066:隣の部屋の
ただでさえ、近付いてくる大型低気圧のせいで頭が痛いのに、隣の部屋にうるさい客が来ている。
勉強をしているだけだと分かっていても、何となく気になってしまう。
・・・かおるの野郎、ナイトだと言うのならこういう外野は黙らせておけよ、と心の中で今は無関係なはずのかおるを毒づく。
うるさいとうるさいで気になり、静かになったらなったで、気になる。
そんな自分にさえ少し苛立ちながら、早々に出された課題を終わらせようと机に向かった。
隣の部屋の住人はそこにいるだけでいろんなものを惹き付ける。視線も、羨望も、愛情も、嫉妬も、欲望も。
それなのに当の本人にはその自覚がなく、恐ろしいほどに無防備だから始末が悪い。
見た目の愛らしさだけではない、不思議な魅力だと思う。見た目が美しいと言うだけならそれほど珍しくもないが、彼女の纏う空気には抗いがたい何かがあった。
例えるなら、今にも消えそうな虹や蜃気楼を消えてしまう前に目に焼き付けたいと願う衝動にも似た感情。波に攫われて消えていく砂の城のように脆く儚い印象。それなのにこっちが戸惑うほどにまっすぐに瞳を見つめてきたりもする。泣くことも笑うことも、相手を想うことも躊躇わない強さと、人を許して信じる強さを持つ彼女はもしかすると自分よりもずっと強いのかもしれない、と駿は思う。
もしもそれを彼女に言ったとしても、彼女はそれを自分の弱さだと言うだろう。信じる方が楽だから、と。
いつだったか、二人で街に出かけた時に見せた彼女の笑顔をふと思い出した駿は、思考を断ち切るように一つ吐息をついた。
どんなに想っても叶わない想いなら、今以上に深く想う事は無意味だ。ただ彼女が傷つかないように、笑っていられるように、彼女を傷つけるものから彼女を遠ざけてやることくらいしか、自分にできることはない。
そんなことを思いながら課題を進めていた駿の耳に隣の部屋をノックする音が響く。昼食を知らせるかおるの声に、少しホッとする自分がいる。
邪魔すんなよ、と健の相変わらず良く通る大きな声が響き、今まで邪魔されなかっただけありがたく思え、と答えるかおるの言葉に思わず笑う。確かに誰にも邪魔されずに午前中が終わっただけでも奇跡的だ。
3人の話声が通り過ぎて行ったのを確かめてから、そっと部屋を出る。積極的に関わって傷つくよりも、遠くから見守っている方が性に合っている。
食堂に降りると、駿の予想に反して”可愛い隣人”は一人で4人がけのテーブルに座っていた。
まだ他に生徒の姿はなく、広い食堂に一人で居た零は駿の姿を見てうれしそうな笑顔を浮かべる。
「・・・ほかの奴らは?」
「なんかね、ちょっと待っててって言って出て行っちゃったの。」
一人で寂しかったんだよ、とその瞳が語っている。
「珍しいな、ナイトが姫を一人にしてそばを離れるなんて。」
あえてそう言う言い方をしてみると、零は不満そうな表情になった。
「駿君までそんなこと言うんだ。私一人でも平気だもん。」
さっきまで一人で寂しい、って吹き出し背負ってたくせに、と内心思いながら否定も肯定もせずそうか、と相槌を打ち、ふとこれで自分もこの場所を立ち去ったらどうするのだろうと言う好奇心を覚えた。
「あっ!ねぇ、どこ行くの?」
何かを思い出した振りをして、きびすを返すと、零の声が追いかけてきた。
「別に、どこってわけじゃないけど?」
興味がない振りをしながら振り向くと、「一人になるのは嫌」と雄弁に語る零の瞳にぶつかった。
「・・・・一人で平気なんじゃなかったのか?」
「えっ?!平気・・だよ?」
くるくると感情を映して良く変わる瞳。見ていて飽きない。
「一人になるのは嫌だって、顔に書いてあるけど?」
「えっ?!」
「・・・冗談。」
からかい甲斐がある、というのはこういうことを言うのだろう。何を考えているかが手に取るように分かるだけに、予想通りの反応が返ってきて面白い。
「悪かったよ。どこにも行かないから安心しろ。」
そう言いながら、駿は無意識に零の頭を撫でていた。指先に触れる、柔らかな髪が心地いい。
「?!」
驚いたのは零の方だった。安心しろ、と言う駿の優しい微笑みも、安心させるように優しく頭を撫でてくれる大きな手も、突然すぎてどうしていいかわからなかった。
いつも不機嫌そうにも見えるポーカーフェイスで、必要以上に近付いたりしない駿が、こんなにも近くで、こんなにも優しくて。
・・・駿君って、こんな風に笑うんだ・・・。
ぼんやりとそんなことを考えながら駿を見上げる。こんなにも優しい瞳を、初めて見た、と思う。
「お前は、良いものも悪いものも引き寄せる不思議な力があるから、傷付かないように誰かがそばにいた方がいい。」
穏やかな言葉、優しい手、いつもと違う近い距離にドキン、と鼓動が跳ねる。かおるの柔らかな強引さや、伊織の強すぎるスキンシップ、健の元気をくれる優しさとは違う、まるで穏やかな海のような優しさに戸惑う。
「誰もいないなら、俺がそばにいてやるから、何も心配しなくていい。お前を一人にしたりしない。」
「え・・・?」
ズキン、と心が悲鳴を上げるほどに苦しくなる。告白、とさえ取れる優しい言葉。一番遠いと思っていた人が急に近付いて、その優しさに心が震える。何か言おうとしても、感情がうまく言葉にならない。
「零ちゃんただいまーっ!」
バタン、と勢いよく食堂の扉が開いて、健が姿を現し、その音に我に返った駿は零に触れていた手を離す。
「おいおい、駿っ!お前、誰もいないからって零ちゃんに何かしてんじゃないだろうなっ!!」
良く響く健の声が広い食堂に響く。
「そんなにデカい声で言わなくても聞こえてる。」
まるでスイッチが切り替わるように、いつものポーカーフェイスにもどった駿は健を一瞥して何事もなかった様にその場を離れ、いつも彼が座っている窓際の席に座る。
「零ちゃん、駿と何の話してたの?」
疑いのまなざしを駿に投げながら、健が零の隣に座る。
「な・・何って・・別に、何も・・・」
お前を一人にしない、と言われた言葉を思い出し、頬が熱を持つ。
「ちょっ、零ちゃん何赤くなってんだよっ!駿っ!!やっぱ何か変なことやったんだろ!」
ひょいとかるく椅子の背を飛び越えて駿に詰め寄る健を、駿は一瞥する。
「お前が言う変な事って言うのは何なんだ?」
「えっ!?それはその・・・・ここで言うことじゃ・・ないよな?」
とたんにトーンダウンした健に、駿はあきれた様なため息をつく。
「言えない様な事するわけないだろう。どうせするなら、誰も来ない場所でするさ。」
「そ、そうだよな。うん、そうだそうだ。」
駿に限ってそんなことするわけないよな、と「変な事」を妄想した自分をごまかすように笑い、疑って悪かったな、と駿の背を叩く。
素直に謝れるのは強さだ、と駿は内心思いながら、別に、と適当に相槌を返した。
久しぶりに(?)駿君モードでした。硬派大好物です。
クールな彼の微笑みとかもう・・・萌えです。
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