068:手紙を取りに・2
中庭のオブジェのそばまでやってきた、否、正確には連れて来てもらった零は、思いのほか高い場所に引っ掛かっている手紙を見あげて途方に暮れていた。
どう頑張っても届きそうにない場所で時折強風にあおられてひらめく大切な手紙。
「・・・で、どうするつもり?」
伊織に問いかけられ、零はとりあえず降ろしてほしいと訴える。目に見えてしょんぼりしている零に伊織は内心ため息を付き、ぬかるみを避けた場所に零を降ろした。
「そんなに大切な手紙なのか?」
「・・・うん。」
この素直なお姫様は風で飛ばされたのは課題だと、嘘をついた事も忘れているらしい。今にも泣きだしそうにも見える零を見ていると、何とかしてやりたいと思ってしまう自分がいて伊織は苦笑した。
「あれは課題なんじゃなかったのか?・・・お前は本当に・・・」
『本当にどうしようもなく愛おしい』と言う言葉を飲み込んで、軽く零の頭を撫でる。
「何とかしてやるから、ちょっと待ってろ。」
何とかしてやる、とはいったものの、どうしたものか、とオブジェを見上げる。
そう言えば、いつだったかくらっちが寮の裏手の山にみかんの木があるとかで高枝ハサミを担いで山登りをした事があったな、と入学した当初の事を思い出す。
「零、俺ちょっとくらっちに借り物してくるから、そこでちょっと待ってろ。すぐ戻る。」
「あ、うん・・・。」
あのぬかるみをまた零を抱えて戻るより一人で走った方が早い。伊織はまた雨が降り出しそうな雲行きの空をチラっと見上げて走りだした。
伊織の後姿を見送った零は、自分の無力さにため息をついた。自分の変わりにぬかるみの中に入ってくれた伊織の靴とズボンのすそは泥だらけだ。
いつも身なりを気にしてきちんとした格好をしている伊織が、だ。
「迷惑かけてばっかり・・・。」
もともと、自分の不注意が招いた事なのに、伊織を巻き込んでしまった。何か少しでも、自分でできる事はないかとあたりを見回した零の目に、花壇の脇に置かれたブロックが映る。
・・・あれを積んだら、あそこの窪みに足、届くよね。
複雑な形のオブジェはよく見るとあちこちに足がかりになりそうな穴や窪みがある。一番下の窪みにさえ届けば、後はボルダリングのように登れそうだ、と閃いた零はブロックをいくつか運び、その上に登ってみた。
・・・私って天才かも!
チンパンジーの知恵比べレベルか、と内心自分につっこみながら、うまく登れそうだと思うとうれしくなった。
「あんのバカっ!何やってやがる!」
目当ての物を借りるのに思いのほか時間がかかった伊織は、オブジェが見える場所まで来てオブジェによじ登ろうとしている零の姿を見て一瞬血の気が引く。
あの芸術か何かよくわからないオブジェが、人がよじ登る事を考えて作ってあるとは到底思えない。もしあのオブジェが崩れたら、と思うと言い知れぬ恐怖に襲われ、次の瞬間全力で走りだした。
「零!!やめろ!」
走りながら叫ぶ。時折強く吹く風に遮られて聞こえていないだろうと思いながらも、何度もその名を呼ぶ。
「零!」
ただでさえ、台風の大雨で地盤が緩んでいるのに、と思う。
ぬかるみに足をとられて思うように走れない。遠目に、オブジェが傾いているように思えるのが気のせいであってほしいと強く願う。
「零!早く降りろっ!」
「?」
声が届いたのか、零がキョロキョロと辺りを見回す。
「くっそ、」
絶対、傾いている。
「?伊織くん?・・・キャァッ!」
その瞬間、ゆっくりとオブジェが倒れ始め、バランスを崩した零が地面に向かって落下する。それほど高くないとはいえ、二段に積んだブロックの上に背中から落ちたら零の細い身体は無傷では済まないだろう。
「零ッ!・・・くっそ、間に合わねぇ!」
一瞬、世界がスローモーションに見えるが、零の身体は無情にもブロックの上に落ち、ぐったりと動かなくなる。その上にゆっくりと倒れてくるオブジェ。
躊躇っている時間などなかった。オブジェが零の上に倒れかかる寸前に、零の元にたどり着いた伊織は自分の身体で零をかばう。とっさにブロックを盾にしようとブロックのすぐ脇に身体を寄せたが、ブロックにぶつかって砕けたオブジェの欠片が背中や腕に突き刺さり、おまけに本体の一部が背中の上にのしかかった。
「・・・くっ・・・零ッ!零しっかりしろっ!」
ぐったりしている零の耳元で叫ぶ。両手で身体を支えていなければ、オブジェの重みが零にのしかかってしまう。それよりも、零は無事なのだろうか?
