067:手紙を取りに・1
嵐がゆっくりと通り過ぎ、窓に打ち付けていた滝の様な雨もようやく小降りになって、木々を唸らせる強い風もおさまり始めていた。
苦手な数学を健と一緒に済ませた事もあり、出されていた課題は思ったよりも早く終わらせることができた零は、ふと読みかけの本に挟んでいた手紙を取り出してみる。美しい文字、美しい言葉に胸の奥が苦しくなる。
『君の笑顔を守るために 闇夜を照らす月になりたい』
卒業するまでに、この手紙の送り主が誰なのか知る事はあるのだろうか?と零は思う。
卒業する、と言う思いは突然零の心に陰を落とした。ここでの生活もあと少し。自分たちはそれぞれの夢のために自分たちの道を歩いていく。ずっと一緒にいたいと願ってもそれが叶わない願いであることも理解していた。
思えば、転校してきてからずっと寂しいと思った事など無かった。みんなの優しさにいつも守られて、甘える事でさえ許されて、自分と言う存在を認めてもらえると言う安心を与えてもらっている。
それがどれだけ幸せな事なのか、ここではそれが当たり前になりすぎて忘れかけていた、と零は思う。自分の居場所があって、自分の個性を認め、尊重してもらえる事。ここではお互いを認め合っているから、それが当たり前のようになっているけれどそれは本当に幸せな事実だ。
私が、みんなにできる事って何があるんだろう、と零は思う。いつも助けてもらって、守ってもらってばかりで何も返せていない。自分がみんなのためにできそうな事を考えてみても何も思いつかない。
零は小さくため息をついて窓の外へ目をやった。
あんなにも分厚かった雲が途切れはじめ、ほんの少し夕暮れ前の青空が見える。
一日締めきっていた部屋の空気を入れ替えようと、零は窓を開けた。嵐の後独特の空気。青葉が引きちぎられ、路上に散らばっている。
「・・あっ!!」
突然吹き付けた強風に零は小さく声をあげる。まだ時折嵐の名残の風が木々を煽って走りぬけていく。
いたずらで暴れん坊な嵐の後の風が、机の上に出したままだった手紙を攫って舞い上げる。手を伸ばしても届かず、空に舞い上がってしまった。
絶対に、無くしたくない大切な宝物。零は部屋を飛び出した。
ようやく上がったばかりの雨、大量に水分を含んだ大地に軽く身体が沈む。部屋の窓から飛んで行った方角に目をやると、中庭のオブジェに引っ掛かっている手紙らしき紙きれが目に入った。
大きな水たまりを避けながら中庭の方へ行く。どう頑張ってもぬかるみを避けては通れなさそうで、しばらくどうやって通り抜けようかと頭を悩ませる。
突入するにはかなり勇気のいる、大きなぬかるみに二の足を踏む。
「・・・おい、お前こんなところで何やってんだ?」
ぬかるみの前をうろうろしていた零は突然背後から声を掛けられてビクリと身をすくめる。
そんなに驚く事ないだろう、と伊織の呆れた様な声に零は先日の事もあり、とっさに言葉を見つけられないまま振り向いた。
「相変わらず、お前の瞳は雄弁だな。」
ふっと、伊織の瞳が優しくなる。意地悪な伊織といる方が気楽だ、と零は思う。優しくされると心の奥が苦しくなる。
「で?何やってたんだ?見たところ、この沼地みたいになった庭園の向こうへ行こうとしてたみたいだけど?」
「え・・・あ・・・うん・・・。」
手紙の事を口にするのは躊躇われ、曖昧に頷く。
「何の用事か知らねーが、行きたいって言うなら連れて行ってやるしかなさそうだな。」
伊織はそう言って、いつもかおるがするように零の身体を抱きあげる。
「ちょっ!!いっ!伊織くん?!や、あ、わ、私大丈夫だしっ!」
「暴れんなよ、お姫さん。いつもナイトに抱かれる時はおとなしくしてるじゃねーか。」
間近にいつもの毒のある瞳が寄せられる。近くで見ると、切れ長の瞳は日本人にしては薄い茶色なんだな、とそんなことを考える程度には焦っていた。
「いや、あの、私、大丈夫ですからっ!ホントに平気ですっ!」
「今度は敬語か?・・ったく、いいからおとなしくしてろ。」
そう言って伊織は足首まで泥水につかりながら平然と歩いていく。
「い、伊織君!」
「何だ?お礼のキスならいつでもどうぞ?」
「ちっ!違うっ!」
ふっと顔を近づけられて零は自分でもはっきりと分かる程顔が熱くなるのを感じて伊織から目をそらせる。
こんなのは反則だ、と思う。意地悪である事を除けば伊織はこんなにも綺麗な顔の人がいるのかと思うほどに整った顔立ちに加え、男の色気を十二分に身にまとっているのだ。
そんな人がお姫様抱っこをして自分の代わりにぬかるみの中を歩いているという現実。
・・・って言うか、絶対おかしい。日常生活でお姫様抱っこが頻発する状況なんて、絶対におかしい。
