083:もう一度
3日ぶりに寮に戻ってきた伊織は、車を降りて運転手に礼を言う。
実家に行く時はいつも正装をしなければならず、高校生としての自分に戻る前に他人と関わる事を避けたいと思っている伊織はいつも深夜に帰る事にしていた。
受験生だけに起きている生徒もいるだろうが、部屋の外に出ている事はないだろう。
寮の門をくぐると、角部屋の零の部屋が見える。
いつの間にか、寮に戻るとまっさきに零の部屋を見上げる癖がついてしまった。
そばにいる時はどうすれば笑ってくれるのかを考え、離れている時は今は何をしているのだろうかと想いを馳せる。
彼女はいつも心の中にいて、伊織を幸せにも不安にもした。
「・・・零?」
暗くてはっきりとは見えないが、零の部屋で人影が動いた気がした。部屋の電気もついていないのに、気のせいだろうと思いつつも数日前の事が脳裏をよぎる。
腕時計を見ると時間は深夜3時過ぎ。もう一度零の部屋を見上げたが今度は夜の中に沈黙して見えた。
零に逢いたい、と思う気持ちと同じくらいの強さで心をむしばむ不安。逢ってくれるんだろうか、とさえ思う。
離れている間も、ずっと零の事を考えていた。別れ際の涙、言ってしまった言葉。伊織の心の中にこんなにも強い力で影響している事を、きっと零は知らない。
そばにいてもいなくても、いつも想う人の事を傷つけると分かっていて言ってしまった言葉を、離れている間に一体どれだけ後悔しただろう。
「・・・後悔、か。」
伊織は口に出して呟く。後悔をすることほど無駄な事はない、と言うのが伊織の持論。過ぎた事に囚われて後ろを向いて立ち止まっても何も生まれない。するなら反省。そして次にどうするかを考えるべきだ。
傷付けてしまったのなら、その傷が癒えるまでそばにいよう。そばに居させてもらえないのなら、彼女を癒せる誰かに、それを託すまでだ。
ふっと大きく息を吐き出して、一人の時間から、いつもの『伊織』の顔に戻る。
かおるが『かおる』であるように、俺は、『伊織』でいなければならないんだ。
伊織は心の中でそう呟いて、まっすぐに寮に向かって歩き出した。
数分の後、伊織は零の部屋にいた。この場合は忍び込んだ、と言う表現が正しいのかもしれない。
周りの部屋に気取られないように気配を消し、暗闇の中、ロフトの上で薄手の柔らかな布団にくるまって丸くなって眠っている零の寝顔をのぞきこむ。作り物のように美しい寝顔。
目を覚まして、驚いて悲鳴でもあげられたら面倒だな、と伊織は心の中で思う。かといって、このまま部屋に戻るつもりもなかった。
「・・・おり・・く・・」
どうしたものか、と寝顔を眺めていた伊織は寝言の様な小さな呟きに起こしてしまったかと息をのむ。
「・・・・寝言?」
息を殺して見守っていると、もぞもぞと動いて布団の中から手を差し出してきた。どうやら寝ぼけているらしい、と判断した伊織はそのまま静かに見守ることにした。
「・・い・・りくん・・どこ・・?」
「?!」
とぎれとぎれの言葉。俺を、探している?
「おいて・・・ないで・・」
「っ!」
瞳の端から零れ落ちた涙と、その言葉に伊織は心臓を貫かれるような痛みを覚えた。どんな夢を見て、何を思って溢れた涙なのかと思うとたまらなくなった。
まだ夢の中にいる零を驚かさないように、そっと空を彷徨う細い手を捕まえる。本当は抱きしめてしまいたかったがその思いを理性でねじ伏せた。
「ごめん、零。」
小さく囁く。数日前の別れ際に傷付けてしまった大切な人。許されるならもう一度前と同じように抱きしめたい。
「・・・おり・・くん?」
「・・・悪い、起こしちまったな。」
まだ半分夢を引きずりながら目を覚ました零に、伊織は微笑んでそっと握っていた手を放す。
「え・・?本当に、伊織くん・・?」
電気を付けていない部屋、暗闇に慣れた伊織の目には戸惑っているような零の瞳が見える。
「夢だと思うか?」
微笑んで、零の頬に触れ、夢の中で零した涙をぬぐう。
「零の夢の中なら、俺は零にキスしてもいい?」
「えっ?!」
「先に、謝っとく。ごめん、嫌なら殴れ。」
そう言って、伊織は零が何か言うよりも先に零の言葉を奪っていた。頭の片隅で、これ以上嫌われる事をしたくない、と微かに理性が叫んでいたが、呼吸が出来ないほどの愛しさにズキズキと痛む胸を抑えきれなかった。
今までに何度もキスをしているのに、もう嫌われているかもしれないと言う思いが伊織の心をよぎる。それでも、重ねた零の唇は甘く柔らかくて伊織は身体が離れていてよかったと心の隅で思う。零の居る場所がロフトの上ではなく、簡単に抱きしめられる場所だったらこのまま暴走してしまいそうだったからだ。
「!」
もしかすると拒絶されるかもしれない、と覚悟していた伊織は、零の手が自分の首に回された事に一瞬驚いたが、零の気持ちが少し伝わったような気がして心の奥で安堵のため息をついた。
「・・・零、この前は・・・傷付けてごめん。俺が悪かった。」
唇が離れても、首にしがみついた手を放そうとしない零の瞳を間近に見詰めながら謝る。暗闇でも零の瞳に浮かぶ涙が輝いて見える。
「ごめん、頼むからもう、泣かないでくれ。」
零の涙の原因が自分にあると思うと苦しくてたまらなくなる。他の誰かが傷付けたのなら、その誰かに怒りを向ける事ができるけれど、今はどうしようもない後悔と、苦い痛みが胸の奥に広がる。
「伊織君・・・私の事、嫌いに・・なったんだよね?」
「え?お前、何言って・・・そんなわけ・・・」
零の瞳の中の不安の影。零が不安になる必要などないのに、と伊織は思う。どうすれば零の不安を消せるのだろう。
「零・・・とりあえず、こっちへこいよ。」
この体勢はちょっと辛い、とロフトへあがる梯子に乗っている状態を指し、ロフトの上で横になったまま自分の首にしがみついている零をそっと抱き起した。
「ちゃんとつかまってろよ。」
伊織は零が自分の首元につかまったのを確かめてから梯子を降り、零を抱き上げたまま部屋を出た。
好きすぎて辛い。
私も零ちゃん好きすぎて辛いです(汗
次回も頑張ります!




