063:涙と意地と
迷子になりかけている零を量へ連れ戻そうと、バイクにまたがった伊織だったが、タイミング悪く信号が赤になる。
少し苛立ちながら一つ向こうの角を曲がって行く後ろ姿を見送り、信号が変わるのを待つ。バイクで追いかければすぐに追いつける事はわかっていたが、何となく、嫌な予感がした。
信号が変わると同時に伊織はバイクを走らせる。零の後ろ姿が消えた角を曲がるが、姿が見えない。
心の中で舌打ちする。零はそれほど歩く速度は速くない。どこかの店に入ったのか、もう一つどこか角を曲がったのか、と冷静に思考を巡らせる。
なぜか、ひどく焦っている自分がいた。
バイクで走ると、きっと通り過ぎてしまう。そう思った伊織はバイクを停める。
あの馬鹿、と心の中で思う。道も知らないのにどうして頼らないのだろう。自分にでなくてもいい。誰だって零に頼られたいと願っているのに。
そう思った伊織ははっとする。零が頼らない事を言い訳をしているのは、自分の方だ。
この辺りの道を知らない事も、零が人に頼る事を好まない性格である事も知っているのに、自分から手を差し伸べる事を躊躇って彼女から言い出すのを待っているのは他の誰でもない、自分だ。
「・・・ちっ」
伊織は舌打ちし、零の姿を探す。そんなに遠くへは行っていない。零の好みそうな店はなさそうだ。とすると、次の角を曲がったのだろう。
そう結論付けて、伊織は足早に歩き出した。
路地の様な角を通り過ぎかけて、足を止める。
「・・・零?」
微かに、零の声がした気がした。薄暗い路地へ目をやると、微かに人影が見える。
「あれは・・・北高の・・?」
一瞬、血の気が引く。まさか・・・!
余計なゴタゴタは起こしたくない。そう思って気付かれないようにそっと近付いた伊織の目に飛び込んできたのは、男達に囲まれ、身体を拘束されて泣いている零の姿だった。
頭の芯が痺れ、何も考えられなくなる。これほどの怒りの感情にとらわれたのは生まれて初めてだ。
「貴様ら、死にたくなければとっとと零を放して消えろ、」
「何だ?貴様・・・」
まさにこれからと、思っていた4人は、突然現れた《男前》に気色ばむ。
「貴様ら、殺されたいのか、」
伊織の瞳の奥に怒りの炎が燃え上がり、殺気のような怒りが伊織を包む。頭の奥がジリジリと音を立てるほどの激しい怒り。怒り、以外に何も考えられない。目の前のこいつらを、殺してやる、とさえ思った。
「人のお楽しみを邪魔すんじゃねーよ!邪魔者はさっさと消えろ!」
零の顎に手を掛けていた一人が伊織に殴りかかった瞬間、ガコン、と人の身体からするはずのない音が響き、殴りかかった男が悲鳴を上げて地面に転がった。
「な、何ッ?!
伊織に殴りかかった右腕が、ありえない方向に曲がっている。
それを見た残りの3人は思わず一歩後ずさった。何が起こったのか、わからなかった。
「どうした、早くかかってこいよ?」
伊織が怒りに燃える目で、一歩前に足を踏み出す。
「コイツ・・・高花・・?」
「今頃気づいても遅いんだよっ!俺の女に手を出したこと、死んで後悔するんだな。」
世間では目も合わせずに逃げていく北高の面々が、一瞬怯むが、それでも3対1だと一斉に伊織に殴りかかった。
「・・・零、大丈夫か?」
最終的に、北高の連中は完全にノックアウトされた2人を連れて、伊織の前から退散した。
伊織は怯えて地面に座り込んでしまっている零の傍に歩みより、そっと助け起こす。
触れた手が震えている。
「もう大丈夫だ。安心しろ。」
「伊織君・・ごめ・・」
自分を見上げる大きな瞳からぼろぼろと大きな涙が溢れだしたのを見て、伊織は少なからず狼狽する。
「ちょ・・泣くなって。もう大丈夫だから。」
そう言いながら、抱き寄せようとした手を止める。さっきまで怒りで荒れ狂っていた心が一気に静まって行く。
かおるなら、こんな時気のきいたセリフでも言って、いつもみたいにお姫様抱っこでもするのだろうか、と頭の片隅で思う。
「伊織君、怪我・・わ・たし・・の、せいっ」
何を言っているのか聞き取れないほど、子供のようにしゃくりあげて泣きだした零に、どうしていいのかわからなくなる。
抱きしめて、大丈夫だ、と言いたい。だけどまだその資格はない、とも思う。
「バーカ、こんなもん、怪我じゃねーよ。」
そう言って伊織は手のひらで零の頭を軽く叩く。いつもなら、人の頭叩かないで、とその大きな瞳でにらんでくるのに、泣きじゃくりながら胸の中に飛び込んできた。
「ちょっ・・・零・・・」
一瞬、躊躇った後、伊織はぎゅっと零の身体を抱きしめる。
「・・・言ったろ、誰にも傷つけさせないって。遅くなって悪かったな。怖かっただろ?」
腕の中で小さく震えながら泣いている零はまるで小さな子供のようだ。
まいったな、と伊織は心の中で呟く。勘違いするのは好きじゃないんだ、と心の中で思う。
「ちょっと走りに行くか!ほら、さっさと乗れよ。」
泣いている零が落ち着くのを待って、伊織はバイクにまたがる。ほぼ無理やり後ろに乗せると、エンジンをスタートさせた。
「しっかりつかまってろよ!」
背中に零の体温を感じる。
俺らしくもない、とバイクを走らせながら思う。いつも、もっと強引に抱き寄せたりしているクセに。何を意地になっていたんだろう。
その答えは、分かっている。自分のせいで怪我をしたと思っている彼女を、怖い思いをした直後の彼女を、抱きしめることで彼女の中に芽生える感情を恐れたからだ。
そんな勘違いの好きはいらない。俺が欲しいのは、本物だけだ。
バイクを加速させると、自分にしがみつく零の腕に力がこもるのが分かる。そう、今はそうやって、全部忘れてくれ。伊織は心の中でそう願いながらバイクを走らせた。
本物の好き、って何なんだろう?と思ったり。
自分のために身体を張って戦ってくれる人を目の前で見て、その人の事を好きになるのはウソの好きなのかな・・・?