんの事抱きしめてキスくらいしちゃってるかもね。」
「えっ!?」
「だから、気をつけようね。」
お兄さんがいたらこんな感じなんだろうか、と零はぼんやりとそんな事を思っていた。
お兄ちゃんがいない私はお兄ちゃんに憧れます。
フルパワーでデレ期に突入したいと思いつつ、
まだ突入できず・・・。
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