第16話 テニエス伯爵家を脅すジェラード
やがてクリスティアーナを取り巻いていた炎が静かに消えていった。
応接室には、重い沈黙だけが残った。
「返して……」
最初に声を上げたのはヴィッキーだった。
魔紋の消えた右手を握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でクリスティアーナを睨んでいる。
「あたしの魔法を返してよ!」
「わ、わたし……返せるなら返したいけれど、やり方がわからなくて……」
「そんなの知らないわよ! あたしの魔法なのよ!」
「そうよ、クリスティアーナ。あなたが何とかしなさいよっ!」
クラウディアまで青ざめた顔で詰め寄ろうとした。
その前に、ジェラードが立ちはだかった。
「呆れて物を言えず黙っていれば、調子に乗りすぎだ! いい加減にしろ」
低い声に、二人が動きを止める。
先ほどまで黙って様子を見ていたジェラードの顔には、もはや隠しようのない怒りが浮かんでいた。
「二人とも、自分が何をしたのかわかっているんだろうな?」
「でも、この子があたしたちの魔法を――」
「先に魔法を放ったのはそちらだ」
クラウディアの言葉をジェラードが遮った。
「しかも、俺の妻に向かってだ。それも俺の屋敷の中で、二度もな。これはアルディオン辺境伯家への宣戦布告か?」
テニエス伯爵の顔色が変わった。
「そ……そのようなつもりはありません。ただ、私どもはクリスティアーナに早く閣下のお子様を産むようにと叱咤激励に参った次第で……」
「辺境伯夫人に攻撃魔法を向けたんだ。脅すつもりだった、傷つけるつもりはなかった、そんな言い訳で済む話ではない。クリスティアーナは俺の大事な妻なんだぞ! 正式に訴えれば、王都の貴族裁判所で裁かれることになる。目撃者もいる。この屋敷の使用人たちも、ここで何が起きたのか証言できるんだ。おまえらは、そんなに貴族牢に入りたいのか?」
「お、お待ちください!」
テニエス伯爵が慌てて立ち上がった。
「そこまでなさる必要はないでしょう。娘も妻も、ほんの出来心で……」
「出来心で俺の妻を焼こうとするとは、ますます許せん! それだけじゃない。俺はクリスティアーナが実家でどんな扱いを受けていたかも聞いている」
ジェラードの声は氷のように冷たく、テニエス伯爵が思わず視線を逸らす。
「まともな食事すら与えず、使用人の残り物を食べさせていたそうだな。必要な衣服も用意せず、家族とは到底呼べないような扱いをしていた。そんな娘を危険だと噂されていた俺のところへ差し出しておきながら、今度は子供ができないから金が入らないと責める。よくもまあ、父親の顔をしてここまで来られたものだ」
ジェラードは吐き捨てるように言った。
「それは……家庭内の事情というものが……」
「今のクリスティアーナは俺の妻だ。これ以上好き勝手に傷つけられて黙っているつもりはない。今回の件も含めて、これまでのことを貴族裁判所と陛下へ報告する。正式に訴えて、貴族牢に入れてやる。少しはまともになるだろうよ」
「それだけはおやめください!」
テニエス伯爵が声を上げた。
貴族裁判所にまで話が持ち込まれれば、家名にどれほどの傷がつくかわからない。陛下からも身が縮みあがるほど叱責されるだろうと思うと、ブルブルと震えてくるのだった。
「ヴィッキーもクラウディアも反省しています。なあ?」
「え……ええ」
クラウディアが慌てて頷く。
ヴィッキーもようやく事態の深刻さを理解したのか、青ざめたまま何度も頷いた。
その様子を見ていたクリスティアーナは、胸が苦しくなった。
どれだけ酷いことをされても、目の前で家族が追い詰められている姿を見ると、完全に突き放すことができないのが、クリスティアーナの弱さだ。
「ジェラード様……」
「どうした?」
「あの……裁判までは、しなくてもいいんじゃないでしょうか」
ジェラードが眉を寄せる。
「君は今、二度も魔法を向けられたんだぞ」
「はい。でも、私は怪我をしていません。それに……お義母様もヴィッキーも、もう魔法が使えなくなってしまいました。これ以上は……責めなくてもいいかと」
ジェラードはしばらく何も言わなかった。
そんな彼の顔を、クリスティアーナは不安そうに見上げる。
やがてジェラードは小さく息を吐いた。
「君は本当に甘いな。優しすぎることはときに弱点にもなるんだが……今回だけだぞ」
「ごめんなさい……」
「謝るところじゃない」
ジェラードはテニエス伯爵一家へ向き直った。
「聞いたな? 今回はクリスティアーナが望まないと言うから、訴えは起こさないし、陛下にも報告はしないでやろう」
三人の顔に安堵が広がる。
「ただし、俺が許したと勘違いするな。見逃すのはクリスティアーナの慈悲だ。俺はいつでもおまえらを貴族牢へ入れたいと思っていることを忘れるな。それから、クリスティアーナに礼を言え!」
テニエス伯爵は悔しそうに顔を歪めたものの、今は逆らうことができなかった。
「……クリスティアーナ。今回は、その……感謝する」
クラウディアもヴィッキーも小さく頭を下げた。
「さあ帰ってくれ。出口はそちらだ」
ジェラードの一言で、三人は追い出されるように辺境伯邸をあとにしたのだった。
しかし、それですべてが終わったわけではなかった。
辺境伯夫人のお披露目会でクリスティアーナの特殊な能力を目にした者は多い。そのうえ、テニエス伯爵家の者たちが辺境伯邸で騒ぎを起こしたことも、いつまでも隠しておけるものではなかった。
やがて社交界では、テニエス伯爵夫人とその娘がクリスティアーナに炎魔法を放ち、その結果、二人とも魔紋を失ったという噂が広がった。
以前、ナタリーがクリスティアーナを攻撃して魔紋を失った一件も知られていたため、今回もクリスティアーナが意図的に魔法を奪ったわけではなく、攻撃を無効化した結果なのだと受け取られた。
そのため、同情が集まったのはクリスティアーナの方だった。
そして、ここからテニエス伯爵家の凋落が始まるのだった。
彼らを見る社交界の目は一気に冷え込み――
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ここまでお読みくださりありがとうございます!
次回はテニエス伯爵家の人々のざまぁになります。
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