044:零の気持ち
「おはよう、零ちゃん。朝食の時間だよ、」
翌朝、いつもと変わらず朝食の時間に部屋のドアをノックするかおるの声に少しホッとする。今まで通り何も変わらない朝。
「おはよう、かおる君。」
零もいつも通りの笑顔で部屋を出る。
「零ちゃん、今日もかわいいね。」
いつも通りに微笑むかおるに零は笑顔を返した。
食堂につくと、いつも通り、一人悠然と本を読んでいる駿の姿が目に入る。目に入る、と言うよりは探している、と言う表現が当てはまる零の視線にかおるは溜息をついた。
唯一、零と距離を置く駿。多分零にとって最も近寄りがたく、遠い存在だろうと思うのにその目が駿を追うのは何故なのだろう。
「零、おはよう。」
その時、ムスクの香りとともに現れた伊織が後ろから零を抱きしめて、首筋に顔を寄せる。
「おっ、おはよっ!ちょ、やめ、」
・・・だから、その登場と呼び捨てはやめて、ってば!
「なんで?」
・・近い、近いって!
首筋に唇が触れるほど近くで囁く伊織の声に零は真っ赤になる。
「だ、だからっ!」
「伊織、やめろ。」
いつものかおるとは違う、硬質な声。伊織の腕を掴んで捻りあげる。
「・・・痛ってぇな・・・」
顔をしかめて零から離れた伊織はいつもの挑発的な、毒のある瞳でかおるを見る。
「ふぅん・・・何があったか知らねぇが・・・そう言うことなら俺も本気で行くぜ?」
「勝手にしろ。」
「まぁ、お互い同じ立場なんだ、せいぜい頑張ろうぜ、」
かおるの耳元でそう囁いた伊織は二人のやりとりを困った顔で見守っている零を見て小さく笑い、かおるの肩を叩いて食堂を後にした。
「・・・大丈夫だった?」
かおるは零の隣に腰をおろし、いつも通り微笑んで零を見る。
「・・・うん、ちょっと慣れてきたかも、」
朝の遅い伊織と朝の食堂で会う事は少ないが、会う度同じように扱われるため不本意ながら少しずつ慣れてきた自分がいる。それでも呼び捨てにされる違和感や、強すぎるスキンシップはできる事なら遠慮したいもので、毎回訴えても伊織の行動は変わらない。
・・・久遠君は、どう思ってるんだろう・・・。
一瞬、窓際で本を読んでいる駿に目をやると、隣のかおるが小さく溜息をついた。
「零ちゃん、そんなに駿の事が気になるの、」
「えっ?!や、べ、別にそう言う訳じゃ・・・」
とっさに慌てて首を振る。
「じゃあどうして?」
哀しげなかおるの瞳が零の心に突き刺さる。
「な、何が・・・・?」
真剣なかおるの瞳に見つめられると動けなくなる。苦しくて、心が痛い。
「こっちを向いて?零ちゃん・・・髪にホコリがついてる。」
小さく微笑んだかおるの手が伸び、零の髪に触れる。今までなら、どうと言う事はない、いつものかおるの行動のはずなのに、俄かに心臓が暴れだす。
「はい、とれたよ。もう大丈夫。」
急に頬を染めて俯いてしまった零を見て、かおるは微笑む。零はきっと、自分の気持ちをもてあましているに違いない。友達と思っていた人が急に、異性になった瞬間の戸惑いを。
・・・かおる君・・・本気、なのかな・・・?
授業中、零の脳裏にかおるの哀しげな瞳が蘇る。いつも優しく微笑んでいるかおるの笑顔にずっと救われてきた。何も言わなくても言いたい事を分かってくれて、気付かないうちに零が心地良いようにあらかじめ準備してくれているかおる。
好きだとか、嫌いだとか、そう言う恋愛感情ではない、もっと特別な何か。
ふと、隣の席の駿に目をやると、いつもと同じ、じっと涼しげな瞳を前に向け、ノートにペンを走らせる横顔。いつも無表情で何を考えているのか分からずに戸惑う。毎日会っているのに目を見てもくれなければ、滅多に声をかけてもくれない。挨拶をしてもそっけなくてきっと嫌われているんだろうと思う。そう思っていても、伊織の強引さに困っていると必ず助けてくれる駿の存在がいつの間にか零の中で大きくなっていった。ほんの少しでいいから笑って欲しい、少しでいいから、声をかけて欲しい、とそう願うようになったからだろうか?
・・・でも、
零は小さく溜息をつく。
・・・嫌われている人の事を想っても、辛いだけ、だよね・・・。
本気なのかどうか図りかねるが、いつも《俺の女になれ》と言い寄ってくる伊織や、最初は挨拶に等しかったが、今となっては冗談ではなくなってしまったかおるの《好きだよ》と言う微笑みを無視して駿の事を想い続ける事は愚かな事とさえ思える。
・・・私、どうしたいんだろう・・・。
誰かに相談に乗って欲しいと思っても相談できる相手もいない。誰かを好きになる事も、誰かに好かれる事も、こんなにも辛いことだったのか、と零は心の中で溜息をついた。
一日の授業が終わり、零が出された課題をまとめてかばんに入れていると、ムスクの香りと共に伊織が姿を現し、零は思わず身構える。
「んだよ、今日は珍しくガードが固いじゃねーの、」
ニヤリと笑った伊織は、そんなことしてもムダだけどね、とつぶやいて零の腕を掴む。
「何の用?」
「まぁまぁ、そう睨むなって。まぁ俺はお前のその怒った顔も好きだけどな?お前そう言う顔見せるの、俺だけだろ?他の奴等には見せない特別な顔、ってやつ、嫌いじゃないぜ?」
「そう言うんじゃないしッ!」
・・・もう、何でいっつも伊織君はそう言うこと言うの?!
怒り、と言うわけではないが、あまりにも堂々と過激な言動をする伊織といるとイヤでもみなの視線が集まってしまう。怒って見せなければ、伊織の際どい行動を受け入れていると思われてしまうことが怖かった。
「ちょっと、付き合えよ、連れて行きたい場所があるんだ。」
「ちょっ、ちょっとっ!」
「寮に戻ったらすぐ出かけるぞ。着替えたらすぐに降りて来い。」
傍目にはあきらかに伊織に引きずられていく零の姿をクラスメイト達はどう思っているのだろう、と思いながら零は強引な伊織の腕を振り解く。
「痛いよっ!そんな強く掴まないで!」
「あぁ、悪かったな。お前がジタバタ暴れるからだろうが、」
悪びれもせずそう言った伊織は掴んでいた手を離し、ニヤリと笑う。
「今日はナイト様は理事長呼び出しで、堅物は進路面談だからな。お前を連れ出すには絶好のタイミングなんだよ。」
お前はお目付け役が多いからな、と言いながら伊織は不満気に自分を睨む零を見る。
「可愛い顔しちゃって。そんなそそる顔されたら襲っちゃうよ?」
「・・・・・」
・・・もう、返す言葉も見つかんない。伊織君って、何考えてんだろう・・・?
零が黙って睨んでいると、伊織は諦めたように小さく肩をすくめ、ブツブツとドイツ語で独り言を言う。
「えっ?何て言ったの?」
「・・・さぁな。」
気になるか?と顔を覗き込まれた零は、赤くなって別に、と顔をそむけた。
もったいない。もったいなさすぎる。ちゅーか、選べないよねぇ。私だったら・・・選べない。無理・・・。無理・・・。誰か一人ってぇぇぇ。無理ー。




