079:心の傷と
『お前の事なんか誰も相手にしてない』
『気持ち悪いから近くに来ないで』
『いなくなればいい』
『大っ嫌い』
『大っ嫌い』
『大っ嫌い』
夜中に目を覚ました零は、自分が泣いている事に気付く。忘れたくても忘れられない悲しい記憶。
親友だと思っていたのに、どうして急に嫌われたのかその理由が今も分からない。何をしてしまったんだろう?謝ろうとしてもまともに話してさえもらえなかった。何かをしてしまった、のではなく何もしなかった事で嫌われたのだろうか?今となっては真意を確かめることもできない。
自分がどんなに好きでも成立しない想い。友達と思っていた人が突然敵意をむき出しにして、ある日突然独りぼっちになってしまう怖さ。心の奥深くに刻み込まれた傷は時々ぱっくりと開いて新しい血を流す。
「私、やっぱり嫌われてるんだ・・・」
優しくしてくれるから好かれていると思い上がっていたんだ、と思う。
この学校に転校してきてから、みんな無条件に優しくて、感覚がマヒするほどに大切に扱ってくれる人がいて、そうされる事が当たり前のようにさえ思っていた。
そんなこと、あるわけがないのに。
泣きながら目が覚めるなんて、いつ以来だろう、と暗い部屋で零は思う。
あの頃と今と、何が違うんだろう?何も違わない。周りにいる人が変わっただけ。自分が何も変われていないのに、場所が変わり、周りにいる人が変わっただけで急に好かれたりするはずがない。
変わらなければいけないのは自分なのに、優しくしてくれる事に甘えていただけという事実に気付いた零は何よりも自分が情けなくなった。
何がいけないんだろう、何を直せば嫌われずに済むのだろう、聞いたら、教えてくれるだろうか、とそんな事を思い巡らせながら零は再び眠りの中へと戻って行った。
「零ちゃん、おはよう」
伊織と正式に付き合うことになってからも、朝は毎日かおるが零を迎えに来て一緒に食堂へ行き、先に待っていてくれている健と合流する。食事の途中で伊織がフラリと現れて零を抱きしめ、駿がそう言う事は他所でやれ、と不機嫌そうに通り過ぎると言う構図は変わらず続いていた。
他の寮生達はすでにこのメンバーの中に入ることすら出来ず遠巻きに眺めるに留まる。
「お・・おはよう、」
起きたら、見事に目が腫れていた。何とかごまかそうといろいろ努力はしてみたが、隠しきれるものではなく、目を合わせないようにうつむく。
気付かないはずはないのに、何も言わずにいてくれるのはかおるの優しさだと、零は思う。
いつもと変わらぬ他愛のない会話をしながら食堂に行き、いつもと同じように健と同じテーブルに座る。
零の目が腫れている事を除けば、いつもと変わらぬ朝食だったが、食事を食べ終わる頃になっても、伊織は食堂に姿を現さなかった。
・・・やっぱり、私・・・。
嫌われている、と言う黒い霧のような想いに包まれる。急に一人になってしまう恐怖にも似た感情に呼吸が苦しくなった。
「あんなヤツの、どこがいいわけ?」
その時、少しいらだったような口調で、健が零の思考をさえぎった。
『あんなヤツ』確かに、そうだよね、と零は少しだけ思う。強引で、俺様で、いつも自分のペースで。
「俺ならもっと、優しくするし、零ちゃんを困らせたり、絶対しないのに!」
「健君・・・」
「健、どさくさにまぎれて、朝っぱらから零ちゃんを口説くってどういうこと?」
「かおるは何も思わないのかよ?相手がかおるならまだ俺も諦めつくけどさ!なんで伊織なんだよ!」
「・・・まぁまぁ。健が零ちゃんの事をすごく好きだって事は、よくわかったからさ。・・・行こうか?零ちゃん。」
かおるの言葉に赤くなった健が言葉を失ったのを見てかおるは小さく笑い、零を促して食堂を後にする。
「零ちゃん、」
食堂から自室へ戻るまでの短い距離を歩きながら、かおるが声をかける。
「僕は零ちゃんを一人にしたりしないよ。たとえ零ちゃんの心が伊織の方を向いていたとしてもね。伊織が零ちゃんを泣かせるなら、僕は伊織から零ちゃんを守るから。」
かおるの優しい言葉が、ズキンと刺のように心に刺さる。
