022:図書館
通常の授業が始まってから数日が経ち、零は少しずつ学校の様子にも慣れ始めていた。
毎朝朝食の時間に迎えに来てくれるかおるや、いつも待っていてくれる健と共に寮で朝食をとり、連れ立って学校へ向かう。
さすが、と思われる高度な授業を受け、構内の食堂で昼食を取り、授業が終わるとそれぞれ、帰宅する者、寮へ帰る者、部活へ行く者、居残りで勉強する者、と様々だ。
まだ学校の中のことに詳しくない零は今のところ、放課後になるとかおると共に寮に帰っている。
「ねぇ、かおる君、この学校って図書室、ある?」
「あるよ。でも、一般教養棟にあるんだけど・・・」
口ごもるかおるに隣の席で帰り支度をしていた駿が珍しく口を挟む。
「図書館へ行くなら今から行くから連れて行ってやる、」
「あ、本当?お、お願いしても・・いい、かな・・?」
「・・・いいから言ってるんだ。早く来い、」
「あっ、は、はいっ!」
・・・やっぱ怖いよ、久遠君・・・。
チラリと零を一瞥して大股に教室を出て行く駿を小走りに追いかけながら零は思う。他の寮生やクラスメイトとは少しずつ話すようになったが、駿だけはいつも本を読んでいたり、寝ていたりして必要以上の事を一度も話せずにいる。
背の高い駿の背中を小走りに追いかけていく零の姿を見たかおるは小さく溜息を付き、慌てて置いていってしまった零のかばんを手に取るとゆっくりと二人の後を追う事にする。行き先は分かっているから、慌てる事もない。三人揃って歩けばまた騒がれるだろうから、追いつかない方がいい。
「・・・ま、待って、久遠君!」
大股で早足に歩く駿を一生懸命追いかけていた零だったが、次第に息切れしはじめて前を行く駿を呼び止める。
「・・・・なんだよ、」
・・・ふ、不機嫌そう・・・。
足を止めて振り向いた駿は明らかに不機嫌そうに眉間に皺をよせている。
「ご、ごめん、久遠君歩くの早いから、ちょっと・・・」
小走りに追いついて、乱れた呼吸を整えている零を見て駿は少し驚いた顔になり、やがて小さな笑みを浮かべる。
「・・・悪かった。お前がチビだって事、忘れてた。」
「チ、チビって・・・」
「悪かったよ。もっと早く言えば良かったのに、」
く、久遠君が笑ってくれた!
零は駿の笑顔を見て、心の中の何かが晴れていくような気がして思わず笑顔になる。
「うん、でも大丈夫!ありがとう。」
華が咲くような笑顔を向けられた駿は一瞬戸惑い、自分の顔が火照るのを感じて零から目を背けて再び歩き始める。付いて来る零が走らなくてもいいように、零の歩調を横目に見ながら生まれて初めて、他人に合わせてゆっくりとした速度で歩いていた。
「わぁ、すごいね、図書館みたい!」
図書室につくと、重厚な両開きの重い木の扉の向こうに広がった静かで少し暗めの照明の空間に零は思わず声を上げた。広く取られたスペースに向こう側が翳むほどに並べられた本棚、天井までぎっしりと様々なジャンルの本が整然と並べられている。
「ここの図書室の所蔵量は高校としては国内随一なんだ。」
口元に笑みを浮かべてそう言う駿を見上げ、零はいつも本を読んでいる駿の姿を思い出す。
「久遠君、本、好きなんだね。私も好きなんだ。」
小さな共通点を見出した零は思わず声を弾ませる。
「・・・別に。無駄な時間を過ごすくらいなら知識を増やした方がいいと思ってるだけだ、」
「え・・・、」
急に、いつもの無表情で、少し苛立ったような表情に戻ってしまった駿を見て、零は戸惑う。
・・・私、何か怒らせるようなこと・・・言った?
「借りる本を見つけたら借り方を教えてやるからここへ戻って来い。」
駿はそう言うと、自分は手にしていた本を手にカウンターの方へ歩いて行く。
・・・待たせたらまた怒らせちゃうよね。急がないと!
零は慌てて本棚の立ち並ぶ通路に向かい、お目当ての作者を探す。膨大な書物の中からお目当ての一冊を探し出すのは困難とも思われたが、運良くすぐに見つけることができた。
「・・・けどあれって、どうやって取るんだろ・・・」
天井まで届く高い本棚の、手の届かない場所に収められたその本を、どうしたものかと周囲を眺めていた零は通路のところどころに置かれたはしごに気付く。
・・・なるほど、あれに登って取るんだ。
零は最も手近に置かれていたはしごを移動させ、おそるおそる登ってみる。
「・・・ちょっ、何やってんだお前ッ!」
零がはしごを5段ほど登ったところで通路に駿の焦ったような声が響き、驚いた零はバランスを崩す。
「キャァッ!」
「バ、バカッ!危いッ
零は自分が床に叩きつけられる痛みを想像し、一瞬世界がスローモーションになる。が、その瞬間は訪れず、ふわりと甘いネロリの香りに包まれる。
「このバカ、もうちょっと考えて行動しろ。」
「・・え・・?」
強く瞑っていた目を開くと、間近に駿の整った顔。ものすごく不機嫌そうにも、少し笑っているようにも見え、零は固まる。
「え、」
「普通、女がスカートではしごに登るか?」
「え、あっ、」
言われて、零は今更ながらに真っ赤になる。
「まぁ今回は、お前がチビでバカだって事を忘れて一人で行かせた俺が悪かった。」
「チ、チビでバカ・・・」
クスクス、と駿がおかしそうに小さく笑ったのを見て、零はその笑顔に見惚れる。
・・・いつも、こんな風に笑ってたらいいのに・・・。
「駿、黙って見てたら、いつまで零ちゃんを抱っこしてるつもり?零ちゃんを助けた事は認めるけど、ちょっと顔、近すぎるんじゃないかな?」
悠然と近づいてきたかおるが、駿の肩に手を置いて声をかける。
「零ちゃん、はい、これ忘れ物。」
かおるに言われて、零は自分が駿の腕の中にいることに気付き、耳まで赤くなる。
「最初からお前が案内してりゃ良かったんだ。エスコート役なんだろ、」
ふと見ると、駿の頬も赤い。
「そうだね。でも駿が行ってくれるならいいかなと思って。僕らが揃って歩くと目立つでしょ?」
悪びれる風もなく答えるかおるに駿は舌打ちし、そのまま大股で通路を横切って図書室を後にする。
「あ、く、久遠君・・」
「零ちゃん、駿は照れてるだけだから、そっとしておいてあげて?」
おだやかにかおるに遮られ、図書室の中で大声を上げて呼び止める事もはばかられた零はおとなしく従う事にする。
「・・・で、どの本を取ればいいの?」
「あ、あの、長田まゆ子さんの・・・」
零が指をさすと、かおるは少し背伸びをして零が取りたかった本を零の手に渡す。
「ありがとう。」
「せっかくだから、僕も何か借りて行くよ。また返す時は一緒に来ようね、」
抱きしめられたり抱き上げられたり、そんな事にはもう慣れたと思っていたのに、しっかりと抱きとめてくれた駿の腕の熱さに、間近で見た笑顔に、零の心臓は高鳴り続けていた。
抱きとめてもらうってどんな気持ちなんだろう・・・。小柄じゃないと絶対無理だと思うけど・・・。女子のあこがれお姫様だっこ~☆