第15話 炎魔法まで使えるようになりました
「何を言っている?」
低くなった声にも気づかず、ヴィッキーは頬を染めて微笑んだ。
「あたしがお姉様の代わりにジェラード様の妻になりますわ。正直に言えば、こんなに素敵な方だとは思っていなかったんです。危険な方だと聞いていたから、お姉様でもいいと思っていたけれど……実際にお会いしたら、あたしの方がお似合いだと思いますもの」
ジェラードの顔から完全に表情が消えた。
「馬鹿なことを言うな」
ヴィッキーの笑顔が固まった。
「え……?」
「クリスティアーナは俺の妻だ。妹だから代わりになれるなどという話ではない。そもそも、俺の魔力の暴走が危険だから姉を寄越したと、よく俺の前で平然と言えるな? 事実ではあるが不愉快だ」
ヴィッキーは言葉に詰まり、クラウディアが慌てて取り繕おうとする。
「この子も悪気があったわけではありませんの。まだ若いものですから、思ったことをそのまま口にしてしまって……」
「若ければ何を言っても許されるわけではない」
ジェラードの返事は冷たかった。
テニエス伯爵の額にも、じわりと冷や汗が滲んでいた。先ほどまでの余裕はすっかり消え、口を挟むこともできずに黙り込んでいる。
そんな空気の中、応接室の外から足音が聞こえてきた。
「旦那様、奥様がお戻りになりました」
使用人の声に続いて扉が開く。
「ただいま戻りました」
お茶会から戻ったクリスティアーナは、応接室に家族が揃っているのを見て足を止めた。
「お父様……お義母様、ヴィッキー……」
懐かしさより先に、身体が強張った。
「ちょうどいいところへ戻ってきたな」
テニエス伯爵がクリスティアーナに声をかけた。
久しぶりに会った娘だというのに「元気だったか?」の一言すらない。
「クリスティアーナ、お前はまだ妊娠していないそうだな? 何をしているんだ! お前を嫁がせたのは辺境伯家の跡継ぎを産むためだろう。いつまで経っても子供ができなければ、こちらとしても話が違う。子供が生まれれば追加の金をもらえるはずだったのに、このままでは金が入らないではないか!」
クリスティアーナの顔から血の気が引いた。
「申し訳……ありません」
考えるより先に、謝罪の言葉が口をついて出た。
長年染みついた癖だった。
ジェラードの眉がぴくりと動く。
何も悪くないクリスティアーナが、なぜ父親に謝らなければならないのか。
すぐにでも口を挟みたかったが、あまりの身勝手な言い分に、ジェラードは怒りを押し殺すように黙り込んだ。
ところがヴィッキーは、ジェラードが何も言わないことを都合よく受け取った。
(やっぱり、ジェラード様はクリスティアーナを愛していないのよ。だって、少しも庇わないもの)
先ほどきっぱり拒絶されたことさえ都合よく忘れ、自分の方が気に入られているのだと思い込み始める。どこまでもおめでたい頭である。
「やっぱり何の役にも立っていない妻なんていらないのよ!」
勢いを取り戻したヴィッキーは、クリスティアーナへ向き直った。
「子供もできない、魔法も使えない。それなのに、いつまで辺境伯夫人でいるつもりなの? もう出ていった方がいいわ。あたしならジェラード様のお役に立てるもの」
「ヴィッキー……?」
「さっきあたし、ジェラード様に言ったのよ。お姉様の代わりに、あたしが妻になってあげるって」
クリスティアーナは思わずジェラードを見た。しかしジェラードは何も言わず、ただヴィッキーを見ている。テニエス伯爵家の者たちのあまりの身勝手さに、呆れて言葉を失っていただけだった。
だが、先ほどまでここで何が話されていたのかを知らないクリスティアーナには、そうは見えなかった。
(否定……なさらないの? やっぱり……わたしは愛されていないんだ)
水魔法が使えるようになり、周囲から認められるようにはなった。けれど、まだ子どもはできていない。それに比べてヴィッキーは若く華やかで、昔から炎魔法が使える。
(ジェラード様も、本当はヴィッキーの方がいいと思ったのかもしれない……)
そんな不安が顔に出たのだろう。
ヴィッキーは勝ち誇ったように笑った。
「わかったでしょう? お姉様はもう必要ないのよ。さっさとこの屋敷から出ていってよ」
「でも……わたしは……」