「絶対に一人にしないから、一人で泣かないで。」
かおるの言葉はいつも媚薬のように心に溶ける。かおるのそばにいたら傷付かずに済むと言う幻想を抱いてしまう。
優しい言葉を言ってほしいと思っている時に、言ってほしい言葉を掛けてくれる。いつも、いつもそうだ。
そっとかおるを見上げると、優しく微笑みかけてくれる。何も聞かずにいれくれて、優しさだけを与えてくれる人。
でも、と零は思う。甘えてばかりじゃ何も変わらない。変わらないから、また前と同じように嫌われたんだ。
「私、平気だよ。一人で大丈夫だから!」
精一杯元気よく答え、ちゃんと笑えているのかどうかわからなかったけれど、笑って見せる。
「零ちゃん・・・」
かおるは一瞬言葉に詰まった後、彼らしくなくその瞳の奥に怒りと悲しみの入り混じった感情を浮かべ、何も言わないまま零の腕を掴むと、大股に歩いて、零の部屋の前まで来て立ち止まった。
「入るよ、」
零の腕をつかんだままそう言って、かおるは零の部屋の扉を開ける。
「ちょ・・かおるくん!」
部屋に入ったかおるは苛立ったように零の腕をつかんだまま自分の前に引き寄せた。
「平気、ってどういう意味?大丈夫って、何が?何のためにそんなに強がってるの?僕はそんなに頼りない?」
「か、かおるくん・・・」
「零ちゃんが何に傷付いて、どうして一人で泣いていたのかわからないけど、伊織が零ちゃんを一人にするなら僕がそばにいる。零ちゃんが何かに傷付くなら、その何かから守りたい。そんなこともさせてくれないんだ?」
「ちが・・・」
「違わないよ。ほんの少しも甘えてくれないって言う事は、零ちゃんにとって僕は、そばにいる意味さえない相手だって言うことだよね?」
「そんな事・・」
怒らない、と勝手に思い込んでいたかおるの怒りが自分に向けられているという事実。甘えても、強がっても嫌われるのなら、どうしたらいいのかわからない。
「私・・どうしたらいいの?ずっと・・みんなに甘えてばっかりで、何も変わらなかったから嫌われて・・・だから、変わろうって、変わらなきゃって・・思って・・でも・・それでも・・やっぱり、嫌われて・・」
ぽろぽろと大粒の涙を流しながら訴える零に慌てたのはかおるの方だった。
「れ・・零ちゃん?!違う、嫌ってなんか・・」
そばにいない伊織の代わりになることすら許されなかった事に傷付いて、伊織に嫉妬して、その苛立ちを零にぶつけてしまっただけなのに。
「・・・一人に・・・なりたくなくて・・みんなに・・嫌われたく・・ない・・前と同じみたいに・・なりたくないっ!」
零の悲痛な叫びに、かおるの心がえぐられる。そんなつもりじゃなかったのに。
「嫌ってなんか・・」
かおるが慌てて弁解しようとした時、ドアが開いて開いて駿が顔を出した。
「・・・大体のことは、聞こえてた。悪いのはお前だ。」
「駿!・・僕は、何も・・・」
「好きだと公言するなら、見苦しい嫉妬で傷付ける様な無様な真似なんかするな。」
冷静な駿の言葉がかおるの心に刺さる。
「・・・冷静で・・いられないほど好きなんだ!誰にも渡したくない。それだけだ。」
「だからって、その大切な相手を傷つけていいって言う理由にはならないだろう。」
駿の言葉が正論過ぎて、反論できない。心の中で様々な感情が渦巻いて、自分が自分でなくなってしまったようにさえ感じる。
床に座り込んで泣き崩れてしまった零と、それを助け起こす駿の姿をぼんやりとみつめながら、どんな感情も押し殺して微笑むことしか出来なかった自分が本音をぶつける事が出来た事に驚きもしていた。
「かおる、今日はコイツは休みだと、竹川に伝えとけ。俺は少し遅れて行く。」
「・・・・ごめん、」
かおるはやっとそれだけを言って、零の部屋を後にした。後悔なのかどうかさえ判別できない痛みに胸を押さえる。初めて感じる痛みと感情を持て余しながら、かおるは静かにその場を離れて行った。
あぁぁぁぁぁぁぁ
つらいっす。
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