087:未来に向けて
久しぶりに街へ出かけようと思っていた伊織は、タイミング悪く零がクラスリーダー会議があると言ってかおると行ってしまった事に腹を立てていた。
公然と自分の手の中から零を連れ去って行くかおるに嫉妬する自分に驚きつつも、その焦りに似た不安の原因は分かっていた。
昨夜、数日ぶりに零に逢って話をして、零への気持ちがまた一つ大きくなった。
自分の中の零はどんどん大きくなるのに、数日前に零を傷つけてしまったという事実は消えない。
零が自分のそばにいたいと思ってくれている、という言葉を聞けたものの、零の心が本当に自分の方を向いているのか自信がない、と言うのが正直なところだ。それに、もし振り向いてくれていたとしても、その距離がまだ遠いと言う事も自覚している。
それからもう一つ。今朝4人で談笑しながら食事をしている零の幸せそうな笑顔が伊織の心に焼き付いて離れない。
いつも通り、と言えばいつも通りの光景だったが、今日の笑顔は特別に見えた。いつも別の席にいる駿がそばにいたせいなのか、それとももっと別な理由なのか、と思い巡らせるほどに苦しくなった。
零の周りにはいつも彼女を想う気持ちが溢れていて、彼女自身も気付かぬうちにその想いに連れ去られてしまうのではないかと言う不安がいつも心のどこかにあった。
目の前にいて、触れていても不安になる瞬間があるのに、離れているならなおさらだ、と伊織は思う。
失いたくないと言う思いが強すぎて怯えている自分が、また零を傷つけてしまうのではないかと思うと鳥肌が立つような感覚に囚われた。
零といると『伊織』でいられなくなる。どんな時も自信を身にまとって何事にも動じない自分から、些細な事に不安を覚える幼いころの自分に戻った様に感じる事がある。彼女の瞳に、自分はどう映っているのだろうか、と伊織はふとそんな事を思った。
「秋休み、って不思議な感じするね。」
クラスリーダー会議が終わり、かおると寮までの道を歩きながら零が呟く。今日の議題は2週間程度の秋休みと休み明けの進路確定に伴うクラス再編についてだった。
今は10月。卒業まで半年を切ったこの時期にクラス再編をすること自体も驚きだったが、秋休みのある意味にも驚いた。
海外へ進学希望の生徒達は、進学希望の学校へ短期留学をし、国内へ進学する生徒達は各自の苦手科目に特化した苦手克服強化週間、となるのだそうだ。
そして、それらの結果休み明けに再度自身の進路を見極め、クラス再編を行なう、と言う事らしい。
理由を聞けば納得するが、それらの全てが別れの季節に向けての準備である事を思うと、零の心にぬぐえない影が広がった。
「そうだね。学校自体はお休みだけど、僕らにとっては一番大切な期間、だしね。」
「うん・・・。」
大切な人達と別れを選んでまで、叶えたい夢。そんな夢がある自分たちは幸せだ、と零は思う。
どんなに辛い事も、夢や目標があるから頑張れるのだと、零は思う。遙か未来に輝く夢に一歩でも近づくために、悲しくて立ち止まってもまた歩き出す力を得る。そういうものだと、零は思っていた。
10月も半ばを過ぎた季節。夕暮れが近づくと、吹く風が急に冷たくなる。日中は少し暑い陽気で、ブレザーを教室に置いて来た事を零は少し後悔していた。
「零ちゃん、風邪をひくといけないから。」
ふわり、と肩にかけられたジャケットに心がズキン、と音を立てる。いつもそうだ。口に出さなくてもこうしてかおるは無条件に優しさを与えてくれる。
「だ・・大丈夫だよ!私・・・」
「本当は寒くない?って抱きしめたいんだけどね。その代わりにこのくらいは、させて欲しいな。」
「かおる君・・・」
そんな顔しないで、と微笑むかおるに返すべき言葉が見つけられず、零はただ黙って小さく頷いた。
寮の部屋に戻った零は改めてこれからの自分の事を考えていた。幼いころから抱いていたNASAへの憧れにも似た夢。思えば、伊織やかおるのように、その先の明確な目標や成し遂げたいものがあるわけではない。
そう思うと、自分の夢は幼い子供がみる漠然とした夢のように思えてしまう。かといって今自分からその夢を無くしたら進むべき道を失ってしまうようで、手放す事も考えられなかった。
駿や健とそう言った話をした事はないが、彼らの事だからきっと、はっきりと語れる夢をもっているのだろう。それぞれの抱く、交わらない夢が叶う事でそれぞれの未来が離れてしまっても、今を共に過ごした事実は消えない。
それならやはり、寂しさを嘆くよりも前に進む事を選ぶべきだ。
深い思考に沈みかけた時、部屋のドアをノックする音が響き、零は少しホッとしながら返事をした。外開きのドアを開こうとした瞬間にドアが開き、柑橘系ムスクの香りに攫うように抱きしめられた。
「いつまで待たせりゃ気が済むんだ?」
突然伊織の腕の中に拘束された零は息苦しさと同時に心の奥がふっと温かくなるような気持ちになる。ここに居てもいいと思わせてくれる伊織の存在は、いつのまにか零にとって安心できる場所になっていた。
「かおるの野郎に触れられたりしてないだろうな?」
「え・・・?」
「お前はすぐに隙を作るからな。もし誰かが零に手を出したら、俺は冷静でいられる自信がない。もしかしたら、その相手を殺すかもしれないぜ?」
「こ・・・怖い事言わないで!」
「俺は本気だぜ?俺の知らないところで誰かがお前に触れると思うと気が狂いそうだ。」
そう言って、伊織はぎゅっと抱き締める腕に力を込める。
「零、好きだ。俺だけを見てくれって言ったら、そうしてくれる?」
伊織は零を強く抱きしめていた腕の力を解いて、左手で零の腰を抱き寄せたまま右手で零の頬に触れる。伊織の指先に誘われて零が顔を上げると、優しさと不安の光を宿した伊織の瞳にぶつかった。
「好きだ。」
伊織のまっすぐな瞳とまっすぐな言葉に心が震え、魔法をかけられたように自然に瞳を閉じていた。
「好きだ・・・零、愛してるよ。」
囁きながら重ねられる唇。何度も確かめるように重なる唇に、零の心があたたかな色に塗り替えられていく。伊織のキスは少しずつ熱を帯び、零の口中を貪った。
「・・・んっ!」
深く重ねられた唇と、喉の奥に流れ込む唾液が苦しくて零は伊織の腕をつかむ。頭の奥がクラクラするような甘い刺激に零は身体の奥が切なく疼くのを感じていた。
「零、好きだ。」
伊織は深く口づけていた唇を放し、囁きながらもう一度口付ける。理性の欠片が強引すぎると叫んでいるがそれ以上に離れたくないと言う思いが強すぎた。
伊織の腕の中に拘束された零は、呼吸が出来ないほどの情熱的な口づけに身体の力が抜けそうになる。伊織はそんな零の身体を強く抱き寄せ、唇を放してその首筋に顔を寄せた。
「好きだ。放したくない。」
耳元で囁かれる甘い言葉。微かに耳にかかる息がくすぐったくて零は身じろぎした。
「く・・るし・・よ、」
身動きが取れないほど強く抱きしめられた零が小さく訴えると、伊織は腕の力を抜いてごめん、と照れたように謝った。
伊織君デレ期ですね☆うふふ。
想いを伝えられるって、素敵だと思います。
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いつもありがとうございます!次回も頑張ります☆