「まだ居座るつもりなの? 今まで何もできなかったくせに、どうしてお姉様が辺境伯夫人なんてやってるのよ! こんな素敵な方の妻になるなんて、お姉様にはもったいないわ!」
感情を昂らせたヴィッキーの右手で、ドラゴンの魔紋が赤く輝いた。ヴィッキーはクリスティアーナを殺すつもりなどなく、ただ怖がらせてやろうと思っただけだ。炎はクリスティアーナのすぐ横を狙って放たれた。
「きゃっ!」
クリスティアーナが身をすくめた次の瞬間、炎は彼女へ届くことなく、空中でふっと掻き消えた。
ヴィッキーは目を見開いた。何が起こったのかわからないまま、もう一度炎を放とうと右手に力を込めるが、何も起こらない。
何度力を込めても、火花一つ現れなかった。
「どうして……」
信じられないものを見るように自分の右手を見つめたヴィッキーの顔から、一気に血の気が引いた。
そこにあるはずのドラゴンの魔紋が、跡形もなく消えていた。
「あたしの魔紋が……ない……!」
ヴィッキーは半狂乱になって右手の甲を擦った。
もちろん、いくら擦っても魔紋が戻ることはない。
やがて弾かれたように顔を上げると、クリスティアーナを睨みつけた。
「お姉様、何をしたのよ!」
「わ、わたし、何も……」
「嘘つかないで!」
ヴィッキーが詰め寄ろうとした、そのときだった。クリスティアーナの周囲に、赤い炎がふわりと浮かび上がった。一つ、二つではない。いくつもの炎が彼女を取り囲み、やがて一つの流れとなって、ゆっくりと身体の周囲を巡り始める。
熱いはずなのに、クリスティアーナは少しも熱さを感じなかった。むしろ炎の一つ一つが、自分の意思に従って動いているような、不思議な感覚がある。まるで彼女を守るために生まれた、炎の壁だ。
ヴィッキーは唖然とした。自分が失ったばかりの炎魔法を、魔法など使えないはずの姉が自在に操っている。
「まさか……あたしから魔法を盗んだの?」
かすれた声を漏らすヴィッキーに、クリスティアーナも戸惑ったまま首を振った。
「いいえ……そんなつもりはないわ」
その光景を見たクラウディアの顔が歪んだ。
「ヴィッキーの魔法を返しなさい!」
「お義母様、わたしは奪うつもりなんてないんです。ただ、なぜかこうなってしまうだけで――」
「とぼけないで!」
激怒したクラウディアの右手に、ドラゴンの魔紋が浮かび上がる。
クリスティアーナへ向かった炎は、彼女の周囲を巡る炎に触れた瞬間、吸い込まれるように消えていった。
クラウディアの顔が強張る。嫌な予感でもしたのだろう。
恐る恐る自分の右手へ視線を落とし、そのまま息を呑んだ。
ドラゴンの魔紋が消えていた。
「そんな……」
同時に、クリスティアーナの周囲を巡る炎が勢いを増した。
赤い炎の中心に、眩しいほどの白い光が混じる。
応接室の空気が一瞬で熱を帯びた。
それでも炎はクリスティアーナを傷つけることなく、彼女を守るように周囲を巡り続けている。
誰も声を出せなかった。テニエス伯爵は顔を青ざめさせ、クラウディアは魔紋の消えた右手を呆然と見つめている。ヴィッキーも先ほどまでの勢いを完全に失い、震えながら姉を見ていた。
魔紋すら持たず、魔法など一生使えない。
役立たずで、何の価値もない。
そう言って見下してきたクリスティアーナが、今は自分たちの炎をその身に取り込んでいる。
「お姉様……何なのよ、その能力……おかしいわよ」
ヴィッキーの声は、先ほどまでとは別人のように弱々しかった。
だが、クリスティアーナにも答えることはできない。
自分でもわからないし、奪おうと思ったわけではない。
しかし、身体の中にこれまでなかった力が満ちていることだけは、はっきりと感じていた。
そんなクリスティアーナを見つめながら、ジェラードはくすりと笑った。
ナタリーのときと同じだが今度は、一人ではない。二人の炎魔法を続けて受け、そのどちらも無効化したうえで、すべて自分の力へと変えている。
(やはり、攻撃を受けるたびに力を取り込んでいるのか)
しかも、ただ取り込んだ力を使うだけではない。元の持ち主たちをはるかに上回る精度と威力で、その力を操ることができる。
その光景を前に、テニエス伯爵家の者たちは何も言えなかった。
目の前にいる彼女は、自分たちの魔法をいとも簡単に無効化し、その力さえ己のものにしている。
彼らが何の価値もないと思っていたクリスティアーナは、実はとてつもない力を秘めた魔法使いだったのだ。