零は頬を火照らせている熱をおさめようと頭の中でそんな事を思う。あまりにも当たり前のようにお姫様抱っこをする人が身近にいすぎて、感覚が狂ってしまっているんだ、と思う。
「それで、どこへ連れて行けばいいんだ?行き先が決まってないならこのまま俺の部屋へ連れて行くぞ?」
「えっ?!や、あの、中庭の、あのオブジェのとこっ!」
鼻先が触れそうなほど顔を近づけられて零はどうしようもなく暴れ狂う心臓と全く冷静ではいられない精神状態のまま、手紙と思われる紙が引っ掛かっているオブジェを指す。
名前は忘れたが有名な芸術家の作品だと聞いた事がある西洋的な灯篭、と評するべきか、日本的なオベリスク、と評するべきか悩ましい不思議な形をした5メートル程の高さのあるオブジェだ。
材質はセラミックスと鋼鉄を組み合わせてあるのか、重量感のある質感を醸し出している。
「オブジェねぇ・・・。こんな足元の悪い日に物好きなヤツ。何の用事なんだ?」
「大切な手紙が・・・っ!な、なんでもないっ!」
馬鹿にするでもなく、サラっと聞かれて、思わず手紙の事を口にし、慌てて口をつぐむ。
「手紙?」
「ううん、違うの、あの・・・課題がね!風で飛ばされちゃって、それでっ」
慌てている零を面白そうに一瞥した伊織は視線をオブジェに向ける。郊外に作られた学校の敷地は無駄に広く、まだしばらくぬかるみを歩かなければならない。
オブジェに引っ掛かっている小さな紙がひらめくのを見て、伊織は内心ため息をついた。
・・・あの位置にひっかかった物をどうやって取るつもりなんだ、コイツ。
オブジェの高さは約5メートル、引っ掛かっている位置はどう見ても地上から3メートル以上はある。零を肩車をしたとしてもおそらく届かないだろう。
伊織がそんなことを考えながら歩いていると、零の携帯が鳴りだした。
「どうせナイト様だろ?出てやれよ。」
伊織の言葉に零はかおると約束をしていた事を思い出してハッとなる。音楽の課題。寮にはピアノがないが、かおるのヴァイオリンの練習に付き合うと約束していたのに。
「・・・もしもしかおる君?」
「零ちゃん、今どこにいるの?」
いつもと変わらない、穏やかなかおるの声に余計心苦しくなる。
「あ、あのねちょっと探し物してて・・・」
「探し物?どこで?」
「えっと・・・お外・・・」
場所を聞かれて「お外」って答えるヤツがいるかよ、と伊織は内心思いながら、零なりにこの状況をごまかそうとしているのだろうと思うと可笑しくなる。どうせ嘘なんかつけないくせに、と思いながら成り行きを見守る。
「お外、じゃどこに迎えに行けばいいかわからないから。まだ風も強いし、雨もまだ降るかもしれないんだよ。」
携帯の向こうのかおるの声が微かに聞こえている。相変わらず、姫には甘いんだな、と伊織は内心思う。
「え、えと、大丈夫だよ?あの・・」
一生懸命ごまかそうとしている零の瞳が自分に向けられた瞬間、伊織の胸にズキンと電流の様な感情が走る。
「俺が傍にいるから、ナイト様の出る幕じゃねーよ。零の事は俺に任せとけ。」
「伊織が傍にいるの・・?そう、それなら・・・」
電話の向こうのかおるは少し口ごもった後、言葉を続けた。
「伊織、仮にもナイトを気取るなら、必ず姫を守れよ。何かあったら、ただじゃおかない。」
「俺はナイトじゃなくて、王族性なんだ。ナイトにごちゃごちゃ指示される覚えはないね。」
「あ・・あの・・」
電話越しに、しかも自分とかおるが電話中だったはずなのに、いつのまにかかおると伊織がけんか腰の会話を始めている。自分の事を話しているのに、他人事の様に思ってしまう。零はなぜ自分が姫なのか、未だに理解できずにいる。
伊織が王属性と言うのも頷けるし、かおるもナイト様と言うよりは王子様のようだと思う。攻撃的で炎の様な伊織と、穏やかな海の様なかおる。タイプは真逆でも完璧に近い美しさを持つ彼らが時に火花を散らしてまで自分の事を大切に思ってくれる事が、今でも目が覚めたら終わってしまう夢ではないかと思うほどに信じ難い現実だった。
「零ちゃん、探し物はほどほどにして、早く帰っておいでね。戻ってきたら、音楽の課題一緒にするって約束、忘れないでね。」
心なしか寂しげにも聞こえるかおるの声に、心の奥が痛くなる。いつもそうだ。かおるは零を責めずにいてくれる。その優しさが時に刺のように零の心を苦しくする程に。
電話を切ったかおるは、まだ不安定な嵐の後の空を見上げてため息をつく。
何となく、胸騒ぎがした。
今回少し長くなりました。
お姫様抱っこ・・・一回されてみないと距離感がイマイチわからず・・・
された事のある方はそんなんじゃねーよ!とおもっていらっしゃるかもしれません。




