065:台風と休講と
台風が近付き、授業が休講になったこと自体は歓迎すべき事態だったが、課題が出ることも分かっていて、
休講そのものが受験生である自分たちにとってはマイナス要素になり得ることも理解している。
とはいえ、窮屈な制服を着て教室に行かなくてもよいという事実は少なからず健の心を躍らせた。
自習課題なら自室でなくてもできる。課題を理由にして零の部屋へ行こうかな、とそんな事を考えるだけで少し幸せになれる自分がいる。それにしてもすごい雨になってきた、と窓の外に目をやった。
本格的な台風が直撃するのは高校に入ってからは初めてだ。
「・・・あれ?」
窓の外、歩く人影。
「かおる?・・・と、零ちゃん?」
少し前にクラスリーダーがずぶぬれになりながら課題を持ってきてくれた事を思い出し、彼らがクラスリーダーだったことを思い出した。
「・・・にしても、かおるの野郎、またあんなことしやがって!」
かおるの日本人離れした零への接し方は、ただうらやましいだけの嫉妬と分かっていても、いつも少なからず怒りを覚える。
自分のレインコートの中に好きな人を閉じ込めて背中から抱きしめながら歩くなんて、そんなうらやましい事、恥ずかしくてできるわけがない。
それなのにかおるはごく自然に、ごく平然とやってのけてしまう。
「すごい雨になってきたね。」
二つの寮に必要分の課題を置いて、無事にクラスリーダーとしての務めを果たして戻ってきたかおるはレインコートを脱いで中に閉じ込めていた零を開放する。
「零ちゃん、足元、濡れちゃってるね。ごめんね、本当ならこんな雨の時は姫を歩かせたりしないんだけど。」
濡れることを想定してレインシューズを履いてはいたものの、この雨だ、濡れないわけがない。
「全然平気だよ。かおるくんこそ、すごく濡れちゃって・・・。」
雨にぬれたかおるの髪からしずくが落ちる。濡れた髪や、肩口の肌に張り付いたシャツがやたらと艶っぽく見えて零は目を逸らした。
「僕は平気。零ちゃん、足元が冷えると風邪をひくから、温かいシャワーを浴びて温まった方がいい。」
かおるはそう言って、まるでそれが当然であるかのように零の身体を抱き上げた。
「ちょっ!!かおっ、かおる君?!な、な、何っ!」
雨に濡れたかおるに色気を感じて勝手にドキドキしていた零は慌てる。
「足を冷やしちゃいけない、って言ったでしょ?ほら、いい子にしなさい。」
だだだから、顔近いって!!
久しぶり、でもないはずなのに、どうしてこんなに慌てるんだろう、と自分でも思う。意識するほどにかおるのたくましい腕を感じてドキドキが加速した。
かおるの言いつけ通り、シャワーを浴びた零は、部屋でほっと一息ついていた。
相変わらず窓を叩く雨は激しくて、まだ午前中なのに薄暗い部屋は心まで少し暗くする。
出された課題は、今日行なわれるはずだった講義の分、きっちりと準備されていて、今から始まる自由と言う名の下の責任と義務に満ちた時間を想わせる。
数学、ドイツ語、音楽。
講義を受けていた方が楽だ、と思う。自らの努力なしに必要な知識を与えてもらえるという事がどれほどありがたい事なのか、理解していない学生が多すぎる。
講義に文句を言う学生たちは、同じだけの知識を自ら得るためにはいったいどれだけ非効率な努力が必要なのか、考えた事などきっとないのだろう。
そんなことを思いながら、零はいつも通りに難解な数学の課題をはじめた時、部屋の扉をノックする音が響いた。ちょっとためらいがちな控えめなノック。たぶん健だろうな、と零は思う。普段の元気な彼らしくなく、いつもノックは控えめだ。
はーい、と返事をしながら扉を開ける。予想通りの健の姿に零はやっぱり、と心の中で思う。
「零ちゃん今日の課題って何?せっかく自習だし、一緒にやらない?」
「私は数学とドイツ語と音楽だよ。健君は?」
「お!俺も数学とドイツ語被ってるし。後は物理と英語。零ちゃん音楽選択してたのか。」
「数学とドイツ語同じなら一緒にできるね。普段健君とは授業で一緒にならないから不思議な感じだけど。」
どうぞ、と健を部屋に招き入れ、ちょうどはじめようとしていた数学の課題を指す。
「健君なら、楽勝なんだろうね。」
この学校に来てから一人ひとりの個性、特技、そう言ったものをきちんと認め、よりよく伸ばしてもらっていると感じる。
だからこそ、苦手と思う事ですら頑張れるのだろう。
「ん?あぁ、数学なら任せろ!零ちゃんと一緒だと思うとやる気出るな!」
くそー、キングのやつらは毎日こんなにやる気出してんのか、と大げさにくやしがる健に零は笑う。いつもそうだ。健といると知らず知らずのうちにこっちまで元気になってしまう。
「私も健君と一緒だと頑張れるよ。」
自分の部屋の小さめのセンターテーブル。一人ならクッションを抱えて難解な数式に頭が痛くなっていただろうと思うと、こうやって笑っていられるのは幸せだと思う。
「・・・私、幸せだなー。」
思わずつぶやいた零に健は少し驚くが、楽しそうに笑っている零の横顔が、息苦しくなるほど可愛くて思わず見惚れる。あまり間近で見ることがないだけに、近くで見る零は思うよりも小さくて作り物のようにさえ感じる。
「健君?ねぇ、聞いてる?この問題教えてってば!」
ペンを走らせる手や、頬にかかる髪、長いまつげ、陶器のように滑らかな頬をぼんやりと見ていた健は零につんつん、と額をつつかれて我に返る。
「えっ?!あ、あぁ、どれどれ?」
ドキドキしながら、わざと顔を寄せてみる。ほんの少し手を伸ばせば届く距離なのに、と心の中で思う。
「これだよ。やっぱり私には数学の才能がないみたい。」
そう言って笑う、無防備な笑顔に射抜かれる。
どうしても、好きだと改めて思う。男からみても完璧なかおるが傍にいて、敵わない事も分かっている。それでもやっぱり諦められないほどに。
「そんなことないさ。じゃあさっさと数学やっつけちまおうぜ!」
そう言うと、うれしそうな笑顔を返してくれる。かおるといる時とはまた違う、楽しそうな笑顔を自分には向けてくれる。
もし、本気で好きだと言っても、零は今と同じように笑ってくれるのだろうか?
そんなことを思いながら、健はいつもより距離の近い零の笑顔を見つめていた。
健君の照れ屋さんなところとか、やたらと緊張しちゃったりするところとか、
かわいくてぎゅってしたくなったりします。
そしてイケメンとかもう・・・。
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