何度も名を呼ぶと、零は手放していた意識を取り戻し、うっすらと瞳を開く。
「零!・・・零、俺の胸ポケットに携帯があるから、誰でもいい、電話かけて助けを呼べ。早く!」
意識が戻ったばかりの零に怒鳴るように指示をする。早くしなければ、零よりも、自分が持たない。
「伊織君?!何?!どうなってるの?!」
驚きに見開かれる瞳。
「伊織君、怪我!血がっ!」
「んなもんこの際関係ねーだろ!早く誰かに電話っ!」
「は、はいっ!」
切羽詰まった伊織の声に零は震える手で伊織の胸ポケットから携帯を取り、かおるに電話をかける。
「・・・かおるくん?!あ、あのね、私、落っこちて、伊織くんが助けてくれて、でも、怪我してて、助けて!」
「・・お前なぁ、場所とか・・もうちょっと具体的に・・」
「零ちゃん?!すぐ行くから落ち着いて、伊織もいるんだね?」
かおるは、零の的を得ないが、切迫した状況は確実に伝わる電話を取った瞬間に動き始めていた。
「駿、健!手を貸して。今すぐ!ぐずぐずするな!」
叫びながら、階段を駆け下りる。一瞬、もう二度と零に会えなくなるのではないかという恐怖がかおるを捕らえる。
「かおる!中庭のオブジェの脇だ!」
伊織の怒鳴り声が電話口の遠くに聞こえる。
「・・・さすが伊織。零ちゃん、大丈夫だからね。安心して?すぐにいくから。」
伊織の声で、かおるは冷静さを取り戻す。かおるの声色からただ事ではないと感じた駿と健はすぐに合流し、走りながら事情を聞いて顔色を変える。
「健、お前が一番足が速いから、とりあえずダッシュしろ!」
「まかせろ!」
大まかな場所を聞いて健が走り去る。さすがと思える速さであっという間に背中が見えなくなった。
「駿も先に行ってて。怪我してるって言ってたから、僕は他の手配をしてから行く。」
・・・さすがに、これはキツイな。
この状態がいつまで持つか、と伊織は内心思う。
「絶対に、大丈夫だから安心してろ。」
・・・伊織くん・・・
恐怖なのか、何なのか、わけの分からない感情が渦巻く中、零はハッとする。自分がいなければ伊織一人なら問題なくこの危機を乗り越えられるはずなのに。そもそも、こうなったのは自分のせいだ。
視線を上げると、どこから流れてくるのかさえも分からない鮮血が伊織の腕を伝って大地を染めていく。
「・・・どうして?どうして・・・?どうして・・・」
「零がいない未来なんか価値がねーんだよ。だから助ける。俺が死んでも零が助かればそれでいい。」
「そんな・・!」
「いいからお前は何も気にすんな!」
「零ちゃん!伊織!」
健の声が響く。姿は見えないが、近付いている。
「伊織!・・・・・見つけた!待ってろ。」
「・・・さすがに、これはちょっとキツいわ。」
伊織は痛みと出血に意識が途切れそうになるのを必死に堪える。
「伊織くん!伊織くんッ!」
完全に涙声で自分を呼ぶ零の声。そんなに呼ばなくったってすぐ目の前にいるって、と心の中で思う。
「零、先に言っとくけど、負い目とか感じるなよ?俺が好きでやったことだからな。」
「な・・・何言ってるの?そんなのって・・・」
「すぐかおるが助けてくれるから、心配すんな。」
「伊織くん!しっかりして!・・・伊織くんッ!」
泣き叫ぶような零の声が少し遠い。心の中で謝る。意地悪ばっかりして、ごめん。
あぁ・・・
ベタな話ですみませんでした・・・。




